表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LaST:リンカーズ  作者: 熊星 慧
第一章 戦争終結編
9/23

第8話 死からの再生

 どこまでも続く深い闇の中を沈んでいくようだった。


 絡み付くような暗黒が、アナトの意識を徐々に塗りつぶしていく。

 己の存在が消滅していくような感覚に襲われ、これが死ぬということだろうかとアナトは空虚な思考を巡らせる。


 不思議と恐怖は感じなかった。もともと三年前の炎の夜に、終わっていなければならなかったはずの命である。

 そんな考えを汲み取ったかのように、目の前の光景が赤へと転換する。血の色ではない。

 何もかもを灰塵に帰す無慈悲な炎が舐める色だ。


 よく目をこらすと、炎の中に焼け落ちる家々の姿が幻視された。灰となって崩れ落ちる建物に、潰されるようにして焼け焦げていく人。刃をふるう襲撃者の暴挙によって、血溜まりの中に倒れ込むヒト。誰かを守ろうとして、その誰かと一緒に最期の時を迎えるひと。死んでいく人、ヒト、ひと。

 その中に、アナトの育ての親も混ざっていたはずで。

 アナトもその中に混ざっていたはずだった。



 アナトはあの夜に一度死んだ。


 どうして生きている。


 どうしてお前だけが救われる。


 そんな集落の人々の怨嗟の声が、幻聴となって聞こえてくる。


 頼む。


 静かにしてくれ。



 俺にだってわからないんだ。


 耳を塞ごうとしたアナトの手を、横合いから伸びてきた温かな手が奪う。

 その温もりが、泣きそうなほど懐かしくて。

 ああ、あの時と同じだ。


 どうして見捨てなかった。


 どうして手を取ろうとした。


 どうして俺を生かしてくれた。


 尽きぬ疑問を投げ掛けようとしても、彼女が問いかけに答えることはない。だってこれは何度も見てきた夢想に過ぎない。


 いつもと同じ繰り返し。

 いつもと同じ終着点で、アナトの意識は現実へと回帰する。

 

=======================================================================


「あ...」


茫漠とした意識のまま、アナトは重い瞼をゆっくりと押し上げた。


目に飛び込んできたのは、病的なまでに白い色をした無機質な天井だ。

目を二度、三度瞬かせると、だいぶ意識がはっきりとしてくる。

おそらく、どこかに横にさせられているのであろうことをようやくアナトは理解した。ツンと刺すような香りが鼻腔をくすぐる。訓練兵団に併設されている医療施設だろうか。

状況が掴めず、アナトは反射的に体を起こそうとするが、


「あ、ぐぉっ⁉︎」


瞬間胸のあたりを襲った激烈な痛みに、たまらずその場で硬直する。


見れば、べっとりと血がついた包帯が、胸の周囲をきつく覆っている。その惨状からして、おそるべき外傷を負わされたことは想像に難くない。

だが一体何が自分の身に起こったのか。確か今朝はファランといつものように諜報部に向かっていたはずだ。そして、先に飛び出して行ってしまったファランと別れて訓練に戻ろうとして、


「そうだ、悪魔...!」


恐るべき敵との邂逅に思い至り、一気にアナトの意識が覚醒する。


中央兵舎の裏側で、悪魔に背後から襲われ、そのまま意識を失ってしまったのだろう。しかし、包帯と胸痛から判断できるこの傷の位置からして、ほぼ心臓の真上を正確に貫かれている。

悪魔の攻撃は不死をも殺す。イルシアと契約し、不死者となっていたアナトだったが、その繋がりは破壊され、只人と成り果てているはずだ。どう考えても生き残れるはずがない。


「でも、生きてる...よな。一体、どういう...?」


自分の身に起きたはずの事象と現在の自分の置かれている状況が噛み合わず、アナトはひたすら困惑するしかない。


ひとまず自分の状態を確かめようと意識をあちこちに向けると、左手に何やら柔らかく温かい感覚が伝わっていることに気が付く。

その感覚に導かれてアナトは左手側に顔を向ける。


すると目に飛び込んできたのは、アナトが横になっていたベッドに体をもたせかけるようにして微睡んでいるイルシアの姿だった。

その様子を視認して、ゆったりとした部屋着から伸ばされた手が、自分のそれを包み込んでいることにアナトはようやく気づく。

痛みとは別のベクトルで、心臓がどきりと音を立てた。

思わず腕に力を込めてしまったせいか、「ん...」と小さく声をあげて、イルシアの閉じられていた瞳がゆっくりと開いた。


硬直していたアナトと、目覚めたイルシアの視線が至近距離で交錯する。

一瞬のち、自我を取り戻したアナトは慌てて口を開く。


「お、はよう。いきなりで悪いんだが、今何がどうなっ」


て、と続けようとした言葉は、突然問答無用で抱きしめてきたイルシアによって中断させられる。


「バカ、死んじゃったかと思ったんだから...。ほんとに、無事で、よかった...」


聞いたことがないほどに震えたイルシアの言葉に、アナトの胸がズキリと痛む。一見嫋やかな見た目に反して、イルシアはめったなことでは涙を見せない。それだけの心配をかけてしまったのだということが痛いほど伝わってきて、アナトは彼女の腕の中で思わず視線を落とした。


「多分、かなり心配かけたよな...。悪かった」


アナトの謝罪に、震えるイルシアの腕にさらに強く力が篭った。それから一拍おいて、彼女はアナトを腕の中から解放する。

その翠玉の瞳は依然として潤んではいたが、涙の跡はもう残されていなかった。


「ううん、アナトが悪いわけじゃないよ。こんなところまで敵が来るなんて、誰も予想してなかったんだし」


確かに、護衛をつけていたとはいえ、実際の襲撃の予測していたかというと、答えはノーだ。

仮に前線の監視を掻い潜ってシュルツガルトの本丸まで侵入してきたとしても、中央兵舎の存在するキリルハイトは、公宮が近いこともあり街の手前で厳重な検問を設置している。兵舎周辺も、簡単に敵の侵入を許さないよう、迷路上の複雑な構造をしているのだ。加えて、もし不審な行動をしているとして、直ちに捕らえられて処刑場送りだ。ターゲットの状況も不透明な状態で行動を起こすには、あまりにも危険性が高すぎる。


それでもなお、こうして実際に行動を仕掛けてきたということは、計画を成功させる絶対の自信があったということだ。


しかし、アナトがこうしている以上、敵の作戦は失敗に終わったということになる。そもそも、なぜ命脈を絶たれたはずのアナトがこうして生きているのか。

尽きぬ疑問が、不完全に覚醒した脳細胞を焼いていく。

分からないことだらけだが、一人でごちゃごちゃ考えているよりも口に出した方がはるかに建設的だ。


そう結論づけ、アナトはしっかりと上半身を起こして、横にいるイルシアに問いを投げる。


「...一体何があったんだ?知ってる限りのことを教えてくれ」


「もう、聞きたいのは私の方なのに。でも、そうだね。今わかっている限りのことは教えられる」


苦笑とはいえ、一瞬笑顔を見せたイルシアだったが、すぐにその表情は元通りの真剣なものへと戻る。そして、兵服の胸ポケットに入れていたらしき紙片を取り出し、アナトに差し出した。


「これが、今回の件の被害報告書。まだ数時間しか経ってないから、あまり詳しい情報までは集められていないんだけど」


言葉通り簡素な報告書を受け取り、アナトは素早く目を走らせる。しかし、数行読んだところで、ある箇所で思わず視線が止まった。


「死者四人、重傷者一人⁉︎」


重傷者というのがアナトのことを指すのならば、それ以外に四人も犠牲者を出す事態になったということを意味する。アナトが襲撃を受けた後、警備の兵とかちあって戦闘になったということだろうか。しかし、それにしては負傷者が全くいないのが気に掛かる。

アナトの思考を読んだかのように、イルシアは痛ましげに視線を伏せる。


「中央兵舎の警備の人たちは、アナトが襲われる前にみんな、殺されてたみたい。不死者ばかりだったはずなのに...、みんな、心臓を後ろから一突き。多分、即死だったんだと思う」


「そう、か。だから兵舎の外に誰もいなかったのか」


ぎり、と歯を噛み締め、アナトは近くにいたはずなのに何もできなかった自分の無力を呪う。しかし、起きてしまったことはもう取り返せない。


「犯人は捕まったのか?そう簡単にキリルハイトから脱出できるはずがない」


そう言ったアナトに、イルシアは悔しそうな表情を向ける。


「アナトが刺されてから、外の物音に気づいたレイモンドくんが窓から様子を見てくれたの。それで、そこから足早に立ち去ろうとする犯人___悪魔を見たって」


「あぁ、レイモンドが見てたのか。ならアイツは相当焦っただろうな」


明らかな致命傷を悪魔から受けて血溜まりに倒れたアナトの姿を見たのなら、まず平常心ではいられなかったはずだ。目が覚めた時イルシアを相当心配させてしまっていたことは分かっていたが、悪魔に刺されたと知っていたならなるほど、冷静ではいられまい。


イルシアは一瞬言葉を切って、再び冷静な表情に戻って口を開く。


「そのあと、すぐに窓から飛び降りて後を追ったらしいんだけど、角を曲がったところで煙みたいに消えちゃったんだって。痕跡も突然消えたみたいになくなってた」


「突然消えた...?まさか、抜け道があるわけでもないだろ」


なんといってもここはキリルハイト兵団の膝下であり、抜け道などあろうものなら束の間の自由を求めた訓練兵たちがとうの昔に見つけ出している。


「そう、だからどうやって敵が侵入してきたのかも、なんで逃げられたのかも全くわからない。今、キリルハイト市街の検問をさらに厳しくしてもらってるけど...」


イルシアが言葉を濁した様子から、依然として敵を捕縛するには至っていないのであろうことをアナトは推察する。


「まだ居所はつかめない、か。よほどこっちの地理に精通してる人間か、そうでないなら」


そこで言葉を切ったアナトの後を、イルシアが続ける。


「シュルツガルトの兵団内に内通者がいたか、だね。最近噂されてた間者が紛れ込んでるって話、多分、無関係じゃないと思う」


「敵に情報をリークした奴がいるってことか。ただ、仮にそうだとしても情報がなさすぎる」


『耳』がかかりきりになっていた仕事がそれだとすると、不審な経歴を持つ人物を特定することはできていないと思ったほうがいい。

その部分について追及するのは不毛であると判断し、アナトはもう一つの、より重要な事項についての問いかけを口にした。 


「それで、俺はどうなってたんだ。いや、違うな。なんで、俺は生きてるんだ?」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ