第9話 国をも滅ぼすチカラ
__悪魔の一撃はアナトの心臓を穿ち、同時にイルシアとの間のリンカーとしての契約を破壊せしめたはずだ。
しかし、それが成されなかったのは、アナトが今も生きていることからもわかるし、なにより未だにイルシアとの間の契約は生きていることをじんわりと温かな熱をもって再生していく己の身体の状態からも確信できる。
そのアナトの真っ直ぐな問いかけに、イルシアは小さく首を横に振った。
「分からない。アナトが襲われたことが分かってからすぐにレイモンドくんが知らせに来てくれて、私も駆けつけることができた。それでアナトの様子を見た時...、正直、もう助からないと思った」
沈鬱な声でそういうイルシアに、アナトは己がいかに絶望的な状況に陥っていたのかを痛感させられる。
こうして今会話できているのが奇跡だということも。
「そう、だよな。でもこうしてリンクが切られてないってことは、そうならなかった理由がなにかあったはずだ」
「うん、実際、アナト以外の兵士はみんなリンクを解除されて命を落としていたわ。アナトの時だけわざと能力を発動させなかった、って可能性もなくはないけど、それにしてはわざわざ致命傷を負わせた説明がつかない」
「理由は相手じゃなく俺の側にあるってことか?でもなんで」
悪魔であろうと、同じ悪魔の力を持つ敵から攻撃を受ければリンクは破壊される。これは現在戦場で交戦している兵たちが証人なのだから、間違いないはずだ。
しかし、悪魔にも殺せないリンカーの存在など、アナトは間違いなく耳にしたことはない。
アナトと同じようにイルシアも難しい顔をしているということは、彼女にも、そしておそらくこの報告によって全力で調査にあたっている面々にも理由は分かっていないのだろう。
そうして考えこむ二人の間に降りた沈黙を、コンコン、と医務室の扉を軽くノックする音が破った。
どうぞ、とアナトが言うと、ガチャリと音をたてて扉が開き、部屋の中へまだ幼さの残る顔立ちの少女が入ってくる。
「おぉ、ようやく起きたのです」
くりくりとした目を見開いている様子は、肩の辺りまでのばした紫のふわふわの癖っ毛と相まって非常に愛らしい。
歳の頃は十二、三歳だろうか。だが、アナトの見知った顔ではない。
はずなのだが、その黄色の瞳や顔立ちの雰囲気に、どことなくアナトは既視感を覚える。
その答えに行き着く前に、少女はアナトたちに向かってぺこりとお辞儀をした。
「私はアイリスと言います。エリンさんとセレーナさんの護衛をしている兄ぃ、いえ、レイモンドの妹です」
「レイモンドの妹。ああ、どうりで」
既視感の正体は今朝顔を合わせたレイモンドだ。確かに兄妹というだけあって、顔のパーツや纏う雰囲気が似通っている。言われてみれば、レイモンドから妹の話を聞いたことも何度かあったような気もしてきた。
しかし、その妹がなぜ突然、しかもこのタイミングでやってきたのかアナトは合点がいかない。ただ、イルシアはなにやら察したような顔をしているので、単に何か言付かってきただけというわけではなさそうだが。
そのアナトの疑問は、アイリスの続く言葉で氷解した。
「歳は離れていますが、私も兄ぃと同じ『鉤爪』の戦兵です。ここに来たのは、私に与えられた任務をこなすためなのです」
「戦兵⁉︎その歳でか」
キリルハイト兵団の中でも、特に実働任務に特化した部隊が『鉤爪』だ。前線に立つことは少ないが、要人警護や優秀な敵勢力との交戦時など、個の力が重視される場合に動かされる。それ故老練な兵よりも若くて未熟だが実力のある兵士が求められるのが常だ。
だとしても、アイリスほどの年齢の少女が戦兵として認められている、というのはかなりアナトにとっても驚きだった。
この若さ、いや幼さで、一体何を任されているというのだろうか。
「任務って、なんの」
「決まっているのです。リス兄ぃがやっていたお仕事なのですから、私にもちゃんとできます!」
アナトの問いかけに、えへん、と薄い胸を張ってアイリスは返答する。リス兄ぃ、というのはおそらくファランのことだろう。同じ隊に所属しているのだから顔馴染みでも驚くことではない。
しかし、『やっていた』という言い回しがアナトの意識に引っかかる。
「やっていた?」
「リス兄ぃなら護衛の任務を降ろされましたよ。今日からアナトさんの身辺警護は私が代わって勤めさせていただくのです」
さらっと飛び出した爆弾発言に、アナトは瞠目する。
「交代って...。いや確かに任務を失敗しているから当然なのか?いやだからって」
「すみません、嘘なのです」
「嘘かよ!」
一切の躊躇なく吐かれた嘘に見事に引っ掛かり、アナトは思わず初対面の少女にツッコミをいれてしまう。
だが、アイリスは別段嫌そうな顔をするでもなく、平然とした態度だ。
「アナトさんの驚く顔を見てみたかっただけなのです、許してください」
「いや、別にいいけど...。どこからが嘘なんだ?」
「護衛のお仕事を任されたのは本当なのです。どうやらもう敵に情報が回ってしまっているようなので、私がリス兄ぃのサポートにつけられることになったのです」
「情報?どういうことだ」
アナトの疑問に答えたのは、神妙な顔をしたアイリスではなく、その手前に座るイルシアだった。
「ファランくんは大隊長から呼び出しを受けていたから持ち場を離れたらしいんだけど、大隊長はそんな命令を出した覚えはないそうよ。その指示を誰が伝えてくれたのかも記憶にないらしくて」
「どういうことだ?人の記憶を弄るなんて芸当、魔術師にもできないはずだろ」
魔術には炎や雷の力を利用したものや、転移や物質の軽量化を可能にするものなど様々な種類があるが、人の精神を操るようなものは未だかつて耳にしたことがない。
それに、魔術師の存在は貴重だ。そんな大物が動けば、嫌でもシュルツガルトにも情報が入ってくる。
「どんな手を使ったのかはわかりません。ですが、敵がリス兄ぃのことを知っていて罠を仕掛けた可能性は高いのです」
「俺から護衛を遠ざけるために一計を案じた、ってところか」
ファランが訓練兵などではなく『鉤爪』の戦兵であることを知っているのは、軍の上層部か、『耳』の中でもエリンやセレーナの役目を理解している者しかいない。その情報が漏れているとすれば、敵の間者は兵団の相当深いところまで潜り込んできていることになる。
ついでに、アナトが護衛さえ引き剥がせば大した抵抗ができない事実を知られてしまっているのも痛手だった。アナトの腰に提げている黒刀は育ての親から譲り受けた業物だが、生憎それに見合う実力を持ち合わせているわけではない。少しは威圧感に寄与してくれることを期待していたが、悪魔が躊躇なく攻撃してきたことから見ても、どうやら効果はなかったらしい。
「だが、そうなるといよいよ間者を早いこと炙り出さないと不味そうだな...。っそうだ、武術大会の件はどうなる?」
アナトが思い至ったのは、今朝イルシアから聞かされた間者を特定するための方策、武術大会についてだ。囮として使おうと考えていたアナトがこうして襲撃を受けた以上、なんらかの方針の変更をせざるをえまい。
だが、そのアナトの予想は、イルシアの発言によって裏切られる。
「上層部は、むしろ予定を早めて、来週にでも大会を開くことに決めたそうよ」
「どうしてだ?敵が先手を打ってきた以上、もうわざわざ囮をちらつかせても意味がないだろ」
「それがそうでもないのですよ、アナトさん。ご自分が生きてらっしゃる意味を、ちゃんと考えてください」
言外に考えが甘い、というアイリスの言葉にやや顔を顰めたアナトに、イルシアが助け舟を出す。
「悪魔の攻撃は間違いなく致命傷。でも、アナトの《リンク》は悪魔にも切れなかった。これが悪魔の力と同じように、他人と共有できる力だったとしたらどうなると思う?」
「それならもちろん、前線の兵士の《リンク》も切れなくなるに決まって...。あ!」
そこでようやくそれが意味する事実に気がつき、アナトの全身を稲妻が貫いたかのような衝撃が駆け抜けた。
ルシェナの兵はジリジリと死んでいくのに、シュルツガルトの兵は損耗しない。その上、自爆覚悟の無茶な作戦すら、一方的に使うことができる。もたらされる結果は、十年前のシュルツガルトの敗戦と真逆だ。シュルツガルトに抗う術を失ったルシェナは降伏を余儀なくされ、支配者と奴隷の関係は完全にひっくり返る。
理解に到達し、己の立場を自覚して硬直するアナトの様子を見て、アイリスが口を開く。
「わかりましたか?アナトさんは、今やルシェナを滅ぼしかねない力を持つことが敵に知れてしまったのです。ルシェナはどんな手を使っても、アナトさんの身柄を拘束して我が物にしようとするでしょう」
「な、るほど。それはなりふり構わず仕掛けてくるだろうな。腹ペコの猛獣の前に極上の生肉を置くようなもんだ」
「もちろん、それ相応のリスクはありますが、こちらも間者が混ざっていることを前提に、万全の迎撃体制を整えるのです。アナトさんは、大人しく釣り針の先に吊るされるミミズになってください」
「表現が酷いな...。さては兄貴と違って口悪いだろ」
なんのことかわからない、とでも言いたげに澄ました顔をするアイリス。ともあれ、彼女の直截的な物言いで、突如もたらされたあまりにも重い責任の重圧が少し和らいだ。
ルシェナとシュルツガルトの戦いの均衡を一気に崩してしまうほどの力があろうが、アナトのやるべきことは変わらないのだから。
そう気持ちを落ち着けたアナトに、イルシアが視線を合わせてくる。
「本当は、これだけでもすごく心配なんだけど...。実は、上層部からの指令はもう一つあるの」
「もう一つ?」
この状況で下される任務に見当がつかず、アナトは困惑の色を隠せない。
それに対して、イルシアの表情は一段と真剣味を増した。
「アナトの《リンク》が切れなかった理由。それを確かめるために、アナトの出自を探ってきて欲しい、と言われたわ」
探ってきて欲しい、という表現からして、おそらくこれはイルシアの側に下された任務なのだろう。そして、表現からして、上層部はアナトが過去の来歴を隠蔽している可能性を疑っているのが透けて見える。
しかし、兵団に伝えたアナトの来歴に欺瞞は一切ない。
物心ついた時から両親の記憶はなく、育ての親、いや師匠のような存在に助けられて十三まで過ごした。
三年前、謎の襲撃者に住んでいた集落を徹底的に破壊されるまでは。
そこから辛うじて命を拾ったアナトはたまたま近くを通りかかった村娘、イルシアに助けられて、兵団に入る一年前まで命長らえてきたのだ。
これ以上のことを知る方法など____
「待てよ、方法はあるかもしれない」
失われた両親との思い出。それを見つけられるかもしれない心当たりにアナトは行き着く。
それに驚いたような顔をしたイルシアが、座っていた椅子から思わず立ち上がった。
「どういうこと?アナトの家も三年前に燃やされちゃったはずで、もう何も残っていないのに」
「いや、俺の住んでた家は集落の近くにあっただけで、襲撃の被害にはあってないんだ。もしかしたら、探せば何か手がかりが見つかるかもしれない」
「なるほどです。では、早速上の方にそれを伝えて___」
「いや、それは止めたほうがいい」
アナトの静止に、アイリスは不思議そうな顔をする。一方で、イルシアはアナトの言葉に首肯していた。
「うん、今のところ、間者はなんらかの方法で上層部から情報を抜き取ってると考えていいと思う。もしアナトが住んでた集落の情報が敵に渡れば、先手を取られる可能性が高いわ」
「じゃあ、一体どうするのです」
「決まってる…。俺が行くんだ。上層部に気づかれないように」
アナトの言葉に、イルシアが申し訳なさそうに苦笑する。
「流石に、一人で行かせるわけにはいかないけどね。でも、そっちの方が兵舎で自室に籠ってるよりもむしろ安全かもしれない」
「本気なのですか?もし偉い人にばれたら大変なことになりますよ?」
「でも、これは危険を犯してでもやる価値があると思う。アナトの不死身に理由があるのかどうか、正確に知ることができれば、敵に対して有利が取れる」
それに、とイルシアは言葉を続けて、
「私が責任を持ってついていくわ。アイリスは、このことが周りに漏れてないか注意しておいて。護衛には、ファランくんも連れていくから。...ダメ、かな」
「...連隊長のご命令なら仕方ないのです。でも、アナトさんは本当に気をつけるのですよ」
イルシアの説得に、どうやら反対していたアイリスも折れたようだった。
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最後にもう一度、「絶対に無茶はしちゃだめなのです!」、と念押しを入れたアイリスが部屋を後にすると、元通り室内にはアナトとイルシアの二人だけが残される。
そこでふと、言い損ねていたことを思い出して、アナトはイルシアになぁ、と声を掛けた。
「そういえば、俺の目が覚めるまで手、握っててくれたんだよな。ありがとう」
不死者の回復速度は守護者との距離に大きく左右される。できるだけ近く、それこそ接触しているレベルで近づいていれば、大概の傷ならば数時間もすれば回復する。流石に今回はかなりの致命傷を受けていたはずなので完治とは至らなかったようだが。
だが、そのアナトの礼の言葉を聞いて、イルシアの顔が一気に朱色に染まる。
「あ、あれはその方が回復が早くなるかなって思ってしたことで、アナトがうなされてそうだったからなんとなく手を握っちゃっただけとかそういうんじゃなくて、えっと、とにかく、なんでもないことだから気にしなくていいの!」
凄まじい早口で、イルシアは謎の弁明をする。そして、もう、と言って立ち上がったかと思うと、びしり、とアナトの顔を指差してきた。
「それより、アナトはこれからしばらく訓練はお休みすること!敵がどう出てくるか分からないし、それだけの怪我したんだから」
「お、おぅ...」
なぜかちょっと怒らせてしまったようだが、原因に皆目検討がつかず、アナトはその場で目を白黒させて、大人しく首肯するより他にない。
どうやら少なくとも数日間は、ベッド生活を余儀なくされそうだった。




