エピローグ~元和二年、春~
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元和二年(1616)、春。
行列が、列を欠片も乱すことなく、ゆったりと町の合間を進んでゆく。総勢はざっと二千人足らず。男は皆武装し、女が列の中心部を固めている。その女たちの真ん中、中間二人が輿を担いでいる。
その穏やかな揺れを感じながら、千はわずかに空いた戸の隙間、外に並ぶ野次馬の群れを眺めていた。
(幸せな人々・・・)
千は微笑む。江戸の人々は気前がよく、祭り好きだ。大坂のような気性の荒さはなく、むしろ上品さと大らかさで作られている。
(ここは栄えるわ、大坂と違って・・・)
千は淀君と違い、世間知らずのお嬢様ではない。その事を敏感に察していた。徳川の軍勢によって焼き尽くされた大坂の街はかつての賑わいを取り戻すことなく、衰亡していくであろう。その事を、千は察していたのである。
事実、この千の推察どおり、江戸期初頭の大坂の衰亡は、目を覆いたくなるほどであった。そして以後明治維新まで経済圏の中心が大坂にもどることはなく、太閤時代の京・大坂の賑わいは失われたのである。
人生の半分以上の時を大坂で過ごした千にとって、これは感傷に耐えがたいことであった。このような苦しみを自らの娘に与え、そのうえ娘婿を殺した父・秀忠を、千は憎んでいた。
だからこそ、千は嫁いでいくのである。
桑名藩主、本多忠刻。世に『徳川四天王』と呼ばれる家老団の筆頭、本多平八郎忠勝の孫にあたる。千は、その元へゆく。
大阪落城から、一年。
世間はようやく泰平を取り戻し、庶民は平和に慣れはじめている。千の婚儀は、偃武を慶ぶという政治的な意味合いを持ったものでもあった。
(平和になっても、女は政治の道具・・・)
千は溜息をつき、ふと外へ目を向けた。
刹那、瞳に飛び込んできた男の姿に、千は思わず目を見開き、息を吸い込んだ。
月代を美しく剃りあげ、袴は絣物である。朱の鞘、小袖は薄い緋色。やや傾いた格好ではあるが立派な若武者である。旗本と思われるが、その姿からは一介の旗本にはない、威厳と気品が備わっていた。
胸の紋は、丸に木瓜。
しかし、千は見逃さなかった。
懐かしい、あの微笑みが、その青年の頬に浮かんでいるのを。
(秀頼様・・・!)
思わず涙があふれそうになるのをこらえて、そっと袖で目を拭う。
「姫様?」側を歩いていた侍女が、中の様子に気付いてそっと覗き込む。
「いいえ。」千はそっと涙を拭いながら、首を振った。「何でもありません。もう大丈夫。」
そのとき、その女中――ちょぼ(、、、)は、小さな声で囁いた。
「秀頼様は、凛々しくおなりになられましたね。」
千も小さく頷いた。
「・・・まことに。」
ほろりと落ちた涙は、拭われることはなかった。