01. 初めての領地経営 1
翌朝、目覚めたときには、お父さまは既に家を出た後だった。きっと夜は戻ってこないだろう。もしかしたらこのまま二度と屋敷に戻らないかもしれない。
お父さまは昼間、王宮に出仕している。夜は愛人宅に帰る毎日。必要最低限の交際費は公爵家から出ているが、愛人を養うほどのお金は、当然だけど出ていない。そのため上位貴族に用意された名誉職の俸給で賄っている。他にも公爵家の持つ領地の一つ、ガルリオ領もあるけれど、こちらはさほど大きくないため税収は多くない。洒落者で通っているお父さまの衣装代と交際費の補填くらいにしかならなかった。
「オベール、執務室の鍵をちょうだい」
葬儀の翌朝、真っ先に執事に執務室の鍵を要求した。
「申し訳ございませんが、執務室は遊び場ではございません」
「お母さまが亡くなった今、誰が領主の仕事を行うというの? お父様は一切何もしないというのに」
「しかしながら、お嬢様はこれから勉強する身、領主の役割をこなせません」
「その判断は執事の分を超えているわ。唯一の正当な後継者が執務をするのは当然のことよ。それにお母さまには時々、領主の仕事を教わっていたの。今すぐ完璧に仕事をするのは無理でも、それなりにはできるわ」
お母さまに教わったというのは嘘だ。十二年前の私はお母さまの近くで、邪魔にならないように遊んだり、子供向けの本を読んでいただけ。
だけど時間が巻き戻る前は王子の婚約者として、自分にも他人にもとても厳しい王妃さまに教育を受けていたし、婚約者の王子に与えられた領地を維持する手伝いを何年もやっていたのだ。全くの素人ではない。
オベールは一向に譲る気のない私に、渋々といった様子で執務室を開けた。執事見習いを目付け役として置かれたのは業腹だけど仕方ない。部屋には私一人しかいないと思って、早速、領地の記録を読む。
私は前の人生で何もかもを奪われて十七歳で破滅した。
せっかく五歳まで時を遡ったのだから、次は失敗しない。
そのため決めたことが二つある。
・居場所を作り、奪われないだけの力をつけること
・破滅の原因を一つずつ取り除くこと
以前は流されるままに生きた結果、私を不要に思った婚約者のエリク王子とお父さまによって排除された。王子の前婚約者の死や、お父さまの愛人の死によって、私はアングラード公爵家の後継者から降ろされて「婚約者である王子から愛されない相手」という立場になる羽目になった。
この国には家の乗っ取りを阻止するための法律がある。正当な血筋以外は後を継げないという。
血を受け継がない婿や嫁は後を継げない。正統な後継者が成人になるまでの代理人の立場だ。だから入り婿のお父さまはアングラード公爵ではなくて、前公爵の娘であるお母さまが公爵だった。次期公爵は今のところ私。お父さまはあくまで私が成人するまでの間、公爵代理を務めるだけになる。公爵家の血を引いてない異母妹は、お父さま同様に我が家を継ぐことは不可能だ。
しかしお母さまの妹の嫁ぎ先であるフェドー伯爵家の次男なら血縁関係が有り、正当な公爵家の跡取りになりえる。今はまだフェドー伯爵家に子供はいないけれど、三年後には第一子が、四年後には第二子が生まれ、私は唯一のアングラード公爵家の後継者ではなくなる。
フェドー伯爵家から養子を迎えて異母妹の婚約者に据えてしまえば、実質的に公爵家の乗っ取りが可能だ。
従兄弟たちが生まれるのは阻止できないし、するつもりもない。だけどそれまでに領主としての実績を積むことや、有力者を味方に引き込むことで、易々と後継者の座から引きずり降ろされないようにしなくてはいけない。
幸いにも私には十七歳までの記憶がある。前回と今回が全く同じになるとは限らないけれど、対策は立てやすい。
手始めに三年後の豪雨対策に着手する。
豪雨は洪水を引き起こし、国の大半で農作物が壊滅的な打撃を受ける。公爵家の領地も然りである。
お父さまが預かるガルリオ領は税収を全てお父さまの懐に入れて良い代わりに、経営をおこなう必要がある。しかし領地は豪雨の影響を数年に渡って受けることになった。堤防が決壊し、蓄財をしていなかったお父さまは復興資金がなくて、少しずつしか対応ができなかったのだ。公爵家の他領も自分達の復興が優先で、他まで手が回らなかった。
結果的にお父さまは生活の質を落とさざるを得なかった。唯一の救いは、多くの貴族が打撃を受けたために、社交が地味になったことだろうか。
その二年後、今から五年後に大流行した病によって、父の愛人が亡くなり異母妹が屋敷に引き取られる。愛人が死ぬのを阻止できるかは判らない。でも資金が潤沢にあれば、薬や治癒士を手配することが容易になるから、助かる可能性は上がる。
対策を立てるために、まずはここ数年における領地の麦の収穫量と税収、備蓄量を確認してみた。豊作が続き、一年間の領民分の備蓄がある。でも一年分では足りない。豪雨により作物は全滅し、豪雨による川の決壊で、翌年以降も収穫が激減する。最低二年分の備蓄は欲しいところだ。そして可能な限りの洪水対策。領内の全ての河川の決壊を防ぐことはできないけど、一番大きな被害をもたらしたところの対策くらいはどうにか終わらせたい。
領地に行って代官たちと話をしなくては。
オベールを執務室に呼び出し、明日、領地に行くことを伝える。
「お母さまが亡くなったことと、今後のことを話に領地に行くわ。今すぐ先触れを出して欲しいの。明朝、領地に出発するわ。
それとアングラート公爵家として前公爵の喪に服す期間を三年とします。お母さまの今までの交際費は全て領地運営費用に流用します。私の衣装代も最低限にします。お母さまの子供時代のドレスを着れば、ほとんど仕立てなくて済むわ。
お父さまの交際費はそのままで構わないけど、一切の増額は認めないで」
「しかし先代が亡くなって直ぐに令嬢が時代遅れのドレスを着るなど、悪い噂が立ちますので承服できかねます」
「そんなの「お母さまをできるだけ感じたくて、お母さまの子供時代のドレスばかり選んでいる」と言えば良いのよ。不憫に思われこそすれ、金銭的に苦しいなんて思われないわ。直ぐに背が伸びて着られなくなるのに、何枚も仕立てるなんてお金の無駄遣いよ」
「お嬢様、公爵家は借金もありませんし、困窮もしておりません。そのように緊縮財政をする必要はないのでは」
「ええ、困窮どころか領地経営は順調で、税収は上がっているわ。でもお祖父さまの時代より領民が増えていて、一度不作になったときに必要になる備蓄食料も多くなってるわね。近年は水害が全く無かったから、河川の補修は全然行ってないの。そろそろ傷んでる時期ね。お母さまも対応が必要だとおっしゃっていたわ。実行する前に亡くなってしまったけれど。
昨年は豊作だったし、今年もこのまま行けば豊作になるから、麦の備蓄を増やすのは簡単だし費用もさほどかからないと思うの。河川の補修に必要な人手は領民を雇えば大したことがないとはいえ、専門家を雇うのは高くつくし、石材が必要になったら費用は嵩む一方よ。社交を控える名目が立つ今が、領地改革に最適だと思うわ」
「そこまでお考えとは……」
「お母さまは私とおしゃべりを楽しむように、領地経営のお話を沢山してくれていたの。その中で「そういえば堤防の補修を考えなきゃ」って。今年の税収報告の時にでも代官と相談すると言っていたわ。収穫の時でも良いけど、お母さまのことも伝えたいし挨拶もしたいから、ついでに備蓄の件と合わせて話をしてこようと思うの」
そこまでお考えとはと、頭を下げようとするオベールを制止して、にっこりと微笑んでみせる。
豪雨対策ができたとしても、全ての手柄はお母さまのものになる。とはいえ、遺志を継いで行動したことは、後継者として良い結果を生むだろう。何よりも公爵家の領地経営を安定させることはとても重要だった。