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マージナルマン




――それから、二人の”いつもの場所”は例の橋からパルスィの家に変わった。

特に約束をしていないのは以前と同じだし、意味もなく駄弁っているのも以前と同じ、場所が変わっただけで二人のやることは基本的には変わらない。

ただ、時折無性に相手が愛おしくなってキスをしたくなるとか、甘えたくなって抱きついてみたりとか、身体的な接触は以前よりも遥かに増えている。

それを抜きにしても常に体の一部が触れた状態で居ることが多くなった。

理由としては、パルスィが拒まなくなったのが大きい。

元からヤマメはスキンシップを取りたがるタイプだったし、パルスィも妙な劣等感さえなければ誰かとふれあうのは嫌いじゃない、つまりこうなるのは必然だったのかもしれない。

数日経つと、パルスィの家にはヤマメの持ち物が少し増えた。

最初はうっかり忘れていった小物だけだったが、次第に洋服が増え、二人で行った買い物ついでにお揃いの寝間着を買い、布団は一つだが枕が二つ並ぶようになった。

ついでにお風呂にも二人で入るように。


実はパルスィははじめのうち、過度なスキンシップを避けていた。

予備軍という言葉を取るにあたって、ヤマメは友情と愛情の間で揺れ動く自分の気持ちを整理するだけでいいのだが、パルスィには二つも問題がある。

一つは少女のこと、人間関係の整理。

そしてもう一つが、ヤマメに対する罪悪感について。

いくらヤマメから許可を貰ったとはいえ自己嫌悪が消えるわけでもない、罪悪感も完全に割り切れるわけではない。

時間の流れが自分の気持ちを変えてくれるのかもしれない、だがそれではヤマメを長い時間待たせてしまうことになる。

悩むパルスィだったが、その悩みはヤマメの言葉で案外簡単に解決してしまった。

二人で枕を並べて眠る夜、二人で同じ天井を見上げながら、ヤマメが控えめの声で語り出す。


「パルスィは、白いキャンバスがなんで白で生まれてきたか知ってる?」

「人間の都合でしょう」

「ぶっぶー、不正解です。

 しかし夢も希望もない答えだね、パルスィらしいといえばパルスィらしいんだけど。

 正解は、誰かに絵を描いてもらうため、だよ」

「普通じゃない、なぞなぞじゃなかったの?」

「言い方を変えれば、誰かに汚してもらうため、そのために彼らは白で生まれてきた」

「何が言いたいの」

「ちょっと自惚れ過ぎかとも思ったんだけどさ、パルスィの考え方が行き過ぎてるからこそ悩みは消えないんだと思うから。

 要するに、パルスィから見て私は触るのを躊躇するぐらい綺麗な状態なんだよね」


汚したくないということは、相対的に見てヤマメの方が綺麗でなければ成り立たない。

ヤマメも同じぐらい汚れていたのなら、パルスィが罪悪感を抱く必要などないのだから。


「そうね……私が汚れすぎてるとも言えるけど」

「つまり、白いキャンバスは私」

「ヤマメが?」

「うん、そして絵の具がパルスィ」

「……」

「私が白に生まれてきたのは、きっと誰かに汚してもらうためだった。

 誰にも使われない道具ほど虚しい物も無いと思わない?」

「だから、罪の意識なんていらないって言うの?」

「うん、私は使われたい、使われるために生まれて、ここにいる。

 もちろん誰でもいいってわけじゃないよ、パルスィが良いからこうやって一緒に居るんだよ」

「汚すとか使うとか、あんたは私の理性をどこに飛ばすつもり?」

「そういうつもりじゃないよ!?

 あ、いや、そっか、そういうことに……なるの、かな。

 最終的にはね、そういう使われ方もいいと思うけど、私が言いたかったのはスキンシップ全般のこと。

 触れ合った時に罪悪感なんてあったら悲しいよ。

 私は手をつないだら、心の全部が幸せだし、頭の全部で喜んでるよ。

 でもパルスィは、九割ぐらいしか幸せじゃないし、喜べてない、見ててわかるんだ」

「……ごめん」

「謝らないでよ。

 それを治すために私が居て、こうして普段は絶対に言えないような恥ずかしいセリフ言ってるんだから。

 だからさ、私は使って欲しいんだってこと、それが当たり前のことなんだってこと、それを伝えたかったの」

「あたり前の、こと」

「そう、誰も咎めないし、むしろ私はそうしてほしい。

 パルスィだって本当は、そうしたいって思ってるんでしょ?」


それから、パルスィの自己暗示が始まった。

罪悪感だっていわばネガティブな自己暗示の結果なのだから、”当たり前だ”と自分に言い聞かせることによって相殺することだって出来るはずだった。

パルスィの目論見通り、みるみるうちに罪悪感は消えていく。触れ合う瞬間を心の底から幸せだと感じることが出来る。

これでもう、二人を遮るものは何もなかった。

あとはパルスィの個人的な問題を解決するだけ、それだけで予備軍なんて言葉は容易く消してしまえる。


過ぎ行く日々、全ての問題は解決せずとも二人の関係は少しずつ変わっていく。


「んふふー……」

「どうしたのよ、何も無いところで急に笑って。気持ち悪いわよ」

「うわひどい、歯ブラシ見て微笑んでただけじゃんか」

「さすがの私も歯ブラシに劣情は催さないわ」

「催してない! ただ、私とパルスィの歯ブラシが並んでるのが、素敵だなって思っただけ」

「ああ……そうね、確かに言われてみれば、なんだか卑猥だわ」

「どうしてそっちに持ってくのさ!?」


コップに並ぶ色違いの歯ブラシは、まるで恋人が同棲する家の光景のようで、見るたびにヤマメの表情は思わず綻んでしまう。

パルスィも茶化してはいるが、その後しばらくは歯ブラシを見て人知れずニヤニヤと笑っていたようだ。


少しずつ変わっていく、少しずつ同じになっていく。


どうやらヤマメとパルスィの使っていたシャンプーはそれぞれ別の物だったようで、以前は髪の香りが微妙に違っていた。

それが今では同じ物を使っているので同じ香りがする。

特別それを言葉にして言うことは無かったが、ヤマメは自分の髪の香りを嗅ぎながら、


「パルスィと同じ匂いがする……」


と頬を赤らめていたし、パルスィもヤマメの髪が振りまく香りに満足気に微笑んだりしていた。

支配欲が満たされるとでも言えば良いだろうか、髪の香りが変わったことで、ヤマメが自分の物になっていくような気がしたのだ。


二人の関係は良好、問題は何一つ無い……ように思えたが、しかしヤマメの心には不安が一つ。

一週間以上経ってもまだ、パルスィが少女と会う様子がない。

それはある意味ではヤマメにとっての安心でもある。

正直に言えば、このまま二人の関係が自然消滅してくれるならそれでも別に構わないと思っていた。

だが、それではあまりに締りのない終わり方をしてしまう。

はっきりとした終わりがなければ、パルスィがまたあの遊びに走ってしまうような気がしてならない。

浮気は、嫌だ。

いくらパルスィの嫌な面を知っていたとしても、恋人(予備軍)になった今と友人だった当時では許容出来る範囲だって変わってくる。

世間一般の常識では、状況からして今はヤマメが浮気相手ということになるのだろう。

そのくせ偉そうなことを言うのは道理に反しているとも思ったが、それでも嫌なものは嫌なのだ。

かといって、ヤマメが口を出せるような問題でも無いのがこれまた厄介だ。

こればかりはパルスィ自身が自分で解決するしかない。

下手にヤマメが手を出そう物なら、それこそ本当に少女に殺されかねないのだから。


多くの幸福に満たされ、一抹の不安を抱えたまま、恋人予備軍を卒業出来ないままに時間は過ぎ去っていく。






大通りは今日もいつかと同じように賑わっている。

橋姫を名乗りながら久しく橋へと来ていなかったパルスィは、散歩がてらふらりと外へと繰りだした。

幸い、ヤマメは買い物に行っているので不在だ、帰ってくるまでに戻れば心配をかけることもないだろう。


「こんにちは妖怪のクズさん、ごきげんいかがですか?」


頬杖をつきながら川の流れを眺めていたパルスィは、背後から突然罵倒を浴びせられる。

出会い頭にこんな挨拶をしてくる妖怪は地帝広しと言えども一人しかいまい。


「さとり、挨拶にしては辛辣すぎない?」

「世の中を舐め腐っている甘ちゃんにはお似合いだと思いましたが、私間違ったこと言いましたか?」

「……ふん」


さとりに聞こえるように舌打ちをしてみせるが、この程度で彼女が怖気づくわけがない。

パルスィは心を読まれるのが苦手で仕方なかった。

彼女は邪心を抱きすぎる、ヤマメが根っからの善人だとするのなら、パルスィは根っからの悪人なのだ。


「そんなあなたが、不相応にも彼女の前だけでは善人を装おうとしている、こんなに滑稽なことが他にあるでしょうか。

 妖怪、無理はするものではありませんよ、体に祟りますから」


自分の生きざまに反する行為は、文字通り妖怪にとって毒になる。

もっとも、パルスィは嫉妬を操る妖怪なので善人を装った所で何ら問題はないのだが。

さとりの言葉は単なる皮肉に過ぎない。


「私はヤマメに相応しく無いっての?」

「相応しいとお思いですか?」

「質問を質問で返さないでよ。

 ええそうね、言うとおりよ、私はヤマメには似合わない、あの子にはもっと優しくて正直な見知らぬ誰かが寄り添うべきなんでしょう」

「それをわかっていても、ヤマメさんを離すつもりはない、と。

 彼女も随分厄介な妖怪に捕まってしまったものですね、折角の善人が勿体無い」

「だから何よ、言っておくけど私は――」

「悪人、悪い女だから関係ない、ですよね。

 開き直った愚か者ほど手に負えない物はありません、これでヤマメさんが騙されているとか、正気を失っているのなら迷わずに二人を引き裂くのですが。

 残念なことにヤマメさんも心の底から貴方にベタぼれと来たもんです、これではうかつに手を出せないではないですか。

 ……まあ、今回はそんなことをしに来たわけではないから別に構わないのですが」

「あんた、ヤマメ相手だと微妙に優しいわよね。

 私には好き放題言うくせに」

「根っからの善人に容赦なく悪意を浴びせられるほど心のない生き物ではありませんからね。

 そのあたり、パルスィさん相手なら遠慮しなくていいから楽です、サンドバッグ代わりって所でしょうか」

「私も傷つく心は持ってるのよ」

「それだけ他人を傷つけてきたのですから、傷ついて当然ではありませんか?」

「ふふ、道理だわ」


殺伐とした関係ではあるが、この二人も間違いなく友人ではあった。

容赦なく罵声を浴びせあえる関係というのも、それはそれで貴重なのである。

ある意味で対等、フェアな関係と呼べるだろう。


「さて、今日はパルスィさんに一つか二つ……いや、もっと沢山言っておきたいことがあって来たのですが」

「よく見つけられたわね」

「聞き込みなんてしなくても目撃情報は集められますから、パルスィさんの家の前から地道に探せば自然と見つかりますよ。

 それで、私から言いたいことについてなんですが、先日たまたま道端で買い物中のヤマメさんを見つけましてね、これはいい機会だと思って頭のなかをじっくり覗いてみたんですよ」

「何がいい機会よ……」

「楽しいですよ?」

「そりゃあんたはそうでしょうね!」


パルスィのことを悪人呼ばわりするさとりだが、彼女の方も大概だ。

もう少し遠慮って物を覚えてくれれば、その嫌われっぷりに同情も出来るのだが。


「ヤマメさんってば以外とナイーブなんですよね。

 いつもは二人で買い物しててヤマメさんがそれを心から楽しみにしてること、その日はたまたまパルスィさんが用事で一緒に買物にいけなくて心の底からがっかりしてることや、それ以外も色々とわかりました。

 あ、そういえば今日はパルスィさん一人なんですね、ヤマメさんはどうしたんですか?」

「……その、一人で買い物に行ってるわ」

「そうなんですか、可哀想に、さぞ寂しがってることでしょうね。

 まあそれはいいとして、本題は買い物の件じゃなく、例の少女の方です」

「さらっと流したけど今の私に対する嫌がらせよね、そうなのよね!?」

「勘ぐり過ぎですよ、ただ私は思ったことを言葉にしただけですから」


そう言うさとりは実に満足気な笑みを浮かべている、これが悪意でないと言うのなら何だと言うのか。


「それで、例の子の件ですが」

「やっぱ、さとりが知らないわけがないわよね」

「ヤマメさん、随分と不安に思ってるみたいですよ。

 自分で整理するとか言っておきながら、もうかれこれ二週間も放置してるんですからね。

 人間のどす黒い部分を見てきた私でもこれにはドン引きです、まさか未練でもあるんですか?」

「あるわけないでしょう?」


さとりは全てをわかった上で言っているのだからたちが悪い。

そう、ヤマメと恋人予備軍になったあの日から、パルスィは一度もあの少女と会っていなかった。

謝るべきだと理解しながらも、上手い謝罪の仕方も、事の解決の方法も思い浮かばないままずるずると二週間が経過してしまったのである。


「あろうがなかろうが、どちらにしても女々しいことに変わりはありませんがね。

 私が甘ちゃんだと言ったのはそのことです。

 誰も傷つけたくない? 出来れば自分は痛い目を見たくない? 上手く解決できる方法が見つかるまで誤魔化したい?

 ほんと、どこまで甘ったれるつもりなんですか貴方は、ヤマメさんは吐き気がするほどの善人でしたが、あなたは吐き気がするほどのドへたれですね。

 せめて自分が傷付く覚悟ぐらいしたらどうなんです、今更になって誰も傷つかない結末なんて無理に決まってるじゃないですか」

「夢を見るぐらいいいじゃない」

「夢が実現するまで動く気がないくせによく言いますね、問題を先延ばしにするほど傷は大きくなる一方ですよ?

 いいですか、パルスィさんはすでに手遅れな場所に居るんです。

 軟着陸しようなんて無理な話なんですよ、だってもうとっくに墜ちているのですから。

 それでも少女を傷つけたくないというのなら、もう一度飛び立たなければならない。

 いいですよ、やってみればいいじゃないですか。

 その場合、ヤマメさんを酷く傷つけることになると思いますが、パルスィさんの望み通りに無難に軟着陸できると思いますよ」

「んなことできるわけないでしょう?」

「だったらどうします?

 ヤマメさんを傷つけないためにパルスィさんとあの子が傷ついて終わるのか、それともいっそ殺してしまいますか? それなら傷つくのは一人で済みます」

「ふざけたことを言ってくれるわね」

「でも一瞬、魅力的だと思いましたよね?」

「っ……」


そんなに面倒なら”妖怪らしく”殺してしまうのも手だと、一瞬だが思ってしまったのは事実だ。

だがパルスィにそれを実行に移す勇気があるわけがない。


「先程は相応しくないと言いましたが、あなたがヤマメさんと出会ったのは、ある意味で正解だったのかもしれません。

 彼女が居なければ、あなたは一人で奈落の底まで落ちていたでしょうから」

「奈落ねえ、私にそんな度量があると思うのかしら」

「そんなもの必要ありませんよ、ずるずると流されるままに引き込まれればいいだけです。

 気づいていないかもしれませんが、ヤマメさんは以前からずっとあなたを支えていてくれたんですよ。

 煩わしいと思っていた彼女のお小言が知らず知らずうちにパルスィさんを救っていたんです」

「そう、あんたが言うなら本当なんでしょうね」

「ええ、ですからもっと感謝してあげるべきだと思うんです。

 せめて寂しい思いはさせないであげてほしいですね」

「しつこいわね……明日からはちゃんと一緒に買物にも行くわよ」

「そうしてあげてください、彼女が寂しいとなんだか私もあまり気分が良くないんですよ」

「あら、もしかして恋敵かしら?」

「ご冗談を、私はただの厄介な友人ですよ」


そう言いつつ、さとりは目を伏せて軽く微笑んだ。

もちろん恋敵などではないが、さとりもそれなりにはヤマメのことを想ってはいるようだ。

故に、今日も無意味にパルスィに嫌がらせをしにきたわけではない。


「一応、今日は忠告のつもりで来たのですが話がぶれてしまいましたね。

 端的に言えば、もうあまり時間はないという事をお伝えしたかったんです。

 例の少女を一度見かけましたが、それなりに追い詰められている様子でしたよ。

 当然ですよね、愛しのお姉さまからの連絡がぱたりと途絶えてしまったのですから。

 この状況でヤマメさんと一緒に居るところを見られたりしたら……場合によっては」

「わかってる、近いうちにケリをつけるつもりではあったのよ」

「パルスィさんにとっても初めての体験ですからね、躊躇う気持ちも、まあ全く理解できないというわけではありません。

 ですがくれぐれも、ヤマメさんが傷つくような結末にはならないよう。

 私は別に殺すという案を否定したわけではありませんよ、必要だというのならそれも一つの方法なのでしょう」

「そうならないように頑張ってみるわ」

「はい、頑張ってください」


最後の一言だけは、純粋に応援してくれているように聞こえた。

さとりには不似合いな言葉ではあったが、それだけに本気度合いが伝わってくる。

確かにさとりはヤマメに傷ついてほしくないと思っているが、一応はパルスィのことも心配はしている。

仲が良いと胸を張って言えるような関係ではないが、それでもそれもさとりにとっては貴重な友人のうちの一人なのだから。





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