第31話 誕生日にプロポーズしてみたぜ。
――ルクレール、裏通りのレストラン。
重厚な扉の向こう。
個室。
静かだ。
ナイフとフォークが皿に当たる音だけが、やけに響く。
テーブルの片側。
ストライプのスリーピース。ダブルのジャケット。シルクのネクタイ。
いかにも“仕事ができる顔”をした男――虎徹。
その向かい。
黒いドレス。
胸元が大きく開いた、挑発的なシルエット。
虎獣人の女――アントニオ。
正確には。
アンジェリーナ。
「兄貴さ〜」
フォークをくるくる回しながら、ため息。
「少しは大人しくできねえのかよ」
虎徹は――
聞いていない。
白身魚のムニエルを口に運びながら。
「うまいなこれ」
真顔。
「……聞いてんのかよ」
「ん?」
一拍。
「無理だな」
あっさり。
「それができたら、こんな生き方してねえよ」
ワインを一口。
「だいたいよ、あいつらの態度見ただろ」
フォークで皿を軽く叩く。
「ヒューマンと獣人ってだけで、見下してきやがって」
アンジェリーナの頭に、さっきの光景がよぎる。
オークの連中が、血相を変えて逃げ出す姿。
廊下を転がる死体。
「……そりゃそうだろ」
「オークしかいねえパーティだったんだから」
虎徹が、肩をすくめる。
「だから片付けた」
「掃除屋だからな」
さらっと言う。
まるで、ゴミ出しの話みたいに。
「屋敷ごとな」
一拍。
「ハイター撒けばよかったな」
「消毒にもなるし」
「お前さ……」
アンジェリーナが額を押さえる。
「俺より子供だぞ」
虎徹は笑う。
「舐められたら終わりだ」
目だけが、笑っていない。
「それだけだ」
沈黙。
ナイフの音。
ワインの香り。
そして――
「……あーあ」
アンジェリーナが椅子に背を預ける。
「俺、今日誕生日だぞ」
虎徹が止まる。
「……知ってる」
「兄貴と会った日だ」
ぽつり。
空気が、少しだけ変わる。
そのとき。
コトン。
小さな箱が、テーブルに置かれる。
ジュエリーボックス。
「忘れてねえよ」
虎徹。
アンジェリーナの目が、ぱっと明るくなる。
「いいぜ……」
口元が緩む。
「オッケーだ」
「は?」
虎徹が首をかしげる。
箱を開ける。
中には――
一粒のダイヤのピアス。
静かに光る。
「どうだ」
虎徹がドヤ顔。
「護りの加護、かけてもらった」
胸を張る。
沈黙。
アンジェリーナの肩が、すっと落ちる。
「……なあ」
低い声。
「こういうときってさ」
顔を上げる。
「指輪じゃねえのか?」
一拍。
「指輪がいいのか?」
「当たり前だろ」
「プロポーズだぞ」
「……誰に?」
「俺に決まってんだろ」
虎徹、固まる。
「いや……」
視線を逸らす。
「そういうつもりじゃない」
――空気が、割れる。
「おい」
アンジェリーナが身を乗り出す。
「ちょっと待て」
指を立てる。
「今日は、俺の十六の誕生日だ」
「知ってる」
「獣人の十六ってのはな」
間。
「適齢期だ」
さらに間。
「むしろ遅いくらいだ」
腕を組む。
虎徹が考える。
「……そうなのか」
「そうだよ」
「俺たち、番だろ」
「いや、兄弟じゃねえか?」
即答。
「なんで弟なんだよ!!」
「せめて妹だろ!!」
「なんかさ」
虎徹がナプキンで口を拭く。
「ブルース・ブラザーズみたいだろ、俺たち」
「お前、ダン・エイクロイドな」
「誰だよそれ!!」
机を叩く。
「だからそういう目で見てねえんだよ」
「じゃあ見ろよ」
ぐっと身を寄せる。
「わかりやすいサイン出してんだろが」
低い声。
「だいたい、兄貴についてく女なんて」
間。
「俺くらいしかいねえだろ」
虎徹、黙る。
フォークを置く。
「……お前な」
ゆっくり。
「容姿はいい」
「性格も嫌いじゃねえ」
「じゃあ抱けよ」
即答。
「いつでもいいぜ」
「そういうとこ!!」
虎徹が指差す。
「なんか、そういう気にならねえんだよ」
顔を背ける。
――沈黙。
アンジェリーナの目が、変わる。
すっと。
温度が落ちる。
「……じゃあ、いい」
静かに言う。
「兄貴から言わねえなら」
一歩、引く。
「俺から言う」
一拍。
「俺と、番になってくれ」
逃げ場のない視線。
真正面。
虎徹が、息を吐く。
長い。
やけに長い。
アンジェリーナにとっては――
永遠みたいな間。
「……うーん」
考える。
考える。
そして。
「……いいぜ」
顔を上げる。
「条件付きだ」
「何だよ」
「明日」
ワインを飲む。
「生きてたら、婚約する」
一瞬、時間が止まる。
「俺から言う」
淡々と。
まるで、天気の話みたいに。
「明日、会う」
「面倒なのがいる」
ナイフを置く。
「それで、生きてたらな」
沈黙。
アンジェリーナの心臓が、跳ねる。
ドクン。
ドクン。
期待。
不安。
全部、混ざる。
「……ああ」
小さく頷く。
「約束だ」
虎徹は、もう食事に戻っている。
ムニエルを切る。
ワインを飲む。
何事もなかったみたいに。
アンジェリーナは、ただ見ていた。
その背中を。
その男を。
(明日――)
来るかどうかも、わからない“明日”を。
それでも。
信じるしかなかった。




