第29話 修羅場の後は、コーヒーよりも苦い真実でした。
コーヒーの香りが、静かに店内を満たしていた。
喧騒から切り離された空間。
カップが触れ合う、小さな音だけが響く。
「昔ね、“ギルド”でよく絡まれてたのよ」
タルトが、何でもないことのように言う。
指先でカップの縁をなぞりながら。
「で、毎回険悪になるわけ」
くすり、と笑う。
「そのたびに、こいつが言うのよ」
親指でハヤオを指す。
「“こいつは俺の女だ”って」
一瞬の静止。
「……ほんとは、違うのにね」
軽い声。
だが、その奥には鈍い重さが沈んでいる。
「それで誰も絡まなくなった」
肩をすくめる。
「でもそのせいで、“同じ種類の人間”だと思われてさ」
視線が、遠くをなぞる。
「……仲の良かった連中が、離れていった」
沈む声。
「……あー……」
セリスが、小さく息を漏らす。
その横で、ハヤオは視線を落としていた。
何も言わない。
言えない。
空気が、わずかに重く沈む。
やがて話題は流れる。
店のこと。
街のこと。
鬼の国のこと。
表面上は世間話。
だが実際は――
探り合い。
値踏み。
「昔話はやめとけって」
ハヤオが口を挟む。
空気を変えようとする。
だが。
「いいじゃない」
タルトは止まらない。
「覚えてる?」
にやり、と笑う。
「あんたと虎徹が駆け出しの頃」
「私がリーダーでさ」
「三人でバカばっかやってた」
セリスは黙って聞いている。
「貴族の屋敷にカチコミかけたり」
「マフィアと抗争したり」
「全部、後始末は“あの人”任せ」
「やりすぎだって依頼主に怒られて」
「その依頼主を始末したのも、結局あの人」
ぽつり。
「あの頃が一番、楽しかった」
(……全部アウトね)
セリスは冷静に思う。
だが同時に。
(……でも)
理解してしまう。
命のやり取りの中でしか生まれない、濃さ。
「……すぐ追い越されたけどね」
タルトが続ける。
「虎徹と、あんたに」
「……もう三人では組めないのかね」
「無理だろ」
ハヤオが短く返す。
沈黙。
そのとき。
「――来たよ」
タルトの声が落ちる。
「虎徹とアントニオ。四日前に」
ハヤオの目が細くなる。
「……なんて?」
「“ここに来るんじゃないか”って」
さらに。
「ローハンも来た」
「若いの連れて」
その瞬間。
ハヤオの表情が、わずかに強張る。
ほんの一瞬。
だが確かに。
「……ローハンか」
頭を掻く。
「やべえな、あいつは」
タルトが続ける。
「ローハンは目が見えないけど」
セリスを見る。
「匂いを消せば――」
「無理だ」
ハヤオが即答する。
「あいつ犬並みだ」
会話は続く。
不思議と。
セリスとタルトは、妙に話が合った。
価値観。
冷静さ。
割り切り。
「……ねえ」
タルトが立ち上がる。
「今日、休みでいいや」
「今から女子会しよう」
「いいわね」
セリスも立つ。
自然に。
あまりにも自然に。
「待て」
ハヤオが止める。
「命狙われてんだぞ」
「知ってるよ」
タルトは軽く笑う。
腰のベルトを締める。
二本の短刀。
「私の実力、知ってるでしょ?」
カラン。
――本日休業。
「じゃ、行こ」
「ええ」
二人は並んで店を出る。
「……絶対やる気だろ……」
ハヤオが呟き。
消える。
《不可視の帷》。
人気のない広場。
静寂。
「この先にいい店あるんだ」
タルトが言う。
「楽しみ」
セリスが微笑む。
その手が。
鯉口に触れる。
――来る。
次の瞬間。
一閃。
振り向きざまの短刀。
ガキン!!
受け止める。
火花。
「やっぱりね」
セリスが笑う。
「殺気は消してたんだけどな」
「この流れでそれは無理よ」
斬撃が走る。
速い。
鋭い。
セリスの頬を裂く。
血が一筋。
だが。
止まらない。
むしろ踏み込む。
「……いいわね」
狂気が滲む。
その瞬間。
タルトの目がわずかに細まる。
(……やばいな、これ)
一歩、引く。
「ハヤオを殺すのは無理だけど」
タルトが呟く。
「……あんたなら、金になる」
「そういうこと」
セリスが構える。
炎が宿る。
魔力が爆ぜる。
「喰らえ――」
踏み込む。
その瞬間。
――止まる。
足が動かない。
影に刺さるクナイ。
「影縫い……」
「忍びは虚実を使う」
次の刃が放たれる。
その瞬間。
――落ちる。
クナイが、地に転がる。
空間が歪む。
ハヤオが現れる。
「女の後つけるとか最低」
「うるせえ」
「手を引け」
睨む。
タルトはため息をつく。
「あー……いいよ」
あっさり。
「大金逃したけど」
そして。
にやりと笑う。
「ねえ」
軽い声で。
「その女殺して、山分けしない?」
空気が凍る。
「お前なら旦那にしてもいい」
「ふざけんな」
ハヤオが一歩出る。
セリスを制する。
「……見逃すなら」
タルトが言う。
「いいこと教える」
「なんだ」
「依頼主の名前」
静寂。
「言え」
「調べたのよ。鬼の国の件」
一拍。
「依頼主は――」
間。
「イグニス・ヴァルカナ」
時間が止まる。
「……嘘だ」
セリスの声が震える。
脳裏に浮かぶ。
幼い日。
剣を握る手を、後ろから支えてくれた大きな手。
「振り抜け。迷うな」
優しい声。
あの人が。
「……あの人は」
かすれる。
「そんな命の使い方、しない……」
否定する。
拒絶する。
だが。
「……私の兄だぞ」
叫ぶ。
「そんなわけあるか!!」
地面が軋む。
「へえ」
タルトが細める。
「どっち信じるか、楽しみだね」
その影が揺らぐ。
消える。
完全に。
静寂。
残されたのは。
崩れかけた世界。
セリスの拳が震える。
怒り。
否定。
恐怖。
全部が混ざる。
「……嘘よね」
小さく。
壊れそうな声。
ハヤオは言葉を探す。
だが。
出てこない。
(……くそ)
何かを知っている顔。
それでも言えない。
セリスが顔を上げる。
その目に涙はない。
ただ。
歪んでいる。
「……確かめる」
ぽつり。
「全部」
そして。
ゆっくりと笑う。
「嘘なら――許さない」
一拍。
「本当でも――許さない」
空気が凍る。
その声は。
静かで。
完全に、壊れ始めていた。




