第1話 鬼人の姫に勝負を挑まれた件――尋常に勝負だ!!
――のどかな平原だった。
雲ひとつない青空。
風は穏やかに草を揺らし、鳥がささやく。
争いなど、どこにもない世界。
だが――
その中心に、異物があった。
東国風の民族衣装に身を包んだ二つの影。
馬上のシルエットは大柄で、そして――額には二本の角。
鬼人族。
「……あそこだな」
低く呟く女。
赤髪を揺らすその姿は、まさに戦場に立つ女傑。
セリス=ヴァルカナ。
「はい……村の話では、二月ほど前から……」
隣の少女、リュゼリア・カグラが小さく答える。
「たまに冒険者稼業をして、細々と……」
「ふん……」
視線の先には、一軒の家。
「――行くぞ」
その一言で、空気が変わった。
ドゴォン!!
「ハヤオ・ナリカワァ!!」
扉が爆散した。
「いざ――尋常に勝負だ!!」
しかし。
「……あれ?」
誰もいない。
「いませんね……」
リュゼリアが呟く。
その瞬間。
「おい」
背後。
振り向いたセリスの視界に――
拳。
それだけだった。
ドゴンッ!!
世界が反転する。
空中で三回転。
地面に叩きつけられ――
意識、断絶。
翌日
コンコン。
(……めんどくさいな)
扉を開けると。
「ひっ!!」
怯えきった鬼人。
「……なんの用?」
「あ、あの、その……」
後ろを振り返る少女。
その先に。
腕を組み、立つ女。
眼帯。赤髪。鬼人。
「勝負だ。ハヤオ・ナリカワ」
「誰っ?」
首をかしげるハヤオ。
「貴様ァ!!」
空気が震える。
「この眼を奪ったこと……忘れたとは言わせんぞ!!」
沈黙。
ハヤオの頭上に浮かぶ疑問符。
(あ、終わった……)
リュゼリアは悟る。
「うーん……ごめんだけど……」
頭を掻くハヤオ。
「どっかで会った?」
軽い。
致命的に軽い。
「女の人に恨まれるほどモテてないし」
「失礼なことしたなら、ごめんね」
――その瞬間。
セリスの中で、何かが切れた。
「……そうか……」
肩が震える。
「貴様の中では……その程度か……」
ゆっくりと手を上げる。
「来い」
くい、と。
「かかってこい!!」
ハヤオ、露骨に顔をしかめる。
(うわ、めんどくさい……)
「今忙しいから……一週間後――」
「今だ」
即答。
横を見ると。
リュゼリアが必死に手を合わせている。
(お願いお願いお願い)
無言の圧。
「……はあ」
深いため息。
「わかったよ。これっきりだからな」
ぱぁっとリュゼリアの顔が輝く。
「ふふっ……」
セリスは笑う。
「今日が貴様の命日だ」
戦闘
庭。
静寂。
「なめるな」
刀を構えるセリス。
「前は油断しただけだ」
「今日こそ――その首、もらう」
対するハヤオ。
素手。
「……武器は?」
「なんでだろうな」
(女だからとは言えねえ)
「ふん……まあいい」
「では――始め!!」
――刹那。
風が裂けた。
神速の一閃。
ハヤオの頬に、わずかに血。
「ほう……」
目が細まる。
「悪くない」
次の瞬間。
連撃。
斬撃が嵐のように襲う。
だが――
当たらない。
すべて、紙一重で躱される。
「なっ……!?」
気づいた時には。
背後。
「遅い」
襟首を掴まれ――
ドンッ!!
地面に叩きつけられる。
「ぐはっ……!!」
息が詰まる。
だが、セリスは立つ。
血を吐き、なお笑う。
「……ふん」
ぺっ。
「これならどうだ」
刀を上段に。
目が――赤く燃える。
「燃えろ」
炎。
刀が灼熱に包まれる。
空気が歪み、温度が上がる。
魔力が、爆発する。
「一刀――」
振り下ろす。
「両断ッ!!」
巨大な炎が、大地ごと飲み込む。
家が崩れる。
世界が焼ける。
――だが。
その中心で。
ハヤオは、立っていた。
無傷で。
「……あーあ」
ため息。
その一瞬。
セリスは理解する。
(届かない)
(これは――)
(勝負ですらない)
次の瞬間。
視界に映るのは――
拳。
ただ、それだけ。
その後
「……ここは……」
目を開ける。
青空。
「姫様!!」
リュゼリアの声。
「……私は……」
「起きたか」
横を見る。
ハヤオが座っている。
「お前さぁ……」
ため息。
「家、半壊なんだけど」
「……」
「もういいだろ。帰ってくれ」
手をひらひら。
だが。
セリスは、動けなかった。
(……なぜだ)
(なぜ、殺さない)
(なぜ、追撃がない)
(なぜ……)
視線が、ハヤオを見る。
そこには――
敵を見る目がなかった。
「……すまなかったな」
ぽつり、と。
ハヤオが言う。
自分の目を指す。
――お前の眼。
「戦い方、悪かった」
「本気で来てたのに……悪い」
静かな声。
言い訳でも、嘲笑でもない。
ただの――謝罪。
その瞬間。
セリスの中で、何かが崩れた。
(……理解されている)
(この男は……私を……)
(武人として……見ている)
なのに。
届かなかった。
圧倒的に。
何もかも。
「……行きましょう、姫様」
リュゼリアに支えられ、歩き出す。
振り返る。
ハヤオは、もう興味なさそうに空を見ていた。
平原
馬が進む。
風が吹く。
沈黙。
「……ハヤオ様は」
リュゼリアが言う。
「姫様の手当をしてくれました」
「……やりすぎた、と」
その瞬間。
「……うぐっ」
嗚咽。
「うぐ……っ」
止まらない。
「うわああああああああああああああああああああ!!」
泣き崩れる。
(敵ですらなかった)
(届かなかった)
(圧倒的な差)
(それなのに――)
(あの男は……)
(私を否定しなかった)
拳を握る。
震える。
(なぜだ……)
(なぜ、あんな目をする……)
(敵でしかないはずの私に……)
(どうして……)
涙が止まらない。
誇りが砕ける。
だが――
完全には壊れない。
心の奥に、残るもの。
それは。
(……もう一度)
(あの男に――)
(会いたい)
それが。
恋か、執着か。
まだ、分からない。
だが。
確かに芽生えた。
――帰れない理由が。
そして。
この感情が。
やがて、彼女にこう言わせることになる。
「……頼む……私を、嫁にしてくれ」
その日を、まだ誰も知らない。




