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霧島百万両始末記  作者: 水前寺鯉太郎


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金通帳は火の車

【霧島城・殿の間——翌朝】

 殿様になった翌朝、孝四郎が最初に思ったのは、腹が減ったということだった。

 昨夜は重臣たちに引き回され、ろくに飯も食えなかった。豪華な膳が運ばれてくることを、密かに期待していた。鯛の塩焼きか、せめて鶏の照り焼きか。

 運ばれてきたのは、めざし一本と、大根の味噌汁だった。

「……これだけですかい」

「これだけでございます」

 惣兵衛が、目に涙を浮かべたまま言った。孝四郎はめざしをしみじみと眺め、箸をつけた。

「まあ、飯はうめえ」

「殿……!」

 惣兵衛が嗚咽をこらえた。おりんは盆を持ったまま、天井を見上げた。

 【霧島城・金蔵】

 朝食の後、惣兵衛に連れられて金蔵へ向かった。

 重厚な扉が、きいっと開く。孝四郎は中を覗き込み、目を細めた。

 暗い。

 暗いのは当たり前だが、それ以上に、空っぽだった。棚という棚には金貨の代わりに、びっしりと巻物が積み上げられている。借用書の山だ。隅では、ネズミの親子が気持ちよさそうに丸くなって眠っていた。

「……なるほど」

 孝四郎はしゃがみこんで借用書を一枚手に取り、広げた。数字を目で追い、ゆっくりと置く。また一枚取り、広げ、置く。三枚目あたりで、静かに口を開いた。

「おりん」

「なんですか」

「百万両って、どのくらいの重さだ」

「金貨一両が約十六匁として……」

 おりんは一瞬だけ目を動かした。

「だいたい、お城ごと潰して売っても足りないくらいですね」

「わかりやすい説明だ」

「褒めないでください」

 惣兵衛が震える声で補足した。

「元金だけで百万両。それに年二割の利息がついており……五年で返すどころか、何も手を打たなければ、借金はさらに膨らみ続けます」

「年二割」

「左様」

「つまり今年だけで、二十万両の利息が発生する」

「左様でございます」

 孝四郎は立ち上がり、ネズミの親子を静かに見下ろした。ネズミは起きなかった。

「なあ、惣兵衛様」

「は」

「あっしがタバコを一本巻くと、いくらになる」

「は……? 存じませぬが……おそらく、数文では」

「そうだ。百万両を数文で割ると、何本巻けばいい」

 惣兵衛が暗算し始め、途中で顔色が変わった。

「……生まれてから死ぬまで巻き続けても、到底——」

「到底足りねえ。わかった」

 孝四郎はぽんと手を叩いた。

「じゃあ、一本ずつ巻くのはやめだ。別のことを考えよう」

 【霧島城・廊下】

 昼過ぎ、おりんが歩く孝四郎の隣に並んだ。

「浮かない顔ですね」

「してねえよ」

「してますよ」

 孝四郎は足を止めず、廊下の窓から城下を見下ろした。屋根が連なり、炊煙が細く上がっている。どこかで子どもが笑う声がした。

「あっしが首を取られるだけなら、別にいい」

「……は?」

「でも、藩が取り潰されたら、城下の連中まで路頭に迷う。タバコ仲間も、長屋の婆さんも、めざしを出してくれた台所の人間も、みんな」

 おりんは少しだけ黙った。

「……なんで私に言うんですか、それ」

「お前、口は悪いが馬鹿じゃなさそうだから」

「最低な褒め方ですね」

「本当のことだろ」

 おりんはため息をついた。長い付き合いになりそうだと、このとき初めて思った。

「今月末には、江戸の金貸しが利息の取り立てに来ます。丸屋徳右衛門という男で……払えなければ、城の瓦を剥がして持っていくと言っております」

「城の瓦を」

「武家の面目がとか言って惣兵衛様が騒いでおりますが、お金がないのだから仕方ない話で」

「面目より瓦の方が高そうだ」

「そうですね」

「……いくら足りてない」

「今月分の利息だけで、三千両。蔵には一両もございません」

 孝四郎は、じっと城下を見つめた。

 【城下・藩の倉庫】

 午後、孝四郎は惣兵衛を連れて城下の倉庫を歩き回った。惣兵衛は「殿が城下などへ! お忍びでも危険では!」と騒いだが、孝四郎は「うるさい、ついてこい」の一言で片付けた。

 倉庫の一角に、埃をかぶった麻袋が山と積まれていた。

 孝四郎は足を止め、袋の口を開いた。

 鼻をぐっと近づけて、深く吸う。目を閉じ、また吸う。指先で葉を一枚取り出し、光に透かして、揉んでみる。

「……これ、いつから眠ってる」

「は? ああ、その袋は……三年ほど前に収穫した、二級品のタバコ葉です。等級が低く、江戸の問屋に売れなかったものを、ここに積み上げたまま——」

「捨てようとしてたのか」

「左様。処分するにも費用がかかり、放置してしまっておりました」

 孝四郎は葉を鼻先で転がし、もう一度、丁寧に匂いを嗅いだ。

 目の奥が、微かに光った。

「……もったいねえな」

「は?」

「これ、捨てちまうのはもったいねえ。ちょっと一手間加えりゃ、化けるぜ?」

 惣兵衛は首をかしげた。

「化ける、とは。等級の低い葉など、どう処理しても——」

「等級が低いのと、香りが悪いのは別の話です」

 おりんが静かに言った。惣兵衛が振り返ると、おりんは袋を覗き込みながら、ほんの少し目を細めていた。

 孝四郎が、おりんを見た。

「わかるか」

「少しだけ。職人街で育ちましたので」

「じゃあ手伝え」

「……お給金は上がりますか」

「あとで惣兵衛様に請求しろ」

「今すぐここで上げると言ってください」

「わかった、上げる」

「では手伝います」

 惣兵衛が「ちょ、ちょっと待て、藩の台所は——」と叫んだが、二人はもう歩き出していた。

 孝四郎は惣兵衛を振り返り、言った。

「惣兵衛様。城下から、この手の売れ残りタバコ葉を全部かき集めてきてくれ。それと、暇してる職人がいたら、飯付きで声をかけてくれ」

「そんなゴミを集めてどうするのです!」

「ゴミじゃねえ。まだ死んでない葉だ」

「殿——!」

「あと、城の台所を今夜貸してもらう。火と鍋と、焙烙があれば充分だ」

「夜中に何をするおつもりですか!」

 孝四郎はもう答えなかった。

 【霧島城・台所——深夜】

 台所に、香ばしい煙が満ちていた。

 焙烙の上でタバコの葉がゆっくりと乾き、独特の甘い香りを放ち始めている。孝四郎は火加減を細かく調整しながら、無心に手を動かしていた。おりんが隣で葉を選り分け、手際よく並べる。

「……これ、うまくいくんですか」

「わからん」

「わからないんですか」

「やってみなきゃわからねえ。でも、この香りは悪くない」

 おりんは手を止め、立ち上がる煙を見た。甘く、深く、どこか懐かしいような匂いだった。

「……確かに」

 台所の格子窓から、煙が城下へ流れ出していく。

 夜の町に、香ばしい匂いが広がった。

 眠れずにいた町人が窓を開け、鼻をひくひくさせた。

「……なんだ、この美味そうな匂いは」

 隣の家でも、窓が開いた。犬が鼻を上げた。子どもが起き出して、母親に「お腹すいた」と言った。

 城の台所では、孝四郎がひとつ鼻で笑い、火加減を下げた。

「明日の朝、城下に並べてみよう」

 おりんが、初めて少しだけ笑った。

「……お給金、本当に上げてくださいよ」

 惣兵衛は翌朝まで眠れなかった。胃が痛かった。

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