月に咲く花
長として必要なあの、雨を降らせる術を夕空が成功させたとき、私の時は動き始めた。
この身が朽ちるのを知ったとき、私はすぐに鉛筆をとった。貴方の美しく咲いた色を、誰にも知られなくとも何処かに残しておきたいと思ったから。私がこの五本の指を動かせるうちに書き果てることが出来たことが心から嬉しい。もし何方かがこれを目にすることがあったなら、もっと嬉しいだろう。
この題に据えるのに、貴方を表すのに良い言葉はないかと考えたとき、ある記憶がよみがえった。
私達が夫婦になることが決まって間もない頃、初めて会った池に並んで座っていた。月の美しい夜で、貴方は少しはしゃいでいるようだった。屋敷で少し、酒を飲んだからだろうか。
「ねぇ空月」
とても月の似合う方で、その照らされた姿に私は目を細めた。
「何ですか」
白百合はぱっと此方を向く。
「空月が月だったらさ、私はそこに咲く花になりたいんだ。いつか枯れちゃっても、ずっとそこにあるの」
「…えっ?」
いつもながら唐突なことに私は少し戸惑ったが、至って穏やかにそう言う貴方が眩しくて、月を見上げた。
「月に花なんて咲くんですか?」
「あんなに綺麗なんだよ?絶対咲くって!」
そうして向けられた笑顔は本当に綺麗で、これより美しい花なんて無いと思った。
「咲くかも…知れませんね」
力を抜くと、私の顔は自然と笑顔になった。私が突然考えを変えたからか、貴方は少しきょとんとした。
「咲いてみせる!」
そして月の美しさの陰ってしまうような笑顔を見せた。
「有難うございます」
私はもう、そう言うことしか出来なかった。貴方の眩しさに、自分は場違いであるような気さえした。私は、貴方の咲きたいと思える月になれるでしょうか…。
後になって自分のした発言をこの上なく恥ずかしがっていた貴方はとても可愛らしかった。
それから時が経って私は、変わってしまったのかも知れない。
光を見たあとの闇ほど暗いものはない。次第に慣れて明るく見えてもそれが闇でなくなることはない。光を思い出す度それはまた暗くなる。光を知らなければ闇だと知ることもなかっただろうが、光を知った私はこれで良い。その闇が闇だけではないと気付いたから。
私の周りはいつもきっとその残り灯が仄かに照らしていた。
それでも私はもう、貴方の咲きたいと思えるような月になりたい、とは望めなくなってしまった。
貴方が「月に咲く花」になりたいと言うのなら、私がなりたいのは、その隣に咲いて、共に儚く朽ちてゆく、同じ花だ。




