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月に咲く花  作者: 麗月
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それから、何度目かの春が来た。


「綺麗ですよ。空月さんの見惚れるお顔が目に浮かびます」


「やめてよ。期待違いだったら恥ずかしいじゃない」


私のお化粧をし終えた陽は、私を手鏡に映した。白粉を塗って紅を差し、髪を綺麗に上げた姿は、なんだかちょっと大人に見えた。本当に空月は、綺麗だと思ってくれるかな。


「ありがとう。…私じゃないみたい」


「そういうものですよ」


そう言って笑う陽につられて私も笑った。空月の前に出て行くまでに少し一人になりたくて陽には先に行ってもらう。窓の側に行くと、まだひんやりした風が心地良い。ふぅ、と息を吐きながら目を閉じて壁に肩をもたれさせた。


そして、ほんの少し前の出来事に思いを馳せる。





一緒になろうと言ったのは、私からだった。


もうだいぶこちらの文化に慣れて言葉の意味も理解していた空月は、一瞬本当に嬉しそうにして、でも直後には顔を曇らせた。


「少しだけ…、時間をください…」


絞り出すようにそう言った彼は、それから一月(ひとつき)二月(ふたつき)経っても姿を見せなかった。


私は、もう会えなくなってしまうような不安に駆られて、彼の一瞬だけ見せた嬉しそうな表情を信じて彼を探した。私の力だけでは影さえ踏めないと判っていたから、勇気を出して源山の住民の使うという声を届ける術を借りて月夜様にも力を貸してもらった。


必死になってようやく見つけて聞いた彼の悲痛な声は、まだ耳の奥にはっきりと残っている。




「私のこの身は…!…貴方と共に、老い()くことが…できません」


ずっと彼を苦しめてきたのがわかる、血を吐くような声だった。私まで痛くて堪らなくなって、涙が滲んだ。


「…そうだと思った」


それでも彼には笑みを見せる。


「え…?」


ようやく此方を見た彼の顔は前よりも痩せて見えて、喉が熱くなって笑みが崩れそうになるのをなんとか堪える。


「いっぱい喋ってきて、なんとなく気付いた上で、散々悩んで、悩み抜いてから…あの日空月に言ったの」


「白百合…」


潤んでいく青い瞳に揺らされて、ついに温かいものが頬を滑った。ゆっくりと彼のほうに歩を進める。


いっぱい苦しめてごめんね。でもお願い、もう一度だけ言わせて。


座り込んでいる彼の前に膝をついて目線を合わせる。


「だから…、空月にとっては一瞬かも知れない私の時間、どうかあなたの隣で…過ごさせてくれませんか」


「…その一瞬が、貴方にとっては一生になってしまうのですよ」


「良いの」


「それで貴方が…、辛い思いをすることになるかもしれません」


「良いよ」


「きっと人より傷つくことが多くなる…!」


「良いよ」


「もっと…、幸せになれる相手がいるかもしれない…!」


「有り得ない!…有り得ないから……」


壊れそうな彼の震える手をぎゅっと握った。


「私昔言ったよ。その人との幸せはその人としかつくれないから、傷つきそうだからって理由で私は、空月との幸せ諦めたくない。私が欲しいのは…空月との幸せだもん…」


次の瞬間私は彼の腕の中にいた。


「本当は私もそうなりたいと思っていました…。でも、こんな私には赦されないと思っていた…。弱くて、臆病ですみません…。白百合、残りの私の時間…、全て貴方にあげます」


お互いの袖をお互いの涙で濡らして、でも見つめ合って笑った。





「白百合様、婿様がいらっしゃいましたよ」


戸の外から呼ぶ陽の声に、一気に意識が引き戻される。


「はあい」


本当に、叶ったんだ。この先に空月がいる。どこかふわふわした、でも緊張した気持ちで腰を上げた。




「良いか。こういうお祝儀は女の人は白粉ってのを塗るんだ。そんで、白百合さんは顔白っぽくして、なんか色々いつもと違う感じで出てくる。だ、か、ら、絶対間違っても驚いて「変」とか言うんじゃねえぞ」


「は、はい…!」


しかめ面で詰め寄る杏に気圧され気味になりながら答える。なんだか気が引き締まって柄にもなく緊張してきてしまう。


「あ、そうだ。一応自分の出来上がり見ときます?」


差し出された鏡の中の自分は前髪を上げてきちっとしていて、とても新鮮だ。違和感があると言ったほうが的確かも知れない。


「あの、変じゃ…ありませんか?」


「あぁ…っと、変、かな」


遠慮の欠片もない返答に思わず顔を見ると、杏はにっと笑った。


「まあでも、間違っちゃいないんで安心してください」


「ふふっ、有難うございます」


笑って返すと、立ち上がった。





居間に行くとそこにいたのは凛と雪だけだった。間もなく陽もやって来たけど、妙に人が少ない。


「父上さんと月夜さんは?」


「ほんとだ。外…かな?」


二人とも準備で忙しくて気付いていなかったみたいだ。


「白百合さんのほう、終わった?」


「ばっちり」


空月が居間に来て、三人が歓声のような声を上げる。それに背を向けてそっと戸を開けた。父上さんと月夜さんが楽しそうに話している。月夜さんは空月と一緒にここに来てから、こんなふうに笑っているところも見なかったからてっきり怖い人なのかと思ってたけど…。


「あの二人、知り合いなのか…?」




空月も準備に行ったし、手持ち無沙汰になって外に出た。こんなふうに風を受けるのも新鮮で、ただ外で景色を眺めているだけでもまだ飽きない。

人が来る気配がして振り返る。


「あら、あなたね」


「まだゆっくり話せていなかったからね。…また会えるなんて思わなかったよ」


空月の言っていた白百合の父親で、私が唯一知る人間。


「私もよ。縁って、案外強いものね」


もう会うことがないと思っていた人間とこんな形で会うことになるなんて思ったこともなかった。見た目は変わっても雰囲気は残っている、すっかり私より高くなったその顔をふいと見た。


「随分と変わったわね」


「三十年もあればそりゃあなぁ」


その人は快活に笑った。


「そういう君は少しも変わらないね」


「そうね。私がおかしいんだった」


「そんなことっ…」


何の気なしに言った言葉だったけど、相手は変に気になったらしく焦ったみたいだった。その様子を見て思わず笑うと彼は不思議そうに私を見る。


「いいえ、だって本当のことだから」


空を見ると、真上にはない雲がずっと奥でゆったりと流れていた。


「私の中の時は止まってる。ずっと前から。あの子もきっと、澄ました顔してずっと苦しんでるのよ。その状態が遥かに長い私に弱音を吐けるような質でもないしね」


斜め上で神妙な顔をしているのを見上げる。


「だから、少しの間だけど、支えてやってくれない?空月のこと。長く生きてるうちに、無駄に器用な不器用になっちゃって」



そう言って彼女は呆れたように軽く笑って見せた。久しぶりに会った初恋の人のその表情(かお)は、正真正銘、娘婿の母のものだった。


「面倒を見ることなら任せてくれ。しかしそれは、もしや育てられた人に似たんじゃないか?」


「あら、私がそんなだって言いたいの?」


少し笑って、彼女がふと屋敷を振り返った。見ると、杏が戸から顔を出している。


「お二人とも、主役が揃いましたよ」





たくさんの料理が食卓を彩る。食器の下や壁には紅白の布があって、ここが見慣れた居間だとは思えない。雪と凛がどこからか持ってきたらしい琴を鳴らす。陽と杏はその琴の音色に時々笛を合わせた。


「さあ、空月様。何か誓いの言葉を」


凛が心底楽しそうに、静かに微笑む。何かいたずらをするときと同じような顔だ。どうしたものかと白百合を見ると、仄かに頬を赤らめて私の言うのを待っているようである。その表情を見ると私は、周りの存在が気にならなくなってしまう。

ただ彼女に贈る言葉を。


「何があっても貴方の生涯をお守りします。一生、貴方だけを愛します」


白百合の瞳がいつもよりも大きくなる。そしてゆっくりと口を開いた。


「私も、一生あなたを愛します。生涯を守るなんて出来ないけど、代わりに空月の生涯分くらいの幸せをあげられると、いいな」


最後ははにかんだように笑った。私はこんなに幸せで良いのだろうか。彼女に出逢わないで一生を過ごした分以上の幸せを、もう貰っている気がした。


「二人とも真面目だなあ」


そう言って笑ったのは義父上だった。


「こういうのは貴方を幸せにします、くらいので良いんだよ」


言われて二人揃って顔を赤くする。それでも私はなんだかその言葉を言いたくて、白百合を見た。少し潤んだ綺麗な目が真っ直ぐに見返す。


「貴方を幸せにします。この世で一番…目か二番目に」


「なんで、一番目か二番目なの?」


「一番目に幸せにしたいのですが、貴方と共にいるとどうしても私が一番になってしまいそうで」


白百合は少し俯いた。そして数年でだいぶ大人っぽくなられた白百合は、子どものような笑顔をされてぱっと此方を見た。


「絶対、一番になってやるから!」


そして顔を見合わせて笑う。ふと琴の音が一つ止んだ。凛が軽く手を挙げている。


「言い出しておいてなんですけど、私たちは一体何を見せられているんですか」


その言葉で皆笑った。村の方々が何人か来たようで扉を開ける音がした。ちょうどそのとき風が吹いたようで、どこの木から来たのかわからない桜の花弁が足元に落ちた。彼女を幸せにして、私も幸せになると何かに誓った日。





二人で夕焼けを見ていた。


「今日はあっという間に一日が過ぎてしまいましたね」


「そうね」


皆でご飯を食べた後はその衣装のまま村の中を歩いた。報告と挨拶の名目で、本当は皆が花嫁姿を見たがっていると聞いていたからだ。案の定とても喜ばれ、一人ひとりと話して帰って来るともう夕飯前だった。


それで食べ終わって化粧も落とし終え、ようやく落ち着いて今ここに並んで座っている。


「疲れたけど、楽しかったな」


「そうですね」


最近はもう空月は左目を隠さなくなっていて、右側に座った空月の青い目がよく見える。夕日の橙色が空月の瞳に映っているのが時々見えて、海に映っているみたいでとても綺麗だった。


そうしていると俄に空月が此方を向いて、瞳から夕焼けが消える。


「白百合」


「…何?」


空月はどこか緊張しているようだった。


「これからは、私も…此処に住まわせて頂いてもよろしいでしょうか…?」


「……!良いの?」


「夫婦というのは、そういうものなのでしょう?」


空月はそう言って軽く微笑んだけど、私は嬉しい反面、ひどく不安になった。だって彼には海であの月夜様に仕えるお役目があるし、身体だってずっと陸にいるのはしんどいはずだったから。


「無理…してない?」


彼は少し考える素振りを見せた。


「どうでしょう…。でも、私がそうしたいのです。主にも許して頂きました」


彼は私を安心させる為だけに「平気だ」なんて言うことはしなかった。その代わりに、とても優しい笑顔を向けた。そして再びその瞳に夕焼けを映す。


「きっとこの時間が、私の一生で一番幸せな時間になります。だから私はこの白百合との時間を何より大切にしたい。人間と同じように、貴方という奥さんを幸せにすることを第一とする一人の夫として生きたいのです」


さっきよりも少し低く赤くなった夕焼けがぼやけて見えた。


「…うん。ありがとう、空月」


「此方こそ」






幸せな時が少しずつ散ってゆく。

家族が増えて、減って、また減って、増えて…。


私は人の人生が短いとは思わない。動物と比べても、人間の寿命はずっと長いほうだし。それでも、比べものにならないくらい長い時を生きる空月にとってはきっとほんの一部で…。


会った頃と欠片ほども変わらない美しい彼の隣で、確実に歳を重ねて変わってゆく私の身体に、辛くなることは数え切れない程あった。彼はそんな私に気が付く度に優しく抱きしめてくれた。


どうか時よ止まれと、何度空に(こいねが)ったことか。



そして、その願いは、何度祈っても、祈っても、祈っても、……神様は叶えてはくれなかった。



最後の花びらが散るとき、ちょっとだけ、

人の人生は短いかもと思った。


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