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月に咲く花  作者: 麗月
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そう、夢を見るのだ。幼い頃の記憶を切り取り貼り付けただけの夢。



最初の記憶は、驚いた母の顔。驚いて当然だ。たくさんの同じような形をした小さな命たちの中、私だけが全く違う色形で生まれたのだから。


私はある蟹の家族の元に生まれた。しかし勿論私の身体は蟹ではない。私や月夜様のような特別強い力を持つ者は、大抵全く別の種族の中に突然生まれるのだそうだ。


そして、強い力をもつ者は強い敵を寄せ付ける。つまり私はあの家族の、疫病神だったのだ。兄弟は危険に曝されただけではない。命を落とした方も決して少なくはなかった。荒らされた巣で嘆き悲しむ母の姿を何度も見た。今でも鮮明に思い出せるくらいに。


そのとき母はいつも私を掴んで言っていた。


「どうしてこうなるの…。どうせ死ぬならあなたが死ねばよかったのに…!」

「全部あなたのせいよ!あなたがいなければみんなもっと生きられた…!」

「あなたなんてどうせうちの子じゃないのよ!お願いだから出てって!これ以上、私の家族を壊さないで……。」


当時の私は彼女の言葉をほとんど理解できなかった。言葉の意味を知ったのは、もっと後、私が独りになってからだった。ただ彼女が辛そうで、私が責められているのだろうことだけが解っていた。


言葉と共に長時間叩かれたり石をぶつけられたりする日々だったが、幼い私はそこを出ていくという選択肢を知らなかった。気絶させられ遠くに置き去りにされたときも、(はさみ)があるはずの場所に私だけが持つ特殊な腕ようなものを斬られたときも、何故自分だけがこんなにも違うのかと恨み嘆きながらそこにいることしか出来なかった。その頃から既に規格外に強い力を持っていた私はそんな生活の中死ぬこともなく、どこに縛られて置き去りにされても母の期待を裏切り必ず帰った。



しかし四季が一巡りした頃、ようやく母は疫病神から平穏を取り戻すことができたのだった。



私が目を覚ますとそこは見たこともない静かな場所だった。いつものように母の元に戻ろうとしてふと気付く。


あれ、身体ってどうやって動かすんだっけ?


そういえば息も大きく吸えず苦しい。視界も霞んではっきり見えない。そして周りは強い血の臭い。痛みは、あまり感じない。俯いて腹の辺りをじっと見るとやがて焦点が合い、身体にめり込むようにして強く巻かれた縄が見えた。


あぁ、また縛られていたのか。


すぐに千切って出ようとしたがびくともしない。焦って手足を使おうとした。そうだ、今日は何故か動かし方がわからないんだった。


その頃の私は数日前に初めて人型をとったところだった。偶然外で人型で泳いでいる美しい姿を見かけ、見とれていると気が付いたら自分も人型になっていて戻り方もわからなかったのだ。仕方がなくそのまま過ごし、母には大層気持ち悪がられたのを覚えている。


動き方は数日で慣れたはずだった。

何故動けないんだろう。


何気なく腕のあるほうに目をやり、固まった。ただでさえ苦しい息を乱れさせながら、重い首を巡らせて反対の腕、両足を見る。そして目を閉じた。


動けない訳を理解した。喉の奥が苦しくなる。


私の四肢は、そこには無かった。


そこにあるのは頭と、内臓の入った塊だけ。そしてその内臓を潰すように強く巻き付けられた縄。目を瞑ったまま思う。どうして四肢を失くしここまでぼろぼろになっても僕は生きているのだろう。どうせなら死なせてくれれば良かったのに。何のために僕は、生まれてきたんだろう。




残念ながらそのまま死ぬことはなく、人間の数え方でおそらく十年程が過ぎた。身体も少し成長した。私の身体は、一部を斬り落としてもやがて完治できるほどの治癒能力を持っていたため、その頃には手も足もきちんと二本ずつ揃っていた。しかし縄は弱る気配もなく、私の抵抗は縄を固定した巨大な岩を削るだけだった。


そうして縛られたまま、岩との隙間で多少緩んだ縄で動ける範囲、なんとか生きていける程度の食料を手に入れ、私を食べに来る敵に対抗する生活だった。手足も完全に使える訳ではない。手足を斬られたときの断面にかかっていた縄が邪魔をして、右腕と左足はほとんど固定されてしまっている。また胴も絞めすぎた縄で肉が抉られたままで、動く度に絞り出される血は止まったことがない。


当然血の臭いにつられて大きな敵がやってくる。しかしどんなに大きな敵も、噛みついたり肉をかじったりするだけで止めるので、食べられることはなかった。その頃は不思議だったが今思うと、彼らは私の力に耐えられなかったのだろう。自分より強すぎる力は毒だ。身体の核に近付くにつれて濃くなる私の力は彼らを蝕むことになっただろう。斬られた腕の残りが足より多かったのはそういうことだろう。私の強すぎる力は周りを傷つけることで私を護っていたのだ。


それでも、完全に食べられはしないが逃げられないままで狙われ続ける私の身はいつもぼろぼろで、辛うじて生きている状態だった。食料も取りにいけないので、肉も薄く骨の形が丸見えだった。勿論生きたいという思いは無かった。ただ何も考えず、命が残っているから息をしていた。



そんなとき、突然縄が切れた。



切れたという表現は正しくないかも知れない。粉になって散ったのだ。


突然解放された身体は自分のものではないようで。触れることのできなかった縄の形に窪んだ傷にそっと触れる。


「…痛い」


ずっと苦痛に歪むことしかなかった頬がふっと弛む。指に力を込めて少し傷を押す。激痛が走った。


「なんだ、痛かったんだ…」


消えることの無い痛みに麻痺していた痛覚が徐々に戻ってゆく。辺りに血の臭いが立ち込めていて気持ち悪い。それでも頬は弛んでいた。


手足をうんと伸ばして力を抜くと、骨と皮だけの身体はあまり浮かびはしないがゆらゆらと漂った。気持ちいいな。


縄が消えた理由は分かっていた。縄に残されていた知らない誰かの気配が、近くにあったからだ。きっとこの縄を作った人がここを通りかかって、縄を散らしてくれたのだろう。自分よりずっと強い力を持つ人だ。それが誰だかは知らなかったが、私はきっとそのとき初めて、喜びという感情を感じていた。



自由になっても、その変わった外見を気味悪がられ、敵を寄せ付ける体質を怖れられ、独りで過ごすことは変わらなかった。相変わらず強い敵から狙われ、怪我の絶えない日々だったが、逃げることも戦うこともできるようになった私は、それなりに生き物らしく生きていたと思う。


そうして数年が過ぎた。敵に対峙することにも慣れ、動くのに支障をきたすような大きな怪我をすることは減った。しかし、縄によって付けられた傷は未だに右腕と左足の付け根と腹に、深く刻まれたままだった。


他のどんな怪我も時間が経てば完全に治るのに、この傷だけは表面に薄皮が張ったきり、それ以上の皮膚らしい皮膚が傷口を覆い隠そうとしないのだ。強すぎる力が込められた縄に傷口が蝕まれ続けたからなのか、抉られ続けるせいで治ることができない時間が長すぎたからなのか、理由は定かではない。それでも、この消えない傷が、私の壊した家族を、私に意識させ続けることになったのは確かだった。


あの家族は私がそこにいたせいで、いくつもの命が亡くなったのだ、傷が治らないくらい償いにもならない。


傷が痛む度に己を責めた。これ以上周りを不幸にすることなく死にたい。思えば私が独りだったのは、誰かと関わることを自分から避けていたからというのもあったのだと思う。すれ違い様に罵詈雑言を浴びせる方、休んでいる私を心配して声をかけてくださる方など、関わる相手がいなかった訳ではない。


それでも、傍にいれば数秒後には目の前の相手が敵の大口の中に吸い込まれてしまうかも知れないと、一刻も早く離れようとしていた。自分の周りが傷付くのが、一番怖かったのだ。



そんな中ある日出会ったのが、月夜様だった。彼女が、自責と恐怖の中に棲んでいた私を光で照らしたのだ。もし彼女が私を拾ってくださらなければ、今の私ではないだろう。



夢で見るのは、母といた時間と縄の中にいた時間だ。熱で苦しいから、苦しい時の夢を見るのだろうか。


でも、苦しくても目覚めれば、あの温かい場所にいる。その安心感から、きっと私はまた眠れてしまうのだ。


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