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月に咲く花  作者: 麗月
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33/50

傷

「空月、入るよ」


小さな返事を聞いて扉を開ける。部屋の中では空月がお腹まで布団をかけたまま身体を起こして座っていた。


「寝たままで良いのに」


「ずっと横になっていると、体がおかしくなってしまいそうで」


「あなたが良いなら良いけど」


一緒に来た父と並んで空月の側に座る。あれから一週間が経った。まだ熱があるみたいで目が少しとろんとして見えるけど、目が覚めて間もない、ほとんど自力で起き上がれなかった頃と比べるとだいぶ良くなっている。


「それで、何をお訊きになりたいのですか?」


少し首を傾げて尋ねた彼に驚く。訊きたいことがあったのはその通りだったけど、私たちはまだ何も言っていなかったから。


「えっと、なんとなくそうかと思っただけで…。違ったのなら申し訳ございません」


父も驚いたみたいだったけど、参ったな、と笑うと真剣な顔になった。



「君のその、腰と腕の傷のことだ。きつく縛ったような傷だったが、また村の者が何かしたのか」


彼は傷のことだと言われたときに少し目線を落としたが、最後まで言い終える頃には安心させるように笑った。


「いえ、そのようなことは決して」


それでもなお心配そうな父の様子に空月はまた少し俯く。


「普段は肌に似せた布で隠しているのですが、ずっと昔の傷なんです。何故だかこれ以上、治らなくて。…私に、母があった証です」


「え、そんなのって…」


父も私も同時に息を呑むのがわかった。どういうこと…?最後の一言が重く私の胸に残った。けれど彼の顔はとても穏やかだった。


「母は子ども思いのとても善い方でしたよ。私が悪い子どもだっただけなんです」


彼は穏やかな表情を残したまま暗い色をした。普段とは全く違う雰囲気に、どう声をかけて良いのかわからなかった。すると、父がすっと空月の近くへ寄る。


「君の事情も知らずに訊いて悪かった。…でも、自分でそんなふうに言うものじゃない。君がそう思っているだけだ」


肯定されることが赦せないのか彼は首を横に振る。


「違います。私のせいであの家族は不幸を受けたんです。悪いのは私だ。私が間違えて産まれてしまったから…!」


「空月、こっちを見なさい」


熱のせいもあるのだろう、いつもの落ち着きを失って、罪の意識か何かで自分を責めて激しくなっていく空月を、私はただ見ていることしか出来なかった。空月は我に返ったようで、はっと父の顔を見た。


「申し訳…御座いません…」


絞り出すように言って、髪をかきあげると下を向いて立てた膝に額を付ける。彼の長い髪がその表情を隠した。


「何故こんなことを話してしまったのか…。ほとんど人に言ったことも無いんです。最近よく昔の夢を見るせいかも知れません。本当に、申し訳御座いません…」


父は空月の頭にそっと手を置いた。


「大丈夫。大丈夫」


父は他には何も言わなかった。空月が頭にやっていた腕を下ろしたの以外ほとんど動きのない部屋で、雨の音と居間を歩く音だけが聞こえていた。


「水、入れてくる」


いたたまれなくなって私はやっとそれだけ言うと部屋を出た。



戻って来ると丁度父が出てくるところだった。中では空月が扉と反対を向いて布団に入っている。水だけ置いて行こうと側に寄ると、首だけ捻ってこっちを見た彼と目が合う。


「えっと…、さっきはごめん。ゆっくり休んでね」


「どうか謝らないでください。いつも有難うございます」


そう答えた彼はあまりにもいつも通りで、さすがに嘘の表情(かお)だと思ってしまった。布団からはみ出している白い指に触れる。すると彼の親指が私の手をそっと掴まえた。


「冷たくて…気持ち良いですね」


嫌がられていないようなので今度はきちんと、彼のいつもより温かい手を握る。あの夜、廊下で泣いていた私の手を握ってくれたとき、とても安心できたのを思い出したから。彼の目が少し眠たそうにとろんとしている。良かった。落ち着いてくれてるのかな。


「寝ても良いからね」


話しかけたことで一度此方を見た目はまたどこか横を向いた。


「眠りたく…ないんです」


そこに覗いた辛そうな表情にはっとする。


「夢を、見るから?」


空月は目を反らしたままこくりと頷いた。

それを知ってもなお、未熟な私はやっぱりどうして良いのか分からなかった。何となく部屋を見渡して、ふと部屋の角に小さく積まれた書物の山に目がとまる。

書物と言うほど大層なものではないが、村や町で聞いた話や自作の物語などを母が記していたそれらは、私にとっては書物以外の何物でもなかった。


「それじゃあ空月、お話で気紛らさない?お気に入りの物語があるの」


意識的に明るい声を出した。気が抜けているのか空月は作られた笑顔ののっていない、自然な表情で私を見返す。


「ものがたり…?」


「物語、知らない?誰かに起きた出来事とかを文にしたもの。ある人間と人魚の物語が私は好きなんだけど、話しても良い?」


「良いのですか?」


「勿論。好きなんだ」




そうして白百合が話してくれたのは、彼女の母が遺したものだそうで、一人の少年が村から離れた池で不思議な少女と出会い、仲を深めてゆくといった話だった。


二人が仲良くなってから、ある日、少年が少女を村に遊びに連れて来た。しかし少し変わった見た目だったその少女は、村人から良い扱いを受けなかった。そしてその日を境に少女は少年の前に現れなくなってしまった。少年は自分を責めたが、少女には少年を責める思いは無く、むしろ慕っていたから離れたのだった。少女は実は人魚だったのだ。人間の村に行ったことで自身と人間との違いを強く感じ、この先少年と過ごして行けばお互いに傷つけ合うことになると悟った。そしてお互いが幸せになるために自分から身を引いた。


どこか報われないような現実的な話だった。


「なんだかお互いに大切なのに上手くいかない温かさが好きなんだよね。思いやりの詰まった切なさっていうか…」


白百合はそう言って優しい笑顔を浮かべたが、私にはそのような複雑な感情は解らなかった。これも自分が人間ではないせいだろうかと違いを感じてしまう。そうしてふと、物語の少年と少女、現実の私と白百合がどこか重なっているように思えた。


「人魚と人間では、幸せになれないのでしょうか」


自然と口からこぼれた。


「え?」


想像していなかったであろう言葉に、白百合は考えるように上を向いた。後悔したがもう遅い。一度出した言葉は無かったことにはできない。覚悟を決めて白百合の答えを待つ。

少しして白百合は上を向いたまま口を開いた。


「人間と人間よりは多分…傷つくことはずっと多いよね」


それは難しい、と遠回しに言ったのだろう。当然と言えば当然のことだった。自分は一体、何を期待していたのだろう。


「でも、」と、白百合が此方に視線を戻した。


「傷つくのは人間同士だってある訳だし、傷ついても傷つかなくても幸せは幸せでしょ、なんて」


そう言って少し恥ずかしそうに笑った。それだけで、私の中に一時現れた暗い陰は容易く溶けてしまった。やっぱり此処は、堪らなく暖かい。


「それに、相手が人間でも人魚でも、その人との幸せはその人としかつくれない訳だし、傷つきそうだからって諦めちゃうのはなんか勿体ないじゃない」


そう話す彼女に自然と微笑んで返す。


「そうですね」


私には、幸せをつくるという気持ちはよくわからない。それでも、それがとても良いものなのだろうと思わざるを得なかった。彼女がこんなにも素敵な表情で話すのだから。


穏やかな気持ちが、私を眠りへと誘う。夢を見るのは怖い。だが、目が覚めれば此処にいるのだという安心感は、少しだけ私に、眠っても大丈夫だろうと思わせてくれた。

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