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月に咲く花  作者: 麗月
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鳳凰

雨だ…。

雫が日の光で輝くので幾分か眩しい。なんとか間に合ったのではないだろうか。


安心して力が抜けると、さっきまで重くてたまらなかった身体がふっと軽くなった。周りの景色がゆっくりと傾いてゆく。あぁ、この感覚は知っている。昔、少し力を使いすぎてしまって数日寝込むことになったとき、このように意識をなくしてしまったのだった。


久しぶりに力を使いすぎてしまったようだ。地面にぶつかった衝撃は感じたが、痛みは無い。また月夜様に叱られるな。思い出して軽く笑みを溢しながら、意識を手放した。




空月が発つ予定だった日、私たち家族は誰から言い出したわけでもないが、揃って朝日を見に外に出ていた。これが皆で過ごす最後の朝になるかも、しれなかったから。でも、そのとき見たのは、悲しい最後の朝日なんかじゃなかった。きらきらと日の光を吸い込んで落ちてくる雨。滲んだ視界の中で見たその景色は、今まで見たどの雨よりも綺麗だった。



そして、杏に必ず帰ると言い置いて夜に家を出たという空月が帰らないまま一週間が経とうとしていた。もう帰って行ってしまったのかもしれないと思うこともあった。



そんなある日、屋敷の戸が不自然な音を鳴らした。


「きゃあぁ!い、猪!?」


雪の声だ。猪と聞いて思わず腰を浮かせた。きゅーきゅーと高い声がする。もしかしてあの子達?慌てて戸口に行くと、案の定だった。もうあの術の効力は切れてしまったのか。


瓜坊兄弟は私を見つけると、くるりと外のほうへ体の向きを変え、顔だけ此方へ振り返って足踏みする。


「付いてきてってこと?」


訊くと彼らは首を縦にぶんぶんと振った。


「ちょっと出かけて来る!」


「そんな、待ってください!こんな雨の中…」


制止を聞かずに傘を取ると外に出る。


「白百合!」


状況に気付いた父が後に続こうとしたが、とりあえずそれを宥めて代わりに杏が付き添った。


「どこへ…?」


「わからないけど、きっと行かなきゃいけないの」


歩いている間の会話は少なかった。慌てた様子の瓜坊たちに、私たちの間に不安で落ち着かない雰囲気が漂う。源山の辺りまで来て幾らか斜面を登り、やがて前を行く二匹が突然足を止めた。その先はちょっとした谷のようになっている。


「何…?」


谷から少し身を乗り出して下を覗き、息をのんだ。続いて杏も後ろから見下ろす。


「え…。…白百合さん、父上さんを」


「う、うん。…すぐ呼んで来るから!」



白百合さんが再び来た道を戻るのを見てから、そろそろと下に降りる。瓜坊たちも、たたたっと降りると動物達の輪に入った。


そこで見たのは、ちょろちょろと流れる滝の側に何十匹と大量に集まる動物たち。それに、その中心にいる大きな美しい鳥に抱えられた、ぐったりと憔悴しきった空月の姿だった。


どうしてあの人がこんな所に…?一歩一歩、ゆっくりと群れに近付く。動物たちは一斉に此方を見た。睨んだというほうが近いかも知れない。まるで近付くなと言うように。けれど源山の動物は皆賢いと聞く。まだ自分は彼らに危害を加えていないし、武器も持っていない。ならば彼らは、人間である自分に警戒しているだけだろうか。

とにかく怯んではいけない。自分はこれでも男だ。白百合さんに呼びに行かせたのは、今のうちに彼らが敵なのかそうでないのか確かめる必要があると思ったからだ。


周りを観察しながら、堂々と近付く。動物が少しずつ自分を避けていく。その(ぬし)らしい大きな鳥の目の前で足を止めた。ばくばくと暴れる胸が喉を締める。今十八歳である自分の胸と鳥の頭がほぼ同じ高さだ。それが此方の目を見てくるので、なんとか真っ直ぐに見返した。そうしなければならないと思わさせられる迫力があった。


が、どうしても気になって視線が空月のほうにいってしまう。


「彼はまだ生きているぞ」


突然目の前で声がして視線を戻した。心臓が一層うるさくなる。視界に映っていた嘴は確実に動いていた。低く腹の底に響くような声だった。


「まさか人の言葉を…?」


「いつからここにおると思っている。これぐらい容易いことだ」


まだ今起こっている状況が飲み込めないでいるが、そんなことを考えている場合ではない。せっかく此処に空月がいるのだ。


「話が出来るのなら良かったです。わざわざ人間をここに呼んだということは、空月を連れて帰って良いと考えて良いんでしょうか?」


緊張と恐怖を抑えてなるべく静かに尋ねる。


「それを決めかねているのだ」


どういうことだ?少し首を傾げてその目を見た。


「たった五晩程度の間で、彼はこんなにも弱ってしまった。我らの知る彼ならばこうして水のある場所で休んでいれば少しずつ回復していくはずだったのだが…。だからもう彼を故郷に帰すしかないかと思ったのだ。しかし、考えてみればこの身は人間。人間にしか救えぬのかも知れんと思ってな…。それでも救えぬのなら郷に帰す。人間よ、…貴様らなら彼を救えるか?」


この鳥は真剣だった。この山の主にここまで大切にされる空月は一体何者なのだろう。それに、人間に無理なら郷に帰すと言ったが、郷にだっているのは人間じゃないのか。


鳥は応えを求めて此方を見つめる。


「私にはわかりませんが、今、医者の人を呼びに行ってもらってます。傷も病気も診てくれる人です」


「杏!」


あの人の声だ。


「父上さん…」


ずっと緊張していたのが少しだけ弛んだのが自分でもわかる。父上さんは降りてきて少ししてから声をかけたのだろう、すぐに自分と肩を並べた。


「つまり、私が空月を診て良いのだな」


「お願いします」


父上さんはすっと膝を付くと、柔らかい羽毛にくるまれた空月に手を伸ばした。鳥もそれに合わせて、診やすいように羽を緩める。いつにも増して真っ白な肌に触れて脈や呼吸を確かめている。それから何をしていたのかはわからなかったが、その沈黙はとても長く感じた。父上さんの周り以外の時間が止まっているみたいだった。


やがて父上さんは、空月の襟を軽く整えて立ち上がった。そこにいる全員の視線がそこに集まる。


「結論から言うと、環境を整えて療養すれば彼は良くなる。ここではあまりに冷えてしまう。しかしここまで温めていて下さって助かった。ただ雨風に曝されていたら、容態はもっと悪くなっていただろう。まだ回復の余地は十分ある。ここは私に任せて頂きたい」


主らしき大鳥を含めた動物たちをゆっくりと見ながら、父上さんははっきりと言い切った。


「その言葉、信じよう。彼を頼む、人間よ」


頭を下げて空月を差し出す鳥に周りの動物が続いて頭を下げる。父上さんは一瞬その様子に呆気にとられたようだったが、すぐに我に返ると空月を受け取って腕にしっかりと抱え、膝を付いて頭を下げた。自分だけ頭が高かったので、慌てて自分も頭を下げる。この場景を何も知らない人が見たらどうだったろう。まるでこの世ではないかのようだった。




「手、放しますよ?」


「ああ、大丈夫だ」


大人一人担いで上がるには険しい斜面だったので、先に上がってもらった父上さんに下から空月を持ち上げて渡す。


「よし、いけたぞ。上がっておいで」


「すぐ上がって行くんで先に進んでおいて下さい」


言ってから、改めて斜面に足をかけて力を入れた。


「人間よ」


後ろから声をかけられて振り返る。


「貴様ら人間は、我らを食らう。決して悪いことだとは言わぬ。我らは草を食い、虫を食い、自分より弱い者を食らう。しかし共に生きる者として、加減を知る。君は狩りをしないかも知れんが、人間として知っておいてもらいたいのだ。こうして雨が降らず、彼に頼ることになったのは、近頃人間が我らを捕り過ぎるのが原因なのだとな。勿論それが時代の流れであり宿命であるのなら致し方ないが」


そうして鳥は、少し口角を上げたように見えた。


「そうだ。あの彼の名は、空月(くうげつ)というのか?」


突然の話の転換に戸惑いつつ声を飛ばす。


「は、はい。空月と聞いています…」


「そうか。…良い名だな。さぁ、行くなら行きなさい」


そう言われ、勢いを付けて上まで駆け上がる。そして谷から上がった所で彼らを振り返ると丁寧にお辞儀をした。


「失礼します」


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