第91話 友達だった子
『もしもし和子?』
「もしもし。珍しいね、あざみちゃんからかけてくるなんて」
『たまにはいいでしょ』
あざみちゃんから電話がかかってきたのはある晩のことだった。もっぱら私から連絡を取ることが多いから、彼女からというのは珍しい。ソファーの上でクッションを抱えながら携帯に耳を傾ける。
隣に座る東雲さんがちらりと私を一瞥する。あざみちゃんですよ、と微笑むと彼はすぐに手元の本に視線を戻した。お願いがあるんだけど、と電話の向こうであざみちゃんが言う。
『明後日暇だったら、あたしの高校見学についてきてくれない?』
「高校見学? 別に構わないけど、どうして私に?」
『一人より誰かと一緒の方が色んな情報を得られるでしょ。パパとママは生憎その日に限って用事があるし。和子なら現役高校生だし、だからこそ目に付くところもありそうじゃない』
「なるほど。せっかくだし他の人も誘ってみる? 太陽くんだってあざみちゃんと同い年だし」
『もう誘ってみたわよ』
「どうだった?」
『あいつが熱心に見学行ったり勉強したりすると思う?』
思わず苦笑する。たまに三人集まって行う勉強会のとき、数分もせず教科書を放り投げて漫画へ手を伸ばしていた太陽くんを思い出した。
デートだね、とからかうように言ってみればあざみちゃんはバッカじゃないのと呆れたような口振りで早口に述べる。待ち合わせ場所と時刻を指定して電話を切った。
高校見学、と口の中で言葉を転がす。懐かしい。たった数年前は私も必死に色々な学校の説明会に行ったりしていたっけ。
「お前達も来年は受験生だからな」
ぽつりと東雲さんが言った。お前『達』という言葉にあやふやな表情を浮かべた。来年はあざみちゃんや太陽くん達だけでなく、私も受験生だ。他人事ではない。
進路なんて全く決めていなかった。進学か就職か、進学としてもどこに行きたいのか、したい仕事は何か。一つも思い浮かばない。これまで何度かあった二者面談では金井先生と適当な話をするだけで終わっているし、三者面談は両親がどちらも忙しいからと来てくれなかったから一度もやっていない。
そういえば一年先輩は今年がちょうど受験生だったろう。時期的にもう進路が決まっているかもしれない。どこに進むことにしたのだろうかと、ほんの少し気になった。
「高校選びって難しいですよね。東雲さんはどうやって高校を選んだんですか?」
私の進路について聞かれる前に話題の方向を反転させる。彼にそういった話を聞かれることが嫌だからでもあったし、純粋に東雲さんがどうしてその高校を選んだのか気になったからだ。偏差値、部活、それとも冴園さん?
東雲さんは僅かに思い出すように空中に視線を泳がせた後、私を見つめて真顔で言った。
「家から近かった」
「……………………」
東雲さんは案外、こういうところがある。
高校見学当日。空を覆う雲は厚く、景色はなんとなく暗い。私とあざみちゃんは連れ立って目的の高校へ向かっていた。その高校の通学路ということもあってか、周囲にはちらほらと制服姿の中学生達の姿が見受けられる。私とあざみちゃんも自分の学校の制服を身に着けていた。
あざみちゃんが着ている霧乃崎中学の制服。ベージュのカーディガンから飛び出た珍しい赤襟はそれなりに目を引く。幾人かの中学生の視線があざみちゃんに向けられたりもしたが、彼女はそれを意に介していない様子で赤いマフラーへと赤くなった鼻を埋めていた。
カーディガンのポケットからメモ帳を取り出す。英単語や数式がびっしり書き込まれたその中に、何校かの高校名がメモとして書かれていた。
「今週あたりは色んな高校の見学会が被ってるから、一通り行くわよ。予約なしで入れる所もあるみたいだし」
メモ帳に書かれていた高校の数は二桁はいっている。それを全部見て回る気だろうか。凄いなぁ、と感心しながらあざみちゃんについていく。
最初に付いた女子高でパンフレットをもらい校内を回る。様々な資料をもらったり、先輩や先生方に話を伺ったり。大抵を見て回ったあざみちゃんは次に行こうと余韻もなく高校を出ていく。校門を出てちょっと進んでからどうだったと訊ねると、不服そうにその眉が歪む。
「駄目、全然駄目」
「そう? いい所だと思ったけど。綺麗な教室だったし」
「今日のために開放してある所だけよ。廊下通ったときに閉鎖されてた教室見たけど、すっごい汚かった。男子校レベルじゃない?」
設備もいまいち、と厳しくあざみちゃんは付け加える。もはやさっきの高校は候補から外したらしく、メモ帳にバツマークを付けて次の高校へと足を進める。
いくつかの高校を見て回った。何回も電車に乗ったりバスに乗ったり。鞄はパンフレットや資料でずっしりと重くなり、メモ帳のバツマークは増えていく。
「ああもう疲れた!」
「お疲れさま。甘い物でも飲んで元気だそ?」
駅のベンチにどさりと腰を下ろしたあざみちゃんに、近くのカフェで買ったホットココアを手渡す。たっぷりのクリームとチョコレートシロップをかけた甘いココアだったが、疲れていた私達はぺろりと飲み干した。
「どうもいい所が見つからない……」
「道仏高校は? 一緒に通えはしないけど、あざみちゃんが後輩だったらちょっと嬉しいな」
「悪いけど偏差値的に最初から候補に入ってないのよ。もっと上のところじゃなきゃ、受験もできないから」
「受験もできない?」
「パパとママが許してくれないもの」
霧乃崎中学の生徒はほとんどがランクの高い高校へと進学する。受験に失敗した子もせいぜい普通レベルの高校だし、あえて偏差値が低いところに進学する子はそういない。
あざみちゃんだってそうだろうとは思う。けれど何となく彼女の言動が気になって、私は彼女の顔を覗き込むようにして聞いた。
「学力以外だったらどこが興味あるの? 気になる部活があるところとか、学食が美味しいところとか」
「そんなに気にしてないわ。あたしはただ、自分のレベルに合った高校に行きたいだけだもの。勉強を学びやすい設備とかは重要だけど」
「でも勉強だけじゃ疲れちゃうよ。行事や部活だって大切じゃない?」
「必要ないわ」
スッパリとあざみちゃんは切り捨てた。ツンと澄ましたその顔に、私は更に問いかける。
「ねえ、あざみちゃん」
「なに?」
「あざみちゃんが行きたい学校ってある?」
「学力のレベルが」
そういうことじゃなくて、と私は首を振る。しばし瞬いた彼女は押し黙るように空っぽになった紙コップをもてあそび、ポツリと呟く。
「特に…………ない」
僅かに強張った、寂しそうな声音だった。
自分のレベルに合った高校。それは勿論大事だ。自分が何をしたいか何をやりたいか、行きたい高校など分からず、右往左往している学生などたくさんいる。
だけど多分、あざみちゃんが高校に興味を持っていないのはそういうことじゃない。
「和子はどうして今の高校を選んだの?」
あざみちゃんが訊ねてくる。私が東雲さんにした質問を思い出し、ちょっと笑った。
「レベルが私と会ってたからかな。私もあざみちゃんと一緒で、他は特に気にしてなかった。強いて言うなら家から近かったからかも」
「その学校で幸せ?」
すぐには答えられない。まじまじと私を見つめるつり目を見つめ返す。
幸せか不幸せか。この子を安心させるべきか不安にさせてでも正直に答えた方がいいか。
「……幸せとは言えなかったかな」
散々迷って、結局私は後者を選んだ。彼女には私の学校生活について話したことがある。嘘などついてもすぐバレる。
そうなんだ、とあざみちゃんの目が薄く曇った。落胆を滲ませた目を真っ直ぐに見つめて私は続けた。
「最初の頃は」
「最初の頃は?」
「うん。最初は辛いこととか逃げたいことばかりで、正直この高校を選んだこと、後悔しかしてなかった。でも今はそれなりに楽しいこともあるって分かったから」
仲の良かった友達と別れてまで決めた高校選択。一年生の間、いじめられていた頃は毎日後悔しかしていなかった。どうしてこんな所を選んでしまったんだろう、他の所だったらもっと楽しい高校生活が遅れていたかも、少なくとも今よりはずっと平和な生活ができていたかも。毎晩枕を濡らして悩んでいた。
けれど今にしてみれば。早海さんや鈴木さん、新田くんとか。何人かと仲良くなったし、文化祭や修学旅行も楽しかったし。他の高校に行った方が確かに日々をもっと楽しめていたかもしれない。だけど文化祭で演劇を成功させたときの感動とか、修学旅行で早海さん達と話したときの楽しさとか。そういうのを味わえるのは道仏高校に進んだからだ。
「どこを選んだって必ず後悔はするんだよ。でもそこを選んだからこその魅力だってたくさんある。一番大切なのはきっと、どこに行っても楽しくやろうっていう気持ちじゃないかな」
「難しいこと言うわね」
「そんなことない。誰にだってできるよ」
私にだってできるんだから。そう言ってみたが、あざみちゃんは納得がいかないような顔をマフラーに隠した。
見学を再開してすぐのことだった。ある高校の偏差値や学部や施設がまあまあ気に入ったようで、興味深々にあざみちゃんは校舎をぶらついていた。
しかし廊下を曲がった直後、そんな彼女が急に足を止める。その横を通り過ぎてしまった私は慌てて歩を止めて振り向いた。しかしあざみちゃんは私を見ず、驚いたように目を丸くして廊下の先を凝視している。
廊下の先に顔を向けた。そこに立っていた三人の女子中学生がこちらを見ていた。お揃いの制服を着た彼女達は恐らく、友達同士で高校見学に来たのだろう。初対面のはずだ。けれどなんとなく、見覚えがある。
「あざみ?」
中央にいた子があざみちゃんの名前を呼ぶ。友達なのか。けれど彼女達とあざみちゃんの間に漂う空気はどこか異質だった。
「澪」
茫然とあざみちゃんが呼んだ名前に、その子がぎこちない笑みを浮かべようとする。けれどそれは頬を引きつらせただけで、笑顔とは到底呼べなかった。
「蘭、帆乃夏」
残る二人の子の名前だろう。彼女達はあざみちゃんを見て、戸惑ったように顔を背けた。辛うじて澪と呼ばれた子だけが、そっちも見学に来たんだと固い声で言った。
あざみちゃんは返事をしなかった。彼女の下ろした手にぐっと力が入ったのが見えた途端、その手が私の手首を掴み、後ろへと引っ張った。そのまま踵を返して廊下を駆け戻っていくあざみちゃん。状況に付いていけない私があざみちゃんにつられて走るまま振り返ると、残っていた女の子達は何とも気まずそうに私達を見送っていた。
あざみちゃんの足は高校を出るまで止まらなかった。校門を出たところでようやく彼女は私の手を離し、無言で顔を覆う。息を切らしながら私は聞いた。
「さっきの子達は友達?」
「…………友達」
あざみちゃんがようやく言葉を零す。けれど彼女はすぐにこう付け足した。
「だった子」
友達だった。
ああそうか、と思い出した。あざみちゃんの家に初めて行ったとき。机に張られていた、幼いあざみちゃんとその友達が写った思い出のプリクラ。さっきの子達の顔はそういえば面影があった気がする。
校門に背を預けてあざみちゃんはしばらく顔を覆っていた。小刻みに震える彼女の肩に触れようとした手を、何度も伸ばしては引っ込める。意を決して掴もうと手をぐっと握ったとき、計ったようなタイミングであざみちゃんが顔を上げた。
「和子。遊びに行きましょう」
「え?」
「この近くに確かゲーセンあったじゃない。そこにでも行かない? 何か景品取ってあげるわ」
「でも見学、まだ残って」
今日はいいのよもう、とあざみちゃんは笑って歩き出す。近くにあったゴミ箱に今出てきたばかりの高校のパンフレットを放り込んで。
行きましょうと笑うあざみちゃんの姿が、曇り空の下で薄暗く浮かぶ。私は口元まで出かかっていた言葉を呑み込み、ただぼんやりと微笑んで笑うことしかできなかった。
「やっぱり実物とまるで違うわね。詐欺よこれ」
「プリクラってそこが楽しいんだよー」
ゲーム機の音や人々の声や音楽で騒がしいゲームセンター。その喧騒に負けないくらい、私とあざみちゃんはきゃあきゃあはしゃいで遊びを楽しんでいた。
あざみちゃんとこうしてプリクラを撮るのも二回目だ。何だかんだ言いつつも嬉しそうにプリクラを見つめるあざみちゃんに、何とも言えない気持ちになりつつも私は微笑んだ。
クレーンゲームで一喜一憂して遊ぶ私達。と、一台のクレーンゲームの前で足を止めたあざみちゃんはパッと目を見開いて台に飛びついた。栄養ドリンクが何本か入った箱が景品となって並んでいる。背景装飾は一人のアイドルらしき女の子の写真を切り貼りしたものだった。あざみちゃんの視線は景品ではなく、そのアイドルの方に向けられている。
黒から白へと変わっていくグラデーションカラーの髪。モノクロのゴシックな衣装に身を包んで、豪奢な装飾で飾られた小さなシルクハットを付けている。愛らしい顔立ちに怪しい笑みを張り付けた可愛い女の子。
「ティパちゃん……!」
ティパちゃん。明星市のご当地アイドルの一人だ。
十五歳のときから十八歳の現在までというたった三年ほどの活動だが、その間に爆発的に人気を伸ばしている。顔立ち、歌や踊りの上手さというところも勿論あるだろうが、何より目立つのは彼女の歌の歌詞だ。ポップでグロテスクな歌詞に過激な演出。市外の人々にはあまり好まれていないようだが、その過激さが明星市の住民には大層受けている。私もファンとまではいかないが彼女の歌や踊りは好きだ。歌詞はともかく、表現力が抜群に上手い。
しかし何故そんなアイドルのポップがクレーンゲームに飾られていて、何故景品が栄養ドリンクなのだろうと首を傾げた。すると私に説明するようにあざみちゃんが身を乗り出してきた。
「ティパちゃんがこの栄養ドリンクイメージアイドルになってるの」
「そうなんだぁ。こんなドリンク、前からあったっけ?」
「発売されたばかりだもの。ティパちゃんのブログでは宣伝されてたけど」
「詳しいね。あざみちゃん、ファンなんだ」
私の言葉にあざみちゃんはポッと顔を赤くする。慌てたように視線を泳がせ首を振った。
「別に!? う、歌は上手いと思ってるけど!」
そう言いつつも彼女の視線はチラチラとティパちゃんに注がれている。素直じゃないなあと微笑みつつ、私は財布から小銭を取り出し、機械に投入する。
「ファンなら取りたくなるよね」
「だからファンじゃないって言って……」
「あっ、駄目だ、失敗」
アームは景品を掠めるだけで持ち上がりさえしなかった。やっぱり難しいなと苦笑すると、横からあざみちゃんが手を伸ばす。
「コツがあるのよコツが」
あざみちゃんは三百円を連続で機械に入れる。ゆっくりと動くアームは箱に空いていた穴に引っかかった。景品の位置が大きく動く。
私が固唾を飲んで見守る中で、あざみちゃんは慎重にボタンを押していく。そして三回目、残り回数が〇になるのと同時に、蓋の隙間にアームが挟まった景品がぐるりと回転して取り出し口へと落ちた。
「うっそ! 本当に取れた!」
「コツがあるっていったでしょう」
大きく胸を逸らして自慢げな顔をするあざみちゃん。裏技だからいい方法とは言えないけどね、と肩を竦めて続ける。私は景品を取り出してしげしげと箱に書かれた文字を読んだ。
「『集中力向上、眠気覚まし、疲労回復。受験生のあなたに!』。へぇ、本当に効くのかな?」
「どうかしらね。あたしも飲んでるけど、今のところよく分からないわ」
「どんな味なの?」
「ドブ以下」
うぇ、と舌を出してあざみちゃんは顔を顰めた。
「不味いのに飲むの!?」
「いやそれが、意外と癖になる味なのよ」
一本飲んでみる? とあざみちゃんに言われるが、いやいやと首を振って景品を彼女に手渡した。
あざみちゃんってもしかして、個性的な味覚の持ち主だったりするんだろうか。
「ティパちゃんもこのドリンク大好きなんですって」
「えっと、それ本当に……?」
「何その顔。もしかして、あたしの味覚疑ってる?」
「いやぁそんなことは」
「今度ティパちゃん、大きなライブやるらしいの。差し入れとかできたらこのドリンク差し入れたいんだけどね。年末年始は勉強でどこにも出られないから……」
「えっ、せめて美味しいもの差し入れた方が」
「やっぱりあたしの味覚おかしいと思ってるでしょ!」
如月さんに護衛の仕事をしないかと提案された直後、東雲さんは苦虫を噛み潰したような顔で如月さんを睨んだ。
「またお前の護衛か? ドライブは二度とごめんだ」
「違う違う。今回は一般人の護衛だ」
如月さんが言うには、今回の仕事は『興信所』として運営しているお喋りオウムに飛び込んできたらしい。ある人物のボディーガード。しかしそのある人物というのが誰なのかは、私達が聞いても如月さんは教えてくれなかった。
ただその依頼人はなるべく多くの人手を必要としているようで、とにかく手あたり次第ボディーガードとして雇えそうな人を探し回っているとのことだった。
「怪しいな。いくら人手が欲しいからって、こんな入り組んだ場所の興信所に足を運ぶ奴がいるのか? 誰の護衛か知らないが、一般人じゃないだろ」
「こんな場所でも来る人はいるんだぜ? そう懐疑的になるなって。単なるアルバイトみたいなものだと思えばいい」
如月さんの言葉にも東雲さんは眉根を寄せたままだった。そしてお前はどうしたい? とでもいうように私に視線を向ける。
「そんなにたくさんの護衛が必要ってことは、相当困ってる人ってことですよね? 誰だか分かりませんけど、困ってるんだったら助けてあげたいなぁって……」
引き受けません? と肩を竦めて彼の顔を見上げる。東雲さんは視線を如月さんに移した。期待に満ちた眼差しを向けてくる如月さんに深い溜息を吐いた東雲さんは、静かに顎を引く。やったね、と如月さんが指を鳴らす音がお店に響いた。
依頼された日付。私と東雲さんはスーツ姿で目的地に向かっていた。指定された服装がスーツだったからだ。
「スーツなんて初めて着たけど、思ってたより動きやすいですね」
「質がいいからな。安物ならもっと窮屈で動きにくい」
そんなものなのかと頷きながら私は上着越しに腰へ手を当てた。裏地にナイフホルダーがくっ付いている造りだが、今日はそこにナイフは仕込んでいない。……勿論ナイフホルダーが仕込まれているスーツなどそうはない。この服は特別性だった。
クジャクという名の店員さんが経営しているブティックで買ったこのスーツ。名前からして当然裏世界御用達のその店は、動きやすい戦闘服や鉄板が仕込まれた靴など様々な私達用のファッションを取り扱っている。このスーツが動きやすいのは質がいいからだけではなく、そういう人向けに仕立てられたからでもあるのだろう。
スーツ姿の東雲さんも格好良いなぁ、と横目でチラチラ眺めながら歩いているとすぐに目的地に着いた。そこは公共体育館のような場所で、既に館内の体育館には私達と同じスーツ姿の人々が幾人か立っていた。男性だけでなく女性も何人かいる。けれど私と同じくらいの年齢の子は一人も見かけなかった。
しばらく待っていると体格の良い男性が一人、檀上に現れてマイク越しに簡単な挨拶をする。そこから仕事の内容について語られた。勤務時間や報酬、仕事内容。私達の仕事は主に建物全体の見回りや不審者を発見した際の報告などらしかった。
「本人の護衛じゃないんですね」
今説明している男性を見る限り、他にも正式なボディーガードは何人かいそうに思えた。最も大事な仕事は彼らがやり、手が回らない他の雑務を私達がやるということだろうか。しかし護衛する人物の紹介くらいはしてほしい。そう思う人物は他にもいたのか、他の人達も互いに顔を見合わせ合ってひそひそと話している。
そんな中、不意に檀上の男性が舞台袖の方を見てギョッとした顔をする。焦ったような身振りで必死に首を振っている。袖に待機している人達はもしや揉めているのか、何やら騒がしい声がこちらにも聞こえてくる。
「駄目ですって、出たらバレちゃうでしょ!」
「どんな人がいるか見てみたいの。それにどうせ後々教えるんでしょ? いいじゃん」
「それは信頼できる人かどうか選考するからで……あっ!」
制止の声を振り払ったかのように袖から一人の人物が飛び出してきた。その瞬間会場のざわめきが一際大きくなり、中には歓声のような悲鳴を上げる人もいる。
苦い顔の男性からマイクを奪い取り、彼女は軽やかな笑い声を一つあげた。
「はぁい、こんにちは。皆には今回、わたしのボディーガードをお願いしたいの。どうぞよろしく」
そう言って、明星市の人気アイドルティパちゃんは、私達に向かって微笑んだ。




