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第92話 ボディーガード

 翌日の指定時刻、私と東雲さんは昨日と同じ会場に向かっていた。今日は日差し温かい緩やかな日だ。しかし最近の天候はぐずついているから、じき曇るかもしれない。

 信号が青になるのを待つ。行き交う車の走行音を聞きながら、隣の東雲さんに話しかけた。


「それにしてもビックリですよね。ティパちゃんのボディーガードなんて」

「どちらかと言えば、警備員みたいなものだがな」

「傍にいれるって意味では一緒ですよぉ」


 ファンでない私でさえ、有名アイドルの傍にいることができるというだけで気分が高まる。しかし私と対称に、東雲さんはどこまでも冷静だった。

 ティパちゃんのボディーガードになれるかもしれないことをあざみちゃんにも教えたいと昨夜言ったところ、東雲さんは首を振ってこう言った。


「誰かの護衛をする以上、その人物の情報を決して外部に漏らすな。どれほど親しい相手でもだ。護衛の意味を理解しろ」


 それは至極当たり前のことではある。もしもうっかりティパちゃんの護衛ができるということを外部に漏らしたら、大勢の人が詰めかけてきてしまう。その中で、純粋に彼女の護衛がしたいと考えている人間は何割だろうか。

 特に過激な言動に定評のあるティパちゃん。そのファンもまた、過激な人が多いイメージがあった。実際に何度か暴動のようなものも起こったことがある。ファンの全てが危ないわけではないものの、やはり万が一にこしたことはないだろう。

 でもあざみちゃんに教えてあげたい。少しでも喜ばせてあげたい。だって最近のあの子は、なんだか自棄になっているように見えたから。


 会場にいる人々は昨日よりもうんと増えていた。やはりティパちゃんの情報が漏れてしまったんだろう。スーツを身に着けていない人もいれば、果てはペンライトやうちわを振ってティパちゃんの名前を叫んでいる人までいる。

 完全にライブ会場だ。うひゃあ、と呆けて突っ立っていると、昨日見た覚えがあるスタッフが数人出てきて人々を整理し始める。私達を含め、スーツを着た人は他の部屋へと連れていかれた。体育館よりうんと狭い会議室だ。仕分けたとしても人数は昨日より随分増えている。

 待機すること二十分。最初は騒いでいた人々も段々と静まってきたころ、扉が開いて数人のスタッフ、それから彼らに挟まれるようにしてティパちゃんが入ってきた。部屋が一気に騒がしくなる。耳が痛くなるほどの歓声にも怯えず、ティパちゃんはニッコリ微笑んでマイクを手に取る。


「こんにちは、昨日ぶり……じゃない人もいるかな? ティパです」


 歓声に手を振って応えた彼女は、早速だけど、と本題を切り出した。


「予想してたよりも大勢の人が集まってくれて本当に嬉しい。でもごめんね、流石に全員ボディーガードとして雇ったらティパが埋まって見えなくなっちゃう。だからとっても申し訳ないんだけど、こっちで強い人をすこーしだけ選ばせてもらうね?」


 その言葉に嘆く人、自信ありげに頷く人など色々な反応が見えた。私は東雲さんにそっと耳打ちをする。


「できるだけ多くの人手を欲しがってたのに、減らしちゃうんですね?」

「仕事目的で来ている奴と、そうでない奴を選別するんだろう」


 いくら人手が欲しくても、やましい気持ちの人は雇えないということか。

 ティパちゃんはうーんと唸りながら端から順に人を見ていく。


「あなたの好きな食べ物は何? クリームシチューか、寒い日は美味しいわよね。……あなたは? わたしのファン? そっかぁうれしー、ありがとー!」


 一人一人の前をティパちゃんが直に回って簡単な質問を投げかけていく。てっきり別室で面接のようなものをされるものと思っていた彼らは、突然の質問に戸惑ったり挙動不審になりながら受け答えをしていた。

 ティパちゃんは本当に簡単な質問しかしていなかった。好きな食べ物、自分のファンかどうか、今日の天気。本当にどうでもいい世間話だ。けれど彼女が数人目に質問をしているとき、傍で待機しているスタッフさん達の目を見て、ティパちゃんの質問には意味があることに気が付く。

 スタッフは私達の反応を見ていた。質問に対する答え以上に、間近にティパちゃんがやってきたときの反応を。ファンでない人は多少の戸惑いや緊張を交えながらも簡単な答えを述べている。しかしティパちゃんに話しかけられ、顔を真っ赤にさせて何も言えなくなる人、逆に聞かれてもいないことまで饒舌に早口で語る人もいた。

 なるほど。本人に雇いたい人物を確認させているのかと驚いたが、そんな意図があったのか。


「あなたすっごく背が高い。スポーツとかやってる?」

「いいえ。スポーツは特に」

「バスケットボールとかオススメだよ。それじゃあ隣のあなた……もしかしてわたしと同い年くらい?」

「十七です」

「一個下! へえ、ボディーガードに興味あるんだ、凄いねぇ」


 私と東雲さんも質問を終える。やっぱり間近でアイドルの姿を見るのはとても緊張した。ほっと安堵に胸を撫で下ろしたとき、東雲さんがぼそりと私だけに聞こえる声で呟く。


「後ろの奴、様子がおかしい」


 私はそっと後ろを振り向いた。二十代初めほどの青年が、いやに息を荒くして胸を押さえていた。具合が悪いのかもしれない。そう思った次の瞬間、その青年が小さく顔を上げて前を見る。

 前髪の隙間から覗く目が爛々と輝いている。あっと思う間に、青年はふらりと一歩前に踏み出した。周囲の人々が青年の異変に気付く前に、私の手は咄嗟に彼の腕を掴む。


「具合でも悪いんですか」


 固い声で問いかける。案の定青年から返事はなかった。ただその口が小さく蠢き、何やら言葉を発している。ティパちゃんの名を呼んでいるのだと少ししてから分かった。ティパちゃん、ティパちゃんと虚ろな顔で彼女の名を呼ぶ様子は気味が悪い。

 東雲さんがさり気なく、青年とティパちゃんの間に体を割り込ませた。事態に気が付いたスタッフがティパちゃんを後ろに下げようとする。それを見た青年は、大声で叫んでティパちゃんへと手を伸ばした。


「ティパ様!」

「っ!」


 私は即座に彼の腕を捻り上げた。痛みに彼の動きが止まった瞬間を狙い、その腹に肘を叩き込む。うっとくの字に折り曲がった彼の体を、勢いに乗せて床に押し伏せた。周りの人がわっと驚いた顔で後退る。

 スタッフの人がただちに青年を連れて部屋を出て行く。ふぅと息を吐いてそれを見送り東雲さんに声をかけようとする。だがそれより先に声を上げた人物がいた。


「凄いっ!」


 興奮した声で私に話しかけてきたのはティパちゃん本人だった。周りのボディーガードを押しのけて私の元へとやってきた彼女は、その頬を興奮に赤く染め、私の手を取って上下に振り回す。目を丸くする私にティパちゃんは言った。


「凄く強いんだねあなた! 格闘技みたいに、ズダンッて! 格好良い! ……ねえ、あなた、わたしのボディーガードになってよ!」

「え!?」


 驚きの声を上げたのは私だけではなかった。スタッフの人が寄って来て、驚きと不満の混じった顔でティパちゃんを諭そうとする。


「初対面の方をボディーガードにするだなんて、何を考えてるんです? 今の男みたいな人間だったらどうするんですか。何より、まだ子供でしょうに!」

「その子供が今、わたしを守ってくれたんだけど? それに歳が近い方が話しやすくて好きよ」

「だからって……ご自分の立場を分かってらっしゃいますか!?」

「ああもう、うるさいなぁ」

「ティパ様!」


 ティパちゃんがジロリとスタッフを睨む。そうして小さな声で呟いた。その声は辛うじて、私の耳にも届く。


「そっちこそ自分の立場をわきまえてる?」


 ぐぅ、とスタッフの人が不服そうな顔で黙り込む。それを見たティパちゃんは明るい笑顔に戻り、私に向き直る。


「それじゃあよろしくね、ボディーガードさん!」

「…………はぁ」


 ちらりと東雲さんに視線を向ける。しかし彼は、無言で一度頷くだけだった。

 諦めて肩を竦める。そんな私の手を、ティパちゃんはしばらくの間振り回していた。




「ここが今日の控え室なの」


 その日の午後。私は早速ティパちゃんに連れられてとあるテレビ局へやってきた。今日はここで番組の収録をするらしい。

 控え室に着いた途端、ティパちゃんは渋る他のボディーガードさん達を追い出して私だけを部屋に残した。椅子に座って一息付いた彼女は、ニッコリと微笑んで私に椅子を勧めた。


「これでようやくゆっくりお話ができるわね。車でもずっと他の人がいたんだもの、二人きりになれなかったから」

「そう……ですね」


 車の中はとてつもなく居心地が悪かった。ティパちゃんの傍に控えるスタッフさん達は、唯一の部外者である私をじろじろとねめつけてきたのだから。本人たっての希望といえ、私のような人間を傍に置くことがどうしても納得できないのだろう。私だってそうだ。


「えっとティパちゃ……ティパ様?」

「やだ、様だなんて他人行儀。ティパちゃんって呼んでよ」

「でも他のボディーガードさん達もティパ様って呼んでるじゃないですか」

「あの人達が勝手に呼んでるだけだもの」

「じゃあ、ううん……ティパさん」


 親しくしてくれるとはいえ、人気アイドルのことを軽々しく呼べない。ましてや針のむしろ状況の中でそんなことをしてしまったらなおさら嫌な視線を向けられる。

 不満そうながらもティパちゃんは身を引いてくれた。仕方ないなー、と愚痴りつつ、彼女はテーブルの上に置かれていたカゴに手を伸ばす。キャンディーやチョコが詰められたカゴだ。そこから一つのキャンディーを取って彼女は包み紙を剥がす。


「このキャンディーとっても美味しいのよ。一つどう?」


 ティパちゃんからキャンディーを一つ受け取る。シンプルな白い包装紙に包まれた見たことのないキャンディーだ。何気なく顔を上げると、ティパちゃんはまだ口に入っていると言うのに二個目のキャンディーを口に放り込んでいた。なるほど、彼女のお気に入りのお菓子をわざわざどこかから発注してきたのかもしれない。


「ところであなたの名前、何ていうの?」

「秋月和子です」

「和子かー、可愛い名前!」


 ティパちゃんは鞄を漁って何かを取り出した。色紙とペンだ。それを構えながら私に問う。


「せっかくだからサイン書いてあげる。これも何かの縁だものね」

「えっ、いいんですか!?」

「いいよぉ。和子ちゃんへって書くね」

「あっ、ちょっと待ってください」


 ペンの蓋を取ったティパちゃんはなぁに? と首を傾げる。モノトーンの髪がサラリと肩に流れた。


「私の名前も嬉しいんですけど、良かったら『あざみちゃんへ』って書いてもらえませんか?」

「あざみちゃん? いいけど……誰それ、お友達?」

「はい。ティパさんの大ファンなんです」


 高校見学の日以降あざみちゃんとは会っていない。如月さんにも聞いたが近頃彼女は情報屋にも足を運んでいないらしい。もうすぐテストの時期だから、きっとそれに備えているのだろう。

 息抜きにできるかは分からない。だけど好きなアイドルからの色紙を渡したら、あざみちゃんは少しでも喜んでくれるだろうか。

 ティパちゃんが書いてくれた色紙を受け取ったとき、扉がノックされて先程追い出されたボディーガードさん達が部屋に入ってきた。ティパ様、と低い声で呼びかける。


「時間です。スタジオに移動してください」

「まだ五分くらい残ってるんじゃなかった?」

「機材確認の影響で少し時間が早まったんです」

「えぇ? しょうがないなぁ」


 ティパちゃんは立ち上がり、スキップをするような弾んだ足取りで出口へと向かう。私もついていくべきかとキャンディーをポケットに仕舞いながら立ち上がりかけると、一人が私にここに残っているようにと指示を出してきた。続けて彼は私に耳打ちする。


「ティパ様に失礼なことをしていないんだろうな?」

「失礼なことって……」

「彼女に何かあったらどうなるか分かっているな?」


 そんなことしないってば、と苛立ちを飲み込んで頷く。彼は最後にこう言い残して私から去っていく。


「あの人は気まぐれだから。あんたをここに連れてきたのも、深い意味はないんだろうよ」


 あってたまるか。彼の背に向けてべーっと舌を出す。気配を感じたのか彼が振り返った瞬間、顔に微笑みを張り付けて、小さく手を振った。





「どう、順調?」

「まずまずだな」


 ティパちゃんの護衛帰りに寄ったお喋りオウム。経過報告を行う東雲さんに、如月さんはそうかそうかと満足げに頷いた。その間も、彼は手元のパソコンから一切顔を上げなかった。

 今夜のお喋りオウムは何だか忙しそうだ。カウンター上にはいくつもの書類がばら撒かれ、本やファイルが山を成している。話しながら如月さんは絶え間なくキーボードを叩く。


「忙しそうですね」

「最近不審事が多発してるからね。薬の大量売買、第九区の死刑囚刑務所脱走事件、動物園の一時閉鎖……」

「うわぁ濃い。濃いなぁ」

「イヌや人魚にも探らせてるけど、人手が足りなくて。師走はやっぱり忙しいよ」


 ティパちゃんのボディーガードという仕事は、これに比べると案外楽な仕事だったかもしれない。大変だなぁ、とぼんやり思っていると入口のベルが鳴る。振り向いた私達の視線に出迎えられたのは、寒そうに鼻を啜る太陽くんだった。彼は私と東雲さんを見てパッと笑顔を浮かべる。


「うおぉスーツ! スーツだ、かっけえ!」

「相変わらず元気だね太陽くん」


 当然だろ、と言いたげに彼は大きく胸を張った。連絡があるんじゃないのかと如月さんが苦笑する。

 そうだったそうだった、と太陽くんは携帯を取り出して見せる。何枚もの写真に写っていたのは檻の中に入っている動物達だった。ペリカン、猿、鹿、アヒル。けれどいくつか中に動物が入っていない織がある。ヒョウ、クマ、ライオン……。第一区にある動物園の写真だ。


「一時閉鎖されてる動物園にわざわざ忍び込んで撮ってきたんだぜ。やっぱり如月の言う通り、動物がいなくなってるみたいだ」

「だろう。動物園から他所に発注している餌の量が、随分減っていたからな。急な閉鎖といい何かあったんじゃないかと思っていたんだ」


 如月さんと太陽くんの話を聞いて、私は初めて動物園が閉鎖されていることを知った。減少した餌の量、動物のいなくなった檻。私は思わず二人に訊ねる。


「何か病気が蔓延して……?」

「いや、死んだわけじゃない」

「なら脱走か?」


 大変じゃないですか、と東雲さんの疑問に声を荒げた。東雲さんも静かに眉を潜める。獰猛な動物が街で暴れたら、多くの犠牲者が出る。動物の脱走などニュースになっていないことを考えると、園側は事態を公にしていないのだろう。

 如月さんは涼しい顔色のままで首を振った。太陽くんの携帯を取って画面を操作する。


「脱走とは断定できない。檻の一部が曲がったり折れたり、そういう痕跡もなさそうだからな。誘拐かもしれないぞ」

「誘拐? 動物の? どうして」

「さぁ、理由までは。だけどたまにあるだろう、動物の密輸。今回もそれかもしれないな」


 絶滅危惧種でもないだろうに、と呆れたように東雲さんが嘆息する。その隣で同じように太陽くんも溜息を吐いていた。


「いつ再開されるんだろうな、動物園」

「動物が戻ってきたときだろう」

「戻ってくるときっていつ?」

「知るか」

「はぁーあ。俺、ライオン見たかったのになぁ」


 心底がっかりした様子で呟く彼。ライオンが好きなのだろうかと思って問いかけてみれば、彼は目を爛々と輝かせて大きく頷いた。


「だってライオンって格好良いだろ。鋭い牙も爪も、あのたてがみも。男なら誰だって憧れる」

「そういうものなの?」

「ああ! 誰だって、強くて格好良いものに惚れるんだ。ヒーローとかな!」


 満面の笑みで太陽くんは言い切った。如月さんがそんな彼を見て、笑いながら言う。


「早く動物園が再開できるかは、イヌにかかってるんだ。頑張ってくれよ」


 人手があればなぁ、と如月さんはまた溜息を吐いた。白ウサギにも仕事あるって伝えてくれよ、と言われた東雲さんは無言で頷く。きっと仁科さんが仕事を引き受けないことは百も承知だろうけれど。


「あざみはどうしたんだ?」

「あざみちゃんは今テストで忙しいんだって」

「そうか。あいつの家、厳しいらしいもんな」


 心配だな、と囁くように言う太陽くんに私も頷いた。


「……っていうか太陽くんも、テスト近いんじゃない?」


 首を傾げる太陽くんに答えると、彼ははにかみながら頬を掻いた。全く、と肩を竦める私を東雲さんが見下ろす。


「お前のテストはいつなんだ?」

「…………えへへ」


 太陽くんと顔を見合わせ、私もはにかみながら頬を掻いた。東雲さんも全く、と呟いて肩を竦める。





 あざみちゃんが私の家にやってきたのは、雨が降る日のことだった。

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