第33話 連続爆破事件
三階をしらみつぶしに探した結果、私達は残る屋上への扉を開けた。いつの間にか雨は上がっていたらしく、床は濡れていたが雲の灰色は薄くなっていた。屋上の先の、手すりを掴んで立っていた一人の男。彼がゆっくりと振り返る。作業着姿のおっとりとした顔の男。彼は私達に微睡むような視線を向け、僅かにその目を細める。
一瞬人違いかと思った。男は私の想像していた、連続爆破事件の犯人とは似ても似つかない顔だったからだ。屋上の掃除をしていたら逃げ遅れた作業員かもしれないとまで思う。
「もう逃げられないぞ。観念しろ!」
太陽くんが犬歯を剥き出しにして吠える。その表情は男が犯人であると確信している顔だった。東雲さんの背から降り、私も男をじっと見つめる。
「えっと……君達、何。警察ってわけじゃあないよね」
「悪を倒しに来たヒーローだ!」
「殺し屋よ。噂くらい聞いたことあるでしょ?」
太陽くんを押しぬけるようにあざみちゃんが述べる。男はピクッと眉を動かし、困ったように肩を竦めた。あざみちゃんはそのまま男に向かって歩き出そうとして、動くな、という男の一言に足を止めた。
「動いたら起爆スイッチを押すよ」
男が取り出したのは古い機種の携帯電話。そのボタンに今まさに押さんと指が触れているのを見て、東雲さんが舌打ちをする。男はその様子を見て、目を細めた笑みを浮かべてひとりごちる。
「殺し屋か、そうだね、知ってる。材料を手に入れた店の店主が言ってたな。こんな人達だったんだね。子供までいる」
「子供だからってなめんじゃねえぞ」
「分かってるさ。幼いからといって何もできないわけじゃない、逆もまた然り。才能に年齢は関係ないからね」
ふと、その台詞にどこか棘が含まれているように感じた。あざみちゃんもそれを感じたようで、腰に手を当てながら尖った声で尋ねる。
「どうしてこんなことをしてるの? 目的は何? 目立ちたいの?」
男が乾いた笑い声を上げる。目立ちたい? とあざみちゃんの言葉を反復して僅かに笑みを曇らせる。
「言い方を変えればそうかもしれない。そうだよ、目立ちたい、目立ちたいんだ。世の中に自分の存在を見て欲しいんだよ」
「は? 訳分かんねえ。だったら普通に努力して普通に目立てばいいじゃん。こんなことして目立っても意味ないだろ、馬鹿かよ!」
太陽くんが叫んだ。心からそう思っているような純粋な疑問の言葉。けれどそれは男の心を逆撫でる言葉だったらしい。
途端に彼の纏う空気の温度が下がる。目から光が消え、口元の笑みが掻き消える。
「君達に何が分かる」
怒気を孕んだ静かな声だった。さっきまで騒いでいた太陽くんが威圧されたように尻込みし、ギョッと目を見開く。男はまた笑みを浮かべた。だが、さっきとはまるで意味の違う、見る者に怖気を与える笑みを。
「自分の才能を理解されない絶望が君達に分かるか?」
男の言葉は、私にはよく分からなかった。けれどそれは彼にとって大切なことのようで、寸前までの余裕そうな表情は消え去っていた。
まるで全てを憎らしく思っているかのような憎悪の感情溢れる顔。剥き出しの感情が私達に向けられる。
「物心付いたときから自分が天才であることを知っていた。この言葉は決して己惚れでもなんでもない、本当のことだ。同年代の子供は勿論、教師よりも上の頭脳を僕は持っていた。この頭脳を上手く利用すれば将来は世界中から注目されるような素晴らしいことができるって、そう確信していたさ」
彼の言葉はその通り確信に満ち溢れていた。その言葉が嘘じゃないと、その声色から読み取れた。
だけど、と彼は続ける。
「周りは僕の才能を理解してくれなかったんだ。毎回テストでいい点を取るうちに、クラスの奴らからは疎まれるようになった。そのうち授業で教師の間違いを指摘してから嫌な顔をされるようになった。段々僕は疎外されるようになって、通信簿には『協調性がない』なんて書かれるようになった。それを見た両親は僕のことを周囲に溶け込めない子だと、いや、それどころか頭の弱い子供だと認識するようになった。よく馬鹿だとからかわれたよ。ああ、今思い出しても腹が立つ。僕よりも遥かに幼稚な思考しかしてない奴らに馬鹿だって言われるんだぜ? その状況こそ馬鹿げている」
当時のことを思い出したように男は鼻頭にしわを寄せた。歯を強く噛みしめる音がこっちにまで聞こえる。
「いい高校に受かっても、大学に入っても、結果は変わらなかったよ。凄いと褒めた後に皆必ず言うんだ。勉強だけはできたからなって。だけ? まるで勉強がどうでもいいことみたいじゃないか。だけど確かに結果はそうだったよ。就職活動をしてる中で分かったね。いくら頭が良くたって、才能があったって、理解されなきゃ、自分以外の人間に認識されなきゃ意味がない。上手くいくのは大抵、多少他人と関わるのが上手いだけでへらへらしてる奴ばかりじゃないか。僕みたいな本当に必要とされる人間は、協調性やコミュニケーション能力がないからってだけの理由で落とされる。それで結局雇った奴に能力があるわけでもなく、ろくに会社が発展することもないんだ」
目立たなきゃ何も意味がないんだ。震える声でそう告げた男は、感情を爆発させるように携帯を持つ手を振り上げた。東雲さんが反射的に腰から銃を抜いて突き付けるも、引き金は引けなかった。
「こんな事件でも起こさなきゃ才能や能力なんて見てももらえないんだよ! 努力なんかしてたって、結局僕みたいな奴はそれさえも認めてもらえないんだよ!!」
「どうせお前は逮捕される。もしくは、ここで殺してやる。どっちに転がったところで、お前の存在は世間にただのキチガイとしてしか見えないんだぞ」
「そんなこと最初っから分かってるんだよ!!」
激昂の叫び声。男はブルブルと全身を震わせ、焦点の合わない目でこっちを睨んでいた。正気には見えない。不安に駆られて東雲さんを見ると、彼も焦ったように頬に一筋の汗を流していた。
どうしよう。どうすればいい、この状況を。下の方の爆弾に忙しいのか警察がこっちに来る様子はまだない。男がここで何かを待っていたようなのを考えるとそのうち来ることは確実だろうが、今は来られたら困る。
ちらりと横目で二人を確認する。太陽くんは男を睨んで僅かに身を低くしていた。あざみちゃんはといえば、目を閉じて唇を噛んでいた。と、その目が開いて唇が開く。
「その気持ちは分かるわ」
「……うるさいなぁ。口から出まかせ言ってるだけだろう? 本当は何にも理解してないくせに」
「本当よ。あたしだってそうだもの。あんたほどじゃあないけど」
認められないのって辛いわよね、とあざみちゃんは切ない声色で言った。心底同意するようなその声に、男は僅かに気を削がれたような反応を示す。
「どれだけ頑張っても、テストや学業でいい成績を出しても、認めてくれる人なんてごく少数。それもただ、よくやったなって言うばかり。馬鹿騒ぎして笑ってる奴らの方が世間一般には褒められるんだから、やってらんないわよ」
言いながらあざみちゃんは、何かを訴えるように東雲さんを横目で見た。それから太陽くんも見て、彼が男に唸り声を上げているのを見て、呆れたようにスカートのポケットに手を突っ込む。
「あたしがあんたの立場だったら絶対同じことしてる。それでも、爆弾作れるなんて凄いじゃない。一人で作ったの? だとしたらあんた本当に才能があるのね」
男があざみちゃんをじっと見つめる。携帯を持つ手の震えが止まり、少しだけその腕が下がる。
と、彼女がポケットから手を出してその手を宙に掲げた。
「――――でもね。今のあんたの事情は、あたし達の仕事に関係ないのよ」
雲の隙間から洩れる光芒が、彼女の手を照らした。そこに巻き付いている何かがキラリと光を反射した。
「イヌ!」
サッとあざみちゃんが手を振り上げながら叫ぶ。同時に私の横で地面を強く蹴り付ける音がした。男が素早く携帯のボタンを押そうとして、ハッとしたように手を止める。彼の右手の指に絡みついた糸が、ボタンを押そうとするその指を止めていた。
彼が残る左手を伸ばそうとしたとき。数メートルの距離を本当に一瞬で駆け抜けた太陽くんが吠えながら男に圧しかかる。両肩を押さえ、体重を乗せて床に背中から叩き付けた。宙を舞った携帯電話を太陽くんが手を伸ばして掴み取る。勿論男は押さえ付けたままで。
「っ…………!」
「っぶねー!」
一瞬の間に起こった出来事。それまで呼吸を止めていたらしい太陽くんがドッと息を吐き、大きく肩で息をする。その場から動けず、目の前で起こる事を見ているだけしかできなかった私も、汗の滲む手の力を抜いて、ほぅっと息を吐いた。
あざみちゃんが糸を手繰り寄せるように二人に歩み寄る。太陽くんの手から携帯を取り、彼の下で呻く男を軽蔑した目で見下した。
「残りの爆弾はどこ? 言いなさい」
「…………は、残念だね。……君なら、少しだけ理解してくれるかなと、思ってみたんだけど……」
「こんな出会いじゃなければね」
少しくらいなら分かったかもね。そう囁くような声音で言って、もう一度爆弾の在処を聞く。
「僕が答えると思ってるの?」
「答えさせようと思ってる」
あざみちゃんが拳に力を加えると、男の手に巻き付いた糸がキツク食い込む。吐かせようと思ってるの間違いだろ、と男は痛みに顔を顰めながら笑った。目を細め、呼吸の合間に言葉を紡ぐ。
「……安心しなよ。建物に仕込んだ爆弾は残り一つだけだ」
「一つ? その場所は? 解除方法は? …………答えなさいっ!」
中々吐こうとしない男に痺れを切らし、あざみちゃんがしゃがんで彼に顔を近付ける。男はニッコリと微笑んで頬を動かした。まるで、そこに何かが入っているように。
「危ねえっ!」
あざみちゃんの横にいた太陽くんが、咄嗟に腕を彼女の顔先に突き出した。ほぼ一瞬後に、男が喉仏を大きく震わせるように、口の中で何かを強く噛み砕く。
ボヒュンッとくぐもった破裂音が聞こえ、男の頭が爆発した。腐ったトマトのようにぶちゅぶちゅになった顔の皮膚や肉が四散し、太陽くんの腕とあざみちゃんの顔に降りかかる。大きく痙攣した男の体が地面に叩き付けられ、それっきり動かなくなる。首から先に残った僅かな血肉から、びゅうびゅうと勢い良く小さな血の噴水が溢れて床を濡らしていく。
「なんてこと…………」
顔に飛び散った血を拭いながらあざみちゃんが吐き捨てた。太陽くんも茫然と男の死体を凝視していたが、ふとあざみちゃんの鼻先に突き出した腕にべったりと顔の皮膚と肉片が粘り付いていることに気付き、悲鳴を上げて腕を振り回していた。目の前で起こった自殺に顔が青ざめる。私と死体の距離はそれなりに離れているけれど、見ていられなくて目を逸らした。
ぼそり、と何かを呟く声が聞こえた。見れば東雲さんが眉間にしわを寄せて目を閉じながら、考え事を呟いていた。
「……残りは一つ。本当か? 本当だとしてもその在処は。思いだせ、あいつは何を言っていた?」
「……注目されたいって言ってた。才能を見せたいって。あたしだったらどうする? どこに隠す?」
いつの間にかあざみちゃんも顎に手をやりながらぶつぶつと、東雲さんと同じように独り言を呟いている。落ちた視線は死体に向けているけれど、その目はどこか空を見ているように虚ろだ。
冷たい風が拭く。雲が形を変えていき、段々と青空の見える割合が増えていく。太陽の光があざみちゃんの頬を照らし、そこに付いた血液を光らせる。二人の言葉が風に乗って交互に聞こえる。
「注目されるには人が必要だ。大勢の人間がいなけりゃ意味がない」
「大勢の犠牲者を出せる場所。たくさんの人がいて、爆発したら大きな被害が出る場所」
「爆発が一度じゃない理由は? 何度も爆発を繰り返すのはどうしてだ?」
「犯人が屋上にいた理由は? ヘリコプター……いや、自殺を考えていたのならそれはない。じゃあどうしてここに?」
ふらりと屋上の端に近寄って、私はそこから顔を覗かせた。屋上から見えるのは正面出入り口。そこから騒ぎを聞きつけてやって来た救急車や消防車が入口から入ってくるところだった。けれど車で逃げようとしている一般客が大勢いるせいで、パトカーや救急車と正面からぶつかりそうになったりで、中々進んでいない。車で出口が塞がれ人が門に群がっている状態だ。野次馬なのか、興奮した様子の一般人が大勢入口に詰め寄り、警察が必死に押し留めようとしている。
私の真下、ショッピングモールの壁面にハート形の大きなバルーンが飾られていた。赤く縁取りがされたピンク色のバルーン、ハッピーバレンタイン、と白い英文が書かれている。
そのバルーンの脇に、何か黒い物が取り付けられているのに気が付いた。
「今までの爆発は本命じゃない。それには別の目的があった」
「爆発による……誘導? 異変を感じた人達が逃げるのが目的だったの?」
「逃げた奴らは出口へ向かう。だが、混乱した状況はむしろ、逃げるどころかその場で詰まってしまう」
「そこに爆発があったら」
二人の声が同時に止んだ。それとほとんど同時に、私の口から大声が上がる。あった、という言葉で。
バルーンの脇に取り付けられている黒い物体。見間違いでなければ、それは爆弾だった。
「何であんな所に?」
「バルーンに何か仕込まれてるのかもしれない。例えば……気化したガソリンとか」
私の声に駆け寄って来た三人は爆弾を見て唸った。太陽くんと東雲さんの会話を聞きながら、気化したガソリンの威力とはどれぐらいの物なんだろうと気になった。
ゲームセンターのときのようにバルーンが爆発すれば近くの窓ガラスが人々に降り注ぐかもしれない。もしくは、もっと別の何かが発生してしまうかも。とにかく男の発言を思い出せば、この爆弾は何としても止めなければならないものだろうことは確かだと思う。どうする? と不安に塗れた言葉が口から零れた。
「どうするも何も、取るしかねえだろ!」
「わっ! ちょ、太陽くん! 生身で取りに行こうとしないで!?」
手すりに足をかけて乗り越えようと意気込む太陽くん。今にも壁を伝って降りようとする彼の腰にしがみ付いて必死に止める。そんな私達をすり抜けてあざみちゃんが手すりを飛び越える。
「あたしがやる」
そう言って、私が止める間もなくあざみちゃんが屋上の縁を蹴る。あっと声を上げて視線で追いかけると、彼女が飛び降りたと同時に手すりに巻き付いた糸が命綱となって、空中で彼女の体が左右に揺れていた。そのまま器用にするすると下りていき、爆弾のすぐ傍に停まる。しばらくじっとそれを見つめてから、慎重な動きで彼女はそれを取り外しにかかった。どうやって固定されているのかはよく見えないが、手が滑ったり動きを誤れば、その途端に爆発するだろうと思う。
だがあざみちゃんは流石だった。一挙一動にじっくりと時間をかけつつも、何とか取り外した爆弾を持って手を引く。しゅるりと糸が巻かれ、強張った顔で屋上に戻って来る。
「あざみちゃん!」
「待って」
近付こうとした私を固い声で制し、屋上の床に繊細な物を扱うようにそっとそれを置く。張り詰めた表情で、困惑の混じった言葉を吐く。
「……これ、もう動いてる」
ひくり、と喉を震わせて私は唾を飲んだ。緊張で砂漠のように乾いた喉。背中の傷一つ一つが冷たい痛みを投げかけてきた。
箱ティッシュより一回り大きいぐらいの黒い箱。よく分からないコードがあちこちから伸びているその箱の表面に浮かんでいる数字は、十分の一秒からカウントされ、どんどんと減っていた。表示されている時間はたったの三分。こうして爆弾を凝視する間も、刻一刻と時間は減っていた。
全員が息を詰める中で、太陽くんだけが気楽な様子で爆弾に手をかけた。
「こういうのは赤か青のコードを切ればいいんだ」
「馬鹿! もっと慎重に……」
あざみちゃんが太陽くんを叱咤するも、彼はそんな言葉など気にしない様子で蝶番のようになっている部分を無理矢理割ってこじ開ける。そして一瞬固まった後、すぐに蓋をして肩を竦めた。
「オレの役目はここまでのようだな」
やれやれ、とお手上げのポーズをする太陽くんに、あんたほとんど何もやってないじゃない、とあざみちゃんが身も蓋もない言葉を吐く。
「……あ、開けてみる、よ?」
私は太陽くんの隣にしゃがみ、震える手で慎重に爆弾を開けた。そうして彼の言葉の意味が分かる。
爆弾のコードはたくさんあった。それも、赤と青だけでなく、ピンクにオレンジに黄色に緑に……とにかくたくさん。こんなにあれば、そりゃどれを切れば止まるとか、そういう問題じゃない。そもそもニッパーやハサミといった工具もない。
そうするうちに時間は既に一分半にも減っていた。強い緊張が私達を包み込む。互いに目を合わせてどうするかを問うものの、答えを示す人はいなかった。
ドッドッと太鼓を胸に入れたような音がする。床に投げ出している手は何もしていないのに震え、指先が酷く冷たい。くらくらと眩暈までしてきそうな脳を、必死に思考で支える。
どうする。考えろ、考えろ、考えろ。爆弾を解除する方法。被害を出さない方法。誰も傷付けないには――……。
「投げよう」
思い立ったことを呟くと、あざみちゃんが顔を顰めた。
「投げるって……もっと別の方法が」
「あるの? 時間はない。私達の中で、この爆弾を解除できそうな人がいる? 警察も来ないし……来たところで間に合わない」
じゃあ、人のいない所で爆発させるしかない。言い切ると横から東雲さんが低い声で頷いた。
「時間がない。やろう」
「オオカミ!? あんたまで……」
「時間がないんだ」
東雲さんがあざみちゃんに言い聞かせるように同じ台詞を言った。爆弾の時間は残り四十秒弱。他に方法があったとして、それを実行する時間もない。東雲さんがあざみちゃんの耳元に何かを囁く。太陽くんが長袖を捲り、唇を舐めながら鼻息を吹いた。
「オレが投げてやるぜ! これでも体力テストのボール投げで、学年一位だったんだ」
爆弾を掴んで早速振りかぶる太陽くん。けれどあざみちゃんがその肩を引いて止める。あたしがやる、とさっきと同じく言う彼女に太陽くんが不思議そうに首を傾げた。
「お前の腕で投げられるのか?」
「腕じゃない」
いいから貸して。そう言ってあざみちゃんが爆弾を受け取り、また地面に下ろす。手首から引っ張り出した細い糸を爆弾に何重にも巻き付け、最後に引っ張って軽い結び止めを作った。少しだけ糸を引いて上に持ち上げると、爆弾が床から離れて小さく左右に振れた。
「時間は!」
「っ、あ、あと二十秒!」
離れて、と叫ばれて私達はあざみちゃんから距離を取る。直後に彼女は手元の糸を持ち、体の横で手を回し始めた。最初はゆっくり、次第に早く。ひゅんひゅんと音を立てて爆弾が回り出す。勢いは強く、強く。鼓動の音がうるさい頭の中で時間を数える。十四、十三、十二。
あざみちゃんが手を離した。遠心力で勢いの付いた爆弾が、物凄いスピードで上空へと飛んでいく。高度は高く、距離も私達や駐車場にいる人々からは離れている。けれど残り七秒を切ったとき、爆弾がゆっくりと降下を始めた。
駄目だ、落ちる。
「やって!」
残り五秒。あざみちゃんが力強く叫ぶ。その言葉を言い終わるよりも前に、私の横にいた東雲さんが銃を構え、遥か遠くの爆弾に狙いを付けた。
四、三。
耳元で甲高い銃声が鳴り響いた。
落ちる寸前の爆弾に銃弾が下からめり込んだと思った瞬間、一瞬で膨れ上がった火球。それを最後まで見届ける前に、私は東雲さんに背中から床に押さえ付けられた。ただ感じるのは、頭を殴られるような暴力的な轟音。全身の皮膚が炙られるようにひりひりとした熱い痛み。体が浮き上がってしまうんじゃないかとさえ思うほどの突風と衝撃波が吹き付け、必死に爪を立ててその場にしがみ付いていた。
気の遠くなるような数秒間。ゆっくりと目を開け、激しい耳鳴りの続く頭を振って、視線を上げる。私を庇うように上に覆いかぶさっている東雲さんの肩を揺すった。
「東雲さん……東雲さん!」
うぅ、と苦痛の色が混じった呻き声。彼は静かに目を開き、私の顔を見て、大丈夫だと一言吐くように呟いた。彼の下から這い出して辺りに目をやると、同じように太陽くんに庇われる形で倒れているあざみちゃんがいた。二人とも無事なようで、頭の痛みに顔を顰めながらも互いの無事を確認し合っている。
「終わったの?」
「……そうみたい、だね」
ほうっと安堵の吐息を付いて、ふらりとした足で立ち上がる。上空で起こった大爆発に、駐車場にいた人々が混乱したようにまた騒いでいるのが聞こえる。けれど、手すりに近寄ってこっそり見下ろしてみたところ、その爆発の火の粉などによる怪我人はいなさそうだった。
良かった、と思わず囁く。途端、これまでの騒動でそこまで意識していなかった全身の傷が猛烈に痛みを発してくる。堪え切れない呻き声が零れ、汗が滲む。その場にしゃがみ込んでしまいそうになった私の左腕を誰かが掴んだ。
「誰かが来る前に早く行きましょう」
あざみちゃんはそう言いながらも怪我をしている私に合わせるように、ゆっくりとした歩調で歩き出す。それについて行こうとしてとき、反対側からも支えられるような感覚を感じて目を向ける。東雲さんだ。あざみちゃんが彼を見て、嫌そうに眉間にしわを寄せた。
一足先に出口へ向かっていた太陽くんが振り返り、私達三人を見て笑った。
「なんかそうしてると、捕まった宇宙人みたいだなー!」
「あ、はは…………」
能天気な様子の太陽くんに苦笑しつつも、そんな会話に少しだけほうっと荒れていた心が落ち着いていくのを感じた。連続爆破事件という仕事から日常に戻って来た安堵感が胸に広がる。
終わったんだ、ようやく。
そんな思いを噛み締めながら、私達は屋上に死体を残して、扉を閉めた。




