第17話 クリスマスツリーの飾り付け
夜八時のマンションの廊下は、照明によって青く照らされていた。どこからか車の走る音が聞こえては遠ざかり、子供の泣き声が響いている。
今私がいるのは第五区にある1Kマンション『フォーヴ』、その三階、つまりは東雲さんの部屋の前だった。
あの後、あざみちゃんと友達になって、その後。私は意を決してここに来た。理由は勿論、謝るために。
本当は明日の昼に謝罪しに行こうかと思っていたが、どうせなら早い方がいい。東雲さんだって多分時間が経つほどに許してくれなくなるだろう。
だからこんな微妙な時間帯だったが、東雲さんに許してもらうためにマンションへやってきたのだ。それなのに……。
「どうしよ……」
冷たい風に身を竦めた。鼻を啜り、白む息を吐きながらも、私はこの場からかれこれ十分は動けないでいる。チャイムが押せないのだ。どうも変に緊張してしまい、押すことが躊躇われた。『三〇七』と書かれた数字を何度も確認してはチャイムに指を伸ばすものの、せいぜい触れるだけで力が入らない。
分かっている。私は東雲さんに謝るのが、そして許されないかもしれないことが怖いんだ。あざみちゃんのこと、なんて言えばいい? どうすれば東雲さんに彼女を殺させないことを納得してもらえる? そもそも何から言えば…………。
「あっ」
はぁ、と溜息を付いたとき僅かにもたれてしまったのだろうか、チャイムが指で押された。廊下にいても聞こえるピンポーンという音。玄関の傍に誰かがやってくる音。心臓がキュゥッと怯えに縮まる。
そして扉が開き、チェーン越しに東雲さんが顔を出した。
「……………………」
「……………………」
お風呂から上がったばかりなのだろう、首にタオルを巻き、しっとりと湿った黒髪からぽたぽたと水滴を垂らしながら、東雲さんが少しきょとんとした顔で私を見下ろしていた。
しばし気まずい沈黙が流れる。何かを言わなければならないと分かっているのに、言葉が出てこない。パクパクと口を開閉しながら、視線をあちこちに泳がせる。
機械が動く稼働音が聞こえ、廊下の向こうのエレベーターから男性が降りてくる。男性は玄関先で向かい合っている私達を不審そうにジロジロと眺め、そのまま奥の方の部屋に入っていく。それを見届けていると、チェーンを外した東雲さんが溜息を付いて私の腕を掴んだ。
「とにかく入れ。怪しまれるだろ……俺が」
「あ、は、はいっ」
半ば引っ張られるように部屋の中に転がり込んだ。
ドキドキと緊張でうるさい心臓。どんな説明をしようかと悩みに悩んでいた考えは、腕を掴む東雲さんの大きな手を感じるうちに、綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
冷たい静寂の広がる部屋の中、ソファーの上で体を縮こまらせながら、私はじっと東雲さんの顔色を窺っていた。
濡れた黒髪を首に張り付かせて、彼は流し目で窓を見ていた。だが景色を見ているというわけではないだろう。彼は待っている、私が喋ることを。
「…………し、東雲、さん」
喉から絞り出した声は、酷く情けなく震え、とても弱々しかった。聞こえていたか不安になり、再度彼の名を呼んで唾を飲む。
膝の上に置いた両拳を強く震わせた。首筋にじっとりと汗が滲んでいることに気付き、そんなに緊張しているのかと心の中で苦笑した。
「あのっ、で、すね……あざみちゃ……あ、クモちゃんのこと、なんですけど。あの子、そんなに悪い子ではないと、思うんです、よ……」
「……………………」
「聞いたんですけどね、あの子が私達を攻撃してきたのは、犬を殺してるのを見られてその口封じだったんですって。でも私達が殺し屋だって知って、でも一度戦闘状態になったら止められないからって……。で、でも、これからはあの子もオオカミさん……東雲さんには関わらないって、そう言ってたから。だから」
「……………………」
「東雲さんも、あざみちゃんに関わらなければ大丈夫なんです! こっちが何もしなければ、あっちも何もしないから、だから、殺さないでくださいっ。でないと、あの子、私……」
「……………………」
「…………本当にすみませんでした」
座ったまま深々と頭を下げた。これ以上喋ると泣いてしまいそうだった。始終返事がないことが辛い。
東雲さんの顔が見たい、でも見たくない。どうしよう、どうしよう、何で返事してくれないの? 怒ってるの? やっぱり許してくれないの?
「和子」
涙で視界を滲ませる私に、東雲さんの静かな声が降ってくる。顔を上げると、彼の三白眼と目が合った。
「謝るときは、まず最初に謝罪の言葉を述べるべきだ」
「……ご、ごめんなさい」
気落ちした声で再度謝りながら、まるで先生に怒られているときのようだと想像していた。実際に東雲さんの声は私を怒っているというよりは叱る感じに近い。
だから彼が何を考えているのかよく分からない。
ただ、機械が呟くように淡々と謝罪の言葉を吐き続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。東雲さん、ごめん…………」
ひくりと喉が震え、言葉が胸につっかえた。これ以上喋ると涙腺が決壊してしまう。それは何だか、泣けば許してもらえると思われそうで嫌だった。
「泣くようなことは言ってないだろ」
「ごっ、ごめんなさ……」
「どうしてクモを殺さない? 自分よりも年下だからか?」
潤む目を必死に擦り、鼻を啜る。深呼吸を繰り返して息を整え、それもあるけど、と前置きしてから東雲さんの質問に答えるべく言葉を紡ぐ。
「あ、あの子は、私と同じだから」
「同じ?」
「ずっと一人で苦しんでたから、ただ自分の居場所を求めてただけだから。……自分を見てるようで、可哀想になったんです」
「……だから可哀想で殺せなかった、と?」
苦笑する東雲さんに頷きかけて、逡巡して首を横に振る。彼の眉間が怪訝そうに顰められる。
「救ってあげたかったんです」
反応は期待していなかった。どうせこんな考え、甘いだの情けないだのと思われるに決まっている。
ところが予想に反し、東雲さんは視線を伏せ、僅かにぎこちない困ったような顔を浮かべた。キョトンとする私の前で、深く息を吐く。
「昨日も言ったが、仕事仲間だなんて意識、裏の世界にはない。他の殺し屋とそう単純に仲良くなれるとでも思うなよ。ましてや、これまでの日常で友人の一人もできなかったお前がだ」
無神経な言葉に一瞬怒りが湧く。けれど彼の非難は当然のことだった。肩の筋肉を張り詰めさせながら、じっとその言葉を受け止める。
殺し屋。そうだ、私達は殺し屋なんだ。自分のすぐ身近にいる人々と同じ形の人間を殺して生きてきた人達。人を殺す術を知っているし、だからこそ自分がいかにどんなに呆気なく死ぬ可能性があるかも知っている。そんな人に心を開いてほしいと願うのは残酷なのかもしれない。
東雲さんが目を細めて呟く。とても小さな声の独り言だったが、それは私の耳に滑り込んできた。
「だけど、そんなことを言ったら俺とお前の関係がどうにもならないな」
その言葉がよく分からず戸惑って、返事はしなかった。
東雲さんが煙草を吐くときのように長く息を吐いて、ふっと私を見た。
「……次はないぞ」
「っ、はいっ!」
笑顔と声を弾かせると、彼はくくっと声を上げて笑った。その解れた表情が、私を拒絶していないものだと理解する。
良かった、良かった! もうお前の顔なんか見たくない、なんて言われるとばかり考えていた。突き放されるのが怖くてずっと悩んでいたから……。
安堵の笑みが顔に広がっていくのを感じながら、ふと私は気が付いた。
いつの間にか私は、東雲さんに拒絶されることを酷く恐れているのだということに。
あと一ヶ月で今年が終わる。そんな、ちょっと感慨深い十二月一日、この日は凍死者が出るのではと思うほどに冷え込んでいた。雪こそまだ降らないものの、空は分厚い雲によって覆われ、いつ降ってもおかしくはない。学校を出ていく子達も、ひゅうっと時折吹き付ける風にぶるぶると体を震わせていた。
この間買ったばかりの真っ赤なダッフルコートに顎を埋める。赤は視覚温度を高める効果があるなどと聞いた覚えがあるが、そこまででもなかった。でもないよりはやっぱり暖かい。
今日は早く帰ろう。暖かい部屋で温かいホットミルクかココアを飲んでゴロゴロしよう。ああでも、明日から金曜まで定期テストだから勉強しなきゃ。
考えながら足を速めようとしたとき、和子ちゃん、と名前を呼ばれた気がして振り返った。誰もいない。けれどもう一度声が聞こえた。
「和子ちゃん、和子ちゃん。ここだよ、ここ、ここ」
「昴先輩? ……な、何してるんですかそんな所で!」
声を探してキョロキョロと視線を動かす。そして何気なく視線を上げたとき、そこに映る光景を見てギョッとした。
高校の玄関先にある針葉樹。その枝に跨り、私を見下ろして手を振る昴先輩がいた。
針葉樹の周りには数人の生徒が集まっていた。寒さに身を震わせながらも、笑顔で楽しそうに何かを手に持っている。黄色いモール、LEDの付いた紐、大きな星……。
と、その生徒のうちの一人の男子が私に気付き、駆け寄ってくる。私が何かを言う前に、彼は笑顔で私に手を合わせた。
「ねえ君、ちょっと手伝ってくれない? 人手が足りなくて困ってるんだ!」
「えっ。な、何の手伝いを?」
「クリスマスツリーの飾り付け!」
思い出した。この男子生徒の顔をどこかで見た覚えがあると思っていたら、体育館の檀上で頻繁に見たことのある顔だった。道仏高校の生徒会長だ。よく見れば他の生徒達も生徒会の役員のようだ。
彼は両手いっぱいに盛ったモールを私に渡してくる。思わず受け取ると、モールが頬にチクチクと触れてくすぐったい。
「針葉樹をクリスマスツリーにしてくれって先生から言われたんだけど、生徒会だけじゃ大変で。明日からテストだけど……手が空いてたらでいいんだ、ちょっとだけ手伝ってくれ。お願いっ!」
「……分かりました、じゃあちょっとだけ」
「本当!? 助かる、ありがとう!」
嬉しいーっと素直に喜び、生徒会長は私の手を掴んでぶんぶんと力強く上下に振る。別の生徒が会長を呼ぶ。「困ったら呼んでくれ!」と言い残して会長は去って行った。
とりあえずこれをどうやって飾ればいいのだろうとちょっと悩む。近くの女子生徒に聞いてみようと顔を上げたとき、昴先輩が私を呼んだ。
「和子ちゃん。それはそこの枝結んでから、一周すればいいよ。……うん、それそれ」
「こうですか?」
「うーん、逆かな?」
「こんな?」
「オッケー!」
昴先輩の指示に従って私は木の周りをぐるぐると回る。高い所は昴先輩に手伝ってもらい、何とかモールを一本飾ることができた。同じようにもう一本のモールを取って来て、飾り付ける。慣れると楽しくなってきた。飾りを両手に持ってぐるぐると回る。
あと二十日ちょっとでクリスマス。ちょっと早いからまだだけど、もう少しすれば街もイルミネーションやクリスマスソングで賑やかになるだろう。あのいつもとは違うちょっと特別な雰囲気が好き。お父さんとお母さんがそういうイベントに興味がないせいか、サンタクロースからプレゼントを貰ったことは人生で一度もないし、ケーキやチキンが食卓に並んだこともないけれど、そんなことは一切関係なくクリスマスが好きだった。
中学生の頃からクリスマスには自分用のプレゼントを買うことにしている。生活費をちょっと節約して、残ったお金分で欲しかった物を買う。できれば朝起きたときに枕元にでもあれば最高なのだけど、自分自身でそれをするのは切ない。毎年リビングのテーブルに飾ったミニクリスマスツリーの元に置いて寝る。
今年は何を買おう? 気になっていた洋服もあるし、クッションも欲しい、行列のできるお店のクッキーもいいかも、クリスマスだしいっそ思い切って仕事の収入に手を付けてみてもいいかもしれない……。なんて考えていると、近くで飾りを弄っていた生徒会の女子二人が目立つ笑い声を上げた。気を取られてそっちを見ると、浮かれた声で喋るその内容が聞こえてくる。
「クリスマス今年どうする? こっちクラスでパーティーするんだよね」
「え、いいなぁ。あたし彼氏となんだけど……最近束縛強くて鬱陶しいんだよね」
「そうなの? ドンマイ。まあやっぱ彼氏は優しい人がいいよね、気遣いしてくれるっていうか、一緒にいて楽しいし」
「あー……例えば」一人の女子が顔を上げ、枝を飾り付ける昴先輩を見た。「昴くんとか?」
「分かるー! うんうん、いいよね、昴くんめっちゃ優しい!」
「っていうか紳士的? 二年なのに三年より大人っぽいし、困ってたらすぐ助けてくれるし。これだって生徒会の仕事なのに自分から手伝ってくれたし」
「あの子が好きって女子結構いるよね。特に大人しい子とかかなり惚れてるみたい」
「ふーん。……そういえばあの今手伝ってる女の子って誰? 昴くんと知り合いみたいだったけど、彼女さん?」
「えー!」
後半は声を潜めて喋っていたようだったが、その内容は筒抜けだ。聞こえなかったフリをして黙々と作業を続けながら物思いに耽る。
昴先輩と出会ってから約一ヶ月。その間に気付いたことは、彼が密かに学園の人気者だということ。
彼はとても優しい性格をしているのか、困っている人を放っておけない。それが誰であっても。例えば職員室に運ぶ大量のプリントを半分持ってくれたり、例えば喧嘩していた子達を怪我してまで仲裁したり、例えば先生や親や友達にも言えない深刻な悩みを親身に聞いて慰めてくれる、例えばクラスでいじめられている子に積極的に話しかけてクラスの子達の偏見をなくす。などなど他にもたくさんあるらしいと噂で聞いた。
誰かを悪く言うこともなければ、自分の功績を自慢することもなく、常にニコニコと笑顔を絶やさない。それは簡単なようで凄く難しいことだ。
だから彼を慕う人はたくさんいるらしい。勿論、好意を抱いている女子も。自分に優しくしてくれる人を嫌う人はいない。ひっそりと秘めた思いを胸に抱える人は二年生だけでなく一年や三年にも多いみたい。
…………やっぱりあのとき不気味だと思ったのは気のせいだったのかも。
とても優しい人だもん。この人が同じクラスだったら私も、私もきっと――。
「点灯ー!」
生徒会長の声、直後に針葉樹に明かりが灯り、わっと弾けた歓声が広がる。
カラフルな電飾と可愛らしいサンタや天使の人形がキラキラと輝く。頂点の大きな星が薄暗くなってきた空の下でぼんやりと光っている。街のクリスマスツリーに比べれば大分地味でパッとはしないけれど、数時間の労力のおかげかとても美しいものに見えた。
綺麗だねー、といつの間にか横に立っていた昴先輩がその目にツリーの明かりをキラキラと反射させていた。綺麗ですねぇ、と答える私の声は少し弾んでいた。
「和子ちゃん、このまま家に帰るのもなんだし、ちょっと一緒にご飯でも食べていかない? もう六時だしお腹空いちゃった」
「ご飯?」
「軽くハンバーガーとか。それとも門限とかある?」
「いえ、何時に帰っても大丈夫なんで。……じゃあ行きましょうかっ」
学校を出た私達は駅へ向かう。駅前にあるファストフード店は学校帰りの学生で賑わっている。中学生なんかもいたけれど、道仏高校の制服を着た生徒が特に多い。トレイを持って店の中央の席に昴先輩が座り、私はその向かい側に座る。
「『赤ずきん』みたいだ」
席に座ってしばらくして。ホットコーヒーを飲みながら昴先輩が呟いた。口いっぱいに頬張っていたフィッシュバーガーを飲み込んで私が疑問を顔に浮かべると、彼は微笑んで私の着ている赤いダッフルコートを示す。
なるほど、確かにフードを被れば赤ずきんのように見えなくもない。ただしバスケット代わりにスクールバッグ、そしてお目当てのおばあちゃんは、どちらも生まれる前と幼い頃に亡くなってしまってもういないけれど。
童話の中だと好きな方なんだよね、と言って、彼は歌うような口調で、『赤ずきん』の一節を語り出す。
おばあさんの耳はどうしてこんなに大きいの?
それはお前の声がよく聞こえるように。
おばあさんの目はどうしてこんなに大きいの?
それはお前がよく見えるように。
おばあさんの手はどうしてこんなに大きいの?
それはお前をしっかりつかめるように。
おばあさんの口はどうしてこんなに大きいの?
それはお前を食べるため!
「でも赤ずきんちゃんは最後には猟師さんに助けてもらえるんですよね」
「原作ではそうでもないらしいよ?」
パッチリと目を見開く私を彼が笑う。フライドポテトを一本取り出し、空でくるくると回しながら、
「本とかによって色んな話になってるみたいでね。赤ずきんは食べられたままで話が終わってしまったり、狼から逃げ出したり。ちょっと残酷なので言えばおばあさんの血肉を食べてしまったなんてのもあるみたいだよ。それから、赤ずきんという話自体が性的な隠喩を含んでいたりって説もあるらしいし」
「んー……なんかよく分かんないけど、意外と大人向けの話なんですか」
「グリム童話なんかはほとんど、内容を子供にも楽しんでもらえるように改変した物が多いらしいよ」
コーラをちゅるちゅると飲んでぼんやりと彼の話を聞く。ストローを通る小さな氷を歯で噛み砕く。
おばあちゃん思いの優しい赤ずきんちゃんは、狼に騙されて食べられてしまいました。
大きな力強い手からは逃げられない。固い爪が肌を裂く。鋭い牙が肉に食い込む。
狼は赤ずきんのことを、ただの美味しそうな獲物としか思っていなかったのだろう。
じゃあ、赤ずきんは? 花畑への道を教えてくれた優しい狼のことを、自分を食べようとした狼のことを、彼女は一体どんな気持ちで見たのだろう?
優しい優しい、自分を食べようとする、『オオカミ』を――――。
「優しい狼にこそ一番気を付けなきゃいけないよ、赤ずきんちゃん」
「っ、え」
考えていることを見透かされたかのような言葉に昴先輩を見ると、彼はニコニコと笑んだままで椅子に置いた鞄をまさぐっていた。
そういうのが一番厄介なんだからね、と続けて。
「お花を持っていきたいのなら、お花摘みなんかしていないで最初っから買って持っていけばいいんだ」
身も蓋もないことを言い出しながら鞄から取り出したのは小さな鉢植え。そこに咲く、ちょんと可憐な白い花。お辞儀をするようにしんなりと茎の先端が曲がっている。
「これは?」
「スノードロップ。僕から和子ちゃんへの贈り物」
「私に? あ、ありがとうございます」
何故花を私なんかにプレゼントしてくれたのか不思議だが、嫌なわけではないので素直に受け取る。両手で鉢を持って鼻を近づける、さっぱりとした甘い香りに頬が緩み、「嬉しい」とはにかんだ。
「花言葉は『希望』。赤ずきんにとっての希望は猟師だと思うんだ。安心して。和子ちゃんがオオカミに食べられそうになる前に、猟師の僕が助けてあげるから」
「……えへへ」
なんだかポエムっぽい台詞でよく分からないけれど、力強い台詞が気恥ずかしくも嬉しかった。昴先輩が男らしく、頼もしく見える。
柔らかい花弁を弄りながら微笑んでいると、ふと昴先輩がフライドポテトを一本摘み、私の口元に寄せてきた。
「ほら、お口開けて」
「え?」
「あーん」
「うえっ!?」
突然の彼の行動に目を白黒させる。こ、これがいわゆる、あーん、というやつなのだろうか。ポテトの先端が口の先端でふるふると上下に揺れる。
昴先輩の表情を窺ってみれば別段恥ずかしがってもいないただの微笑みを浮かべていた。……てっきり、こういうのって恋人同士がする特別なものだと思っていたけれど、そんな感じでもないのかも。
「早く食べないと目立っちゃうよ?」
「っう、えあ」
慌てて周囲に注意すれば、他の席の生徒達の視線が、心なしか突き刺さっているような気がした。隣の席の二人組がひそひそと訝しげにこっちを見ている。
どこか酸っぱい気恥ずかしさと戸惑いを飲み込み、覚悟を決めて口を開ける。
「あっ、あーん!」
「よくできました」
ひょいと口に入ってきたポテトをろくに噛みもしないまま飲み込む。美味しい? と問われたところで味など分からなかった。
食べ終わって外に出たとき、頬がひんやりと濡れた。驚き上を見上げると、暗くなった空からはらはらと白い何かが舞い落ちてきた。
雪だ。
「初雪だ」
思わず声を弾ませて呟くと、昴先輩が白い吐息を吐きながら笑った。私もつられて笑い出す。
辺りから聞こえてくるクリスマスソングに乗せて、雪は静かに私達の周りで降り続けていた。




