1 ディエゴの決断
コミックス4巻発売記念番外編です。
全6話。
その日は、初夏の陽気がまぶしい、過ごしやすい日だった。
冬の期間が長い北部草原だが、このぐらいの時期になると雪も解け、草原の緑が活気に満ちた空気をもたらしてくる。
そんな中、もうすぐ十五歳になるディエゴは、相も変わらず、四つ年下の婚約者の許へとやってきていた。
そう、相も変わらずである。
彼は別に、彼女の婚約者ではない。
今も変わらず、『婚約者候補』のままである。
それにもかかわらず、ディエゴは出会ってから六年間にも及ぶこの習慣をいまだに続けているのだ。
「いらっしゃい、ディエゴ」
ふわふわの金糸が揺れ、白い肌に映える水色の瞳がきらめいている。
満面の笑みで迎えてくれた彼女に、いけないものを見ている気持ちになりながら、なんとかディエゴは、微笑み返した。
ディエゴは相も変わらず、こうして彼女のところに通っているわけだけれども、変わったこともある。
彼女の美しさだ。
先月十一歳になったばかりのエルヴィラは、出会った頃よりもずっと背が伸びて、それだけでなく、女性らしい柔らかい雰囲気を持つようになった。
元々美しい少女ではあったけれども、今この瞬間、テラスのカフェテーブルの席についている彼女は、青い空に添えられた宝石のようで、そんな彼女を見る権利があるのは、婚約者候補にすぎない自分ではないはずなのにと、ディエゴはほのかに罪悪感を抱く。
けれども、こうした悩みも、今日ですべてが終わるのだ。
ディエゴはようやく、決意したのだから。
「エルヴィラ、話があるんだ」
ディエゴの言葉に、エルヴィラは目を見開いた。
彼が気にっている美しい水色がよく見えて、ディエゴはふと、頬を緩める。
「僕はもうすぐ十五になるし、君も十一になった。僕はもう、妻を娶ってもいい年になるし、君は正式な婚約者を作ってもおかしくない年頃だ」
「ディエゴ……?」
「出会ってから六年。ずっと待たせてしまったこと、本当に申し訳ないと思っているんだ」
エルヴィラの目に、期待の光が見える。
顔が上気して、体にギュッと力が入っているように見えるのは、きっとディエゴがこれから何を言うのか、理解しているからなのだろう。
結論を口にしようとして、少なからずひるんでいたディエゴは、自分の情けなさに苦笑する。
そう、ディエゴは、彼女の期待に応えなければ。
「僕は君の婚約者候補を正式に降りるよ」
シン、とその場が静まり返った。
不思議なことに、エルヴィラは全然嬉しそうではないし、それどころかみるみる青ざめていき、体調が心配になるほどである。ついでに、壁際に控えている侍女たちも、青い顔をしながらあわあわと口元を抑えている。どうしたことだろう。
「君は十五歳になったら、王都の貴族学園に行って、婚約者を探すんだろう? その時に、長年、婚約者候補がいたという経歴があるのは、あまりよくないと思う。今ならまだ、子どもの間の戯れで済むと思うんだ」
「……」
「君は素敵な女性だから、そんなことを気にしなくても、婚約者になりたい男は山ほどいるだろうけど」
「……」
「僕達とルビエール辺境伯一族との交流は続いていくから、友人としての関係は続けていけたらと思っていて……」
「……」
「……あの、難しそうなら……」
「——ディエゴは」
真っ白な顔をしているエルヴィラが口を開いたので、ディエゴは背筋を伸ばして傾聴する。
なんだろう、エルヴィラの望みを果たすために話をしているというのに、地雷を踏んでしまったような焦りがある。
一体、ディエゴはなにをしてしまったのだ。
「ディエゴは、どうするの」
「ぼ、僕? 僕は、その……」
自分はどうするのか。
考えていることがないわけではないけれども、ここでそれを言うのはよくないような気がする。
しかし、ごまかしの言葉で許してくれそうな雰囲気はない。
ディエゴは観念して、おそるおそる口を開いた。
「……十五歳になったら、どこかの部族の女の子を、妻に迎えることになると思うけど……」
エルヴィラの目にみるみる涙が浮かんできて、瞬く間にそれが零れ落ちていく。
ぎょっと目をむいたディエゴは、事態を咀嚼する間もなく、彼女からの鉄槌を受けることとなった。
「ディエゴ、きらい! だいっきらい!!!!」
わーっと泣き出したエルヴィラは、その場から走り去ってしまった。
残されたのは、唖然としているディエゴと、気まずそうな顔をした侍女達である。
『きらい!』
『そう』
『ディエゴ、きらい! だいっきらい!!』
六年前に聞いた言葉が、ディエゴの脳裏によみがえる。
どうやら彼は、六年かけて、振出しに戻ってしまったらしい。
ただ、あの時から変わったこともあって。
「えっ……それは、つまり、その……?」
思わずディエゴは、口元を抑える。
その顔は真っ赤に染まっていて、婚約者候補から投げつけられた爆弾に、なにが起こったのかをようやく理解した彼は、どうやら六年前と違った意味で、平静ではいられないようだった。








