そして贖罪の旅路へ
『私』はアテもなく立ち上がった。
そして死体の間を掻い潜りながら、歩き続けた。
ふと足元を見ると、そこには『見覚えのある』身体が転がっていた。
『司祭』だった。
かつて『私』を5年間支えてくれた、司祭の亡骸である。
無論、もう息は無い。
「‥‥。」
『私』はそっと、その場にしゃがみこんだ。
別に何の郷愁とて無い。ただ、他に依るべき『モノ』が他になかっただけの話だ。
「そう言えば‥‥」
『私』は司祭のポケットに手を入れ、中身を探った。
「あった‥‥」
中から出てきたのは、祈祷に使う『細い鎖』だった。
それを黙って握りしめる。
そして、せめて死者を弔おうとかと考え、祈祷の『やり方』を思い出そうとしてみるが‥‥
「何て‥‥唱えるのだったろうか‥‥」
あまりにも多くの身体へ乗り移ったために、『司祭』だった時の記憶がほとんど残っていないのだ。
「はは‥‥何て役立たずなんだ‥‥」
言い知れぬ無力感が『私』に伸し掛かる。
哀しみや怒りを通り越して、笑いすら込み上げてくるほどだ。
雨は、いつの間にか小止みになりかけていた。
地面を叩く雨音も、いつしか聞こえないほどに小さくなっている。
夜の帳が終わりを告げるかのように、白々と辺りが明るくなりつつある。
その時だった。
「おぉーいっ!誰かっ!誰か居るかぁ!」
広場の入口から、人の声が聞こえる。
誰だ‥‥?
「おぉ!誰かそこに居るぞ!」
聞き覚えがある声だ。
‥‥そうだ、この声はアドルフ村長だ。それはハンナの記憶にも残っている。
そして、その後ろから二人の人間がやってくるのが見える。
彼らは‥‥? ダメだ、記憶が着いてこない。『見た事のある顔』の筈なのだが。
「はぁ‥‥はぁ‥‥」
死体を踏まないように注意しながら、村長が『私』の元へとやってくる。
「ハ‥‥ハンナちゃんだね?よかった‥‥生きててくれたのか‥‥」
安心したのか、村長が肩で息をしている。
「済まなかったね、怖い思いをさせてしまって‥‥謝って済む話ではないが、後悔している‥‥まさか、こんな酷い事になるとは」
『魔女の存在に懐疑的な村長や、司教とネロ達『余所者』が出てくると話が厄介になる』と、村人達は考えたという。そして、村長の家宅に二人を招いたあと、見張りをつけて監視をしていたのだ。
ところが、何時まで経っても村の広場からは誰もやって来ない。
不審に思った見張り役が広場に行ってみると‥‥
すでにそこは『死体の山』だった。
慌てて村長宅に戻った見張り役が、全てを話して皆んなを呼んだのだ。
「何という‥‥有様だ‥‥」
あまりの凄惨さに、司教が言葉を失う。
その傍らで、ネロが泣きながらガタガタと震えている。
「こ‥‥これは一体、何が起こったんで‥‥」
「‥‥魔宴だよ。サバトが起きたのだ‥‥」
司教が呟いた。
魔宴とは、魔女の集会を意味している。
悪魔に魅入られた者達による、狂気の宴だ。
不意に、司教が『私』の方を睨んだ。
それは恐ろしい眼だった。
う‥‥っ!
『私』は思わず顔を背けた。
記憶の片隅で何かが『危ない』と警告を発している。
‥‥はっきりとは思い出せないが『こいつ』は確か、教会関係の『誰か』だ‥‥
「‥‥。」
司教は何も言わない。
だがその冷徹な眼光は、とても此の惨劇を潜り抜けた『可哀想な唯一の生存者』に向けられるものでは無かった。
悟られたか‥‥
『私』は下を向く。
だが今となれば、それも良かろう。それで『私』が断罪されるなら、むしろ『その方』が気が楽になるというものだ。
何しろ『私』はもう疲れ果てているのだから。
『私』の小さな手で、銀の『鎖』をギュ‥‥と握りしめる。
「‥‥この娘は誰かね?」
司教が村長に尋ねる。
「は、はい。疑われたエイラの娘で、ハンナと言います。ですが‥‥」
『私』を庇うように、村長が肩を抱きしめてくれる。
「‥‥そうか。この娘に何処か身寄りはあるのか?‥‥そうか、無いか。‥‥分かった。では、この娘は私が預かるとしよう。‥‥修道院に入れて育てるよ」
『私』の頭に、司教が軽く手を添える。
‥‥なるほど、そういう事か。
教会としても『これ』が実在する魔女の仕業だと知れてしまうと、『では何故、神はその魔女に鉄槌を下すことなく人々を死に追いやったのか』という不満が燻り、曳いては教会全体の権威失墜にも繋がりかねない。
そのため、何としても『真実』は隠したい。
教会にとって『神』はあくまで、信徒に愛と救いを与える存在でなければならないのだから。
‥‥さりとて、これほどの惨禍を以ってしても『私』を仕留めるに至らないを観るに、『私』の始末は困難を極めると言えよう。
しかしながら『私』を自由にするのはあまりに危険だ。
そのため、『修道女として教会の監視下に置く』という判断なのだろう。
『私』は黙って、司教に手を引かれながら馬車へと乗り込んだ。
「‥‥やってくれ」
司教が御者を促し、馬車が走り出した。
『私』は8歳の子供らしく、窓から見える風景の流れていく様を眺めていた。
『この身体』はまだ若い。
だがそれでも、何時かは死が訪れるだろう。
‥‥ああ、その時『私』のすぐ傍に。
エイラやエリザベートが『そう』であった如く、
『叶わぬ願い』に苦しむ人が居るならならば。
『その身を捨てても得たい想い』があったなら。
『自らの未来を誰かに託そうとする祈り』があるとしたら。
そうだ‥‥『私』が『それ』を引き継ぐとしよう。『私』が代わりに『叶える』のだ。‥‥その身代わりとして。
無論、此の身に背負う罪の重さに比べれば、何の足しにもならないだろうが‥‥
だが、そうして。
そうして、この『私』を、この魂を。
『次』に紡いで生きていこう。
『叶わぬ望みを叶える』事を、己の『枷』として生きて行こう。
『それ』を記憶ではなく、『魂』に刻みこむのだ。決して忘れぬよう、深く、深く、刻み込むのだ。
そして何時の日か。
『私』の依代が死期を迎えた、その時に。『私』の周りが笑顔で溢れ、何処にも『悲しみ』がない世界が来たのなら。
おお、神よ。『私』は『全ての罪を赦された』と解してよろしいか?
『私』は全ての罰を受け終わったと、あなたは宣言してくださいますか?
神よ、『私』は『その日』が来る事を。
安心して旅立てる日が来る事を。
心から願っております。
馬車は村を離れる。
山村の景色が遠ざかって行く。
『この想い』を決して失わないようにするために。
『私』は、その光景を眼に焼きつけようとしていた。
ずっと、ずっと。何時までも‥‥
完




