宴は狂気に染まりつつ
『私』は思い出した。
以前、山向うの村で槍に刺されて大怪我をした際、『私』は宿主の心臓を極限まで遅く動かすことで生命を繋ぐ事が出来た。
ならば、その『逆』も出来るのでは?
心臓の動きを極限まで早くする。
そうして全身に巡らせる血液の量を倍増させるのだ。
それによって、筋肉の力を最大限に発揮させる事は出来まいか。
『火事場の馬鹿力』というが。
通常、人間の筋肉は全力の30%ほどしか使えていないという。何故なら『全力』は自身の骨をも砕いてしまう危険があるからだ。
だが。
事ここに至って、骨折の危険を考えている場合ではない。
‥‥持ち堪えてくれ‥‥『この身体』よっ!
「う゛う゛う゛‥‥!」
全身に強い血流が生じる。
身体が徐々に熱くなってくるのが分かる。
「おい‥‥?何だか熱くないか‥‥?」
『私』の身体を抑えている男が異変に気付いた。
その瞬間に。
「おぉぉぉぉぉ!」
叫び声とともに、一気に身体を起こす。
「うわぁっ!」
伸し掛かっていた男達が一斉に跳ね飛ばされる。
「ふぅ‥‥ふぅ‥‥」
腕や首に血管がボコボコと浮き上がる。最早その顔に、司祭だった頃の穏やかさは微塵も残っていなかった。
メキ‥‥メキ‥‥
骨が軋む音がする。
「邪魔を‥‥するなぁぁぁ!」
『私』は雄叫びを上げた。
その姿を見て、『普通の人間だ』と思う者はいるまい。まさに、今の『私』は『悪魔』‥‥いや、『魔女』と呼ぶに相応しき『禍々しさ』に満ちていた。
「うわぁぁぁ!出たぁぁ!『魔女』だぁぁ!」
悲鳴が聞こえる。
ああ、そうだ。『それ』で良いんだ。
『魔女』は『私』なのだから、『私』を狙ってくれれば良いのだよ。
本当に、『それ』で‥‥。
突然、背中に激痛が走った。腹に『異物感』がある。
「う‥‥っ!」
突然、吐血した。
それは槍だった。背後から槍で刺されたのだ。
そうだった。これは『槍の痛さ』だ‥‥そうだった‥‥思い出したよ‥‥
続いて正面からも、胸に『二撃目』『三撃目』が入る。
「ぐふ‥‥」
流石に。流石にもうダメだろうな‥‥
『私』は、その場に崩れ落ちた。
最後の手段だった『血流の最大化』も、もう使えない。
心臓の鼓動はもはや、その役割を終えようとしていた。
だがしかし。
これで良いのだ。本来、『私』はこうして葬り去られる運命だったのだ。それが、偶々『今日』だったのだ。
これで良い。これで‥‥これで安心して‥‥
失いつつある意識の中で、村人たちの声が聞こえる。
「やったぞ!操られていた司祭様を仕留めた!」
「よし‥‥だが、どうする?エイラはもう『死んでいる』が‥‥?」
十字架に縛られたままのエリザベートとハンナへ、村人たちの視線が集まる。
「二人を‥‥い、生かしておいたら『厄介』だぞ‥‥誰かに話でもされたら、俺たちは大変なことになる!」
「お、おう。そうだな‥‥ヘタに『母親の仇』とでも恨まれれば‥‥」
男達が持つ槍に、再びの力がこもる。
「よ、よしっ!皆の衆よ、良く聞けぃっ!『魔女』の娘は『魔女』に与する魔女の仲間だ!これも退治するのが正義というものじゃないか!」
彼らに必要だったのは『大義名分』なのだ。
或いは『口実』と言っても良かった。
勢いに任せてエイラを惨殺したは良いが、後になってそれが『殺人』として見なされるのは50年前の事件が証明している。
そうなった時に。
教会は自己保身のために『無言』を貫くことは間違いないだろう。
だとすれば、山向うの村がそうしたように自分たちも『村の秘密』として固く結束する必要がある。そのためには、二人の娘が生きているのは都合が悪かったのだ。
「おぉぉぉ!」
雨の闇に喝采が轟く。狂気の雄叫びだ。
それは坂を転がり始めた大岩が、その勢いを増すが如くである。
もう‥‥誰にも止められるものでは無かった。
何本もの鋭い槍の切っ先が、一斉にエリザベートへと向かう。
「いやぁぁぁ!止めてぇぇぇ!」
エリザベートが悲痛な叫びを上げる。
まずい‥‥このままではエリザベートとハンナまでもが‥‥っ!
だが、この身体は損傷が激しすぎて、もう動きそうにはない。
誰か‥‥!誰か居ないか?
誰かこの『私』に次の身体を与えてくれる誰かは‥‥!
僅かに残された力で、必死に顔を起こす。
その眼前に居たのは。
何という巡り合わせだろうか。
『私』と眼が合ったのは、アクセル保安官だった。彼は『私』が死んだ事を確かめに近寄ったのだ。多分『それ』は彼の保安官としての職業病と言えるのかも知れない‥‥不注意だったのだろう。
一瞬、ほんの一瞬で『事』は足りた。
次の瞬間には『私』は全く無傷の『身体』を手に入れたのだ。
「待ってろよっ!今‥‥『私』がっ!」
人混みを乱暴に掻き分け、十字架の前へと出る。
「退けっ!退くんだっ!」
十字架の前に群がる村人たちを押しのける。
その先にあった光景は。
「な‥‥何という事を‥‥」
遅かった。
エリザベートの身体には、何本もの槍が刺さった後だった。
「お‥‥お願い、ハンナは‥‥ハンナだけは‥‥た‥‥たすけ‥‥」
大粒の涙と大量の出血、そして生命がけの懇願を引き換えにして。
エリザベートは息を引き取った。
私は慌てて彼女に近寄り、その頬に手を添えるが。
そこにはもう『体温』は残っていなかった。
「まさか‥‥死ん‥‥だ‥‥のか? そんな‥‥馬鹿な‥‥」
『私』とさえ出会わなければ。
『私』がこの村に逃げ込んで来さえしなければ。
彼女は、こんな悲しい最期を迎える事は無かったのに。
エリザベートには『幸福な未来』が約束されていたのではなかったのか?
何時の日か大きくなって、人生の伴侶と出会い、可愛い子どもに恵まれ、神の祝福に抱かれて天寿を全うする人生が待っていたのではないのか?!
それが‥‥
『私』と関わったばかりに。
『私』が‥‥『私』が生きる意味とは何なのだ‥‥?
これほどの犠牲に値する価値が、『私』の生命にあるとでも言うのか!
口から鮮血を流して事切れたエリザベートを前に、『私』はワナワナと震えた。
「‥‥っ!!」
強く握りしめ過ぎた拳から、ポタリポタリと鮮血が滴り落ちて地面を赤く染める。
己の罪深さを知るがいい!この、『私』めが!
これほどの非道を前にして、尚も『お前』は何もせず無為に立ち尽くすしか出来ないのか‥‥っ!
突然に。
我が胸が張り裂けんばかりに満ちた『悔しさ』が、猛烈な怒りへと姿を変えて『私』に襲いかかった。
それは、例えようも無いほどの強い『怒り』だった。
許せん‥‥! 断じて‥‥許せん‥‥っ!
『私』には到底許せなかった。
卑怯にも自白を躊躇い、エイラとエリザベートを死に追いやった『私』の事を。
彼女達を憎悪のうちに惨殺した『村人達』が。
そして、それらに救いの手を差し伸べてくれなかった『神』に対しても。
それらが凝縮され、ドス黒い『憤怒』へと昇華したのだ。
「き‥‥『貴様達』‥‥エリザベートが、いったい何をしたと言うのだっ!‥‥この‥‥『悪魔』どもがぁぁぁ!」
『私』は天に向かって大声で『その怒り』の全てをぶちまけた。
それは、この狂気の宴に『最終楽章』の始まりを告げる咆哮であった。




