01-01 報いの孤独死 ― 賽は投げられた
新作です。ゆるーく進めていきますので、よければ、読んでやってください。
浴槽で死にかける。
年寄りにはよくある。全員とはいえないものの、割とおこる出来事だ。一年で1万9千人が風呂場でなくなる。実に交通事故死の3倍というから驚きだ。室温の差がおこす冬場のヒートショックで、5000人の浴槽が棺桶となる。
「なるほど。それがこれか」
湯の上に顔を出し息をつく。いままさに、自分が溺れかけている。具体的にはお湯につかって眠りこけ、身体が沈み溺れたのだ。調べたことでフラグが立ったのか。溺死の当事者になるとはまさか思いもしなかった。
目が覚めたのは、けたたましい警報のおかげ。火災報知器の騒音が自分を溺死から救い出した。まずはおめでとう。言いたいところだが、火事を見過ごすわけにはいかない。原因を考えるのも後回しだ。
急いであがって消火する。119番に電話。ふたつを同時にしないと自分は死に、我が屋敷も跡形もなくなってしまう。スプリンクラーが作動したようだ。半透明ドアのあっち側に、筋状の水が跳ね返るのが見える。少しだけ本当に少しだけ、時間的猶予がありそうだが、事態に身を任せていて勝機など掴めない。生涯のビジネスから学んだ。
ともかく溺死を逃れたら焼死など、冗談でも笑えない。
「いざ行かん。ぬ?」
自分を叱咤して浴槽を出ようとしたのだが。中央にいる自分の腕がとどかない。
8人浸かれる直系3メートルの真円浴槽。その大きさがあだとなったか。
まあいい。掴めないならそれなら立てばいいだけだ。
底を蹴って立ちあがろうした。足が滑って、どぼんとてっくりかえった。
ヒノキ香の湯が、がばっと、鼻と口から肺まで入り込む。息が吸えない。
ぶくぶく。
浴槽の底でふと思考。ヒノキ香がというのが、そもそもオカシイ。還暦の自分は、運動こそしてないが、普段から健康を意識してる。食事は胃に負担のかからない野菜中心に。サプリメントは薬は最小限に。睡眠は必ず6時間以上。
入浴剤もしかり。身体が若返るというふれこみの薬用タイプと決めてる。
この風呂に入るのはいま今夜は自分ひとり。家族は出ていったし、3名の、社宅代わりにしてる使用人兼の社員は海外に出張中だ。ヒノキの入浴剤など、それも、足が滑るほどのオイルタイプなど、入れるはずもない。
指が浴槽の淵をつかんだ、が、つるりと滑った。またしても湯の底に。じたばたと手足をばたつかせる。はた目には、太った年寄りがはしゃいでるように見えよう。だが、必死である。生存をかけたサバイバルが、広いとはいえ、浴槽の中で繰り広げられた。生をうけて60年。物心ついてからこれまで、これほど、命の危険を感じたことはない。
溺れる者はわらをもつかむ。手を伸ばして、なんでもいいから触るものを探す。指先がボタンに触れた。とたん。左右から下から、ジェットの水流が勢いよく噴出。ジャグジーである。
背中をマッサージし筋肉をほぐして。連れた心と身体をリフレッシュする。健康にはもっていだ。取付のときわざわざ頼んで、レバーで強弱を変えられるようにした。自慢のジェットは最高レベルだ。ぐるぐるぐるぐる。渦に巻き込まれた。目がまわる。立つどころではない。
あ、ががががが……。
くそーなんでこうなった。俺がなにかしたかぁぁーー!
偶然、仰向けになった。天井が見えた。スプレー書きの真っ赤な大きな文字がある。なんだ。落書きだ。あんなもの、なかったぞ。いつ誰が書いた。もがきながらそれを読み、驚愕した。
『報いだぜオヤジ――』
息子か。信じられない。3人の子がいた。みんな成人して独立してる。傘下の会社の社長か重役についており、将来に不安がない生活を送らせてやったというのに。なんの不満があるのだ。
落書きには、続きがあった。
『――あんたが母さんにやった仕打ちは忘れない』
妻とは加奈子のことだだろう。ほかにも女はいたが妻は一人だ。死んだのは3年前。なにかは忘れたが病気で死んだ。あれには不自由なく、暮らしを送らせてやった。あなたは家庭をなんだと思ってるの。そういう笑える冗談をいう女だっだ。
家庭だと。自分は、倒産寸前だった家業を高校を中退してひきうけた。大学には行きたくてもいけなかった。懸命に懸命に働いて、会社を立て直し、巨大グループにまで成長させた。
加奈子は当時お世話になった会社の娘だった。有名私立大学を卒業したとても頭のいい女で、話が合った。嫁として、学歴にコンプレックスをもった自分を補える人材だった。
家庭だと。うなるくらいの金があって。好きなときに世界に飛べる長距離ジェット機を所有し、世間で言う大きな屋敷が住む。どこが不満だというのだ。たまに、仕事の腹立ちに手をあげることがあったとしても、文句はあるまい。
あるまい……だろうに。
仕打ちか。
子供達の目には、あれが虐待と写ったか。そう見えたのならば、そうなのだろうな。自分は。そのつもりがなくても、妻を虐待していたのかもしれない。金でなんでも解決した半生だった。良き人生と思っていたが、結末がこれなら、悪い生き様をだったのかもしれない。
息ができない。
警報がうるさい。
すべる浴槽。燃える住宅。罠。息子がいつ仕掛けたのか、しらない。
まったく気づかなった。見事なものだ。自分の子に脱帽。誉めてやろう。
仕打ちの報いというのなら、それもいい。受け入れてやろう。自分が死ねば、嫌疑は子供たちにかかるだろうが、心配はしてない。これだけ派手な殺人を実行するのなら、事前のアリバイ工作も完璧なのだろうだろう。さすが我が子だ。
だた人生の終わりかたとしては、残念すぎる。時代が時代なら、子供が王位を簒奪したと歴史家は決めつける案件だし。実際は、母思いの子供によるしっぺ返しなのだが。こんな終末は哀しすぎるよな。俺にも子供たちにも。
もしもだ。来世というのがあるのだとしたら、次はもっと人に関わっていきたい。風呂場で孤独に、誰にも看取られない終わり方だけはしないように。
天井の赤い落書きが、霞んでいく。息子の文字だ。
むかし加奈子から渡された手紙。あの字に似ている……。
誤字脱字修正情報。非常に歓迎します。




