第五十二話 可憐のお宅訪問その一
「ようこそ。待ちわびていたよ。さぁ、中へ」
「本日はご招待ありがとうございます。こちらこそ、今日を楽しみにしておりました」
開放的な玄関ホール。上階へと突き抜ける天井。敷き詰められた大理石タイル。玄関ホール一帯がちょっとした広場のようになっている。
俺は約束の花澤邸に来ていた。
一方で二人の背後では、屋根も鍵盤の蓋も閉じてあるグランドピアノが居づらそうにしていた。
「そんなにかしこまらなくていい。肩の力を抜いてくれ」
優しい微笑みを向けられて、ピアノから視線を戻す。
「そうですわよ。緊張しすぎですわ。優様」
可憐もくしゃっとした笑みを浮かべる。なるほど。二人の笑顔は似ていると思った。
「そうだけど、可憐のお父さんとこうしてちゃんと会うのは初めてなわけだし。緊張するなって言われるほうが難しいよ」
困ったような顔で答えると可憐はそれもそうねと言いながら俺の肩を軽くたたいた。
実際、この規模の豪邸で直々に玄関で迎えられたら身も引き締まるというものだ。
いや、逆に奥の玉座で魔王の様に待ち構えられていてもそれはそれでものすごい気苦労なのだろうが。
何を隠そう。可憐のお父さんこと花澤昭一郎さんは日本有数の商社、花澤グループのトップに立つ男なのだ。
「はは、優君は素直だな」
「す、すみません」
「いや、その方が私も話しやすいよ」
「では、そうさせてもらいます」
「よろしい」
そう低い声で締めてから、ついてきなさいと言って俺に背中を向けた。
その様子を見ると、懸念していた自分の服装も変ではないと安心できた。
どうやら建物は洋風の見た目に違わず、玄関には絨毯があるだけで靴を脱がなくてよいらしい。
入学直後可憐と出会ってすぐお邪魔したときは確かそうだったが可憐の部屋で勉強を教えたときは靴は脱いだ記憶がある。
可憐に聞いてみると、居室の中には簡易な玄関のようなものがあってそこで靴を脱ぐ仕様だそうだ。それ以外のホールやダイニングでは靴を履いて過ごすのだという。
なるほどと自分の記憶に納得する。ホテルみたいな感じか。
しばらく廊下を歩いていく。案内された部屋はダイニングだった。
部屋の中心に長方形の長いダイニングテーブルがあって、その上には枝分かれした金属製の燭台、その頭上には煌びやかなシャンデリアが輝いている。
まさに俺が想像する「お屋敷」のイメージとぴったりの空間だった。
中には馬野さんがいて、俺たちが入るとお辞儀をしてくれた。
昭一郎さんに先に掛けてくれと言われた。
どこに座っていいか困っているのを察知してくれたのか可憐が気を利かせてくれて先に座ってくれた。俺はその正面に。
それを見て昭一郎さんも長方形の短辺の席に着いた。
よかった。間違ってはいないようだ、と俺はほっとした。
「まもなく料理が運ばれてくるから」
俺がはいと答えると、馬野さんが三人分のグラスに水を注いでくれた。
「最近はどうかね。可憐の成績の方は」
「お父様! いきなりそんな話は無粋というものです」
可憐が昭一郎さんを咎めるように少し声を大きくする。
「あはは。まぁいいじゃないか。可憐も優君のおかげで落第せずに学校に通えているわけなんだし」
「ったく。お父様ったら……」
俺はもう愛想笑いしかできない。
「いえ、可憐さんはもう僕の手助け無しでも大丈夫なはずですよ。前回の試験でも一科目も赤点は無かったわけですし」
「優君はこう言ってくれているがね、可憐。赤点を抜け出せたからと言って安心してはだめだよ。学年が上がるとさらに内容が難しくなるんだから」
「わ、分かっています。ですから必死に頑張っているんです。要らぬ水を差さないでいただけます?」
「そんなに怒らないでもいいだろう。可憐のことを心配して言っているんだから」
「まぁまぁ。もしもの時は僕がフォローしますから……」
「ぜひ、頼むよ」
そう言って昭一郎さんは俺に頭を下げた。
ちょ、そんな、やめてくださいよ、と言いかけたタイミングで可憐の怒った顔がこちらにも向いた。
「優様も!! 私の味方なのかお父様の味方なのかどっちかはっきりしてください!!」
「「あはははは」」
俺と昭一郎さんの笑い声が重なった瞬間だった。
やがて一品目の料理が運ばれてきた。
食事のマナーは図書館に行って一通りは頭に入れたつもりである。
「どうぞ食べてくれたまえ」
はいと返事をしてからいただきますと一言。カトラリーのバスケットから必要なものを選ぶ。
「優君の方はどうなんだい?」
「ええ、前回の試験では一応全科目百点でした」
ここは自信を持って言うことにする。俺のアイデンティティと言えばそれくらいしかないからな。
「おお。やっぱり学園首席は伊達じゃないということか。素晴らしい」
「いえ。可憐さんの笑顔のおかげで勉強を頑張れているので。当然です」
「まぁ、優様ったら……」
成績の話ばかりすると可憐のご機嫌が斜めになるのだ。
可憐の顔がぽーっと上気する。
「流石だね。学業だけではなく、可憐の機嫌を取るのもおてのものというわけだ」
昭一郎さんには全てお見通しの様だ。
「ゆ、優様?!」
「実際、可憐と出会ったおかげで学園生活に馴染めたんだから、嘘ではないよ」
「……はぁ。相変わらずお口がうまいこと」
「俺がお世辞なんか言えないって可憐も知ってるだろう?」
「はいはい。そうですわね」
可憐が三人の中で一番早く前菜を食べ終えた。
「ときに優君。今の話なんだがね、もう学校の方には慣れたかい? いろいろ気苦労があっただろう」
「最初の方は戸惑うこともありましたが、今はもうすっかりです。もう入学して半年ですからね。最近は学園祭に向けての準備がすごく充実しています」
学校の方は本当に手放しで楽しい、というのが本音だ。
「学園祭か。もうそんな時期か。いやぁ参った。可憐は君のことはよく話すけど学校のことはあまり話してくれないからね」
昭一郎さんは全く知らなかったというような表情をした。
「どんなことをするんだい?」
「俺も可憐もそれぞれのクラスで演劇です。可憐は――」
言いかけたと同時に、テーブルの下で可憐に足をつつかれた。昭一郎さんから可憐に目線を移すと、それ以上は言わないでと言いたげな視線をこちらに向けていた。
「可憐は……僕とは違ってちゃんと出演者ですから。今からそれを見るのが楽しみなんです」
ここは一度可憐に従っておくことにした。食事の途中で雰囲気を乱すのは良くない。
決して引き下がったということではないが。
「そうなのか。それは興味深いね。私も予定が会えば行くことにしよう」
「ぜひ、そうしてください」
可憐の方を見ると、分かりやすく、可憐のお母さんのことについて俺に教えてくれたときと同じ表情になっていた。
相変わらず可憐は表情をごまかすのが下手だと思った。
「今から緊張してたら身が持たないぞ」
「そ、そうですわね」
可憐はその表情をすばやく笑顔に変化させた。
やがて二品目が運ばれてくる。パスタだ。前菜では判別がつかなかったがイタリアンのようだった。
人生はじめての本格的なコース料理も終盤に差し掛かっていた。馬野さんに「デザートとご一緒にお持ちする飲み物はどうなさいましょうか」を尋ねられて少し困惑した。
俺が勉強した限りではイタリアンのデザート、いわゆるドルチェと一緒に飲むのは基本的にエスプレッソだと決まっていたからだ。
可憐だけは紅茶を頼んでいた。そこまでかっちりする必要は無いということか。
「光栄だよ。と言っても私が建てたわけじゃないのだけど。実は私も君と同じで子供の頃は普通の家で育ったからね」
花澤邸についての感想を尋ねられて、自分の素直な感想を披露していると突然そのようなことを言われた。
「え?」
驚いて聞き返すと可憐が反応する。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? お父様は入婿だって」
「いや。初めて聞いた。確か、お見合いじゃなくて恋愛結婚だって話はしてたな」
そうか。昭一郎さんの妙に接しやすい雰囲気はそういうことだったのか。
「そんな話もしてたのか、可憐は」
笑いながら懐かしそうにする昭一郎さん。同時に少しさみしげにも見えた。
「実は君の家のことも可憐から少しは聞いているんだ。だから少しは君の力になれると思っている」
「お気持ちだけありがたく受け取っておきます、とは少し言いにくい雰囲気ですね」
少し茶化すニュアンスを含めて俺は言った。
そもそも今日のこの場が設けられたのは、結婚とか婚約とかそういうものが根底にあるのだ。可憐にそのようなことを仄めかされて今に至っている。
付き合い始めて半年。昭一郎さんとはちょうどこんな距離感が適切ではないだろうか。
ティラミスを一口口に入れる。思っていたよりも甘い。
「私には可憐しか娘がいないから意外と焦っているわけだよ。会社のこともあるしね。だが安心しなさい。可憐に急かされても気にしなくていいからな」
昭一郎さんは続ける。
「もちろん、可憐との交際が順調であるという前提の話ではあるが」
昭一郎さんは先ほどの俺のような冗談口調で返してきた。
そう。これくらいでいい。可憐にも以前言ったが、まだ結婚とか大きな選択に関して考えられていないのが本音だ。
「どうかしたかい?」
昭一郎さんからすれば大きなお世話かもしれないが、俺が今日しに来たのは可憐との婚約の話ではない。
「いいえ、なんでもないです」
カップに口をつける。エスプレッソの苦みが丁度良かった。
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学園祭編まだまだ続きます。




