第四十九話 水溜まり
「本日も練習お疲れ様でした」
「お疲れ様~」
配役も完全に決まり、役者組、衣装係、大道具係、小道具係、照明係、音響係などにクラスメイトが割り振られ各々の作業は順調に進んでいた。
ラプンツェルとフリンの他のもう一人のメインの登場人物、魔女ゴーテル役には鏡音さんが抜擢された。彼女も東山に引けを取らない美人で、配役としては順当といった印象だ。身長が高く三年生と言われても疑わないくらい大人びた容姿をしている。彼女にぴったりの役だ。
脚本は言い出しっぺの足立さん。では監督はどうするかとなると狩野が立候補した。クラス全体の統括は足立さんには荷が重いと思ったのだろう。下心バレバレだ。
そんな中で俺の立ち回りと言えば、役者組の進行役みたいなことをしている。個人がセリフを覚えたら、シーンごとにやってみようという指示を出したり、それを見た足立さんに意見を聞いて役者のみんなに伝えたりと、そんな役回りだ。
一応プリンスのもしもの時の代役ということで役者組まわりに携わりつつ、その合間を縫って神藤と同じセリフを覚えたりしている。
皆、真剣に学園祭というイベントに取り組んでいる。
この学園での生活が始まってからすでに半年以上が経過した。
入学したての頃こそ自分の場違い感を感じられずにはいられなかったが、クラス一丸となって行事に取り組むというのはやはり学校ならではという感じがする。今ではそのギャップもあまり気にならなくなった。
そう思えば自分に与えられた役割をしっかりとこなそうと思えた。
「このセリフは少し変えてもいいかしら」
「ええ。東山さんの思うようにやってみて」
「分かったわ。では明日はそれで試してみましょう」
教室前方からは東山と足立さんのそんな会話が聞こえた。
「ほい。お疲れ様」
俺は神藤と鏡音さんにミネラルウォーターのペットボトルを手渡した。飲みやすいように封を開けてから渡しなさいと東山に命令されていたので彼らにもそうする。
先ほどまで差し込んでいた夕日もすでに無くなっていた。
「どうだい。僕の芝居は」
「ありがとう。佐渡君」
稽古が終わると教室内には弛緩した空気が漂う。神藤も鏡音さんも受け取ったボトルに一口つけてから口を開いた。
「神藤はともかく、鏡音さんは相変わらずうまいっていうか。ずっと思ってたんだけど演劇とか経験があるのか?」
ここ数日、三人の芝居を見せてもらっていた立場からすると東山や神藤の芝居はまぁ素人なりに様になってるな程度であるが、鏡音さんは明らかに経験ありだと思っていた。
「ええ。一応演劇の経験はありますが。その程度です」
「そうだったのか。やっぱりなんか迫力があったからさ」
「あら、わたくしの芝居には迫力がないって言いたいのかしら?」
三人で話していると、作戦会議が終わったのか二人もこちらにやって来た。
東山らしい好戦的なセリフである一方、彼女の表情は満足げだった。
「誰もそんなこと言ってねーって」
「東山様も熱心なご様子ですから、私も気を引き締めないといけませんわね」
「そうですよ。本番ではきっとすごいことになってます」
鏡音さんと足立さんは二人して微笑んだ。
「僕の芝居は……?」
「あなたのはどこまでいっても六十点止まりね。もう少し頑張りなさい」
「……はい……」
虫の音のような神藤の返事は皆の爆笑を誘った。
「お疲れちゃん」
笑い声と同時に俺の肩に手が回される。狩野だ。
「おう。お疲れ。そっちの方はどうだ?」
「うーん。まぁちょい遅れ気味だけど、大丈夫! 任せとけって」
俺や足立さんが役者組まわりにつきっきりである一方で、狩野は衣装係や道具係の進行管理を一手に引き受けてくれている。
「となると、なんとか形になりそうだな」
「言ってくれるじゃん。期待しておくよ」
そう言いながらポンと俺の背中を叩いて足立さんの方へと移動していった。いい加減、俺を経由せずに直接足立さんの方に行けばいいのにと毎回思う。
それはそうと、俺が形になりそうと言ったのは演者の芝居もさることながら、脚本の完成度もその一端を担っているからだ。
アニメ映画のほうではセリフにメロディをつけたミュージカル調な部分があるが、足立さんがうまく難易度を下げてセリフだけの演劇という形にうまく落とし込んでいた。加えて登場人物の数を絞ることによって重要なシーンを多く見せるという構成。それでいて情報量が減らずにコンパクトにまとまっているので足立さんスゲーとなったのは俺だけではないはず。
しかしもちろんメインの三人以外にも登場人物はいるわけでその練習も必要である。その役を務める人は出番が少ないということで他の係と兼任している。そろそろ狩野とその打ち合わせもしなければならない。出番が少ないと言っても多少の稽古は必要だ。
そんなことを考えている間に心地よい充足感が俺の身体を包み込んでいた。
「なにぼーっとしているのよ」
「っ……東山か」
振り向くとやけに嬉しそうな東山がいた。
「東山かって。わたくしに話しかけられるのはそんなに不満なのかしら」
東山は俺と話すときいつも少し怒っているような感じなのだが、その時の東山の表情はどこか柔らかさがあって、明らかに顔の筋肉が緩んでいるように見えた。
芝居はセリフだけでなく表情も重要で表情変化のための顔の筋肉をかなり使っていたため、今はそれが解けている状態ということだろうか。
「いや、そういうわけじゃ」
「じゃあ、なぜこんな魂の抜けたはにわのような顔をしているのよ」
東山は台本で俺のほっぺたをつついてくる。
ふと、そんなことを言われて意識する。俺自身も彼女の表情に関して詳しく考察していたからだ。
「そういう東山こそ、七福神の恵比寿様みたいな笑顔になってるぞ」
そう言うと「えっ」と声にならない声を発して、同時に自分の顔を触りだす。珍しく慌てているようだった。
しかし魂の抜けたはにわとは酷い表現だ。そもそもはにわに魂が宿っているのかどうか怪しいところだが。
「そ、そんな顔にはなっていません」
「いーや、学園祭の準備が死ぬほど楽しいって顔に書いてある」
「なっ!!」
薄桃色くらいにとどまっていた頬がリンゴの様に赤くなる。
真剣に物事に取り組む東山は普通だ。しかしそれはいつも一人でやっていて、険しい表情がデフォルトで。でも今回はそうではなくて、真剣に取り組み、協力しそして楽しんでいる。
その時俺が彼女に抱いた印象はそういう彼女の変化に対するものだった。
学園祭期間中に同じようなことを思っていたのだが、今一度強く感じたのだ。
「安心しろ。俺もお前と同じだから。今めちゃくちゃ楽しいぜ」
言い終わってからはっとする。
――やべっ。
心の中で言ったつもりが、なぜか口をついて出ていたのだ。
演劇の中で言っても少しヤバめのセリフを口にしたことを身体全身で把握し、頭部から波が伝播するように羞恥が全身に駆け巡る。今どき青春学園ドラマでもこんなことは言わない。
なぜこんな気持ち悪いことを言ってしまったのだろうと後悔しながら東山の方を見ると、
「そ、それは、まぁ……。ええ……。わたくしも……否定は……ませんが」
どういうわけか東山は俯きながら自分の髪を触っているのだ。
急に顔面が熱した鉄板に押し付けられたように熱くなって、
「明日も忙しいしな。今日はゆっくり休めよ。じゃあ」
俺は耐えられずに慌てて教室を飛び出た。
「えっ? ちょ、ちょっと!」
いい加減、かっこつけるのやめたいぜ。
しかしながら翌日の東山は全く違った。
稽古が終わって、他の役者と同じように俺が東山にペットボトルを渡そうとした時だった。
同時に東山が俺に台本を渡そうとしてそれが接触してしまい、ペットボトルの方がはじき出されてあらぬ方向へと飛んで――。
大きな水溜まりができてしまった。
「あっ……」
「悪い。濡れなかったか?」
ハンカチを差し出す。俺のほうはズボンに少しかかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
「いや、俺こそ、気を付けるべきだった」
突然の出来事にショックだったのか東山は俺のハンカチに目もくれずその場に固まってしまった。
東山の顔を確認すると、何かを思い出したかのようなそんな顔をしていた。俺はそれがひどくいじらしく感じた。まるで注射に絶対泣くまいと耐え忍ぶ子供の様だった。
「ごめんなさい。少し急用を思い出しました」
瞬間、東山はなぜか手に持っていた台本を俺に押し付けて教室を飛び出ていってしまった。
「お、おい!」
「七瀬ちゃん!!」
俺や神藤が呼びかけても彼女の早足は止まらなかった。
「突然どうしたんでしょう? 東山様」
「さぁ、どうなんでしょう」
不思議そうな顔をする鏡音さんに足立さんが答えていた。
そんなタイミングで狩野が教室に入ってくる。
「佐渡、お、おま、まさか」
「は?」
狩野の視線は俺の下半身、ひいては湿った股間からその真下に広がる水溜まりへと注がれていた。
「ちが、こ、これは」
狩野は良いネタを偶然目撃した週刊誌の記者のような顔に変化させて、両手を口に当てたかと思えば大声で、
「一年一組佐渡優君が教室内で、しっきn」
そんなセリフを言おうとしたのをギリギリのところで狩野の股間に俺の渾身の金的が炸裂したのであった。
一方で、俺の耳には走っていく東山の足音がずうっと耳に反響していた。
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