第三十九話 鳴りはためいた一声
突如響いて、その場の空気を一瞬にして塗り替えた美声。
閉じていた目を開けて、その声のする方に目を向ける。
俺たちの周りに集まっていた人だかりは、彼女の周りにだけ道を作るかのように、その場を譲った。
俺も可憐もさやかもその場にいる全員が唖然として、空間は静寂に包まれた。
数秒間、彼女は空間に足音だけを鳴り響かせて、一歩ずつこちらへと歩いてくる。
腰のあたりまである長い金髪をゆらゆら揺らして、ゆっくりと。彼女の歩いた軌跡にはきらきらとした粒子が漂っていた。
まるで彼女以外の時間が止まったかのように。
彼女は俺たちの前まで来るとぴたと足を止めた。
そして東山七瀬はいつものような不機嫌顔のまま腕を組んだ。
「校門の前で騒ぎを起こすなんて。あなた、もう一度退学になりたいのですか?」
その一言で俺と可憐はお互いに一歩引き、適度に距離を開けた。第三者が介入した事実に、お互いの距離感の場違いさを自覚したのだ。
「そこの他校の生徒も、原因なのですか?」
まるで騒ぎを聞きつけて止めに来た教師か生徒会役員のような口調だった。さやかの方を指さす。
「……はぁ。タイミングが最高に悪いね」
さやかはため息をつきながら自嘲気味に呟いた。
さやかの言葉を受けてから、東山は人だかりの方へと振り返って声を大きくする。
「関係者以外は速やかにこの場から立ち去りなさい。今すぐに」
力強く伸びやかな声が先ほどと同じように響いた結果、彼女の命令に逆らうものは誰一人としていなかった。
非日常な空間はすぐさま日常を取り戻して、いつも通りの下校風景に元通りとなった。東山の迫力はそれほどだった。
「さてと……。いったいこれはどういう状況なのです? 説明してください」
人だかりが散っていったことを確かめてから、東山は俺たちの方へと向き直ってふぅと息を吐いた。
しかし三人全員が東山から目を逸らして俯く。
「誰も話してはくれないのですか」
まあ当然かというような顔をして東山は呟く。
「……私帰る」
さやかは東山の登場で思い通りにいかなかったことに苛立ちを見せた。
地面に無造作に放り出されたスクールバッグを拾い上げる動作も、苛立ちからか乱雑な様子であった。
「さやか! あとで俺と話そう」
俺たちに背を向けて歩き出そうとしたさやかを呼び止めるべく、反射的に言葉を放り投げる。
期待通りさやかの足は一度止まってはくれたが、俺が望む返答ではなかった。
「いいよ。ご飯作って、お風呂沸かして待っててあげる」
おどけたピエロを装って笑顔でそんなことを言う。先ほどまでの苛立った様子など微塵も見せずに。舞台上の演者かのように。
「あ! もしかしてもしかして、それとも、私?」
「真面目な話だ」
「真面目も真面目。大真面目だよ。私」
俺が真剣な眼差しを向けると、さやかの声音の調子はひと段階落ちた。
「すっごく、真面目」
柔らかくそれでいてこわばった笑顔でその言葉を残して、さやかはその場から行ってしまった。
しかしそんな笑顔は見慣れたさやか本来の笑顔では全く無かった。
「あられも無いことを……」
さやかが去ったことか、はたまた東山の一言で安心したのか、可憐はいきなり全身の力が抜けたかのようにすとんとその場に腰を落としてしまった。
東山はそれに驚いて一瞬表情を崩すが、自分は反応していないと取り繕って見せた。
「立てるか、可憐」
「ええ……」
可憐の手を掴み、身体を支えて立ち上がらせる。
「……淑女なら冷静になさい」
「東山」
東山の冷徹な声を咎めるが、可憐は先ほどのような覚悟めいた目をしている。
「いえ、少し取り乱してしまいましたわ。もう大丈夫です」
可憐に促されて、俺は支えていた手を離した。
それから可憐はスカートの裾を払ったり、皺になったブラウスを伸ばしたり、身なりを整えた。
それが終わると可憐は東山に向かって一言。
「あの……。ありがとうございます」
「お礼も何も。わたくし、むしろあなたの邪魔をしたのじゃありませんの?」
東山は可憐に向かって反論するような姿勢を見せる。それは言葉を引き出させるためにわざと交戦的な態度を取っているようだった。ただ、その言い回しは実に東山らしい。
「いえ。あのような状況で無理にされても、それは私の望むものではありません。どうせなら二人きりでムードが高まったときに初めてを、と思いまして」
可憐は少しだけ余裕を取り戻して、微笑をたたえた。
「……のんきなこと」
東山の一言が可憐を立ち直らせたのに、本人は呆れた様子だった。
言ってから可憐の方へと歩いていき、
「リボンが曲がっていましてよ」
そう言いながら、可憐の胸元のリボンを正した。
その二人の関係にどこか嬉しさともいえる安心感を覚えてしまう。けれどもそんなものはこの状況においては場違いで、二人には言うべきことがあった。
「俺も、どうかしてた。可憐、すまない」
「ええ。今度はしっかりと準備してからにしてくださいね」
お互いにアイコンタクトを取ってから、そして東山の方へと向く。
「東山も、礼を言う」
「…………」
可憐は先ほど言ったはずなのに俺の会釈に合わせてもう一度小さく頭を下げた。
東山はそれに肩をすくめて、俺たちに背を向ける。
けれどもそれは単に居心地が悪かっただけなようで俺たちに言いたいことはまだあるようだった。すぐにこちらに振り返って、
「もう一度言います。何があったか、説明願います」
朗々とした声で先ほどと同じ質問。
状況をまだ整理しきれていないのと、言われた言葉に気圧されたのとで俺たちは無言になってしまう。
思い出して再現すれば、さやかの態度や可憐の見たことない表情、何もできなかった自分だとか全部がごちゃっと入り混じって混乱しそうになる。それらをどういうふうに話せばいいか不明瞭なのだ。
「聞きたいことがあるなら聞けと言ったのはあなたです」
呆れたように一度ため息をついてから、今度は言葉を俺の方へと向けた。
東山の発言にはっと息を呑む。俺が以前東山に言ったこと。
その口調は先ほどと同じか、それより少し叱咤の意が強まっていた気がした。
「……うまく話せないかもしれないけど――」
「それでも、聞きます」
覚悟めいた表情で東山は頷いた。
「…………なるほど」
東山と二人きりで話すときはいつもここのような気がしている。けれど今日は可憐も一緒だ。思えば入学式の日、二人との出会いもここだった。
校門前で長々と話をするわけにもいかないので、俺たちは旧校舎の裏口へと場所を移した。
俺たちが普段授業を受けている新校舎や新設されたその他施設に伴う西洋建築の外観とはまた違った落ち着いた雰囲気が漂っている。
最近は徒歩で通学しているが一学期は自転車通学をしていて、たった一台だけの自転車を停めていたのもこの場所だ。
ここは学園内で唯一落ち着く場所と言っても過言ではない。夏休みを挟んでいたからひどく久しぶりだという感覚があった。
東山は建物の壁に背中を預けて腕を組みながら瞑目している。俺と可憐の話を受けて、それを咀嚼している最中の様だった。
俺たちは自身で見て聞いた事実のみを東山に話した。
東山とさやかは可憐とさやかの関係ほど仲が良かったというわけではないが、それでもお互いにどのような人物か分かるくらいには時間を過ごしてきたはずだ。
だから俺たちが話したさやかの急変には東山も最初は驚く素振りを見せた。しかし今は誰よりも冷静沈着だった。
可憐も今は落ち着きを取り戻していて、さやかの様子がおかしかった事を冷静に受け止めている。
「……あなたたちの関係性を壊そうとしていると考えるのが妥当でしょう。問題はなぜそんなことをしようとしているのか、ですが」
「そんな! さやかさんは私たちの関係を応援してくれていました」
「そんなことくらい、私も分かっています」
再び動揺しそうになる可憐を東山の声が優しく制す。
「……例えば、俺に嫌がらせしたいとか……?」
「見当違いですわね。あなただけにするのなら、花澤さんに見せつけるように意地の悪いことをする必要がありません」
東山はきっぱりと言った。
そう言われてから、そんなことあるはずないとホッとする。なぜ俺がさやかを疑うようなことを考えてしまったのだろうか、それは先ほどの様子があまりにも印象的だったからか。
「大橋さんの様子が変わったのはいつからですか?」
「……いつからというか、突然です。数日間連絡が取れなくなって……」
東山の問いに可憐が答える。
「では、それはいつからですか?」
しばし思案したのち、可憐はピンと来たようだ。
「花火大会の夜です。さやかさんを家まで送ったのですが、それから」
可憐の言葉にあの夜のことがフラッシュバックする。
「全く……。本当に鈍感というか、無神経というか。こんな男のどこが良いのかしら……」
東山は呆れたような口調になって息を吐く。東山も何かを察したようだった。
それからもう一度口を開いた。
「花澤さんは、とうの昔に気付いていたんじゃありませんの?」
言われて、はっとした顔をする可憐。
「気付いていて放置して、取り返しのつかないくらい悪化してしまった」
ただ起きてしまった事実をただ述べるように、東山は呟いた。
「理解していながら、怖くて目を背けてしまっていた」
続く言葉は、可憐に向けて話しているのに目は俺を見ていた。
「……ええ。東山様のおっしゃる通りですわ」
噛み締めるように可憐は東山の発言を認める。その表情からは苦しさが伝わってきた。
「さやかさんの優様に対する恋心を、気付かなかったはずがありません」
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