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九華



男は庭師だった。

いや、詳しく言うなれば王宮専属の庭師の弟子だった。


もう弟子というような歳でもなかったが、男はいつでも師匠について作業をしていた。男の弟弟子達はとうに独り立ちして師匠の元を離れ貴族の立派なお屋敷の庭を任されていたが、男だけは長く残っていた。

その理由は男がひどく醜かったからに他ならない。

男の顔の半分の皮膚は赤く奇妙に捩れひきつれていた。


男の顔を貴婦人が見れば卒倒するだろうし、その貴婦人の傍に紳士然とした男性が居れば武勇伝のひとつとするべく打ち捨てられるだろうことは火を見るよりも明らかだった。

それほどに男は醜かった。


男の醜さはまだ幼い頃に男が被った薬湯のせいだ。

熱いというよりも痛かった事を男は今でも覚えている。

常日頃長く伸ばした前髪と深く被った笠で隠してはいたが、醜男の庭師を雇おうとする酔狂な者は居ないと解っていたし、師匠もそれを解っているのか男に独り立ちをしろとは一度も言うことなく、ただ自分の持てる技術を黙々と男に伝えていった。


男もいつか、その技術だけで男を雇ってくれる者が現れるかもしれない、と一縷の望みをかけて黙々と技術を受け継いだ。


幸いなことに庭師という仕事は人前に出ることはなく、たとえ作業をしていたとしても人の気配を感じれば直ぐ様立ち去り、日中は王宮の庭を訪れる貴族達の不興を買わぬように常に隠れるように作業をこなしていた。

時折一晩のうちに庭を全て植え直したり、大量の燈籠を置いたりと大がかりなことをすることもあったが…大概は夜や明け方の人のほとんど居ない時間を見計らって薄暗がりで作業をすることが主だった。


そんなときも男だけは常に顔を隠し、決して素顔を晒さぬように細心の注意を払っていた。


なぜなら貴族は時に酷く理不尽に庭師を捨てるからである。


貴族にとっては庭師の存在は時に庭園の花よりも劣るものだった。

男の兄弟子は貴族の逢い引きの邪魔をしたとその場で腕を切り落とされた。

弟弟子はとある貴族の前に芋虫を落とし不興を買い、連れていかれたきり帰っては来なかった。

貴族の不興をかえば替えの効く庭師の命などそこらの計算され尽くした角度の庭木の枝を払うよりもよほど容易く刈り取られていく。


経験から嫌というほど知っていたからこそ男は細心の注意をはらって自分の顔を隠していた。


その日も朝まだ明けやらぬ頃に男は朝食の卓に置くために摘まれた花が咲いていた場所を丁寧に整えていた。選定に夢中になりすぎたせいだろうか、それとも僅かにけぶる朝靄のせいだろうか、常ならばしないような失態をおかした。


作業中、突然強い風がふき、男の笠を拐い、男はそれを慌てて手で抑えた。

しかし風に遊ばれた前髪は男の隠された顔を顕にし、その拓かれた視界が写したのは驚いた顔の女性。


その顔が恐怖に歪み口が悲鳴をあげるより早く、男はその場から極力音を立てずに素早く逃げた。

男は悲鳴とその声に集まる衛兵達の立てる金音から逃げるように、植木や垣根の合間を縫って必死にその場から離れた。


遠く。

できるだけ遠く。


逃げなければ男の命は無いだろう。


貴族は恐ろしい。容易く男の命など消してしまえる。


男の顔も貴族にやられたものだ。

師匠の庭師が虫除けを作るため薬草を大鍋で煮ていた時に、その臭いが気に入らないと乗り込んできた貴族が蹴り飛ばした鍋の中に入っていた煮えたぎる薬湯が遊びに来ていたまだ幼い子供だった男に降り注いだのだ。


貴族は戯れに平民を踏みにじる。


男は静かにけれど素早く逃げて逃げて、そうして気づけば来たことがない場所に佇んでいた。


その場所は延びすぎた生け垣がまるで檻のように四方を囲む庭だった。

いや、生垣の隙間を隠すように鉄の柵が巡るそこは檻そのものののようだった。

男は持っていた鍵の束を取り出した。庭師だけに渡された剪定用の裏口の鍵だ。その束の中には男がまだ一度も入ったことのない鍵があった。

後宮と王宮の間にある庭園の鍵。


誘われるようにその鍵を回し中に入るとそこは…野花を集めた素朴な庭園だった。


小さな可憐な花だけが咲く小さな庭。


男は成る程と頷いた。

ここは庭師を必要としない庭だ。

自然をそのまま移してきたかのような素朴な庭は最低限のバランスを整えればあとは草達の力で作られていく庭なのだ。


男は手に持っていた剪定ばさみで延びすぎた枝をパチンパチンと落とした。

見映えの悪い枯れた葉を枝から外し、石畳や椅子に広がりすぎた蔦を払う。

師匠が時折見に来ていたのだろう自然に見えるように上手く絡む蔦の編みかたは師匠が時折するものだった。


「まあ、珍しい」


そう声をかけられて男はびくんと背中をびくつかせた。

「ここにも庭師が入っていたのね」

落ち着いたけれど若い女性の声に男は草の中で平伏した。

「調度よかったわ、ここの草と土について聞きたかったの」

その言葉に男はほっとする。

草や土について知りたいなどという女性は貴族ではないだろうから。女官かそれとも下女か。

男はそっと顔を上げてはっと息を飲んだ。そこには街の中央に立つ石像を少し幼くした女性が立っていたからだ。


聖女様だ。


救国の聖女。

今は国王の妃となった聖女様。

男が呆けているうちに聖女様はあちこちの草から葉を集め白いつややかな石の椅子に並べた。

「この葉はレルーカに似ているけれど厚みがすこしちがうでしょう?こちらはエルノに似てるけど葉の付け根にはエルノにはない小さな瘤があるわ」


男はその問いにしどろもどろになりながら答えた


地面に擦り付けた額にはジャリジャリと小石がすれる。

「こ、こここれは北の国のレルーカ。おおお同じものです」

緊張のせいかいつもより強く出る乞音に背中に嫌な汗が流れる。

きちんと話さなければと思えばおもうほど息が苦しくなる。

「こっこっち、こ、ちらはエルノではなくっあああアアッゼナの亜種でっ…」

このままでは打ち首かもしれない。説明すらまともに出来ない庭師など打ち捨てられる。死にたくない、死にたくないっ

ひゅっひゅっと短く息を吸う男の背中をそっと柔らかなものが触れた。

「ごめんなさいね、お返事は息が落ち着いてからで構わないわ」

柔らかな声は労りに満ちていて、死を覚悟していた男は聖女様の優しさに男は目眩がするほどに感動した。

そっと顔を上げた男は先ほどよりもおちついて話すことができた。

「こ、これは、エルノではなくアゼナの亜種でエルノのような薬効はありませんが…むむ虫に強く枯れにくい…です」

「そう、さすがは庭師さんね。さあ、立って聞きたいことが沢山あるの」


聖女様は優しくにっこりと花のように笑った。

そう、笑ってくださったのだ。


そして、平伏したままの姿で顔だけ上げてぽかんと呆けた男の傍に膝をつき、その額に柔らかな布を当てた。

なんだろう?と思う男の前で聖女がなにかを呟くとほわりと額が温かくなり、外された布には赤い血と泥がついていた。


どうやら男は気づかぬうちに額を切っていたらしい。

畏れ多くも聖女様は男の怪我を治してくださったのだ。


男は感動でぶるぶると震えた。


それから聖女様の迎えが来るまで男は植えられている草木について様々な説明をした。

聖女様は薬草の知識が豊富な方であった。

その日の聖女様と別れたあとも男はふわふわと落ち着かない気持ちになった。興奮で眠れぬまま次の日も朝早くあの庭園に行くと男は再び聖女様に会えた。一言二言だけ交わされる言葉に庭師の胸は高鳴った。


それから聖女様と男は朝早く庭園で会話をかわすようになった。



「貴方のその傷を消すこともできるのですよ」

ある日男に聖女様はそう問いかけた。

どうしますか?

そう問いを投げ掛ける聖女様はけれど、男がそれを望まないことを望んでいた。


男の傷は証だ。

家族が男を愛してくれていたなによりの証。

煮えたぎる薬草の汁はまだ子供だった男の顔に酷い火傷を残し、まだ幼かった男を庇った母の命を奪った。

とっさに母の胸に抱き締められた男は顔だけの火傷で済んだがは母の火傷は全身に及び、見るに無惨な姿を晒しながら10日ほど苦しんで、同じように治療を受けていた男の無事を願って死んでいったという。

だから、この傷は男を庇って死んでいった母の愛の証だ。


だからこのままでいいのです。



そう男が拙い言葉でそう伝えれば聖女様はにこりと微笑んだ。

その微笑みに男はそっと安堵の息を吐いた。

聖女様は己を道具のように使おうとする者達に飽いていた。

言葉の端々にそれを感じていた男は聖女様の望む答えを答えたに過ぎなかった。


男は嘘をついたのだ。


本当は心の底ではこの顔の傷を疎んでいたというのに。

この傷さえ無ければと何度となく思ったというのに。


男は聖女様の前で顔は醜くも心だけは美しい者のふりをしたのだ。


男は見た目だけではなく心までも醜くなった自分を嗤った。


その晩、男はこれが恋なのだと気づいた。

男のはじめての恋の相手は美しく優しい尊い方。

きらきらと美しく方輝くその方に向ける男の想いは…泥々とした醜いものだった。

それでも男にとっては大切な大切な想いだった。


「最近楽しそうじゃないか良いことでもあったか?」


同僚にそう言われ男は咀嚼していた固い黒パンをごくりと飲み込んだ。

町に出れば白い粉で作った柔らかな饅頭やパンが手にはいるが、王宮だったとしても労働者の食事といえば黒パンだった。

様々な穀物を合わせて曳いた粉で作った黒パンは味も見た目も今一つだが、腹持ちと栄養面において勝るものは他にない。

労働者の主食と貴族には嫌われるが、そんな貴族も体調を崩せば黒パンを食べるのだという。

旨いだけでは体は作れない。

そう笑って労働者達は黒パンを食べる。


聖女様と逢うようになり男の耳は今まで興味のなかった会話を拾うようになった。

聖女様は正妃という地位についてはいるものの、実際はそうではないのだと男は庭園で交わされる噂話で知った。


王妃という地位につけることで有益な能力者の他国への流出を防ぎ、救国の聖女という民に愛された存在を王妃にすることで、民からの支持を得ることができる。

王妃としての仕事が出来なくとも、お飾りの王妃だとしても、治癒の能力は紛れもなく本物だと男は身をもって知っていた。

けれどそれを良しとしないものがいることも確かで、日に日に聖女様の扱いは幽閉に近いものとなっていった。


最初、聖女様の異変に気づいたのは手だった。

出会った頃よりも筋が増えたその手は急激に細くなっていった。

「聖女様は、具合が悪いのですか?」

そう聞けば聖女様は困ったように苦笑して、あまり食事がとれないのですと言った。

気鬱のせいだろうか、とそう思った男は後日、そもそも食事が与えられていないのだということを男は知った。

聖女様つきの侍女が暇を申し出れば金を貰えるといった話をしているのを聞いたからだ。

また、聖女様の食事も侍女達が食べれば褒美が貰えると。

そうして侍女達は口を揃えて「偽者のくせに王宮に居座るなんて嫌らしい者には罰を与えるべきだ」という。

まるで楽しい遊戯を話すかのように聖女様を追い詰めていく彼女達に言い知れぬ恐れを抱いた。


その次の日男は震える手で聖女様に布に包んだ黒パンを渡した。


小さくても栄養価が高く、運びやすいものを男はそれしか思い浮かばなかったのだ。

聖女様は労働者のパンにはっと息をのみ、そしてありがとう。

と言って受け取った。


その日のは二人とも無言だった。


それから男は庭園用にと新たな苗や木を持ち込むようになった。

それは細やかながら実りを結ぶ草木だったり根が食べられるものだったりした。

聖女様は時折その植物をいくつか持ち帰った。苦境に立たされてもなお聖女様は植物とその薬効の知識に対して貪欲であった。


聖女様は日に日にどんどん痩せていった。

男は黒パンにチーズや干し肉を合わせて渡すようになった。

聖女様はありがとうと礼をいった。

そして何も返せないことが苦しいと男に頭を下げた。


庭師でしかない男に深く頭を下げる聖女様の行動をやめさせようと慌てて肩に触れたとき、

男は聖女様は醜い庭師の助け無しではこの檻の中で生きていくことの出来ない小鳥のような存在なのだと気づいた。


その考えは恋慕などよりも深く甘美なものだった。


聖女の生殺与奪は男にだけ与えられている。


その事実はまるで毒のように甘かった。




「おい、そこの庭師。最近あの庭園に足蹴く通っているようだが」

野草とその下にある黒パンが入った駕を抱えた男をある日二人の衛兵が呼び止めた。

「は、はい、手のかかる野草を植えたもんで…ど、どうにも気になって…」

なにかを疑うそぶりをみせる衛兵達に男はわざと己の傷が見えるように顔を上げた。

案の定、衛兵達ははっと表情を変えた。

「あの場所は聖女様もいらっしゃる場所だ。失礼のないようにしろ」そういいながら衛兵達は去っていった。

あんなにも醜い男と聖女様が親しくなることなどないだろうと話ながら。


男は俯いた顔ににんまりと笑みを浮かべた。


そうだ。こんな醜い男と親しくなるものなどいない。

そう、聖女様を除いては。慈悲深くお優しい聖女様だけは男を必要としてくれる。


男は自分の胸にどろどろと黒いものが拡がるのを感じた。

こんな醜い男にすがらなくては生きていけない憐れな哀れな聖女様。

おかわいそうでいとおしい男だけの聖女様。



本当に聖女の為を想うのならば誰かに言うべきであった。

聖女様を虐げているのが神殿だと気づいていたのならば、聖女様に助けられた恩をもつ騎士団に現状を伝えればよかった。

そうするべきだと解っていたけれど…


そうすると聖女様は男だけのものではなくなってしまう。


男が運ぶ黒パンや干し肉、固いチーズそれだけが聖女様を生かしている。


男が居なければ、男だけが。


それは手に入らないと思っていた至宝が偶然にも転がり込んできたかのようだった。


男はその甘美さに酔いしれた。

男は男だけの花を手に入れたのだ。

可憐な小さな花を。


そして男は、いつか、聖女様と手を取り合ってこの王宮から逃げ出すのだと夢想した。


そうして浮かれたせいだろうか。

仕事中に散策中な貴族のゆく先に肥料をまいてしまうという失態を犯した。貴族はその匂いに顔を歪ませ怒りで顔を真っ赤に染めた。


その日のうちに男は手酷い折檻をうけた。


解放されたのは最後に聖女と会った日から数日経っていたのだろう。

聖女のためにと買っていた黒パンは石のように固くなり、過ぎた日の長さを現していた。


ドッドッと脈打つ心臓と冷や汗は止まらず、男は一睡もしないまま夜があけるのもまたず庭園に向かった。


聖女は来なかった。


男は暦などという高価なものは持っていなかったが、花が実になる時間の長さは知っていた。

そして、聖女と別れた日に咲いていた花はとうに枯れ、青いつややかな実をつけていた。


男の予感は絶望に変わった。


次の日も、その次の日も聖女は庭園に訪れることはなかった。



男は男の身勝手な満足感のために聖女を永遠に失ったのだと認めることができなかった。


そして毎日庭園を訪れ、失意のまま仕事に向かう。

それを繰り返す日々となった。


もしもあのとき自分だけが抱いていた秘密を人に伝えていれば。

こんなことにはならなかったのかもしれない。



男は今日も足取り重く庭園へ向かう。

男の胸に咲いた花は未だ枯れることなく咲きづづけている。


男だけが知っているのだ。

あの庭園の向こうにある後宮の庭では男の渡した花が今ごろ咲いているだろうことを。

綿毛をとばすあの花は鮮やかに青く可憐な花を咲かせるが、特別な苗床に根をはるとそれはそれは美しい赤い花を咲かせる。


男は今日も人知れず散った聖女様を想う。

その傍に咲く赤い花を。

男が渡した花が聖女様に根を張り咲く様を。


その花はまた枯れて、再び種を飛ばし、いつかあの高い塀を越えて柔らかなはねのような綿毛が男の元へと届くだろう。




聖女の罪は哀れな醜い男の胸に花を咲かせたこと。






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