2-23 深淵の都-⑭
何度も死んで、死んで、死んで、死んで。濃縮されていく。
精錬されていく。
心の中から不純物を取り除いて、純度を上げていく。
瞑想の中で膨らみ続けたクロガネの膨大な魔力量が、炎によって精錬されていく。
そうやって、クロガネは異質なものへと変質していく。
──扉を開ける。そうして最初に目に入る熾天の姿が、随分と懐かしく感じられた。
そして次に、生きたまま捕らえられたリシアが目に入る。表情は恐怖に歪んでいて、これから殺されるのだということに怯えている。
何度もクロガネの前で殺されて、何度助けを求めてもクロガネは助けてくれなかった。
もうリシアはクロガネを見ておらず、これから襲い掛かってくるであろう痛みに何とか耐えようと、必死に自分を奮い立たせているようだった。
ああ、可哀そうに。クロガネはそう思った。
そこで、熾天が明らかに戸惑うような仕草を見せた。
それもそうだ。これまでは怯えて話にもならなかったクロガネが、あまりにも落ち着いて……いや、落ち着きすぎているのだから。だが熾天のすることは変わらない。これまでの経験に基づいて、リシアを殺してクロガネの心を折ろうとした。
「……」
だが、やめた。それは熾天の直観だった。
恐らく、このままリシアを殺してもクロガネは止まらない。そんな直観。そしてそこから熾天はさらに思考し、ここでリシアを殺すのではなく、クロガネを殺すための道具にするという結論に至った。
もしクロガネが攻撃をしてくれば、リシアを盾にすればいい。
だが、その考えが間違いだったと気が付いたのは、クロガネが赫灼剣を赤熱化させた時だった。
「……ぶち殺す」ぞっとするほどに低く、冷たい声でクロガネはそう呟く。
“それ”が赫灼剣だと気が付いたのは、赤熱化してからだ。というのも、“それ”は剣の形をしてはいなかった。鍔も柄もなく、鞘にも収まっておらず、そして何よりただの黒く焦げた棒でしかなかった。
ところがどうだ。クロガネの手を介して魔力が流し込まれた直後、それは卵から孵化するように表面を覆っていた黒い膜がひび割れて、赤い光が漏れ出す。
それは次第に剣身全体へと波及し、そこでようやく“それ”が剣であることが分かった。
熾天にとっての想定外。それは──クロガネから吸い出された魔力のすべては、今もなお赫灼剣の中に蓄積されている、ということ。
赤熱化し、本来の姿となった赫灼剣から、クロガネの魔力が溢れ出す。本来であれば収まり切らないであろうはずの膨大な魔力を蓄積していたのだろう。
主の許しを経て解き放たれた魔力は、瞬く間に周囲を覆いつくした。
同時に、熱せられた赫灼剣の魔力と熱がクロガネの右腕に伝播し、ひじから先がまるで赫灼剣同様に赤熱化している。まるで剣と腕が一体化しているようだった。
「ギ────」
常軌を逸した魔力の奔流。思わず熾天であっても戸惑うほどの圧倒的な濃度。
そうして、大きな油断が生まれた。
周囲を覆いつくした魔力は、今だクロガネの支配下にある。
それすなわち。
「──ガ、──」
「燃えろ。外はパリッと、中身もパリッとな」
熾天の位置は、クロガネの攻撃範囲内だ。
熾天も、あからさまに油断することはあるのだな、とクロガネは他人事のように思った。
「ギッ、ガァァアァァァァァァァァァアアアアアァァァァアアァァァアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
クロガネの合図に合わせ、魔力が燃え上がる。最初は熾天の体内からだった。身体中の眼が大きく見開かれたかと思えば、次の瞬間にはその眼が爆ぜるようにして破裂し、炎が噴き出す。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ギイイイイイイイイイイイイ!! アアアアアアアアアアアアアア!!」
熾天と言えども、痛覚は存在しているようだ。その悲痛な断末魔を聞いて、クロガネは思わず天を仰いだ。
こんなに清々しい気分は初めてかもしれない。
惜しむらくは頭上に広がるのが青空ではなく曇天であるということだろうか。
「ギギギギギギギギギギギギギイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
体内から襲いかかる、決して逃れられぬ痛みによって、熾天の意識からクロガネと人質の存在が消えたのを見計らい、クロガネは駆け出す。──が、不自然に熾天の身体が駆け出したクロガネの方向を向いた。
次の瞬間には、熾天の身体の内部から触手のようなものが肌を突き破って飛び出し、クロガネに襲いかかる。
とはいえ、その触手の動きは鈍重だった。痛みでそれどころではないということなのだろう。クロガネはいとも簡単にそれを躱し、すれ違いざまに赫灼剣にて両断する。
超高温の刃は、正確には触手を溶断していく。まるで手ごたえがなく、目を瞑れば空気を切っていると勘違いしてしまうそうだ。
熾天の不自然な動きと、異形であった時の姿。クロガネは戦闘の最中でありながらも、その違和感の正体に気が付いた。
異形は、複数の人間をすり潰して、歪に混ざり合った肉塊で人間を形作ったかのような姿だと、かつてのクロガネは感じた。
要は、異形は複数の人間の集合体である可能性が高いのだろう。となれば、この熾天の中には複数の人間が混ざっていて、その数だけ意識があり、それらが死角を無くすように周囲を観測している……の、かもしれない。
じゃあ、まだ余裕そうだな、とクロガネは思った。
こちとら何度も何度も殺されてうんざりしているのだ。熾天の中に百人いるのなら、きっかり百人に同じ痛みを与えてやらないと気が済まない。
──が。まずはリシアを助けないといけない。このままではリシアも黒焦げになってしまう。
襲い来る触手のことごとくを躱し、弾き、溶断しながら、クロガネは着実にリシアの元へと近づいていく。
個々の触手ではどうにもならないと悟ったのか、熾天は触手を束ねての攻撃を試みた。だが、結果的に速度を殺してしまったそれは、クロガネにとっては格好の的でしかない。
左手を構え、“基礎攻撃魔法”にて迎撃する。
「ショット」
そうして放たれたそれは、かつてのショットとは全くの別物だ。
技術で威力や精度を底上げしたショットではなく、単なる質量のゴリ押し。
それまでの数倍、或いは数十倍の魔力をただ単に押し出した、そんな何のひねりもないショットは、だが束ねられた触手を木っ端微塵に吹き飛ばした。
ショットはそれでも満足せず、触手を圧し潰し、捩じ切り、粉砕しながらも直進し、そのまま熾天の身体へと到達した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
ショットは熾天の身体から噴き出す炎を巻き込むと、さらに威力を増していく。さながら火災旋風のごとき勢いで、熾天の身体を外側から焼き焦がしていった。
そんな中、クロガネは魔力の操作を行いながら前進する。リシアの周囲に魔力が充満すれば、熾天を焼き尽くさんとする炎が牙を向くだろう。そうならないように、リシアの周囲には魔力が流れていかないように気を配るのには随分と骨が折れた。
「…………」
リシアは、呆然とクロガネを眺めていた。
それもそうだ。リシアにとっては、突然クロガネが豹変したのだから驚かないわけがない。クロガネが蘇生地点で何度も自殺したことを、この世界で知っているのはクロガネ本人だけだ。
「……クロガネ、さん……」
そうしている内に、熾天はついに地に墜ち、リシアを掴んでいた腕は力なく垂れ下がった。
それでもなお、リシアを放すまいとしているようだったが、そんな熾天の腕は赫灼剣で容赦なく溶断していく。
「ごめんね、何度も痛い思いさせちゃって」
「……」
クロガネが手を差し出すと、リシアはその手を掴み、ふらつきながらもなんとか立ち上がった。
炎に身体を焼かれる熾天を背後に、クロガネはリシアの歩幅に合わせてゆっくりと移動する。本当であれば抱きかかえてやりたいところだが、万が一にでも熾天の攻撃があったらと思うと、赫灼剣を握る右手だけはそれに対応できるようにしておきたかった。
そうして十分に距離を取ったところで、リシアを地面に座らせた。
歩くのだって苦労するほどに、恐怖で心を引き裂かれ、今もな身体の震えが止まらない。そんなリシアを長く歩かせるのは酷だと思ったからだ。
「ちょっとだけ待ってて」
「え……?」
困ったような、寂しいような表情でクロガネを見上げるリシアを横目に、クロガネはゆったりとした動作で熾天へと向き直る。
そうしてゆっくりと、近付いていく。一歩踏み出すごとに、一つづつ思い出す。これまでの痛み。これまでの屈辱。これまでの絶望。
負の感情を研ぎ澄ます。
「……!?」クロガネの背中を眺めていたリシアが、思わず息をのんだ。クロガネの身体から真っ黒な何かが立ち上がっているのが見えたからだ。
それが魔力であることは分かる。だがあまりにも異質で、不気味だった。
既に熾天は動かなくなっていたが、クロガネの瞳の中にはもう、優しさは欠片も存在していない。
まだ生きてるだろ。死んでないだろ。何で死んだ振りしているんだ。そんなクロガネの感情は、魔力に乗って熾天へと受け渡される。俺を苦しめたよな。自分は苦しまずに死にたいのか。都合がいいな。許すわけないだろう。殺す。殺す。苦しんで殺す。死ね。死ね。死ね。死ね。苦しんで死ね。
まるで呪いのような、呪詛のような……そんな感情が、クロガネの魔力に乗って熾天へと降り注いでいく。
途端に熾天は飛び上がって、きっとクロガネに襲い掛かろうと構えたのだろう。だがそれを成すよりも遥かに早く、クロガネは飛び上がり赫灼剣を突き立てる。
そこから、全て出し尽くす勢いで魔力を──熾天の身体に流し込む。
「────────────!!!!」
言葉にならない絶叫だった。
クロガネの魔力が、熾天の身体を内側で暴れまわり、ズタズタに引き裂き、焼き尽くしていく。
「────────────────────────!!!!!!!!」
「アハハハハハハハハハハハハハ!!」
気が付けばクロガネは笑っていた。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! アハ!!」
熾天を焼き尽くさんとする暴力的な炎の渦の中で、クロガネは笑い続けた。
「足りねぇ、足りねぇなぁ!! もっとだ、もっと燃えろ!! 痛がれ!! 苦しめ!!」
クロガネは笑っていた。
「死ね」……クロガネは、嗤っていた。
リシアは、それを、ただ茫然と眺めるしかなかった。




