1-51 完治
──少し時は遡る。
「おはよ、マナちゃん」と話しかけたのはアレクだった。「ちょっといいかな。クロガネ君の件で」
「ん?」
それはクロガネが目覚めて翌日の朝。クロガネの治療を終えたアレクが医務室を出た後のことだ。
医務室に向かっていたであろうマナを、アレクが呼び止めた。
「……なにかあったの?」
怪訝そうな顔を向けるマナに、アレクは少し慌てて手を振った。「身体的なことではないから安心してね」
「じゃあ、精神面……? 落ち込んでるの?」
「……というか、逆かな」少し困ったような顔をした。「あまりにも普通すぎる気がする」
「んん……?」と思わずマナは首を傾げた。
それもそうだろう。アレクでさえ自分の言葉や感覚に戸惑っている雰囲気がある。マナが理解できないのも無理はない。
「いいこと……じゃないの?」
「うん、そうなんだけど…………ん〰〰、なんというか、こう……」
アレクは言葉を探すようにしばらく黙り込み、そして口を開いた。
「……普通すぎて逆に不安になるというか」
「不安……?」
「だって、パヌルが手をかけたっていうセスタとククリだったかな? あの二人が死ぬ瞬間を見たとか」
「あ……」
そう聞いて、マナもようやくアレクの言いたいことが分かった。そうだ。クロガネは『夢』の中でセスタとククリが殺される瞬間を見たと言っていた。
冒険者というものである以上、仲間の死を経験することは特別珍しくもない。だが、だからといって悲しみに慣れるということでもない。それはマナも承知している。
思い返せば、確かにクロガネが目覚めた直後は特段落ち込んでいる様子はなかった。
そこに違和感を感じはしなかったが、それこそがアレクの言う『普通すぎる』ということなのだろう。
「それに、これはあくまで主観なんだけど」とアレクは前置きしてから言葉を続けた。「クロガネ君、多分精神的には比較的脆い方だと思う」
「……そうかな」
「実際、直感的にそう感じるだけなんだけどね。……実際に話してる分にはそうは全然感じられないし、俺もよく分からないんだ」
「じゃあ、別にいいんじゃ?」
「杞憂ならいいけど。まぁ、心配するに越したことはないからさ。“仲がよろしい”ようだし、気にかけててあげてね」
ぽっと、マナは顔を赤くした。「あ……その……」目を泳がせて、両手は胸元でせわしなく動いている。
あまりに分かりやすい照れた所作に、アレクは思わず笑ってしまった。
「よろしくね~」
「……うー」
手をひらひらと振りながらこの場を去るアレクを、歯噛みしながら見ることしかできなかった。
気を取り直してクロガネの元に向かおうとする……が、医務室の扉の数歩手前で立ち止まる。
「顔、あっつ……」
アレクの言葉を無意識に心の中で反芻する。
両手で頬を包み込むようにして、顔を冷やす。何度か深呼吸をしてから、医務室の扉を開けた。
「や、やっほー。元気?」
◇
あっという間に時間は過ぎていく。
気が付けば、クロガネが目覚めてから一週間が経過しようとしていた。
「はい、完治。調子はどう?」
「……気色悪いぐらいに調子がいい」
「あっははは! それは何より!」
遂にアレクによる治療も終わり、鬱陶しかった四肢の包帯ともおさらばだ。いざ外すとなるとどこか寂しい気がしなくもないが、不便な毎日を過ごしてきたことを思えば、そんな感情はすぐに吹き飛んだ。
そうして久々に動かすはずの手足やその指先は、だがそれまでよりもずっと軽く、思い通りに動く。それこそ気色が悪いぐらいに。
リハビリなしでそれまでよりも調子がいい。アレクはこれを「まだまだ、発展途上だよ」と言うが、クロガネにとっては十分すぎるほどの回復だった。
最終的には、現行の治癒魔法と同等の速度でこれと同じことを行うのが最終目標なのだとアレクは笑う。
凄まじい治癒魔法の技術と向上心だと思った。
ゆっくりとクロガネは立ち上がる。
分かっていても少し緊張する。が、そんなクロガネの不安とは裏腹に、何の違和感もなく立ち上がることができた。
強いて言うなら頭と身体の感覚が少しずれている感覚もあるが、少し歩けば慣れるのだろう。
「本当に、ありがとうございます……」
「そんな畏まらなくていいのに。こっちは丁度いい実験台だと思ってるからね」
「……本性出てきたな?」
「ハハハ。結果良ければオールオッケーさ」アレクはウインクした。「でしょ?」
なんというウインクだろう。向ける相手は考えた方がいい。思わず同性であるクロガネであっても眩さに手を翳してしまった。
アレクは恐らく自身のイケメン度合いを理解していない。無自覚にイケメンを振りまくのは、ある意味で罪だ。
……まぁ。アレクがモテるとして、それがクロガネの不都合になることはない。
深く考える必要はないのであるが。
ぐいと身体を伸ばすと、ばきばき、と身体が鳴る。怠けていた身体が悲鳴を上げているようだ。だが不快ではない。ようやく身体が目を覚まして、活動を再開する。そんな感覚だ。
そのまま身体を動かしているうちに、勢いよく扉が開け放たれる。この勢いは一人しかいない。
「あ、ども。ダグスさん」
「遅れて申し訳ない!! ん!? ようやっと完治か」
「ええ。ついさっき」
「ああ、なるほど。アレク先生だったか」
「先生はやめてくださいって……」とアレクは苦笑い。
ダグスとアレクの間に“先生”などと呼び合うほどの交流があったのだなとクロガネは内心驚いていたが、どうやらそれが表情にも出ていたらしい。ダグスは意気揚々と話し出す。
「アレク先生にはな、かつて手を痛めた時に治療してもらったんだ。感謝してもしきれんよ」
鍛冶師であるダグスが手を痛める。それが何を意味するのかは考えるまでもない。
「また……当時の俺はまだまだ未熟だったじゃないですか。というか、ダグスさんの手のことがあって今の治癒方式を考え始めたぐらいで」
「馬鹿言え! カルファレステ街の全部の医者に諦めろと言われた怪我を治したんだ。アレク先生は間違いなく最高の治癒士だとも!」
「いやぁ……」
アレクは照れくさそうに頭を掻いた。
街中の医者が匙を投げた怪我を治した……ダグスがそういうのであればアレクの技術はやはり本物なのだろう。
鍛冶師の手は命と同義。それほどの状態であったのならば、引退するという未来も間違いなくあったはずだ。もしダグスがそうなっていて今ここにいなければ、クロガネの手に赫灼剣はおらず、この未来もなかっただろう。そう考えると、アレクの功績は思っているよりも遥かに大きいのかもしれない。
だが、アレクはそこで立ち止まらずに更なる進歩を目指した。その姿勢は、やはり凄いと思った。見習うべき背中だ。
きっと……あっという間に、現行の治癒魔法を超える技術を確立するのだろう。そう思わせるだけの技術と向上心をアレクは持っているのだから。
ダグスが褒めまくるのも分からなくもない。
「……っと、話が逸れた」とダグスはクロガネに向き直る。「遅れて申し訳ない。二日と言ったのに、結局四日もかかってしまった」
「いえそれぐらい別に。それだけ完璧に仕上げたってことですよね」
「無論! 二徹すれば何とかなるだろうの気持ちでやっていたら四徹してしまったが、それに見合う仕上がりだ」
差し出された赫灼剣を受け取る。ズシリと重い。重いが、心地よい重さだ。
「なるほ、……四徹?」
と、そこで何か恐ろしい単位を聞いた気がした。そしてその時ようやく気が付く。ダグスの目の焦点が合っていないのだ。
虚空を見ているというか、顔は間違いなくクロガネを向いているのだが、目はクロガネを通り抜けてもっと遠くを見つめている。
怖い。とても怖い。どう見ても憑りつかれている感じのやつだ。
「ダグスさんもあんまり無茶しないでくださいよ」と言ったのはアレクだった。「夢中になるとやめられなくなるの、まぁ鍛冶師としては優秀ですけど」
「はっはっはっは! アレク先生がいるからこそですとも!」
信頼できる人がいるのはいいが、それがきっかけで無茶をするのはどうなのだろう。
ダグスがこうなるのも慣れたものなのかアレクはやれやれと肩を竦める。
「じゃあ寝ましょうね」
と言ってアレクは一切の容赦なくダグスに魔法を放った。直後、ダグスはその場に崩れ落ちる。
「あ、クロガネ君心配しないでね。これ心を安らかにするだけの魔法だから」
「張り詰めてた糸思いっきり叩き斬ってないですか!?」
「これぐらいしないとダグスさんほんとに寝ないからね」
「…………なるほど……」
少し前までクロガネが横になっていたベッドにダグスを寝かせると、アレクはクロガネに向き直った。
「そしたら、協会のホールにエフレインさんいるはずだから、挨拶していってあげて。俺はここでダグスさんちょっと見張ってるからさ」
「見張ってないといきなり起きるとかですか?」
「うん。気合で目を覚ましてくる」
ちょっと何言ってるのか分からない。
冗談半分だったが、本当だとは。
「あ、ハイ。それじゃ、改めてありがとうございます」
「またね~。今度一緒に依頼受けようよ」
「はい。是非」
そう言ってクロガネは医務室を後にした。
見慣れた廊下。見慣れた扉をくぐり冒険者協会のホールに出ると、冒険者たちの視線が勢いよく突き刺さる。これはいつになっても慣れない。クロガネは極力動じていない振りをしながら、受付の方へと歩いていく。
クロガネは今だにこの場にいるほとんどの冒険者と関わったことがない。話すといえばマナやミナ、ダリルとアレク、そしてエフレイン……ことごとくが高等級冒険者ばかり。それ以外でいえばシユウのパーティーぐらいだ。周りからすればクロガネは話しかけづらく、そしてそれはそのままクロガネからも話しかけづらいということでもある。
困ったなぁ、と思いつつ歩いていると、「おお」と声がかかる。
「ようやく歩けるようになったか。クロガネ」
「エフレインさん……ええ、この通り」
「何よりだ。街を出るのは明日だったな?」
「ですね。まぁ、これから宿に戻って二人と話してみてですけど」
ふ、とエフレインは笑った。「あの姉妹とクロガネがこれだけ打ち解けるとは、思わなかったな」
「え?」
「こっちの話だ。気にするな」
エフレインはそう言うと、クロガネの肩をぽんと叩き、顔を寄せた。
そうして小声で言う。
「一先ず、宿に戻ったら二人を労ってやれ」
「え? な、何故?」
「フィアが元気すぎて苦労しているというのと、誰よりもクロガネを心配していたのはあの二人だからだ」
そう言うなりエフレインは顔を離し、顎でくい、と正面入り口を指した。
「早く行ってやれ。……ちなみにこれは独り言だが、あいつらの好物はタルトだそうだ」
差し出された一枚の紙きれ。クロガネはそれを受け取ると、エフレインに頭を下げる。
そのまま、クロガネは一目散に駆けだした。




