0-06 宏大無辺-①
夢を見た。
世界の終りのような光景。
大地は鳴動し、大海はうねり、人々を飲み込んでいった。
『クロガネ』は誰かの手を握っている。だがそれが誰なのかは分からない。
この手を離してはならない。
それだけが『クロガネ』を突き動かしている、そんな感覚。
何かが落ちてきた。刹那、チクリと痛み。
そうして気が付いた時には、その手は濁流に呑まれてあっという間に消えた。
『クロガネ』が見上げた空は、分厚く暗い雲に押し潰されて悲鳴を上げているようにも見えた。
「おはよう」そう言ったのはヤタガラスだった。「……嫌な夢でも見た?」
「……たぶん」
クロガネは夢の内容を覚えてはおらず自覚もなかったが、ヤタガラスが気が付くということはそれだけ表情に出ていたのだろう。
上体を起こし、手で顔を揉みほぐす。
手に液体が付いて、その時になってようやくクロガネは泣いていたことに気が付いた。
ふと視線を向けた窓の外は明るい。
朝だ。
「……おはよう、ヤタガラスさん」
「ん! 今日も張り切っていこ!」
「うす」
クロガネが目覚めてから五日目の朝。
体感的には二週間に感じているクロガネの違和感はまだ抜けきってはいない。
ましてや、空間魔法を始め小屋の場所も見た目も何もかもがアマテラスの描いた世界と同じなのだから違和感が抜ける訳もない。
ヤタガラスはアマテラスの分体だというのだから、そうなるのも当然の帰結ではあったのだろう。
だがそれは決して苦などではない。
少なくともクロガネは、ヤタガラスとの日々をつまらないとは微塵も思ってはいないのだから。
着替えを済ませ、リビングに向かえばヤタガラスがそこにはいて、朝食も揃っている。
「おお、美味しそ……」
「でしょ? 私にかかればこんなもんですよ」
「夜に練習してた甲斐がありますね」
「そうそう、夜に……、ちょっと待って、なんで気付いてるの」
「え、ほんとに練習してたんですか?」
うああああ! とヤタガラスは顔を覆った。
クロガネはほんの冗談程度の気持ちで言ったのだが、偶然とはいえ図星だったようだ。
ヤタガラスは耳まで真っ赤になってテーブルに突っ伏した。
「うう……そうです、練習しないと上手く出来ませんよぅだ……」
「あはは、ありがとうございます、わざわざ練習までしてくれて」
「……え?」
「あれ? あ、いや……自分のためにわざわざ練習してくれたのかな~って、あれ?」
ヤタガラスと目が合った。
「い」
「い?」
「言わせるなぁ!」勢いよく投擲されたタオルがクロガネの顔面にヒットした。「きょっ、今日はスパルタでいくから! ね!!」
「あ、はい……」
正直に言えば、この時はまだ半分冗談なのだろうと思っていた。
だが結果を言ってしまえば、この日は確かにそれまでに比べると遥かにスパルタだった。
「──ほら、ほら。ほいっと」
ヤタガラスは跳ねるようなリズム感でそう言った。
その言葉を聞くだけでは、魔法を行使しているとは想像もつかないだろう。
だがヤタガラスはずっとその調子ながらも、クロガネの攻撃のことごとくを防いでいる。
「ふ──ッん!」
剣を振るう。木剣じゃない。本当の『剣』だ。
触れれば当然肌を切り裂く凶器に他ならない。これを振るえと言われたときはそれこそ冗談だと思ったが、ヤタガラスの目は真っ直ぐにそれを跳ね退けた。
そして実際、ヤタガラスには触れるどころか掠る予感すら感じられていない。
「左側、お留守」斬撃を軽々と避けながら、クロガネの左側面に衝撃。
訓練用の魔法だ。僅かな痛みと、大きなノックバックが特徴のそれにより、クロガネの身体は勢いよく右方へと流れる。
体勢を崩し、地面を転がった。
二、三度ほど転がってようやく立て直すと、なるべく間を置かずに左手をヤタガラスに向ける。
魔力を意識し、それを練り上げる。魔法の中で最も汎用的で、基本的な攻撃、ショットを放つ。
属性を付加しない魔力単体の魔法、無属性と呼ばれるそれは、いうなれば不可視の空気砲。
まだ未熟ながらも、れっきとした攻撃魔法だ。
何の対策もなく当たれば悶絶する。
当たれば、だ。
「ほいっ」
ヤタガラスが軽い調子で手を振るえば、始めから攻撃などされていなかったと言わんばかりにショットは無残に吹き消される。
ここまで本格的な実践を行ったのは今日が初めてだった。
当然と言えばそうなのだろうが、ヤタガラスの実力の全容は伺える訳もなく。
軽くあしらわれるだけだ。
「ほら。クロガネ」ヤタガラスはスイッチが入ると、敬語ではなくなったり、クロガネを呼び捨てにしたりする。「ショット連発、練習したよね」
「うす!」
ヤタガラスはスイッチが入ると少し、怖い。
魔力を一気に練り上げ、連発するイメージ。
想像は武器になる。クロガネは地球で言う銃火器のマシンガンを連想した。
地球の知識が残っているのは非常に助かる。
ショットの一撃は細く鋭く、それを連射する。
昨日までの連発は本当に単発のショットを何度も撃ち続ける程度のものだったが、銃火器を参考にしたこの連射はこれがお披露目だ。
ヤタガラスの表情が動いた。
──どうだ!
と、思ったのも束の間、ヤタガラスが軽く振るった手で全ては霧散し、後続の攻撃すらも弾道がブレてヤタガラスに向かいもしなかった。
「……あ、あれ?」
「クロガネ」
「はっ、はい」
「発想は良いけど、一撃の威力が無い。その上、弾道もぶれやすい。何故か分かる?」
「う、うーん? いや……」
ヤタガラスは指をくるくると回した。
「回転よ。ショットの場合は特に、一発を小さくすれば比例して威力も下がり、同時に重量も軽くなることで安定性が失われるの。回転を付加しないと直進性と威力が確保できないのよ」
「た、確かに」
言われてみれば確かにクロガネの記憶にある銃火器も、銃弾を回転させて発射していた。
発想は武器になる。それは間違いないが、発想力が足りなければロクな武器にはならないと言い換えられる。
試しに、回転を付加したショットを付近にあった木に目掛けて撃ち出す。
すると。大きく破裂したかのような音とともに木が大きく抉れた。
貫通はしていないが、直径の三割程度は抉れている。
「……おお」
「魔法は使い方で化ける。常に新しい方法を模索するのは良いことだね。偉いよ」
スイッチが入ったヤタガラスは可愛いというよりかっこいいが似合う。
柔らかく微笑みながら褒められると、素直に嬉しい。
「よし、そろそろ休憩だね。クロガネくん」
呼び捨てじゃなくなった。
途端に雰囲気が柔和し、可愛い側に振れる。スイッチが切り替わったのがだいぶ分かり易い。
「休憩終わったら魔力が無くなるまで魔法の練習しようね!」
でも言っていることはあまり可愛くなかった。
魔力が無くなると強い倦怠感に包まれ、下手すると気絶する。
ああ、スパルタだ……。
クロガネは朝の自分を心底恨んだが、後悔は先には立たないものである。
「はい!」
それに、ヤタガラスからは少しでも早くクロガネを一人前にしようという雰囲気が確かに感じられる。
そう思えばこの程度、全然耐えられ────
「おええええええええ……ぅええ……」
無理だった。
魔力が無くなるまで魔法を行使し続けた先に倦怠感があることは分かっていた。だがそこから更に少し先にはそれ以外の──例えば吐き気や頭痛があるとは知らなかった。
「ぶぇぇええ……お、ぼ……」
「ごめんんんん! ごめんね、無理させ過ぎたね……ほんとにごめん……」
「や、ヤタ、う、[─自主規制─]、……だいじょっ、ぼっ、う[─自主規制─]」
「あああ喋らなくていい! 喋らなくていいから!」
「[─自主規制─]」
「よしよし……」
これがまた想像以上にキツい。
結局夜通し苦しみ、疲れ果てて眠りにつくことができたのは朝日が昇り始めた頃だった。