0-06 特訓
時間はあっという間に過ぎ去っていく。本当に、『あっ』と言っている間に。
クロガネが過去を見てから、今日で八日目。ヤタガラスのタイムリミットまで、あと三日に迫っていた。
「どぅあっ!?」クロガネは慌てて身体を屈める。その直後、鋭い衝撃が真上を通り過ぎた。「ヤバ……」
「ほら、どんどんいくよ」
「ちょっ──」
「モンスターや悪人は、待ってくれないよ~」
クロガネがヤタガラスの方に視線を向ける……よりも早く、ヤタガラスは次の魔法を放っている。基礎的な魔法、ショット。だがヤタガラスの放つそれは、クロガネの知っているそれとは全くもって比べ物にならない。
ボッ、と空気を切り裂く音と共に直進するショットは、クロガネが避けられるギリギリの速度で迫る。
避ける。避ける。避ける。
それだけを考えていないとかなり厳しい。だが、周囲の状況、ヤタガラスの位置、そして移動経路。更には予測。あまりにも考えるべきことが多すぎるうえに、それらを総合してクロガネの避けられるか避けられないかの絶妙なラインでショットが飛んでくる。
上手い。実に巧妙。まるで狩りをしているかのようだ。当然、クロガネが“狩られる側”だ。
ヤタガラスは、これが実戦なのだと言った。確かにそうなのだろう。
避けられているというより、上手く避けさせられている。そんな感覚。
悔しくて頭を掻きむしりたくなるほどにクロガネは未熟で弱く、ヤタガラスは圧倒的に強い。
だが、同時に楽しくもあった。
魔法を使うことが出来る幸せ。それを存分に味わえる喜び。
「んんんんッ!」ヤタガラスの放つショットのリズムが僅かに崩れたのを、クロガネは見逃さなかった。ぐん、と上体を限界まで前に倒し、地面に突っ込むような姿勢で回避する。
「お?」
クロガネの動きに、思わずヤタガラスは感心した声を漏らした。それもそのはずだ。ヤタガラスがわざと遅らせたショットを見切ったのだ。更には──。
「──だぁ!!」地面を転がりながらも身体をヤタガラスへと向け、右手を伸ばす。そして。「ショット──!」
ボッ、と空気を切り裂いて、ヤタガラスへとショットは直進する。
それまで回避で精一杯だったクロガネの、反撃。この八日間の努力が実った瞬間だった。
「おお、流石だね」ヤタガラスは驚きの表情を浮かべながら、手を横薙ぎに振るった。クロガネのショットは、たったそれだけであっけなく霧散した。
「うは……そんなゴミを払うみたいに防がれると流石にへこむんだけど……」
だがそれは決してクロガネのショットが弱いわけではなく、ヤタガラスの防御魔法が強力すぎるからそう見えているだけだ。
……というのは理解していても、悔しいことには変わりないのであるが。
そうしてヤタガラスは、今日はこれぐらいにしておこうかとも考えた。連日の特訓でクロガネに疲労が溜まっていることは間違いない。──だが、ヤタガラスはクロガネの目を見て考えを改めた。瞳の奥に揺らぐ小さな灯火が、確かにあったからだ。
今やらねば、いつやるというのか。
これからの未来をクロガネ一人に歩ませねばならない。ヤタガラスはそれを送り出さねばならない。
その為には、まだ足りない。隙を知り、隙を突くことだけでは足りない。その先……完全なる予想外に対応出来なければ、ふとした油断で全てが終わってしまう。
バヂヂッ、とヤタガラスの指先で雷が爆ぜた。
クロガネの目が途端に見開かれる。
それがショットという魔法ではないということは、考えるまでもない。
──さぁ、避けてみせて、クロガネ。
挑戦的に向けれたヤタガラスの視線に、クロガネの視線が交錯する。
……一瞬の迷い。
クロガネは咄嗟に動けなかった。
当然だ。そんなことはヤタガラスが誰よりも知っている。
「雷、閃」
この瞬間に回避の動作をしていない時点で、避けられないことは確定していた。
やっぱり、無理かな。そう諦めかけたヤタガラスの予想を──だがクロガネは無理矢理に超えてきた。
「がああああああああッ!!」
雷閃は一切の容赦なくクロガネに向かって突き進み、視界を埋め尽くす。それで終わり。そのはずだった。避けるのも間に合わない。敗北を悟ったクロガネの身体が、どうしてか自然に動いた。
誰かに背中を押されたような感覚。
振り返れば、そこに見慣れた誰かが居てくれるような、そんな感覚。
避けられない。ならば避けない。
クロガネは両手を雷閃へと向けて、真っ向からそれに立ち向かった。単なるショットではない。いや、それを一般にショットと呼べるのかすら怪しい。
両手の周囲にショットを留め、更にはそれを勢いよく回転させる。
先端は鋭利に。
盾ではだめだ。ヤタガラスのショットにすら吹き飛ばされる身体で受け止めきれるわけがない。
ならば、“いなす”しかない。
イメージは、穿孔機。
雷閃という巨大な岩盤を、穿ち、貫き、突き進む。
ヤタガラスはそれを見て、ぞくりとした。クロガネには才能がある。有り余るほどの、魔法の才能。
同時に、酷く悲しくもあった。この才能を、自らの手で更なる高みへと導くことが出来ないことに。
「ふっ、ん、ぎぎぎ…………ッ!!」
明らかに、今のクロガネには過剰な威力であったはずの雷閃。だというのに、それに耐えている。ヤタガラスの予想よりも遥かに長く。
クロガネのショットと衝突したところからは激しく火花が散り、雷鳴が轟く。周囲に拡散した衝撃波は木々を大きく揺らした。
「う、あ、ああああああああああ!!」
長い、それは酷く永い、五秒間だった。
終わりは前触れなく訪れる。ふっと衝撃は消えて、クロガネは思わずよろけた。前方からとめどなく襲い掛かった圧力に耐えるため、無意識に前傾姿勢をとっていたためだ。
雷閃の過ぎ去った場所は、まるで小さな爆発が起きたかのように地面が抉られている。だがそれはクロガネの数歩手前で分岐し、左右に逸れていた。けれどその景色を見てもなお、どこか実感が湧かない。ぼんやりとした頭では思考もまとまるわけもない。
取り敢えず、とクロガネはヤタガラスの方へと向かおうとして、足を一歩踏み出した──つもりだったのだが。実際に足は動いておらず、更にはそのまま意識を失って仰向けに倒れた。咄嗟に駆け寄ったヤタガラスが、優しくそれを抱きとめる。
「ふふ。本当に、すごい子だね」既に意識を手放したクロガネの身体を、抱き締めながら呟いた。「……離れたくないなぁ」そよ風にもかき消されそうな、弱弱しい声で。「…………消えたく、ないなぁ」
「……ヤタガラスちゃんも、そんな弱音吐くんだぁ」
どこからともなく聞こえた声に、ヤタガラスは顔を上げる。
アマテラスが、そこに立っていた。
「……別にいいじゃない。弱音ぐらい。クロガネ君が聞いていないときぐらい」
「別に悪いとは言ってないよぅだ」アマテラスはにっこりと笑みを浮かべた。「寧ろ、良いものが聞けたなぁって思ってるよ」
「む……」
ヤタガラスの頬が、僅かに紅潮した。
「やっぱり弱音は出した方がいいよ。クロガネ君と特訓しているときは、絶対にそれを表に出そうとしないでしょ? ここ数日、目に見えて顔色悪かったしぃ?」
「うそ、そんなに?」
「うそ。クロガネ君が気付くほどではないけど」
「……」
「そんなムカついた顔しないでよ〰〰!」
今までのヤタガラスなら、ここで手が出ていた。が、今日はといえばそんな雰囲気はほとんどない。いや、正確にはここ数日間ずっとそうだった。
アマテラスに厳しく当たる……そんな気力が失われているように見えた。
クロガネの前でヤタガラスは、弱いところを見せまいと気を張っていたのだ。だからこそ、それ以外に割く気力が残っていなかった。アマテラスからすれば、あまりにもあからさまに無理しているように映るわけである。
「……そぉ〰〰んな、無理して頑張ってるヤタガラスちゃんに、アマテラスからプレゼントを用意したから、許して?」
両手を後ろに回し、アマテラスはニコニコと笑いながらそう言った。
「プレゼント……?」
始めは、それはもう怪訝そうな表情だった。アマテラスからまともな意見が出てくるとは到底思えなかったからだ。
だが、説明を聞くにつれて、ヤタガラスの表情が徐々に和らいでいく。いや、寧ろ驚きに満ちた表情へと変わっていった。
「──本気なの?」ヤタガラスは、思わず聞き返していた。
「本気じゃなきゃ、こんなこと考えもしないよ」アマテラスは真剣な表情でそう言った。
「…………ヤタガラス復活大作戦……?」目が覚めたばかりのクロガネは、ぽかんとした表情でアマテラスの言葉を反芻した。
両手を腰に、これでもかというほどに胸を張ったアマテラスは、クロガネに向かって確かにそう言ったのだ。言ったことも完全には理解しきれていないが、同時にクロガネの視線の先でこれでもかというほどに飛び跳ねた大きな果実の方に意識が向いていたというのもある。
何はともあれ、クロガネは驚くよりも先に、疑問を口にした。
「そ、それは、その、どういう……?」
「なにぃ!?」アマテラスはカッと目を見開いた。「文字通りですけど!?」
正直なところ、言っているのがアマテラスでなければ、クロガネも納得したかもしれない。とは思うものの、クロガネは優しいので直接言うことはしない。
顔には出ているかもしれないが。
「えっと……ヤタガラスさん、その、これって……」
「まだ信じていないのかね!?」
大袈裟な仕草で驚きを表現するアマテラスだったが、このままでは埒が明かないと思ったのかヤタガラスが口を挟んだ。
アマテラスの顔面を手で押しのけて、ヤタガラスは前に出た。
「アマテラスが言ってることの大半はギャグっぽく聞こえるのは分かるけど」なにを!? と意義ありそうなアマテラスを制しながら、ヤタガラスは続けた。「でも、本当なの」
「……マジ? 復活……ん? いや、というか、復活っていうのは……」
「分かりづらいとは思うけれど、ちゃんと説明するから」
そうしてヤタガラスは、睨むような鋭い視線をアマテラスに向けつつ、一歩下がった。
アマテラスは、ヤタガラスに言われたことを気にしたのか両手で顔をも揉みほぐし、何度か深呼吸してからクロガネに向き直る。
その仕草、その表情は真剣そのものであり、冗談を言うつもりではないことはクロガネにもひしひしと伝わった。思わずクロガネもごくりと唾を飲み込み、アマテラスの言葉を待つ。
「端的に言うとね、ヤタガラスが消滅するという結末は変えられない。これを変えたところで、それは延命でしかないから。そこでだけど、クロガネ君」アマテラスはクロガネの目をじっと見つめた。「め〰〰〰〰っちゃ、それはもうめちゃくちゃに茨の道、それどころか剣山の道、修羅の道……地獄みたいな道になるかもしれないけど……その先に文字通り、ヤタガラスが『復活』するとしたら、やる気はある?」
──何かを考えるより先に、クロガネの口からは自然と答えが出ていた。
「やります。やらない選択肢はありません」
「んん! よろしい!!」
そう言って、ヤタガラスとアマテラスは説明を始めたのだ。
クロガネが思っているよりも遥かに壮大で、そして、本当の意味での『復活』大作戦について。




