0-05 譲渡-②
──クロガネへの神格譲渡による、霊魂転生、そして怪我の治癒が完了したのは、それから間もなくのことだった。
ズキ、とヤタガラスの頭が痛む。
霊魂転生の際に、魂の仲介をおこなったことで流れ込んだクロガネの記憶の断片によるものだ。
消えてしまった『クロガネ』のことが、虚しくヤタガラスの胸の内に蟠る。『クロガネ』は活発な少年で、好奇心旺盛で、そして少しばかりお調子者だったこと。食事が好きで、大食いだったこと。そんなクロガネの姿が鮮明に脳裏に浮かび、ヤタガラスの胸を締め付けた。
霊魂転生は魂の定着に時間がかかる。それ故にすぐに目覚めることがないのは確かだ。
怪我は完治し、身体は元通り。あとは、魂が新しい身体に馴染むのを待つばかりとなる。
この間、クロガネは深い眠りの中にあり、更にはその身体を動かすことも出来ない。魂の定着というのはそれだけ繊細なものなのだ。
だが、休む間もなく新たな問題がヤタガラスに降りかかる。
神格を消失し、人格に墜ちたヤタガラスを襲う魔力欠乏。強力な倦怠感。
更には、神格譲渡に伴う魔力の波動により引き寄せられるモンスターの襲撃。
「はぁ……やるっきゃない、か」
本当であれば、クロガネが目覚めるまで隣で見守ってあげたかった。
だが、ここを目掛けてやってくるモンスター共はそれを待つ気はさらさらないことは確かだった。
うんざりした表情でヤタガラスが視線を森に向けると、今はまだ遠いが、確かに木々をなぎ倒しながら突き進んでくるのが分かる。森から立ち上がる土煙と、地面を通じて伝わる振動。
「──ふぅ……よし」
重い身体を引き摺りながら、ヤタガラスは立ち上がる。
一瞬だけクロガネを振り返ってから、ぴしゃりと両手で頬を叩き、気合を入れた。
……それから約十五時間後。
神格譲渡によって予定より早く消失した神格を補填するようにアマテラスが顕現。
さらにその後十三日間の沈黙を経て、クロガネはようやく目を覚ますこととなる。
◇
──クロガネはパッと目を開けた。寝ていた、ということなのだろうか。眠気はないが、いまいち頭がはっきりしない。
頭だけを動かして周囲を窺う。木材の壁と天井……部屋の中だ。
要は、あの光球を浴びた後、気を失っていたということらしい。アマテラスから受けたものよりも痛みが大きかったということになる。
……アマテラスから教わったのは魔力の受け渡しの方法だ。今まで見ていた夢──正確にはクロガネの脳内に過去の記憶が流れ込んでいたため少し違うが──の長さから考えると、情報量が多いほどに痛みなども大きくなるのだろう。まぁ、当然といえば当然か。
ゆっくりと起き上がる。
窓の外は暗闇。……夜だ。
しばらくベッドの上でぼんやりと虚空を眺める。
この世界に来た当時の『自分』の姿を客観的に知ったことで、クロガネの中にはどうにも言い表しようのない違和感があった。
神格譲渡と、霊魂転生。
実感はないが、確かに自分は『過去の自分』とは違う存在になったということなのだろう
だが正確には肉体の変化はなく魂のみの変化である。どこか、人間の定義に絡んだ哲学的な問題にも思えてくる。
両手で顔を覆い、深いため息をつく。
自分であって、自分ではない。或いは、自分ではないが自分である。
奇妙な感覚であることは間違いない。
だが、そんなことをいつまでも考えていても仕方がない。
かつての『クロガネ』は、消えることを選んだのだ。ヤタガラスを信じ、ヤタガラスの選択を尊重した。
──で、あるのならば。
クロガネに出来ることは、『クロガネ』の覚悟を無駄にしないこと。それに尽きる。
「ふぅ……」
静かに息を吸って、吐く。
「……うん。もう大丈夫」
気持ちを切り替えるようにクロガネはぐるんと身体を回転させ、ベッドから降りた。
部屋に一つだけあるドアに視線を向ける。隙間から漏れた光が、その先にヤタガラスがいることを教えてくれる。
ドアにゆっくりと近付き、取っ手に手を掛け──「うぎゃあ!!!!」──た、のとほとんど同時に、ドアを突き破って誰かが吹き飛ばされてきた。
勿論、クロガネは下敷きである。潰された蛙のようなクロガネの悲鳴は、だが扉の倒れた音にかき消されて誰にも届いてはいない。
何ということだ。クロガネは腕に力を込めるも、これが中々に重く身動きが取れない。
上に乗っているであろう女性は仮に羽のように軽いとしてもだ。恐らく扉の素材は無垢の木材。比重が高いのだろう。
重い。
めっ……ちゃ、激重である。
どれぐらいかと言うと、腕で支えているにも関わらず胸部が圧迫され、大きく息を吸うことが出来ないぐらい。
助けて! と叫ぼうにも大声を出そうとしたらそのまま潰されそうだ。
「あーいたたた……」と言っているのはアマテラスだろうか。クロガネに気付いていないのか、気の抜けた声だ。
「……お、重いんですけど」
「うえ? 扉が喋ってる!! ……にしても聞き覚えのある声だね?」
「本人ですからね!」
その時、少しだけクロガネにのしかかる荷重が軽くなった。
それにしてもやはり扉は重い。助けてほしい。割と無様な声が発せられてしまいそうになるが、クロガネは堪えた。我ながら偉い。とても。
「えっ? あ。ほんとだ」扉から降りたアマテラスは、そのまま扉の下敷きになったクロガネを覗き込みながら手をひらひらと振った。「おはよ~」
勿論、クロガネはそれどころではない。「あの。それより先に」
「あ〰〰ハイハイ分かっておりますよーっと」
アマテラスがそう言うなり、扉が宙に浮かび上がった。クロガネを押し潰さんとしていた荷重がふっと消えて、ようやく大きく息を吸うことが出来た。そして思わず「おお」と声が漏れる。
それと同時にクロガネの視界に差し込む光。そして。
「あ……」その光を背景に、ヤタガラスの姿が飛び込んでくる。「お、はよう、ございます」
「だっ、大丈夫!?」
当然の反応だった。
何故かは分からないがアマテラスと共に倒れた扉の下敷きになっているのだから、これが正常な反応である。
対してアマテラスはといえば、『てへぺろ☆』としか形容できない表情である。
慌てた様子でクロガネへと駆け寄ろうとするヤタガラスから、一切の前触れなく放たれた鉄拳がアマテラスの顔面を撃ち抜いた。もはや殺意を置き去りにして攻撃が直撃している。なんの反応も出来なかったアマテラスがそのまま仰向きに倒れていくのを気にする素振りもなく、ヤタガラスはクロガネへと駆け寄った。
「ね、寝起きで災難だね……」そう言ってヤタガラスはクロガネを抱きしめた。そのまま即座に魔法を発動する。間もなくクロガネの身体から痛みが引いていくのが分かった。「どう? まだ痛い?」
クロガネは別に一人で起き上がることも出来た。が、それはしなかった。
なんとなく。特に理由はなく、ヤタガラスの体温を感じたかった。
けれど、そんな本心はそっと胸の内に仕舞って、クロガネは大丈夫だよと伝えるように微笑んだ。
「……全部、見てきましたよ。今までのこと」
「そ……っか」
何かを言おうとしては、それを飲み込む。そんな雰囲気のヤタガラスの目を真っ直ぐに見て、クロガネはこれを自分からはっきりと伝えるべきなのだとすぐに分かった。そして、その言葉は自然と口から溢れ出た。
「かつての自分と、今の自分は違うかもしれない……けれど、かつての自分が選んで、ヤタガラスさんが拓いたこの道を、私は進みたい」
「……ふふ。うん……ありがと」ヤタガラスはそう言って、クロガネの頭を優しく撫でた。
その後、ヤタガラスに支えられながらクロガネはリビングに移動した。
途中でアマテラスが伸びていたが、ヤタガラスは無視していたし、クロガネもそれに倣った。あまり女性がしていい感じの表情ではないものが少しだけ見えたので、見たくもなかった。
アマテラスの扱いはよく分からないが、取り敢えず雑でも構わないのかもしれない。……一応、曲がりなりにも神様なのだろうが、それでいいのだろうか。
いや、とクロガネは首を振る。深く考えるのはよそう……。
そうしてテーブルに座る。
この世界で目覚めたあと、ヤタガラスと向かい合って話したあの日と同じだ。
けれどあの日と違うこともある。クロガネが聞けなかったあの言葉の真意を理解している、ということだ。
「私の記憶を見て分かったと思うけど、私はこの世界に訪れるクロガネ君みたいな来訪者……というか、有り体に言えば異世界人を導くのが役割。なので、クロガネ君はヤタガラスとしての最期のお仕事、だね」
クロガネは頷いた。
「まぁ、なので、これからはクロガネ君をビシバシ鍛えていくからね!」
「はい、お願いします!」
「鍛えていく上で、クロガネ君にお願いしたいことがあって、疑問に感じた事とか、そういうのあれば遠慮なく言ってね。光球……というか、記憶譲渡でバンバン補填しないと時間が足りなくなっちゃうので!」
「ハイ!」ビシッとクロガネは手を上げた。「それって痛いですか!?」
「慣れましょう」ヤタガラスはにっこりと笑った。
「……ウス……」とクロガネは苦笑する他ない。
痛くない、とは言ってくれなかった。
「あ……と、もう一つ、その、前にもあったと思うんですけど、俺はこの小屋のこととか知らないはずなのに食器の片付ける場所が分かったりしたのですが、どうしてでしょうか!」
「それはね……」ヤタガラスはずい、と身体を乗り出し、クロガネの額に人差し指を突き立てた。
痛いやつだ!! と思った次の瞬間にはその指は光り輝き、クロガネの脳裏に記憶が流れ込んでくる。
あまりにも早い有言実行すぎる。
……と、身構えたものの、そういえば容量の多くない記憶譲渡は痛みが少ないということを思い出した。
「……、なるほど。神格譲渡の過程で、ヤタガラスの記憶が流れ込んだ……と」
「そ。私とかアマテラスにとっての神格というのは、それだけ重要なものなの」
「そんな大切なものを、自分なんかに……」
「自分なんか、なんて卑下しないの」
と、そこで一拍置いて、少し難しいかもだけど、と前置きしてからヤタガラスは続けた。
「ちなみに、クロガネ君は自分のことはすっぽり忘れていて、対してそれ以外の物事の記憶は残っていたと思うけど、これは魂魄の特性だね」
「魂魄……」
「基本的に魂は精神、魄は肉体を指すんだけれど、この魂というのが……そうだなぁ。分かりやすく言うと、『世界に自分を認識させるための導』なんだよね」
「……なるほど。それで魂を入れ替えたから……それまで世界に認識されていた“クロガネ”という存在が無かったことになった、ということですか」
「そ。本来の『死』とは別の方法で魂が身体から抜け出たことで、その存在を世界に残しておくことが出来なくなったの。肉体的な『死』が先行していれば、魂は正しく身体から離れることが出来る。これがいわゆる人間にとっての死であり、その場合は他人から忘れ去られるといったことは起きない。……誰の記憶にも残らず、誰からも思い出されないことは、ある意味『死』よりも辛いこと。だから、クロガネ君は覚えていてあげてね」
「勿論です」
……本当に、『かつてのクロガネ』という存在は今の自分に取って代わられてしまった。そんな気がして少し虚しくもある。
けれどこの感情は、クロガネが背負うべきものでもある。そんな気もした。
「ちなみに、魔力不適応というのも実は魂によるところがあって、世界の認識の齟齬によって起きるの。だからこそ霊魂転生が最適解だったんだけど……私の能力不足で、ごめんね」
「それは」少しだけ、クロガネは声を荒らげた。「……タイミングが悪かった、それだけです。ヤタガラスさんは悪くない」
「そう言ってもらえると、少し気が楽になるよ」
ふっと笑みを浮かべるヤタガラスはどこか嬉しそうであり、けれどどこか寂しげでもあった。
そうしていくつかヤタガラスと話した後、クロガネの腹がくぅ、と鳴って、思わず顔を見合わせて笑った。
聞けば、クロガネは一日半ほど眠っていたらしかった。それなら当然、腹も減る。
「ちょっと待っててね、すぐに用意するから!」そう言って立ち上がったヤタガラスの手を、咄嗟にクロガネは掴んだ。「……ど、どしたの?」
「あ……と」クロガネは少しだけ頭を掻いてから、視線を上げる。「俺も、手伝います」
少しだけ驚いたような顔をしたあと、ヤタガラスはにっこりと笑った。
クロガネは、夜が嫌いだった。
──いや、違う。
ヤタガラスとの別れが近付いていることを思い出すから、それが嫌だったから、夜に八つ当たりしてただけだ。
けれど今はそうじゃない。
夜を嫌っている余裕なんか、始めからなかったのだ。
別れが必然であったとしても、いや、そうであるからこそ。
余所見をしている暇など、ないのだ。




