0-04 譲渡-①
少しだけ、淡い期待を抱いていた。
朝になれば、また昨日のような日々が戻ってくるのではないかと。
けれど、そんなことはなかった。
朝は、いつもと同じようにやってくる。
ただ一人、ヤタガラスだけを昨日に取り残して。
「……アマテラス、さん」
「ん? 何かな?」
ベッドで眠るヤタガラスを眺めながら、クロガネは静かに拳を握り締める。
部屋の中に太陽が差し込む。もう起きる時間だ。なのに、ヤタガラスはまだ眠っている。いや、眠っているというにはあまりにも微動だにせず、まるで死んでいるようにも見えた。
「ヤタガラスさんは、目覚めるんですよね」
「……まぁ、そうだね。今なら、私が起こしてあげることもできるとは思うけど」
「……? “今なら”?」
アマテラスは、昨日の雰囲気が嘘であるかの如く静かだった。
けれど、それを茶化すだけの余裕がクロガネにはない。
「本当は私が話すことではないけど」と前置きしてから、アマテラスは続けた。「ヤタガラスの症状は、重めの魔力欠乏症。だから、魔力の受け渡しをすれば目覚めさせることは出来る」
「…………」
「けれど、結局は対処療法であって根本的な解決にはならない。……それが、ヤタガラスの選択だから」
「……選択、ですか」
──ヤタガラスの、“選択”。
そこに、クロガネの抹消された過去と、そしてヤタガラスとの関係性が含まれているであろうことは、容易に想像がついた。
クロガネはぐっと身体中に力を込めてから……ふっと息を吐き、弛緩させる。
そして真っ直ぐにアマテラスを見据えた。
「……魔力の受け渡し、どうやったら、できますか?」
「クロガネ君には難しいかな。まぁ、今回は私が──」
「いえ」とクロガネは真っ向から断った。「自分でやります。やらせてください。……俺に、教えてください」
アマテラスは両目をまん丸に見開いて、クロガネを見つめた。そしてすぐ、ふわりと笑みを浮かべる。
その笑みは、ヤタガラスの笑顔に酷く似ていた。
「……しょーがないなぁ。特別だぞ?」
にんまりと笑ったアマテラスは、クロガネの額に向けて手を翳した。そのまま、魔法で何かしらするのかと思ったが……予想外にアマテラスはクロガネの頭を雑にわしゃわしゃっと撫でた。
何するんですか、と言わんばかりのクロガネの表情を見て、アマテラスはくすくすと笑う。
「私だって嬉しいんだからこれぐらいしたっていいでしょ」
「……嬉しい?」
「なんたって、ヤタガラスは私と深く関わりのある存在だからね。そんなヤタガラスのためにそこまでしてくれるクロガネ君も、私はめ〰〰っちゃ応援してるんだぞ〰〰」
そう言ってから、アマテラスはクロガネの頭を撫でる手を止めた。
「それじゃ、行くよっ」直後、アマテラスの手から、眩い光が放たれた。それは吸い込まれるようにクロガネの頭部へと収束し、そして──吸い込まれていく。「ほいっ!」
「……っ!? い゛っ!?」
クロガネは思わず声を上げて、身体を強張らせた。
い、痛い……!
通常とは何かが違う痛覚。けれど、クロガネはその痛覚を知っている。
どこかで、確かに感じたことのある痛み。
ああ、そうだ。
これは、クロガネが初めて魔法を扱ったあの時と、同じ痛みだ。
「ぐっ、う、あああ……!」激痛と共に、知識が流れ込んでくる。言葉としての理解ではなく、体感を伴った理解。まるでその動作を、かつての自分が行ったことがある。そんな感覚と共に、クロガネの脳内に魔法──『魔力譲渡』が記載されていく。「あ゛あ゛っ……!」
痛みがピークに達した瞬間、バチバチッ、と視界を横切る稲妻。そして、あっという間に痛みは霧散する。
クロガネは荒い呼吸をしながら、それまでの痛みの余波を感じていた。
そして、次第に思考が鮮明になっていく。
アマテラスに視線を向けると、ウインクしながらサムズアップしていた。思わず、クロガネは苦笑いを返す。
「…………あの。痛いとは聞いてないんですけど」
「まーまー。結果良ければ全て良しってね」
「まぁ、そういうことにしときます……」
クロガネはヤタガラスに向き直った。そして頬を二度ほど軽く叩いて、気合を入れる。
──深呼吸。
それから、ヤタガラスの胸元に向けて手を翳す。
魔力は心臓から全身に巡る。
だから、魔力譲渡は心臓付近が最も効率的なのだ。
「……魔力、譲渡」そういうや否や、クロガネの身体に倦怠感が襲いかかる。「うっ……!?」
アマテラスから得た知識と体感があったとて、実際に魔力を譲渡するのはまた別の話だ。思わず身体の力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
そんな状況であっても、アマテラスは一切手を貸そうとはしなかった。
それがクロガネは、少し嬉しかった。
「……ふぅっ」クロガネは深く息を吐き出すと、再びヤタガラスに翳した手に力を込める。「……魔力、譲渡!」
そうしてようやく、絞り出すようにしてクロガネの手から魔力が放出していく。淡い、水色の輝き、或いは光る粒子が宙を流れていく。
イメージするのは、川の流れ、水の流れ。クロガネという源流から流れ出た水を、ヤタガラスという湖に向けて流す。
「…………っ!」
流し始めてから、ようやくクロガネはその勝手を理解し始める。どうすればもっと上手く流れるのか、どうすればもっと流量を増やせるのか、流速を早められるのか。
次第に、クロガネの手から放たれる魔力の量が増えていく。洗練され、安定していく。
そうしていると、徐々に視野が狭まっていく。視界の大半が黒く染まり、見えているのはクロガネの翳した手の甲と、その周囲だけ。
けれど、不思議なほどに恐怖や不安はなかった。
もっと、先がある。もっと、先に行ける。
「あ」
ぱっと、視界が開けた。
壁を越えた、そんな感覚。
気が付けば身体を襲う倦怠感は消え、ヤタガラスに対しての魔力譲渡も終わっていた。
「……あれ?」と首を傾げるクロガネに、アマテラスが声をかける。
「ふふ。大成功だね」
「……そう、なんですかね」
「そだよ、ばっちり〰〰。流石だね」
アマテラスは満面の笑みを浮かべて、クロガネに近づく。そして、わしゃわしゃっと頭を撫でた。
うっとおしくもあり、けれど、どこか嬉しくもある。
クロガネは文句も何も言わず、アマテラスが満足するまで撫でられていた。
「やっぱり、クロガネ君は魔力親和性が高いんだねぇ。私もびっくりしちゃったよ」なんだそれ? と顔に書いてあったのだろう。アマテラスはくすくすと笑いながら続けた。「要は、魔力に愛されてるってこと」
「愛されてる、ですか。魔力に?」
「そ。魔力を練ってイメージ通りに魔法に落とし込むときの、ロスの少なさとでもいうのかな〰〰。効率がいいというか、まぁそんなところ。すごくいいことだよ。才能あり!」
それからアマテラスは、「ヤタガラスが起きるまでは少し時間かかると思うよ」と言い残して、途端にパッと姿を消した。
クロガネはぎょっとして虚空を見つめる。まさか突然消えるなんて。
そうして呆然としていると、突然背中に何かが触れた。ぞわぞわっとクロガネの肩が持ち上がる。
慌てて振り返ると、背後には悪戯っぽい笑みを浮かべたヤタガラスがいた。にひひ、と笑って、また音もなく姿を消す。
「〰〰〰〰!」
ヤタガラスがああなるのが少し理解できた。
きっとこうやって、アマテラスはヤタガラスをからかったのだろうなと思った。
ふと窓の外へ視線を移せば、雲一つない空がガラスの向こうに広がっている。
いい天気だ。……魔法の特訓日和だな、と思った。
小屋の外で、クロガネがショットを放つ音が響く。
ただの弾丸としてではなく、バリエーションをつけて放つ。連発や、曲射。高威力や低威力。一点集中や、拡散。
どれも未熟ではあるが、けれどやればやるほどに上達していくのが分かる。改善点が見えてくるのが、楽しい。
次第に慣れてきて、それまで当たらなかった的に当たるようになってきた。
そのたびに何歩か後退して、的までの距離を離す。
撃って、撃って。そうして何度も、繰り返す。連続で当たるようになったら、また後退する。
そうしている内に、気が付けばクロガネと的との距離は二十メートルほど離れている。
始めは五メートルでも中々当たらなかったことを考えると、かなりの成長だ。
そうして何度も繰り返していると、ふと小屋の方から物音が聞こえた。
木製の扉が、ぎぎぎ、と開く音。
「……私のおすすめは、ショットに回転をかけることかな」クロガネの視線の先には、申し訳なさそうな顔のヤタガラスが立っていた。「ごめんね。心配かけちゃった」
「そんなこと、ないですよ」クロガネはパッと表情を輝かせて、ヤタガラスに駆け寄る。「もう大丈夫なんです?」
「うん、ばっちり。……クロガネ君が魔力譲渡、してくれたの?」
少し照れくさそうに頷くクロガネに、ヤタガラスは嬉しそうに笑みを浮かべて。
「……ありがとう、クロガネ君」ギュッと、クロガネを抱きしめた。
「こちらこそ」そう言って、極力平静を装いながらクロガネは抱きしめ返した。
……心臓はバクバクと音を立てているのだけれど。
穏やかな時間。およそ十数秒の、静かな抱擁。
そしてヤタガラスがゆっくりと身体を離すのに合わせて、クロガネは口を開いた。
「……決めました」クロガネは真剣な表情でヤタガラスを見据える。「聞かせてください。これまでのことも、これからのことも。いろんなこと」
「…………」
ヤタガラスは少しだけ目を瞑って、そしてゆっくりと頷いた。
「……うん。分かった」そう言って、ヤタガラスはクロガネに手を翳す。……既視感。「でも、ちょっと長い時間話すのは難しそうだから、少しだけ横着させてもらうね」
「……頭が、ガーッ、って痛くなるやつですか?」
「うん。……知ってたんだ?」ヤタガラスは少し困ったように頭を掻いた。「痛い思いさせちゃうけれど、ごめんね」
それから間もなく、ヤタガラスの翳した手から光球が放たれた。
ゆっくりとそれは宙を舞い、クロガネの額に目掛けて進んでいく。
アマテラスに一度やられた“アレ”と同じなのだろう。クロガネは思わず身構える。
一度経験しているからこそ身構えられるのだから、アマテラスに無断でやられたことも決して無駄ではなかったのだろう。そう考えることにした。
……光球は音もなくクロガネの額に当たった。
パッと弾けて、途端にクロガネの脳裏に記憶が記載されていく────
◇
──かつてのヤタガラスには、四重の光輪が頭上に煌めいていた。
光輪、それは“神格保持者”の証。神の力を宿し、使命を持つ者。
ヤタガラスに与えられた使命、それは人々を導くこと。
別世界からの来訪者を迎え入れ、彼らがこの世界で生きていけるように手助けをすることである。
クロガネをこの世界……アルトレイリア世界軸に迎えたのは、ヤタガラスが神格保持者となってから実に五百年余りが経過した頃だった。それは神格保持者の代替わり間近、ヤタガラスにとっての最後の来訪者。
とはいえ、今までと変わりなくヤタガラスはその役目を果たす──はずだった。
そこで、三つの想定外。
この世界に来た時点でクロガネが重傷を負っていたこと、そして魔力不適応者であったこと。
クロガネは元の世界──原軸である“地球”で交通事故に遭っていた。その直後にこの世界にやってきたために、身体の大半に重度の損傷を負っていた。
当然ながらヤタガラスは治療を行うも、魔力不適応者であるクロガネの身体はなかなか回復しなかった。
それもそうだ。魔力によって行われる治療であったため、魔力に適応しないクロガネの身体は回復が遅れるのも当然だった。
解決策は、クロガネに新たな魂を与えること。霊魂転生である。
魔力不適応というのは治療可能な病気といった類いのものではなく、魂が魔力を根本的に拒絶しているものであるからだ。故に、霊魂転生によって新たな魂を与えることで、クロガネの身体を魔力に適応させることができる。
それは本来の神格保持者としての能力があれば可能であるはずだった。
だが代替わり直前であったヤタガラスは、あまりに不完全だった。
これが──第三の想定外。
結果から言えば、ヤタガラスにはそれを成すだけの能力がなかった。
霊魂転生を行うにもクロガネが魔力不適応は障害だった。だがそれでも、本来の能力が備わっていれば魔力譲渡を常時行い、霊魂転生を完遂させることができた。それだけ、魔力不適応というのは厄介な障害なのだ。
代替わりをするのは然程遠くはない未来のことである。
が、クロガネの命はそこまでは持たないこともまた明白だった。
ヤタガラスは悩んだ末に、一つの決断をした。──『神格譲渡』。
自身の神格を譲渡することにより魔力供給を補う他、神格によって魔力不適応の不都合を一時的にでも相殺することが出来る。そうなれば、クロガネの霊魂転生と治療を並行して行うことが出来る……という決断である。
実際、それしか手はなかった。一刻を争うクロガネを救い、かつ役割を果たす。それら両方を満たすことが出来る最良の選択肢。
だが代わりにヤタガラスは神格を失い、人格へと“堕ちる”。
ヤタガラスはそもそもが人間とは違った存在であるため、その姿を長く保つことは出来ないうえに、慢性的な魔力欠乏を始めとする不調を許容する他ない。
だが、ヤタガラスはそれを選んだ。
目の前の、救える存在を見捨てるという選択肢はハナから存在もしていなかったのだ。
そうして、ヤタガラスが神格譲渡を行おうとした、まさにその時だった。
重症であったクロガネが、奇跡的に目を覚ましたのは。
始めは、ぼんやりと空を眺めていた。ヤタガラスが覗き込むも、姿を認識していないようだった。
だがしばらくして、クロガネは視線を動かし、確かにヤタガラスの顔を見た。
「……痛いよね、苦しいよね。大丈夫、私が助けてあげるからね」
聞こえているかも分からないまま、ヤタガラスはそう言ってクロガネの手を握った。
その時だった。
「……僕、は」掠れる声で、必死にクロガネは言葉を紡ごうとする。「……、……これから、……消えるん、ですね」
「──!?」
ヤタガラスは驚愕した。クロガネは、自身が「消える」のだと形容した。「死ぬ」ではなく、だ。
理由も、経緯も分からない。だが確かにクロガネはそう言った。自身の置かれている現状と、これから起こることを理解しているようだった。
嘘だと、何かの冗談だと疑った。だが、クロガネの目は真っ直ぐにヤタガラスを貫き、揺るがない。
クロガネは咳き込みながら、言葉を紡ぐ。
「…………消えることは、怖い、です……けど……。もしも、貴方が……覚えていて、くれるなら……」クロガネは、気丈にも笑顔を向けた。「怖く、ない」
「勿論……!」ヤタガラスは、優しくクロガネの頬に手を添えた。「ちゃんと……覚えてるからね」
「……あ……なたの、なまえ……」
「ヤタガラス、だよ」
それに満足したように、クロガネは長く、長く時間をかけて瞬きをした。
──もう時間がない。
即座にヤタガラスは両手を胸元に添え、『神格譲渡』を発動させる。刹那、ヤタガラスを中心とした半径数百メートルに及ぶ空間内の魔力が鳴動した。
それは地鳴りの如く、ビリビリと空気を震わせる重低音。
すり減った神格ではあれど、それでも世界の理を覆すに足る奇跡の御業である。
超高濃度の魔力が周囲に充満し、一時的にヤタガラスとクロガネのいる地点を聖域にまで押し上げた。
「……もう一度、瞬きをした時。君は、君ではなくなる」
ヤタガラスは、少し寂しげにそう言った。
呼応するように、頭上に煌めく四重の光輪がカランと甲高く鳴る。……超高濃度の魔力は音や光を捻じ曲げる。まるで洞窟の中であるかの如く、甲高い音は長く反響していた。
神格譲渡が始まった。一度発動すれば、後戻りはできない。
けれどヤタガラスに後悔の二文字は存在していなかった。
「けれど不安がらないで」
光輪の最も外側の輪に、ひびが入った。ヤタガラスが寂しそうに微笑んで手を伸ばしたのと同時に、パキッと音を立てて砕け散る。細やかな輝く粒子が宙を舞うその姿は、まるでダイヤモンドダストだ。
その伸ばされた手を、クロガネは優しく握り返す。
「大丈夫、私はここにいるから」
そうして、彼──“クロガネ”は、静かに目を閉じた。




