1-42 救うべきもの/決意
「なっ……」その男が赫灼剣を持って地下に戻った時、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。「なに、が、あったんだ……!? クロガネ!?」
そこに広がっていたのは、クロガネの居る監獄の床が大きく抉れ、まるで地下に続く通路が突然現れたかのようだった。
そしてその横で、クロガネは勢いよく嘔吐していた。
少し目を離した隙に冒険者協会の建物が揺れたのは感じていた。だがそれがまさか地下でクロガネが起こしたものだとは思うまい。
現に、街中で行われている戦闘による音や振動が冒険者協会まで届いていたため、そちらと混同してしまっていた。
床に空いた穴、直径はおよそ二メートル。深さは、目視では確認できない。
初めはクロガネがここから逃走するための通路かと思ったが、そんな回りくどいことをする意味がない。ましてや音を立ててまですることではない。
「い、いや、何をしたんだ……クロガネ」
「……この街のため、ですよ」
「はぁ……? いや、は……? いったい何を……」
その時、ようやくクロガネが男を見た。それとほぼ同時に、男の持つ赫灼剣がカタカタッ、と震えた。「な!?」と声を上げ思わず手放した赫灼剣は地面に落ちる……ことはなく、引き寄せられるようにクロガネに向かって浮遊した。
「……!? ……!?」
突然の出来事に男は口をあんぐりと開けた。
象形装具だとは聞いていたが、武器に意志が宿っているかのような挙動をするとは聞いたこともないため当然だ。
「……動くのか、お前」
当然、クロガネも驚いた。だが、聞こえてくる声がますます大きくなり、それどころではない。
「う……ぐ。分かった、すぐに行くから……」
“彼女”の声。感情。それらにより併発した頭痛。更には魔力欠乏による倦怠感と吐き気。
クロガネの体調はまさしく最悪だった。
だが。
「──もうちょっとだけ、待ってて」
クロガネが赫灼剣を鞘から引き抜いた瞬間、まるで抑えられていた力が解き放たれたようにぶわ、と炎が溢れ出した。
「は!? おい!? 大丈夫か!?」
男が慌てるのも無理はない。クロガネの居る監獄のすべてを埋め尽くすほどの炎だ。普通であれば大怪我どころではないのだが……クロガネは、部屋の中心で静かに立っていた。
熱くはなかった。
寧ろ心地いい。
溢れ出した炎は一旦監獄を埋め尽くしたのち、徐々にクロガネの身体に吸い込まれていった。
ただ吸い込まれただけではない。クロガネにしか分からなかったのだろうが、その炎は空中に存在する魔力を吸い込み、それをクロガネに運んだのだ。
魔力欠乏から回復し、倦怠感と吐き気が嘘のように去っていく。
まるで赫灼剣に急かされているような気がした。
「急げって? ……分かったよ」そう呟くなり、クロガネは一切の躊躇いなく穴に落ちた。
「はぁ!?」と、男はまたも素っ頓狂な声を上げるが、それは既にクロガネには届いていない。「……なんなんだ、クロガネって男は」
クロガネが魔力を使い果たしてまで開けた穴の深さは約十メートル。かなり深さを感じるが、それでも地下深くの“彼女”まではもう少し距離がある。
とはいえ、この穴の中でショットでも撃とうものなら生き埋めになるのが容易に想像できる。
穴の底部まで到達すると、そこは完全な暗闇だった。
当然だ。地下ですら蠟燭程度の明かりしかないのだからここまで届くわけもない。だが、それにしては周囲がやけにはっきりと見える。
不思議ではあったが、見えるなら光源を必要とせず丁度いい。
ショットを使わずにここから先どうするのか、その答えは赫灼剣が教えてくれていた。
「じゃあ、任せた。赫灼剣」
そう言うなり、身体から急激に魔力が引き抜かれる感覚があった。
それは赫灼剣の刀身に集まり、真っ赤に輝く。武器屋で教わった通りの能力だ。けれど、あの時と違うのは自発的に魔力を流し込んでいるか、勝手に引き抜かれているのか。
武器屋ではある程度になれば魔力消費は少なくなって安定化したが、今回は違う。
思う存分魔力を吸収する赫灼剣は際限なく高熱化し、ついには触れずとも周囲の地面が勝手に溶解する程となった。
「お」
そして十分な魔力が集まったのか、カタカタ、と赫灼剣が震えたと思うと、クロガネの手を離れて勝手に浮遊し始める。
直後。赫灼剣を中心に莫大な熱が放出され始めた。
「うお……」
思わず後退し、距離を取る。クロガネはその姿に随分と身に覚えがあった。まさしく赤竜との戦闘時、真っ赤に輝き膨大な熱を放った姿そのものだ。
それは周囲を急速に溶解させていく。
赫灼剣、いや、赤竜の性質上、安定化すれば魔力消費が下がり、かつ周囲の魔力を吸収する。
クロガネの魔力を必要としなくなった赫灼剣は、勝手に周囲を溶解させながら“彼女”の元へと一直線に向かっていく。
クロガネが後を追いかけることを一切考慮していないのを除けば完璧だ。
「……ヤタガラスから氷魔法教わっててよかったな……」
真っ赤に溶解した地面を氷魔法で冷やし、赫灼剣が作った縦穴の淵まで向かう。覗き込んでみれば、驚いたことに“彼女”の元まで辿り着いていたようだった。
クロガネが覗き込んだのに気付いたのかは分からないが、見計らったように赫灼剣は光を失い、地面に力なく落ちた……の、だろう。
ここからではよく見えない。
クロガネは再度、穴へと身を投げた。
赫灼剣が光を失ってから、急速に周囲の溶解した部分から光が失われていく。
溶解していたのは熱による反応ではなく、魔力によって起こされた現象なのだろうか。
クロガネが底に着くころには、すでに周囲は冷えて固まっていた。
「…………これが、……いや、君が」
地面に刺さって沈黙する赫灼剣と並ぶようにクロガネは立つ。
視線の先に、目的の“彼女”はいた。いた、というよりは、あった。
真っ白な、やや楕円形状の球体。
『卵』だ。
それが一体誰の『卵』なのか、という疑問には既に答えが提示されている。
「赤竜の……」
ゆっくりと近付いて、抱きかかえる。
あれほど巨大な赤竜の卵が、クロガネの腕にすっぽりと収まるサイズなのは随分と意外だ。
そうして静かに抱いていると、それまで騒がしかった声や感情が、急速に静まっていくのを感じた。
「……もう、大丈夫だよ」
これが、赤竜に襲われ続ける街の全ての原因だ。
どうして卵がこんな地下にあるのか。いったい誰がこんなことをしたのか。どうやってここに放置したのか。
いくつも疑問が浮かび上がるが、不思議とそれらは一人の男へと繋がっていく。
セスタとククリを殺した男。
──パヌル。
“彼女”のものとは別の声がクロガネの脳内に響いた。
──あやつが、全ての、元凶。
何となく、この声は赫灼剣なのだと分かった。
もしかすると、もっと前からこの声は語りかけてくれていたのかもしれない。クロガネはそれに気付くことはついに今まで出来なかったが。
──クロガネ。どうか。
「……うん。まぁ、取り敢えず」クロガネは上を見た。「ぶっ叩き落すか。パヌルとかいうクソ野郎を」
──……力を、貸そう。
「ありがとう」
卵を抱えながら、赫灼剣へと手を伸ばしたクロガネの手の甲に、ふと何かが見えた。
……真っ赤な鱗が生えていた。




