1-29 時間が有り余るという幸せ
浴場からクロガネが自室に戻っても、まだ二人は夢の中だった。
朝日が昇ってやや時間は経つが、それでもまだこの宿の中に生活音は少ない。
椅子に座って、何をするでもなく二人が寝ている姿を眺める。
ちょっと犯罪者っぽいな、と思いながら。
けれど、この静かな時間がもっと続けばいいな、とも思いながら。
朝食の時間になっても目が覚めなかった二人を横目に、クロガネは着替えを済ませ、宿の一階まで降りた。
相変わらず深々とお辞儀する店主にたじろぎながら、三人分の朝食を取り分けてもらう。
それを持って部屋に戻った頃に、ようやく二人は目覚めたようだった。
寝惚け眼と寝癖をそのままにベッドに腰かけて背伸びと大きな欠伸をしていたマナは、その途中で動きを止めた。
クロガネとばっちり目が合ったからだ。
「……おはよう、マナさん」
どこか恥ずかしそうな表情で、視線を逸らしながら返した。「お……、おは、よう……」
朝食を備付の机に置いて振り返ると、まだミナは目が開いていない。
ベッドにぺたんと座って、枕を抱きかかえたままうつらうつらとしていた。
「いい……匂い」
「ミナさ~ん、朝食持ってきましたよ~」
「……、……」
一瞬だけミナの目が開いた気がしたが、すぐに閉じ、こてんとベッドに倒れてしまった。
その直後、マナが足で何度か突いたがそれでも起きる気配は皆無だ。
「こうなったらもうダメ。ミナは朝に弱い」
「そっか……」
ミナを残してクロガネとマナは先に朝食を済ませ、着替えまで完了した頃にようやくミナは起きたのだった。
──それじゃあ、ミナは留守番よろしくね。
マナからの衝撃の一言でミナの眠気は完全に吹き飛んだ様子だ。
だが、それを発したのはクロガネとマナが外出する寸前であったため、ミナの悲痛な声に後ろ髪引かれながらも二人は宿を出たのだった。
いや。
マナはどうやら後ろ髪引かれている様子もないような気がした。
姉妹というのはそういうものなのかもしれない。
そういうものだと思うことにした。
◇
冒険者協会に入って早速、受付に居たレイラと目が合った。
一直線にレイラの元へ向かうが、やけに冒険者の視線が突き刺さる。それを不思議に思いながらクロガネは進んでいく。マナはその半歩後ろを追随した。
受付に着くなり、レイラはふわりと微笑んで「お似合いですね」と言った。
「え?」
「赫灼剣。とてもお似合いです」
「ああ、ありがとうございます」
そう言われてようやく、視線を向けられていたわけを理解した。
確かに注目の的なのだろうが、ここまであからさまに視線を向けられると、かなりむず痒いものがある。
「……マナさんのことではなくてすみません」
申し訳ないような、だがどこか面白がっているようにレイラが続けてそう言った。
おや? とクロガネがぐるんと首を回して振り返ると、同じくマナも明後日の方向を向いて口笛を吹いていた。いや、吹けてはいないので口笛を吹く仕草をしていたというべきだろうか。
取り敢えずマナには触れず、クロガネはレイラに向き直った。
……背中側から圧を感じる。
「あの、エフレインさんは」
「相変わらず多忙ですが……お礼を言いたいということですよね」
「ええ、まぁ。こんないい武器貰っちゃったし」
「クロガネさんの実力があってこその象形装具ですからお礼など不要ですのに。やはり冒険者には似つかわしくない律儀な方です」
やはり冒険者というのは粗暴というか、雑というか、そういう人が多いのだろうか。関わったことのある数が少ないために判別つかないが、ヴォルガのような男がもしかすると冒険者らしい性格なのやもしれない。
そこでふとヴォルガのその後を聞こうかと思ったが、聞いたところでどうにもならない。聞くだけ無駄な気がした。
「恐らく、長い時間は難しいでしょうがお礼を言う程度の時間はあるでしょう。掛け合ってみますので少々お待ちいただければと思います」
「よろしくお願いします」
お辞儀をひとつ。そうしてレイラは受付の奥へと下がっていった。
少し待つことになるのだろうと、受付から最も近い壁際の椅子まで移動したところで、想定よりもずっと早くエフレインは受付の向こうから姿を現す。
「やぁ、クロガネ君。目覚めてからも声を掛けられずすまない」
クロガネは慌てて立ち上がり、エフレインに駆け寄る。
「いやいや、忙しかったと聞いてますから。寧ろわざわざここまで来てくださって……」
「なに、休憩がてら降りてきただけだ。気にすることなどない。それに……そんな畏まるな。今や君は無名の冒険者などではなく、赤竜を撃退した実力者だろう。もっと胸を張った方がいい」
「そんな柄じゃないですよ」
「まぁなんにせよ、今回は本当に助かった。赤竜との戦闘経験がある者など数える程度だからな。最悪の結末だって有り得た。そんなクロガネ君に相応しい武器を頼んだつもりだが、気に入ってくれたかい?」
「そりゃあもう、最高です」
そんなクロガネの嘘偽りのない表情を見て、エフレインの顔が綻んだのをマナは見逃さなかった。
「うわ。エフレインが見たことない優しい顔してる!」
「失礼な奴だな。マナ。お前のいるところで私が常に仏頂面なのはお前ら姉妹の普段の行いのせいだ」
「ひどい! 優しくされて伸びるタイプなのに!」
「悪い方向に伸びても困るだけだ。……クロガネの爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ?」
「それっておいしい?」
「不味いだろう。良薬だからな」
マナはいつになく感情を高ぶらせているようだが、それでもエフレインに襲いかかる様子はない。
エフレインとマナ、ミナの間には明確なヒエラルキーが存在しているであろうことは想像に難くない。
「マナはさておき」
「さておきってなん──むぐぐ」
言い返そうとしたマナの口元を、いや、顔の下半分をエフレインが鷲掴みにした。
デカ。それがクロガネの素直な感想だった。
エフレインの大きな手がマナの小顔を埋め尽くさんとしている。
過去、冒険者を経験しているからか、女性にしては武骨な手。可愛い、美しいといったものとは無縁だが、寧ろそれがエフレインらしさとも言うべきか。
「クロガネ君。これからの予定は?」
「お散歩にでも」
「散歩?」
「ええ。街の外をふらふらと」
エフレインはぶはっ、と噴き出した。
「……流石クロガネ君だな。普通じゃない」
「やっぱ変ですかね」
「いや、知見を広げていくことは悪いことではない。というか、君ほどの実力があれば大概の場所は危険でもないだろう」
と、そこでエフレインは少し考える素振りをして、「いや、折角なら……」と呟いた。
クロガネは直感で分かった。ついでに他のパーティと行動してみろ、とかそんなところではなかろうか。
「確かこれから街の外周警備にシユウのパーティと他何名かが向かうはずだ。折角なら一緒に回ってくれないか」
やっぱり、と思った。
なお、始めから断るつもりは毛頭ない。
「是非!」
────と、言ったものの。
「流石に二十人は聞いてない」
「安心してくれ。俺も驚いてる」
クロガネは久方ぶりに会ったような気がするシユウと顔を合わせて開口一番、そんな言葉を交わした。
場所はカルファレステ街西部。
街と外部の境にある門の前で集合の段取りだった。
本来はシユウのパーティと個人で活動する三名程度の、計八名のはずだった──が、それを大幅に上回る冒険者がそこにはいた。




