0-02 “13日”
女性に連れられるまま、クロガネは森の中にある小さな小屋に辿り着いた。
見た目は山小屋といった雰囲気で、決して豪華だとか広いとかいうわけではない。だが、清潔に保たれているのは一目で分かる。
というか、建物というだけで安心感が全然違った。
女性が扉を開けて建物に入ってすぐ、壁を手で触れた。すると、建物内部にパッと光が灯る。
夜の暗闇の中に煌々と輝く室内に、クロガネは安心して足を踏み入れた。
女性が触れた壁を見れば、碧い宝石がはめ込まれているのが分かる。魔法によって光を灯している、ということなのだろうか。
どこか落ち着かず室内をキョロキョロと見回すクロガネに、女性は「こっちこっち」と声をかけた。
そうして案内されたのは、木製のテーブルと椅子が置かれた、いわゆるリビングのような場所だった。
促されるままに椅子に腰掛けると、女性はちょっと待っててね、と言って別の部屋に行ってしまった。
……そうして待つこと約三十分後。
クロガネの目の前には、それはもう所狭しと料理が並べられている。
それこそ、テーブルの上に手を置く隙間すらないほどにぎっしりと、だ。
「…………」
さらに言えば、各々の皿に乗った料理の量も半端ではない。握りこぶしを四つ、いや、五つ分ほどの高さがある。
ひとつの皿を食べきるだけでも一苦労しそうだが……。
だが、それらの料理が間違いなく絶品であることは、料理から立ち上がる湯気と共に鼻孔をくすぐる香りが証明していた。
口内に唾液が溢れ出すのを感じる。
少し前まで感じていた言い表しようのない不安、巨大な怪物に襲われていた恐怖、それらの反動であるかの如くクロガネは空腹感に襲われていた。だからこそ余計に、その料理が魅力的に映っているのだろう。
視線を料理から上げると、正面に座った女性と目が合った。
満面の笑みでクロガネを見つめている。
「……? どうしたの? 食べてもいいよ」
「あ、いや、その……」
言っていいのか、少し迷った。
流石に食べきれない……と。
というよりそもそもの話をすると、クロガネは目の前の女性に見覚えこそあるものの、だがその正体をはっきりとは思い出せない。
ほとんど初対面といっても過言ではないのだ。
それ故に、どこまで正直に話していいものか判別しかねていた。
ましてや、灯りに照らされた女性の顔は、どこか神々しさすら感じさせるほどに……美しい。
端的に言えば、クロガネは恥ずかしがっているのだ。
この森の中にポツンと存在する建物の中で、クロガネと女性の二人きり。しかも女性はクロガネに面識があるようで、屈託のない笑顔を向けてくるし、先ほどは抱きついてまで来たのだ。
どうすればいいものか。
この明るい場所では、余計に意識してしまう。思わずクロガネは視線を逸らす。
……と。
「あ、もしかして、照れてる……?」
ドキーン! と心臓が跳ねた。図星である。
「……その、……はい」
「あは」女性は嬉しそうに笑った。「……うん、やっぱり。君は、そういう子だって知ってたよ」
──知ってた……?
ふとクロガネはその言葉に引っかかるも、間髪入れずに女性は続けた。
「……ま。その辺の話は一先ず置いといてさ。まずは腹ごしらえ。でしょ?」
まるでタイミングを見計らったかのように、クロガネの腹がグーッと鳴った。手で押さえるも、止まるわけもない。
「んんん……」クロガネは頭を掻きながら、女性を見た。「はい……仰る通りで……」
「お腹は正直だね! ほら、食べよ! 食べきれなくても大丈夫だからね」
思考を読まれた? 思わず視線を上げると、女性はにっこりと微笑んだ。
何も言いはしなかったが、クロガネの心中を見透かしているような気がした。
女性の方が、クロガネより一枚も二枚も上手なようだ。
その証拠に、女性は美味しそうに食事を食べ始めた。それこそ、クロガネに見せつけるように。
見ているだけで、よだれがこぼれそうになる……そんな感じで。
意を決してクロガネは、料理に手を伸ばした。
「………………めっっっちゃ、ウマぁ!!!!」
それはもう、絶品だった。
一口食べると、もう手は止まらなかった。口の中がパンパンになるまで頬張り、噛み締める。
全部美味しい。本当に、全部美味しくてしょうがない。
クロガネは無我夢中で食べ続けた。
途中、何故か涙が溢れた。
自分でも訳が分からなかったが、心の奥底から湧き上がる感情に抗えなかった。
手で涙を拭い、また食べる。
食べて、食べて、また涙を拭う。
哀しいとかじゃない。
嬉しい。
幸せなんだ。
こうして美味しいものを食べられることも。
そして。
……女性とこうして、食事を共にできることも。
「…………」ふと、クロガネは女性の顔を見た。理由は分からないが、突然の脳裏に浮かび上がったその名を、確かめるように口に出した。「ヤタ、ガラス……?」
「……!」女性は驚いたように目を見開いて、すぐに、ニッコリと笑い返した。「うん。そうだよ、私はヤタガラス。覚えててくれたんだね、クロガネ君」
どう考えても食べきれないと思っていたのに、その予想に反してクロガネと女性──もとい、ヤタガラスは全ての料理を平らげてしまった。
自分の胃袋の容量の大きさに、一番驚いたのはクロガネ自身だった。
信じられないといった表情で、クロガネは自分の腹を撫でていると、ヤタガラスは堪えきれずに噴き出した。
「ふふっ、クロガネ君は、結構食べる方なんだね」
「ちょっと、自分でもびっくりしてます……」
「まぁ、気持ちいいぐらいに食べてくれるから、私からしたら嬉しいんだけどね」
それからは、特に示し合わせたわけでもなく二人で食器を片付けた。
教わったわけでもないのに、何となく食器を片付ける場所が分かる。クロガネがヤタガラスに視線を向けると、無言で頷いた。思うままにやってみて、ということなのだろう。
ヤタガラスから食器を受け取り、朧げな記憶を頼りに戸棚を開ける。綺麗に整列された食器の中に、クロガネが手にした食器を見つけた。
それを繰り返していく。知らないはずの場所を知っている。何度経験しても、不思議な感覚だった。
結局一度も迷うことなく、ヤタガラスの手を煩わせることもなく、全ての食器を片付け終えた。
「…………」クロガネは、信じられないといった様子で自身の手を見つめた。「知ってるんだ……この身体は、いろんなことを……」
「おーい」呆然と立っていたクロガネの手を、ヤタガラスが引く。「手伝ってくれてありがとね。あっちで休も」
手を引かれるまま、椅子に座る。食事の時と同じく、ヤタガラスは対面に座った。
テーブルには飲み物が入ったコップがあった。ふわりと香る果実の匂い。先にヤタガラスはそれを飲む。クロガネもそれに倣ってコップを手に取り、一口。
……とても、甘い。少し甘ったるすぎるかとも思ったが、飲み下した後に爽やかな後味が口内に広がった。かなり美味しい。目をまん丸に見開くクロガネを、ヤタガラスはニコニコと見つめていた。
そうして、しばらくの沈黙が流れる。
居心地が悪いわけではない。寧ろ、心地いいぐらいだ。
言葉を交わすわけでもなく、ただ二人で同じ空間にいるだけ。時折コップを傾けては、少しづつ飲む。
少しぬるくなったかなと思ったのを見計らったように、ヤタガラスはコップの上に手を翳し何かを呟く。から、かららん。と、コップの中に透明な氷が落とされた。
くい、とコップを傾ける。甘さが少し和らぎ、冷たさが心地いい。
そうしてコップが空になった頃だった。ヤタガラスは椅子の背もたれに寄りかかり、天井に視線を向けてから、「それじゃ」とクロガネに視線を戻す。その表情は、少し暗い。「いろいろ聞きたいことあると思うけれど……まずは私のことから、ね」
そう言うなり、テーブルに手を置いて目を閉じる。
最初は手を置いたその周囲が光り始め、次第にその光がテーブル全体に広がっていく。
僅か数秒でテーブルは光に埋め尽くされ、そしてその光は明滅しながら形を変えていった。
地図、だろうか。
正確には光の粒が収束して描かれた、立体的な地図。まるで、小さな箱庭を俯瞰しているような感覚だ。
中央には森らしきものがあり、右には背の高い山が主張的だ。その更に右に向かえば海がある。視線を動かして左斜め上には、森に囲まれた空間に巨大な“穴”が見て取れた。主に際立った景色というのはそれぐらいで、厳密にはそれ以外にも大小の山や川、道や街も確認できる。
そして不思議なのは、森の左側のかなり広い範囲はただの平面で、何も描写されていない。
「今いるのは、ここ」ヤタガラスは中央の森の、そのど真ん中を指で指した。「アルカレードの森の最奥」
「……広い、ですね」
アルカレードの森と呼んだそれは、周囲の地形と比べてもかなり大きい。かなり大きな街がその周囲にはいくつか見て取れるが、それらをすべてまとめてもまだ森の方が広い。
「そしてクロガネ君は、少なくとも十三日後には、今いるこの小屋から出て外の街を目指すことになる」
「じゅ、十三日後……?」
周りの景色からの目測ではあるが、何日も歩き続けなければ森を出ることすらも出来ないように思えた。
そして引っかかったのは、“十三日後”という明確な期限があることだ。それはつまり、十三日後に何かがあると考えるのが自然だろう。
何となく感じられる、嫌な予感。
恐る恐る、クロガネはヤタガラスに尋ねた。「……その、十三日後に何があるんですか?」
ヤタガラスは、少し間を置いてから答えた。「私が、この世界から、消えるの」
まるで、心臓を凍える手で掴まれたかのような感覚が身体中を走り抜ける。
クロガネは、言葉を失った。
「…………っ」
「お、驚かせてごめんね。それに、色々詳しく説明するにしても、まずはこのことを話さないと……だから」
クロガネは胸に手を当てて、何度も深く息を吸っては、吐いた。
動揺しているのは間違いない。
けれど、その動揺は厳密にはクロガネのものではない。自分ではない誰かの感情が、クロガネの身体を通じて流れ込んできたような、そんな感覚。
苦しい。胸が、締め付けられる。
「あ、ああ、その、ゴメン……まだ混乱してるだろうに、こんな話して……」
「…………い、や、その……」
ヤタガラスは、あわあわと困ったように視線を右往左往させる。
そして。
「きょ、今日のところは一旦寝よう! うん、それがいい……はず」そう言うなり、ヤタガラスは勢いよく立ち上がって、そのままクロガネの手を引いて部屋を出る。「あ、ベッド一つしかなかった、けど、まぁ、いいか、うん、今日は一緒に寝よ! うん!」
…………。
……………………?
何か、すごいこと言った気がした。
上手く思考が回らないまま、あっという間に寝室に着く。一人用といった雰囲気のベッドがある。どう見ても二人だと狭いのは明白だが、ヤタガラスはそんなことお構いなしにクロガネごとベッドに飛び込んだ。
クロガネが逃げるよりも先に、ヤタガラスはクロガネの身体を抱き寄せる。思いっきりクロガネの顔面は豊満な胸に埋もれた。
何だこれ。
本当に、何だこれ。
感情の振れ幅が激しすぎて、思考が追いつかない。まとまらない。
夜に森の中で急に目覚めて、巨大な怪物に襲われて。
ヤタガラスに救われて、食事して、とんでもない事実を知らされて。
……今は、抱きしめられている。
まだまだ、分からないことが多い。
けれど、ただ一つだけ分かることがある。
ヤタガラスに抱きしめられるのは、やけに安心する。
あっという間に睡魔はやってきて、クロガネは瞼を開けていられなかった。




