キキーモラ達のストライキ
俺が目を覚ますと、フォラスが笑みを浮かべて声をかけてきた。
「ケイよ……あのフェンリルとやりあったそうじゃな。」
「ええ、そうですね。アリシアのことを侮辱したのでついカッとなって……」
「まあ、結果としてよかったのじゃろうな。あの脳筋にしては珍しく、お主を魔王軍の管理者として認めると言っておったわ。」
「そうですか。それはよかったです。」
フォラスが少し難しい顔をして、俺に問いかける。
「ケイよ……お主のあの右腕に魔力を込めた時、何を思った?」
俺はあの時のことを思い起こしながら答えた。
「あのまま屈してはアリシアの名が穢されたままになってしまう。そして、俺にもっと力があればと思いました。」
フォラスは優しげに微笑んだ。
「フェンリルがお主を認めたのは、ケイが純粋にお嬢様を思っているということが伝わったからじゃ。ただ、肝に銘じておくがよい……行き過ぎた力は破滅を呼ぶことになるということをな。」
俺は今更ながらに、あの魔力を込めた右腕のことを思い出した。
恐らくあれをフェンリルに放っていれば、彼もただではすまなかったのかもしれない。
「俺……そんなつもりじゃなかったんです。ただ、必死で何とかしたいと思って……」
フォラスが俺に耳打ちする。
「分かっておる……だからこそ、フェンリルがお前の武術の師範を務めると言っておった。」
俺が驚きに目を見開いた瞬間、耳に熱い吐息を吹きかけられた。
「ぴゃあぁぁぁぁぁ!?」
俺が素っ頓狂な悲鳴をあげると、アリシアが部屋に飛び込んでくる。
「ケイ、大丈夫ですか! えっ……?」
なんとも羨ましくない、爺に抱き着かれながら耳に息を吹きかけられて悶絶している姿を見てアリシアが固まっている。
フォラスがアリシアに笑みを浮かべて告げる。
「ケイは耳が弱点のようですじゃ……いつかそういった時のために、覚えておくとよいかもしれませんぞ?」
アリシアが顔を真っ赤にして俺を見ている。
(いや……そういうんじゃなくってさ……)
俺は爺を押しのけると、アリシアに笑いかける。
「おはようアリシア。もうすっかり治ったから大丈夫だよ。」
アリシアが俺に駆け寄って抱き着いた。
「あまり無理をしないでください……私、本当に心配したんですから。」
「だけど……俺、何も悪くもないのに貶められるのは嫌なんだ。」
「わかってます……だから……」
アリシアは不意打ち気味に俺の耳たぶを噛んだ。
「ひゃあぁぁぁぁ!?」
俺がビクッと身を震わせながらつい悲鳴を上げると、彼女はころころと笑っていた。
「お仕置きです。無茶はしないでくださいね。」
フォラスは寂しそうな顔でぼやいた。
「儂の時はあんなに恐ろしい魔法を使うのに……」
俺とアリシアは声を合わせて突っ込んだ。
「「それはフォラスの自業自得です!」」
しばらく沈んだ顔をしていたフォラスが、思い出したように一通の手紙を差し出した。
「おお……そうじゃった。フェンリルからの依頼を忘れておったわ。」
手紙を開けてみると、少し雑な字でこう書かれていた。
――掃除と洗濯担当の女達がストライキを起こしているので助けてほしい。
俺とアリシアは思わず顔を見合わせた。
(なんだろう……すごく嫌な予感がする)
フォラスは手紙の内容を見て笑っている。
「キキーモラどもを怒らせたようだな。あれは普段穏やかなだけに怒るとすごく厄介でな……まあ、儂がそこまで案内してやろう。」
いろいろと面倒な予感がするが、俺とアリシアはフォラスに従って、フェンリルのもとへ向かうことにするのだった。
* * *
俺達がフェンリルのもとに到着すると、ちょうど修羅場の真っ最中だった。
フェンリルといかにも武人といった風体の魔物達が、メイド服を着た魔物達と大喧嘩している。
「うっせえなあ……俺達が脱いだもんを洗濯するのが、お前らの役目だろうが。なんでそんな面倒臭いことしなきゃなんねえんだよ!」
「私達は子供でもできる当たり前のことを言ってるんです! 何でもかんでも脱ぎ散らかさないでってね……シャツとズボンぐらいは別々にしてと、あれほど言ってるじゃないですか。」
「だあぁぁぁぁ! これだからババアは面倒くせえ。お前は俺の母親でもないくせに、いちいち細けえんだよ。」
部下の魔物の暴言に、一瞬にしてメイド達の目が殺気立った。
「キイィィィィ!? 誰がババアですってえぇぇぇぇ!」
(あ……これ、完璧にNGワードですな)
フェンリルは丁度良く俺が来たことに気付いて、両手で肩をつかんでメイドたちの前面に立たせた。
「あれだ……ケイはこういった面倒ごとの専門家らしい。あとはこいつが何とかするから、こいつを通して話をしてくれ。」
そして、彼らはそのまま逃亡していった。
その場に俺とアリシアが取り残される中、どこか気まずい空気が流れる。
メイド達はアリシアを見て、ヒソヒソと小声で何かをつぶやいているようだ。
ひとまず、俺はメイドたちに一例をして自己紹介をする。
「魔王軍の管理者に任命されましたケイと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
メイドの中でもひと際、厳しそうな者が前に進み出た。
(へぇ……カラスと狼が混じった感じがするなあ)
こげ茶の長髪を清潔に結え、耳は狼のようなふさふさした毛でとんがっている。
そして、上半身はいかにもな獣人といった感じなのだが、下半身はカラスのような恰好で、なんとも不思議な雰囲気だ。
彼女は先ほどの暴言でかなり怒っているのか、俺に向かって乱暴な口調で問いかける。
「何をじろじろと見ているのよ。まあいいわ……貴方が今回の件を解決してくれるっていうのは、本当かしら?」
「そうですね。フェンリルから依頼を受けて参りましたが、お姉さん方に何か失礼があったのでしょうか? よかったら聞かせてもらえませんかね。」
お姉さんという言葉を聞いた彼女は少し機嫌を良くしたようだ。
「あなたはあの獣と違って礼儀というものを知っているようね。いいでしょう……私の名はブルーム、《キキーモラ》という種族です。なぜ私達が怒っているのかを聞いてくださいな。」
そして、ブルームは憤激しながら俺にフェンリルたちの酷さを語るのだった。
――要約するとこうなる。
フェンリル率いる武術修練をする者の服の用意を担当している者が、泣きながらブルームのもとに駆け込んだ来たそうだ。
なんでも、シャツとズボンを無造作に洗い籠へ投げ込みまくる上に、靴下もすべて混ぜてしまうので洗濯後の整理が膨大になってやってられないそうだ。
魔法兵団のような知的な人たちは、こういったルールをしっかり守るのに、なんで亜人の武人たちはこんなガサツなのかと、怒り心頭なのに『細かすぎる、繁殖期のイライラか?』と言われてついに堪忍袋の緒が切れたそうだ。
(なるほど……ルールを守ってくれないわけか)
こういったときに無理やり守れと言ってもなかなか上手くはいかない。
相手のことを思いやれというのはあくまで余裕があればこそであって、余裕がない者同士ではそれもきついだろう。
俺はブルームに深く頭を下げて、提案する。
「すみませんが、一度洗濯をする場面を見せてくれないでしょうか?」
ブルームは一瞬驚いたような顔をしたが、静かに頷いて一匹のキキーモラを連れてきた。
彼女は俺に深く礼をして挨拶をする。
「ウエスです。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしく。君達の仕事がどのようなものかを見せていただいて、どうすればうまくいくかを考えたいんだ。」
ウエスは静かに頷くと、俺とアリシアを洗濯場へと案内するのだった。