金狼との対峙
廊下に出ると、フェンリルは俺に向き直った。
「そういえばこの廊下だが、お前があの糞爺に余計な助言をしたせいで、歩きにくいったらありゃしなかったぞ。」
俺は、思わず廊下の先を見渡すと、罠が作動した跡があちこちに見られた。
(え……これ全部引っかかったやつなの? なんでこの人こんなピンピンしているの……)
「えっと、フェンリルはこの罠にかかっても大丈夫だったんですか?」
「そりゃあ、亜人の武人を統べるもんなんだから、魔法耐性とかばっちりついているぜ。それにな、あんなもん根性で何とか耐えられるもんだ。」
「ハ……ハハハ、そうです……か……」
(やべえ、この人は絶対脳筋タイプだ……論理とか関係なく自らの道を行く人だよ)
工場に一人はいる、なんでも《てこの原理》で解決するという恐ろしい理論を持つ奴を思い出して、俺は戦慄した。
(ほら……やたら太い腕していて、180㎏のドラム缶を真空投げの要領でくるりと回しながらぶん投げて、どや顔で『どうだ若造? これがてこの原理だ』とかいう奴一人はいるよね)
遠い目をしている俺の手を引っ張って、フェンリルはずかずかと廊下を進んでいく。
そのとき俺は気づいた。
(あ……やば……あれ、あかん奴だ)
俺は必死にフェンリルに伝える。
「フェンリル、あれはやばい罠です。回避しましょう!」
だが、彼は笑みを浮かべて叫ぶ。
「心頭滅却すれば火もまた涼しいぃぃぃぃ!」
そして見事に罠が作動して、俺は溶岩にまた飲み込まれた。
「ぎにゃあぁぁぁぁ!? 全然涼しくねえぇぇぇぇ……」
俺の悲鳴と裏腹に、フェンリルは哄笑し続ける。
「おらぁ! 糞爺が、もっとすごい罠を用意してこねえかあぁぁぁぁ!?」
(あ……もう駄目……)
俺の視界が真っ暗になる中、廊下が吹っ飛ぶような轟音がしたような気がしたのだった。
* * *
(う……ひどい悪夢を見たような気がする)
俺は、意識を取り戻すと、アリシアに膝枕をされていた。
(え……ええぇぇぇぇ!? なに……この幸せシチュエーション)
あたりを見回すと、さっきまであったはずの廊下が、いつの間にか消し飛んでいて……
――フェンリルが正座をしている。
俺は何となく嫌な予感がして、冷や汗を流しながらアリシアに問いかける。
「えっ……と、この状況は一体どうなっているのかな?」
アリシアは黒い笑みを浮かべて、俺の問いに答えた。
「ケイ……フェンリルには、一度きつく《耐性なし》と《痛覚無効》についての説明したのですが、全く理解できていないようでしたので、強硬手段を使わせてもらいました。」
フェンリルが叱られた後の子犬のような顔で、俺に助けを求める。
「ケイ、すまねえ……悪気はなかったんだ。ほら、お前ってお嬢様の魔法を食らっても復活できてるし、溶岩ごときでは大丈夫だと……」
アリシアがピシリと言い放つ。
「その考えがおかしいのです! 貴方だって銀の武器で斬られたら痛いでしょう?」
「痛みなんざ怖くねえさ。それを乗り越えるのが漢ってもんよ!」
俺を膝枕をしたまま彼女が魔法を放つと、地響きと共にフェンリルの横の床が消し飛んだ。
フェンリルが涙目で俺に何とかするように訴えた。
俺は、アリシアを見つめて優しく伝える。
「ア……アリシア、ちょっとだけ落ち着こうか。あと、膝枕ありがとう。おかげで大分楽になったよ。」
アリシアの顔が嬉しそうに緩むと、フェンリルはホッとした顔で俺に謝る。
「すまねえな……命拾いしたぜ。やっぱり《男殺し》の二つ名は伊達じゃねえな。」
俺はその言葉を聞いた時、すぐに立ち上がってフェンリルと対峙した。
「その言葉は取り消してもらいたい。」
「は? 何をそんな怒ってるんだよ。本当のことじゃねえか。」
「彼女は、そんな酷い二つ名をつけられる所以なんてないんだ。」
「お前だって半身吹っ飛ばされたときに思ったんじゃねえのか? やっぱりあの娘は死神……」
俺はフェンリルが最後まで言い終わる前に、彼を殴りつけた。
「そんなことを、一度も思ったことはない……そして愛する女を侮辱されるのは、一番許せないことだ!」
フェンリルが金の狼に変身して俺をにらみつける。
「どうやら死にたいらしいな……実のところ、俺は転生者様が大嫌いでね。ただ、お前はいつもの奴らとは違うと思ったのだが……残念だよ。」
「だからどうした? 転生者が気に入らないというならば、いくらでも殴られてやるよ。だが、今の言葉は取り消せ!」
「そういうものは、力でねじ伏せて言わせるものだ!」
フェンリルが俺に飛びかかろうとした時、アリシアが魔法を使おうとした。
俺は、彼女に向かって叫んだ。
「アリシア! これは男同士の勝負だ、手を出さないでくれ。」
フェンリルが舌なめずりをした後、どう猛な牙で俺の喉笛を掻き切る。
「お優しいことで……だが、お前だけで何ができるというのかな?」
喉元が焼けた棒を押し付けられたように熱くなるが、俺は構わずにフェンリルに頭突きをかました。
だが、まったくフェンリルには効いていない。
「そのふぬけた攻撃はなんだ? 攻撃っていうのはこうやるんだよ。」
彼は目にもとまらぬ速さで右腕を動かして、鋭利な爪で俺の胸元を切り裂いた。
衣服と共に、俺の胸が切り裂かれて激しい痛みが襲う。
喉元が切り裂かれているせいで、叫び声すら上げられない状態の俺に、フェンリルは呆れた顔で言い放つ。
「どうした……お前の実力はそんなもんなのか! 弱え癖に喧嘩を売るほど、みっともないことはないよな?」
さらに彼は、俺に強烈な蹴りを放って吹き飛ばした。
「おいおい……これじゃ俺が弱い者いじめをしているようじゃねえか。今、土下座して謝るなら、許してやってもいいぞ?」
あまりに一方的に嬲られてる状況を見て、いたたまれなくなったアリシアが、俺とフェンリルの間に割って入る。
「もういいでしょう! ケイはまだ戦い方すら知らないのです。私が代わりに謝ります……だから彼を……」
だが、俺はアリシアの肩をつかんで首を振る。
そして、再びフェンリルと対峙して彼を睨みつける。
「……俺は…………謝るつも……ない……」
叫んだつもりなのに、まだ喉が回復しきらずに十分な声が出ない。
そんな俺を見たフェンリルは少し気圧された顔で問いかける。
「戦ったことがない奴ならば、もう逃げだしてもよいはずだろうに……そうまでして、何故アリシア様を守ろうとするのだ?」
俺は真っすぐに彼を見て言い放つ。
「二度も……せるな……俺の愛する……」
フェンリルは冷たい顔をして俺の眼を切り裂く。
視界が閉ざされる中、何度も体が切り裂かれる感触がした。
「いいだろう……どこまで耐えられるか、俺が見定めてやる。」
――全身が熱く、痛みが体中を駆け巡る。
だが、ここで屈せばアリシアの名が穢されたままになってしまう。
(胸が苦しい、俺にもっと力があれば……)
その時、ルキフェルの言葉がふと頭に浮かんだ。
――魔力を体にまとわせるのだ。
俺はこの胸の苦しみも含めて全ての魔力を右腕に込めた。
禍々しいほどの力の奔流が右腕に流れ込むと同時に、激痛が体を駆け巡る。
感覚が研ぎ澄まされ、見えないはずのフェンリルが動揺しているのが手に取るように分かった。
俺は、彼に問いかける。
「どうした……体を切り裂かないのか?」
だが、フェンリルからのの攻撃が来る気配がない。
目が回復してきて、彼の姿が鮮明に映り始めた。
呆気にとられた顔で俺を見ている姿を確認した瞬間に、つい気が抜けてしまい一気に力が抜けてしまった。
前のめりに倒れそうになる俺を、フェンリルは優しく抱き留めて静かに告げる。
「俺の負けだ……試すような真似をしてすまない。あの糞爺が言う通り、何度切り裂いてもお前は一歩も引かなかった。そして最後のあの凄まじい力……アリシア様への純粋な思いを感じたよ。」
そして、アリシアに向かって傅いた。
「貴女を侮辱したことを深くお詫び致します。俺は三百年もの間、目が曇っていた愚か者でした。ですが、彼の者は身をもって示してくれました……貴方の噂が言われなきものであることを。」
さらに、動けなくなった俺をアリシアに引き渡して頭を下げる。
「ケイよ……すまないが、体が回復したら今度こそは仕事を頼みたい。虫の良い話だが、受けてくれるだろうか?」
俺は笑顔で頷いたが、そのまま視界がぼやけていく。
(最後のあの力は……一体?)
アリシアが俺を強く抱きしめて涙を流した。
「ケイの馬鹿……また私のために無理をして。でも、本当にありがとう……」
その言葉で安心してしまったのか、俺の意識は急激な眠気に押し流されていくのだった。




