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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか  作者: Operator3118
第1章 支援機関の外へ
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第6話 訓練

チャイロンが訓練場所を手配してくれた。


 市街地から車で三十分。農地の外れにある廃屋だった。元は倉庫か何かだったらしく、コンクリートの壁が残っている。周囲に民家はない。銃声が届く距離に人がいない。それだけで十分だった。


 スッティンが車で連れていった。二人だった。


 廃屋の中に入った。


 床にコンクリートの破片が散らばっている。壁に亀裂がある。奥の壁に、スッティンが段ボールを貼り付けた。中心に黒いマジックで丸を描いた。即席の標的だった。


 距離を測った。


 十五メートル。


---


 柏木はショルダーホルスターからベレッタを抜いた。


 スライドを引いた。薬室に弾を送った。


 構えた。


 自衛隊で身につけた構え方だった。両手でグリップを保持する。利き腕の右手で引き金を引く。左腕を添えて支える。両目を開けて、利き目で照準を合わせる。


 利き目は右だった。


 だが右目だけで狙うと、左目がないことによる距離感の歪みが出る。両眼視差がない。奥行きの感覚がずれる。


 引き金を引いた。


 銃声が廃屋に響いた。


 弾は標的の右に外れた。体感で十センチ以上。


 もう一発。


 また右に外れた。


 三発目。


 今度は上に外れた。


 柏木は銃を下ろした。


---


 スッティンが黙って見ていた。


 「ズレる」


 柏木は言った。


 「見えています」


 「除隊から三年、一度も撃っていない。それだけじゃない。左目が使えない。距離感がズレている。自衛隊で覚えた構えが、今の俺には合っていない」


 スッティンは少し考えた。


 「どうすればいいですか」


 「スタイルを変える」


 柏木はベレッタを見た。


 「CARシステムというものがある」


 「知りません」


 「近接戦闘向けの射撃スタイルだ。銃を体に近く引き付ける。遠距離の精密射撃には向かない。だが近距離なら話が違う。五メートル以内なら、照準より体の軸で撃てる。片目でも対応できる理屈になる」


 「理屈、ということは」


 「やってみないと分からない。理屈は知っているが、体が覚えていない。今日から覚え直す」


 「弾は残り四十二発です」


 「足りないな」


 「少なく使って早く覚えてください」


 「プレッシャーをかけるな」


 スッティンは笑わなかった。笑いをこらえている顔だった。


---


 柏木は構えを変えた。


 銃を体の中心線に引き寄せる。グリップを胸の前、みぞおちの高さで保持する。肘を体に近づける。銃口を前に向けたまま、体ごと目標に向ける。


 照門と照星で狙うのではない。


 体の軸を目標に向けて、その延長線上に銃がある状態を作る。


 引き金を引いた。


 銃声。


 標的の左に外れた。だが外れ幅が小さくなった。


 もう一発。


 中心のやや下。


 三発目。


 中心から五センチ右。


 悪くなかった。最初の三発より確実に良かった。だがまだ話にならない。


 柏木は標的を見た。


 体の使い方の問題だと気づいた。軸を向けるとき、どこかで肩が入っている。自衛隊で叩き込まれた構えの癖が、無意識に出ている。新しいスタイルと古い癖が混在している。


 それを意識して排除する必要があった。


---


 もう一度、最初からやり直した。


 銃を構える前に、体の使い方を確認した。


 足の幅。重心の位置。肩の角度。肘の引き方。グリップの握り方。


 一つずつ確認した。


 自衛隊でやっていたことと何が違うか。何を捨てて、何を残すか。


 両目で視差を使って照準を合わせることを、捨てる。


 代わりに何を使うか。


 体の向き。銃口と体の中心線の一致。そして距離感は、奥行きではなく横の広がりで補う。


 右目だけで見る。遠くを見るのではなく、目標の輪郭を見る。形を見る。距離を計算するのをやめて、形との関係で引き金を引くタイミングを決める。


 感覚の問題だった。


 訓練で身につけるしかない。


---


 十発目で、標的の中心から三センチ以内に入った。


 十二発目で、中心に当たった。


 柏木は銃を下ろした。


 「当たった」


 スッティンが言った。


 「一発だけだ」


 「でも当たりました」


 「再現性がない。偶然かもしれない」


 「もう一発撃ってみてください」


 柏木は構えた。


 引き金を引いた。


 中心から二センチ。


 もう一発。


 中心に近い場所。


 「偶然じゃないです」


 スッティンが言った。


 柏木は構えを保ったまま答えた。


 「まだ遠い。これは十五メートルだ」


 「実戦で十五メートル先を撃つ場面はほとんどない、とあなたが言っていた」


 「だから距離を縮める」


 標的まで歩いた。五メートルの位置で止まった。


 振り返って構えた。


 引き金を引いた。


 中心。


 もう一発。


 中心のやや上。


 もう一発。


 中心のやや下。


 「三発で三発とも中心付近です」


 「五メートルだ。近すぎる」


 「スッティンのNGOの現場は、室内が多いです。廊下、建物の中、車の中。十五メートル先を撃つ場面は確かに少ない」


 柏木はその言葉を聞いた。


 スッティンは訓練を見ながら、実戦の状況を重ねていた。感情ではなく、現実の話として。


---


 七メートルに下がった。


 構えた。


 三発。


 三発とも標的の中心から五センチ以内。


 十メートル。


 三発。


 二発が中心付近。一発が外れた。


 柏木は外れた方向を確認した。


 右に外れていた。


 「右に流れる癖がある」


 スッティンに言ったのではなく、確認のために声に出した。


 「修正できますか」


 「今日中には無理だ。だが意識すれば抑えられる。近距離なら問題にならない」


 柏木は十メートルの位置に立って、もう一度構えた。


 今度は右への流れを意識した。


 グリップを少し傾ける。体の軸をわずかに左に向ける。


 引き金を引いた。


 中心から二センチ。


 「修正できています」


 「再現できるかどうかだ」


 三発繰り返した。


 三発とも中心付近。


---


 弾の残りが二十三発になった頃、柏木は訓練を切り上げた。


 「今日はここまでだ」


 「まだ弾があります」


 「使い切る必要はない。感覚を覚えたところで止める。疲れると癖が出る。疲れた状態の癖を体に覚えさせるな」


 スッティンは頷いた。


 「自衛隊で教わったことですか」


 「そうだ」


 二人は廃屋から出た。


 外は昼を過ぎた時間の太陽が高かった。タイの一月の午後だった。日差しが強い。日本の夏より少し柔らかい。だが十分に暑かった。


 柏木はショルダーホルスターにベレッタを戻した。


 「一つ確認していいか」


 「はい」


 「実際の現場で、相手が銃を持っている可能性はあるか」


 スッティンは少し間を置いた。


 「ある、と思っています。先月は」


 「先月死んだスタッフの件か」


 「状況から見て、銃だったと思っています。確認はできていません」


 柏木は頷いた。


 「ナイフが主だと言っていたが」


 「そう聞いていましたが、先月の件で考えが変わりました」


 「最初から言えばよかった」


 「申し訳ない。来てくれるかどうか分からない段階で、最悪の情報を伝えたくなかった」


 柏木はスッティンを見た。


 「次からは全部言え。判断に必要な情報を隠されると困る」


 「はい」


 「銃を持った相手に、こっちも銃で対応する。それは変わらない。ただし、相手が銃を持っているなら動き方が変わる。訓練の内容も変わる」


 「どう変わりますか」


 「遮蔽物の使い方。移動しながら撃つ練習。スッティン、お前も覚えろ。全員が動けた方がいい」


 「私は」


 「銃を渡すとは言っていない。動き方の話だ。遮蔽物に隠れること。移動のタイミング。それだけでも生存率が変わる」


 スッティンは少し黙った。


 「先月のスタッフは、そういうことを知らなかった」


 「だろうな」


 「あなたが来る前だったら、教えてくれる人間がいなかった」


 柏木は何も言わなかった。


 言う必要がなかった。


---


 帰りの車の中、スッティンが聞いた。


 「CARシステムのCARは何の略ですか」


 「Center Axis Relock。体の中心軸に銃を固定する、という意味だ」


 「考えた人間はいるんですか」


 「ポール・キャッスルというイギリス人だ。警察や軍の指導をしていた。もう死んでいる」


 「どんな人でしたか」


 「知らない。文献でしか知らない」


 「このシステムを自衛隊で使いましたか」


 「使っていない。自衛隊は別の訓練をする。これは個人的に調べて知っていた」


 「なぜ調べていたんですか」


 柏木は少し考えた。


 「左目を失った後、いつか必要になると思った。片目でも戦える方法を知っておく必要があると思った」


 「三年前から」


 「そうだ」


 スッティンはしばらく黙った。


 「準備していたんですね、ここへ来るために」


 「そういうわけじゃない。用意をしていただけだ。何のための用意かは分からなかった」


 「でも今日、役に立った」


 柏木は窓の外を見た。


 タイの農地が広がっていた。緑の中に、白鷺が一羽立っていた。


 「役に立つかどうかは、実戦で決まる」


 「慎重な言い方をするんですね」


 「楽観的な見通しで死んだ人間を、自衛隊でも何人か見た」


 スッティンは頷いた。


 それ以上は何も聞かなかった。


 車はウドンターニーの市街地に向かって走り続けた。


 助手席の柏木のショルダーホルスターに、ベレッタM92FSがある。


 片目の射手が、少しずつ自分の戦い方を作り直していた。


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