第6話 訓練
チャイロンが訓練場所を手配してくれた。
市街地から車で三十分。農地の外れにある廃屋だった。元は倉庫か何かだったらしく、コンクリートの壁が残っている。周囲に民家はない。銃声が届く距離に人がいない。それだけで十分だった。
スッティンが車で連れていった。二人だった。
廃屋の中に入った。
床にコンクリートの破片が散らばっている。壁に亀裂がある。奥の壁に、スッティンが段ボールを貼り付けた。中心に黒いマジックで丸を描いた。即席の標的だった。
距離を測った。
十五メートル。
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柏木はショルダーホルスターからベレッタを抜いた。
スライドを引いた。薬室に弾を送った。
構えた。
自衛隊で身につけた構え方だった。両手でグリップを保持する。利き腕の右手で引き金を引く。左腕を添えて支える。両目を開けて、利き目で照準を合わせる。
利き目は右だった。
だが右目だけで狙うと、左目がないことによる距離感の歪みが出る。両眼視差がない。奥行きの感覚がずれる。
引き金を引いた。
銃声が廃屋に響いた。
弾は標的の右に外れた。体感で十センチ以上。
もう一発。
また右に外れた。
三発目。
今度は上に外れた。
柏木は銃を下ろした。
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スッティンが黙って見ていた。
「ズレる」
柏木は言った。
「見えています」
「除隊から三年、一度も撃っていない。それだけじゃない。左目が使えない。距離感がズレている。自衛隊で覚えた構えが、今の俺には合っていない」
スッティンは少し考えた。
「どうすればいいですか」
「スタイルを変える」
柏木はベレッタを見た。
「CARシステムというものがある」
「知りません」
「近接戦闘向けの射撃スタイルだ。銃を体に近く引き付ける。遠距離の精密射撃には向かない。だが近距離なら話が違う。五メートル以内なら、照準より体の軸で撃てる。片目でも対応できる理屈になる」
「理屈、ということは」
「やってみないと分からない。理屈は知っているが、体が覚えていない。今日から覚え直す」
「弾は残り四十二発です」
「足りないな」
「少なく使って早く覚えてください」
「プレッシャーをかけるな」
スッティンは笑わなかった。笑いをこらえている顔だった。
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柏木は構えを変えた。
銃を体の中心線に引き寄せる。グリップを胸の前、みぞおちの高さで保持する。肘を体に近づける。銃口を前に向けたまま、体ごと目標に向ける。
照門と照星で狙うのではない。
体の軸を目標に向けて、その延長線上に銃がある状態を作る。
引き金を引いた。
銃声。
標的の左に外れた。だが外れ幅が小さくなった。
もう一発。
中心のやや下。
三発目。
中心から五センチ右。
悪くなかった。最初の三発より確実に良かった。だがまだ話にならない。
柏木は標的を見た。
体の使い方の問題だと気づいた。軸を向けるとき、どこかで肩が入っている。自衛隊で叩き込まれた構えの癖が、無意識に出ている。新しいスタイルと古い癖が混在している。
それを意識して排除する必要があった。
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もう一度、最初からやり直した。
銃を構える前に、体の使い方を確認した。
足の幅。重心の位置。肩の角度。肘の引き方。グリップの握り方。
一つずつ確認した。
自衛隊でやっていたことと何が違うか。何を捨てて、何を残すか。
両目で視差を使って照準を合わせることを、捨てる。
代わりに何を使うか。
体の向き。銃口と体の中心線の一致。そして距離感は、奥行きではなく横の広がりで補う。
右目だけで見る。遠くを見るのではなく、目標の輪郭を見る。形を見る。距離を計算するのをやめて、形との関係で引き金を引くタイミングを決める。
感覚の問題だった。
訓練で身につけるしかない。
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十発目で、標的の中心から三センチ以内に入った。
十二発目で、中心に当たった。
柏木は銃を下ろした。
「当たった」
スッティンが言った。
「一発だけだ」
「でも当たりました」
「再現性がない。偶然かもしれない」
「もう一発撃ってみてください」
柏木は構えた。
引き金を引いた。
中心から二センチ。
もう一発。
中心に近い場所。
「偶然じゃないです」
スッティンが言った。
柏木は構えを保ったまま答えた。
「まだ遠い。これは十五メートルだ」
「実戦で十五メートル先を撃つ場面はほとんどない、とあなたが言っていた」
「だから距離を縮める」
標的まで歩いた。五メートルの位置で止まった。
振り返って構えた。
引き金を引いた。
中心。
もう一発。
中心のやや上。
もう一発。
中心のやや下。
「三発で三発とも中心付近です」
「五メートルだ。近すぎる」
「スッティンのNGOの現場は、室内が多いです。廊下、建物の中、車の中。十五メートル先を撃つ場面は確かに少ない」
柏木はその言葉を聞いた。
スッティンは訓練を見ながら、実戦の状況を重ねていた。感情ではなく、現実の話として。
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七メートルに下がった。
構えた。
三発。
三発とも標的の中心から五センチ以内。
十メートル。
三発。
二発が中心付近。一発が外れた。
柏木は外れた方向を確認した。
右に外れていた。
「右に流れる癖がある」
スッティンに言ったのではなく、確認のために声に出した。
「修正できますか」
「今日中には無理だ。だが意識すれば抑えられる。近距離なら問題にならない」
柏木は十メートルの位置に立って、もう一度構えた。
今度は右への流れを意識した。
グリップを少し傾ける。体の軸をわずかに左に向ける。
引き金を引いた。
中心から二センチ。
「修正できています」
「再現できるかどうかだ」
三発繰り返した。
三発とも中心付近。
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弾の残りが二十三発になった頃、柏木は訓練を切り上げた。
「今日はここまでだ」
「まだ弾があります」
「使い切る必要はない。感覚を覚えたところで止める。疲れると癖が出る。疲れた状態の癖を体に覚えさせるな」
スッティンは頷いた。
「自衛隊で教わったことですか」
「そうだ」
二人は廃屋から出た。
外は昼を過ぎた時間の太陽が高かった。タイの一月の午後だった。日差しが強い。日本の夏より少し柔らかい。だが十分に暑かった。
柏木はショルダーホルスターにベレッタを戻した。
「一つ確認していいか」
「はい」
「実際の現場で、相手が銃を持っている可能性はあるか」
スッティンは少し間を置いた。
「ある、と思っています。先月は」
「先月死んだスタッフの件か」
「状況から見て、銃だったと思っています。確認はできていません」
柏木は頷いた。
「ナイフが主だと言っていたが」
「そう聞いていましたが、先月の件で考えが変わりました」
「最初から言えばよかった」
「申し訳ない。来てくれるかどうか分からない段階で、最悪の情報を伝えたくなかった」
柏木はスッティンを見た。
「次からは全部言え。判断に必要な情報を隠されると困る」
「はい」
「銃を持った相手に、こっちも銃で対応する。それは変わらない。ただし、相手が銃を持っているなら動き方が変わる。訓練の内容も変わる」
「どう変わりますか」
「遮蔽物の使い方。移動しながら撃つ練習。スッティン、お前も覚えろ。全員が動けた方がいい」
「私は」
「銃を渡すとは言っていない。動き方の話だ。遮蔽物に隠れること。移動のタイミング。それだけでも生存率が変わる」
スッティンは少し黙った。
「先月のスタッフは、そういうことを知らなかった」
「だろうな」
「あなたが来る前だったら、教えてくれる人間がいなかった」
柏木は何も言わなかった。
言う必要がなかった。
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帰りの車の中、スッティンが聞いた。
「CARシステムのCARは何の略ですか」
「Center Axis Relock。体の中心軸に銃を固定する、という意味だ」
「考えた人間はいるんですか」
「ポール・キャッスルというイギリス人だ。警察や軍の指導をしていた。もう死んでいる」
「どんな人でしたか」
「知らない。文献でしか知らない」
「このシステムを自衛隊で使いましたか」
「使っていない。自衛隊は別の訓練をする。これは個人的に調べて知っていた」
「なぜ調べていたんですか」
柏木は少し考えた。
「左目を失った後、いつか必要になると思った。片目でも戦える方法を知っておく必要があると思った」
「三年前から」
「そうだ」
スッティンはしばらく黙った。
「準備していたんですね、ここへ来るために」
「そういうわけじゃない。用意をしていただけだ。何のための用意かは分からなかった」
「でも今日、役に立った」
柏木は窓の外を見た。
タイの農地が広がっていた。緑の中に、白鷺が一羽立っていた。
「役に立つかどうかは、実戦で決まる」
「慎重な言い方をするんですね」
「楽観的な見通しで死んだ人間を、自衛隊でも何人か見た」
スッティンは頷いた。
それ以上は何も聞かなかった。
車はウドンターニーの市街地に向かって走り続けた。
助手席の柏木のショルダーホルスターに、ベレッタM92FSがある。
片目の射手が、少しずつ自分の戦い方を作り直していた。




