知らないこと沢山
「気持ちよかった? お風呂」
「はい! 初めてだったんですけどすごく落ち着きました」
お風呂から上がって寝巻きに着替えながら、花奈は笑顔で頷いた。
「良かった」
花奈の言葉に未央は安心したように笑った。
「色々と、ありがとうございました」
寝巻きに着替え終わって荷物を棚に置いてから、花奈は未央に向き直り、深々と頭を下げた。
「そんな、いいよいいよ、改まらなくても。私も可愛い後輩ができて嬉しいし」
「先輩……!」
目を輝かせて感動している花奈を見て、未央は思わず吹き出しそうになるのを堪えていた。
「じゃあね、花奈ちゃん」
花奈の部屋に着いたところで未央がそう言った。
「はい! おやすみなさい」
花奈も挨拶をした。
未央は花奈の言葉に微笑み、手を振って背を向け、そして自分の部屋へと戻っていった。
「お風呂長かったね」
ドアを開けると、玄関に入ってすぐの所にある洗面所で大雅が歯磨きをしていた。
「あ、うん。先輩に色々教えてもらってたんだ」
「ふーん」
洗濯物を整理しながら花奈は大雅に話しかけた。
「お風呂気持ちよかったね」
「うん」
大雅は短く答えた。
しばらく沈黙が続く。
花奈もそこまで話題を用意していたわけではなかったため、この先どう話そうか一生懸命考えていた。
大雅の方は別に大して花奈とコミュニケーションを取ろうという思いはなく、ただ花奈自身のことが気になっていて、歯磨きをしながら花奈の様子を見ていた。
花奈も花奈で、大雅の言葉が気になっていてそれを聞き出すべきかどうか迷っていた。
部屋の中に重苦しい空気が流れ始めていた。
そうこうしているうちに大雅は歯磨きを終え、畳の方に戻ってきた。
「あ、あのさ、大雅くん」
花奈は勇気を出して口を開いた。
「何?」
大雅は荷物を整理する手を止めることなく尋ねる。
「昨日言ってたことなんだけど」
「僕何か言った?」
「あの、ほら、女の人を刺したことがあるって言ってたでしょ?」
「ああ、その話」
大雅は納得したように言って言葉を紡いだ。
「正確には同級生。ウザかったからね」
「そ、そうなんだ……」
「別に君のことを刺すつもりはないよ」
「ほ、本当!? 良かったぁ」
花奈は一安心した。
大雅は同級生の女子をウザいと思っているのかと思っていたからだ。
もっとわかりやすく言えば、同い年の女子は全員嫌いというニュアンスを感じたのだ。
もしかしたら近いうちに自分も殺されるのではないかと恐怖にかられた。
でも大雅に自分のことを刺すつもりはないと言われたことで恐怖が消えた。
「もしかして僕が君のこと刺すって思ってたの?」
大雅が半笑いしながら尋ねた。
花奈は恥ずかしさのあまり顔を赤くしながら小さく頷く。
「ふーん」
さっきの表情とは打って変わり大雅はすぐに無表情に戻った。
相変わらず作業の手は止まらない。
また沈黙が続いた。
「ご、ごめんね。気悪くしたかな? そうだよね、だって自分のこと勘違いされるんだもん」
花奈は沈黙を破ろうとおそるおそる大雅に謝った。
花奈が大雅のことを勘違いしてしまったために、大雅が機嫌を損ねてしまったと思ったのだ。
「いいよ、別に」
だが大雅は気にするそぶりは見せなかった。
むしろ無関心で二言そう言っただけだった。
「あ、ありがとう……」
花奈は一応お礼を言った。
大雅はもう言葉を発しなかった。
「あ、あの……」
大雅が言っていた、早絵を刺したことについて尋ねようとした
だが、大雅は黙って壁にかけてあった時計を指差して言った。
「時間」
「え?」
「就寝時間。早く寝ないと」
時計の針は22時を差していた。
花奈は院長に説明された時に就寝時間について言われたことを思い出した。
「あ、そ、そっか……。ありがとう」
箪笥にしまってあった布団を取り出し、花奈は就寝の準備をする。
ふと見ると、大雅は既に布団を準備し終わっていた。
「早いね……」
おそるおそる話しかける。
「うん」
だが大雅の反応は素っ気なかった。
「……」
花奈はやはり大雅の言葉が気がかりだったが、布団を敷いて寝る準備をしている大雅を見ながら、
(また、今度聞けばいいか)
と思い直した。
「じゃあ電気消すよ」
「うん」
大雅の言葉に花奈は頷く。
大雅はリモコンを操作し、電気を消した。
電気が消えてから花奈の頭には不意に未央のことがよぎった。
初めて出会った花奈に対して人見知りすることなく、優しく話かかけてくれた未央。
花奈は未だに未央が少年院に送られた理由がわからなかった。あんなに優しく接してくれる人が人を殺めたりなんてするはずがないと思う。
同時に大雅のことも気になった。
本当に女の子を刺したのか。
本人の口から同級生という言葉が出たから刺したことは真実なのだろうが、どうして殺めてしまったのか。
それがすごく気になった。
隣を見ると、大雅は既に仰向けになって寝息を立てながら眠っていた。
花奈はもう一度天井に向き直って考え込んだ。
大雅のこと、未央のこと、そしてこの少年院のこと。
花奈が知らないことがまだまだ沢山ある。
少しずつ、少しずつ、知っていかなければと覚悟を決めて花奈は眠りについた。
※※※※※※※※※※
皆が寝静まった院内を院長が見廻りしていた。
各部屋を覗き何も異常がないかを順番に確認していく。
そして大雅と花奈の部屋に来た。
院長はドアを開いて中を覗く。
大雅も花奈も眠っていて二人の寝息だけが部屋中に響いていた。
院長はしばらく部屋の中を眺めた後、二人を起こさないように静かにドアを閉めた。
次の部屋に向かう院長の片手には新聞記事の切り抜きが握られていた。
そこには大きな見出しがあってこのように書かれていた。
『陰陽寺に次ぐ新たな殺人鬼!? 中学生・百枝咲夜』




