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残響  作者: れすた
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第五話 屋上の黒いもや

 数日後。


 雲母と足立は、依頼人に案内され、以前、彼が黒いもやを見たという場所へ来ていた。


 古びた建物だった。


「ここです」


 依頼人が建物を見上げる。


「この建物の屋上付近で、黒いもやを見ました」


「屋上付近?」


「はい。最初は遠くから見えたんです。黒いものが浮いているように見えて……」


 雲母は建物を見上げた。


「では、近くで確認しましょう」


「……はい」


 建物の中へ入り、階段を上がっていく。


 足立は雲母の後ろを歩きながら、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、雲母お嬢様」


「何ですの?」


「結局、あの首吊りの方って……何か分かりました?」


「いいえ」


「何も?」


「ええ。何も分かりませんでしたわ」


 雲母は淡々と答えた。


「ただ、苦しみが続いているだけでしたわ」


「……」


 足立は黙る。


「何度見ても、同じ状態を繰り返していましたもの」


「じゃあ……あの人が誰なのかも?」


「分かりませんわ」


「どうしてあそこにいるのかも?」


「ええ」


「……そうですか」


 足立は少し俯いた。


 階段を上り、屋上へ続く扉の前まで来る。


 依頼人が立ち止まった。


「……ここです」


 依頼人が扉を開け、三人は屋上へ出た。


「どの辺りですの?」


「向こうの縁の辺りです」


 依頼人が指差す。


 雲母はその方向へ目を向けた。


「なるほど……」


 そして、ゆっくりと屋上の縁へ歩み寄る。


「……」


 一見すると、何もない。


 だが――


「……あら」


 雲母の目が止まる。


「雲母お嬢様?」


「見えましたわ」


「え?」


 雲母が見ている先。


 屋上の縁、その少し下。


 黒いモヤが滲むように浮かんでいる。


 その中に、人影があった。


「……」


 男だった。


 屋上から落ちていく途中の姿。


 身体を丸め、手を伸ばし――


 地面へ向かって落下している。


 だが、地面には辿り着かない。


 その直前で、また屋上へ戻る。


 そして――


 また落ちる。


 何度も。


 何度でも。


「……屋上から落ちていますわね」


 雲母が静かに呟いた。


 足立は、雲母の視線の先を見る。


「……僕には何も見えないですけど」


「でしょうね」


 雲母はしばらく、その死者の意識を見つめていた。


 首吊りの男とは違う。


 けれど――


 やはり同じだった。


 最後の状態を繰り返している。


「……」


 雲母の表情が、わずかに曇る。


「……この方も、同じですわね」


「同じ?」


「ええ」


 落ちていく。


 戻る。


 また落ちる。


 その繰り返し。


「苦しみが、終わっていませんわ」


 足立は何も言えなかった。


 そして雲母は、しばらくその姿を観察し続けた。


 調査を終えた二人は、依頼人とともに建物を出た。


 依頼人と別れ、しばらく歩いたところで、足立が口を開く。


「……雲母お嬢様」


「何ですの?」


「改めてなんですけど」


「ええ」


「雲母お嬢様って、結局……見えるだけなんですよね?」


「そうですわね」


「死者の意識っていうのも……」


 足立は少し考えてから尋ねた。


「そもそも、何なんですか?」


「分かりませんわ」


「……分からない?」


「ええ。わたくしにも分かりませんもの」


 雲母は淡々と答える。


「ただ、亡くなった方と思われる意識が、特定の場所に残っているように見える。それだけですわ」


「……」


「首を吊った方も、先ほど屋上から落ちた方も、最後の状態を繰り返していましたわね」


「はい」


「それがなぜなのかは、まだ分かりませんわ」


 足立はしばらく黙っていた。


「……じゃあ」


「何ですの?」


「助けることは、できないんですか?」


 雲母も少し考える。


「どうなんでしょう……」


「お祓いとか」


「それとは少し違う気がしますのよね」


「じゃあ、どうすれば……」


 雲母は足立を見る。


「足立さん」


「はい」


「あなた、他人の意識を消せますか?」


「……え?」


「他人の意識ですわ」


「いや、無理ですよ」


「でしょう?」


 雲母は何でもないことのように頷いた。


「そもそも、他人の意識なんて消せませんもの」


「……まあ、そうですよね」


「ですから、今のわたくしにはどうすることもできませんわ」


「なるほど……」


 足立は少し考える。


「じゃあ、雲母お嬢様にできるのは?」


「見えること」


「それだけ?」


「今のところは、そうですわね」


 雲母は前を向いた。


「見えているものを調べることくらいはできますけれど」


「……」


「それ以上のことができるのかどうかも、まだ分かりませんわ」


 足立は小さく頷いた。


「なんか……思ったより何も分かってないんですね」


「ええ」


 雲母はあっさり認める。


「ですから、調べるのでしょう?」


「……ですよねぇ」


 二人はそのまま歩いていく。


 死者の意識とは何なのか。


 なぜ、その場所に残るのか。


 なぜ、最後の状態を繰り返すのか。


 そして――それを終わらせる方法があるのか。


 まだ何一つ分からない。


 ただ、今の雲母に分かっていることは一つだけだった。


 自分には、それが見えている。


 それだけだった。

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