第二話 音の正体
「……音は、この辺りからですわね」
雲母は廊下の壁際にしゃがみ込んだ。
壁へ耳を寄せ、指先で軽く叩いていく。
「この奥に、配管が通っているようですわ」
「分かるんですか?」
「音の響き方が違いますもの」
壁を調べると、床に近い位置に小さな点検口があった。
雲母はその前を空け、足立を見る。
「足立さん」
「はい」
「開けてくださいな」
「……また僕ですか?」
「殿方でしょう?」
「それ、今日二回目ですよ」
足立は点検口へ目を向けた。
錆の浮いた金具。
その縁から覗く、細く暗い隙間。
「これ、開けた瞬間に何か出てきたりしませんよね?」
「玄関では何も出ませんでしたわ」
「だからここも安全とは限らないでしょう!」
「調べなければ分かりませんわ」
「……ですよねぇ」
足立は観念して、点検口の前にしゃがみ込んだ。
「開けますよ」
「ええ」
「本当に開けますからね」
「早くなさい」
「急かさないでくださいよ!」
足立が恐る恐る金具へ手を掛ける。
カチッ。
静かな廊下に、小さな音が響いた。
「……っ」
足立は息を止め、ゆっくりと蓋を外した。
「…………」
「…………」
雲母が懐中電灯で中を照らす。
壁の奥には、何本もの古い配管が通っていた。
「……何もいませんね」
「当然でしょう」
「いや、僕もそう思ってましたけど」
雲母は点検口へ顔を近づけた。
「ずいぶん古い配管ですわね」
「この家、長い間使われていないそうですからね」
「それだけではありませんわ。ここをご覧なさい」
雲母が一本の配管を照らす。
配管を壁に留めている金具が錆び、わずかに隙間ができていた。
「固定金具が緩んでいますわ」
「それが原因なんですか?」
「恐らくは――」
そのときだった。
――コン。
二人の目の前で配管がわずかに動き、固定金具へぶつかった。
「…………」
「…………」
足立が固まる。
「……雲母お嬢様」
「ええ」
「今の、さっきと同じ音ですよね」
「そうですわね」
雲母は配管と固定金具を交互に確認した。
「夜になって気温が下がり、金属製の配管が収縮したのでしょう。その際、緩んだ金具に触れて音が出たようですわ」
「じゃあ、音の場所が毎回違ったのは?」
「配管を伝わった振動が、別の場所で響いていたのでしょうね」
「なるほど……」
足立は全身の力を抜き、深く息を吐いた。
「よかった……」
「そんなに怖かったのですか?」
「怖いですよ! 夜中の空き家で正体不明の音がして、その音がする壁を開けたんですよ!?」
「ですが、原因は分かりましたわ」
「それはそうですけど……」
雲母は立ち上がり、服についた埃を払った。
「固定金具の修理を勧めるよう、依頼人へ報告しましょう」
「はい」
「足立さん」
「何です?」
「点検口を閉めてくださいな」
「…………」
「どうしましたの?」
「僕が開けたから、僕が閉めるんですよね」
「ほかに誰がいますの?」
「ですよねぇ……」
足立はもう一度、暗い点検口へ向き直った。
◇ ◇ ◇ ◇
足立は点検口を閉めるため、その前へしゃがみ込んだ。
蓋へ手を伸ばす。
そのとき、何気なく壁の奥を覗いた。
「……」
懐中電灯の光が外れた配管の隙間。
その暗闇に、人の顔があったような気がした。
目。
鼻。
薄く開いた口。
誰かが、奥からこちらを見ているような――
「……え?」
足立は目を凝らした。
だが、そこには何もない。
古びた配管と、壁の奥へ続く暗闇があるだけだった。
「……影、だよな」
返事はない。
足立はしばらく動けずにいたが、やがて蓋を手に取った。
「……えぇい!」
勢いよく点検口を閉める。
「気にしない!」
「どうしましたの?」
「何でもないです!」
雲母が不思議そうに振り返る。
「本当に?」
「何でもありません!」
「そう。では、帰りましょうか」
「はい!」
足立は即答した。
二人は明かりを消し、逃げるように家を出た。
やがて、家の中から足音が消える。
誰もいなくなった二階。
閉じられた点検口の奥で、何かがかすかに動いた。
――コン。
しばらくして、もう一度。
――コン、コン。
それが金属の収縮する音だったのか。
それとも、内側から蓋を叩く音だったのか。
確かめる者は、もう誰もいなかった。




