第12話:泥を啜る父と、白氷の拒絶
ノースウォール城の重厚な正門前に、一基の馬車が転がり込んできた。
かつては王都でも指折りの豪華さを誇っていたであろう、フレイム公爵家の紋章が刻まれた馬車。けれど、今のそれは煤に汚れ、馬は泡を吹き、見るも無惨な姿だった。
「……エルシア! エルシア、そこにいるのだろう! 出てきなさい!」
城門の向こうで叫んでいるのは、私の父――フレイム公爵だった。
私は、カイルム様に付き添われ、城のテラスからその様子を見下ろしていた。
テラスにはカイルム様の魔法で温かな結界が張られ、雪の中でも春のような陽だまりになっている。けれど、門の下に立つ父は、着古したマントを羽織り、寒さと熱病にうなされたような顔で、衛兵たちに追いすがっていた。
「……カイルム様。私、行ってまいります」
「……エルシア。無理をする必要はない。私があの男を、この地の底へ沈めてきてもいいのだぞ?」
カイルム様は、私の肩を抱き寄せ、心配そうに私の顔を覗き込んだ。その瞳には、父への容赦ない敵意が宿っている。
「いいえ。……私自身の手で、あの場所にはもう何も残っていないことを、伝えたいんです。大丈夫です。今の私には、カイルム様がくださった『熱』がありますから」
私は、彼の胸に一度だけ顔を埋め、その力強い鼓動を勇気に変えた。
◇◇◇
城門が開かれ、私は一人、父の前に立った。
カイルム様は、すぐ後ろで「いつでも切り捨てられる」ように鋭い視線を光らせて控えている。
「……っ、エルシア! ああ、エルシア! 会いたかったぞ、我が娘よ!」
父は、私を見るなり泥の中に膝をつき、縋り付こうとしてきた。
かつて「不吉な氷」と私を罵り、一度も目を合わせようとしなかった男。その手が私のドレスの裾に触れようとした瞬間、私の周囲から自然と「白氷」の魔力が溢れ出し、父を物理的に拒絶した。
「……触れないでください。お父様」
「……なっ、エルシア? 何を言う、私だ! お前の父親だぞ! お前を育ててやった、恩人ではないか!」
父の顔が、醜く歪んだ。
「王都は今、大変なことになっているのだ! リュシアン殿下の炎は止まらず、ベアトリスの火も暴走し、我が公爵家は火の海だ! お前がいなければ、我々は破滅してしまう! 特別にお前の追放を解いてやる。今すぐ戻って、その氷で我々を救え!」
「……特別に、ですか?」
私は、悲しいくらいに冷静だった。
かつてはこの声に震え、一言でも褒められたくて、氷のように冷たい床で祈り続けていた。
けれど今、目の前にいる男は、ただの「見知らぬ、哀れな人」にしか見えなかった。
「お父様。私は、あなたを助けたいとは思いません。私が王都で、あのアトリエの隅で、どれほど凍えていたか……。あなたは一度でも、私の指先の冷たさを、温めようとしてくれましたか?」
「そ、それは……お前が不浄だったからだろう! だが今は違う! お前は聖女なのだろう!? 聖女なら、慈悲の心で家族を救うのが義務ではないか!」
「私の慈悲は、私を愛してくれる人のためにあります」
私は、一歩後ろに下がった。
そして、私の腰をそっと抱き寄せてくれた、カイルム様の熱い手に触れる。
「私はもう、フレイム公爵家の娘ではありません。ノースウォール領主、カイルム・ド・ノースウォールの妻、エルシアです。……私の氷は、この領地と、私の夫を守るためにだけ、咲き誇るのです」
「……お、おのれ! この恩知らずめ! 私を誰だと思っている!」
逆上した父が、私に向かって手を振り上げた。
けれど、その手が届くよりも早く。
「――そこまでにしろ。クズが」
カイルム様の、地響きのような声が響いた。
彼が指先を鳴らした瞬間、父の足元の地面が一気に凍りつき、彼を泥の中に固定した。
「ひ、ひいいぃっ!? 閣下、お待ちを! 私はただ、親として教育を……!」
「私の妻に、教育だと? 笑わせるな。……お前が彼女に与えたのは、教育ではなく、ただの虐待だ。お前のような男を、私は父親とは認めない」
カイルム様は、私を守るように前に立ち、父を見下ろした。その瞳は、獲物を屠る直前の獣よりも冷徹だった。
「エルシアがいない王都がどうなろうと、我々の知ったことではない。……バロウ子爵にも言ったはずだ。二度と、私の宝物に触れようとするなと」
「か、閣下……っ、助けてください! お願いだ、エルシア! ベアトリスも、お母様も、皆泣いているんだ!」
「……さようなら、お父様。もう、二度とお会いすることはありません」
私は背を向けた。
後ろで「待て!」「行くな!」という父の叫びが聞こえたけれど、それは吹雪の音にかき消されて、私の心には届かなかった。
◇◇◇
城の奥へ戻ると、カイルム様は無言で私を強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。
「……よく言った。辛かったな、エルシア」
「……いいえ。不思議です、カイルム様。あんなに怖かったはずの父が、今は、ただの影のように見えました。……私、もう大丈夫です」
彼の胸に顔を埋めると、懐かしい、大好きな体温が私を包み込んでくれる。
「ああ。君の後ろには、常に私がいる。君が過去を振り返る必要はない。……これからは、私と、この領地の民と、明るい未来だけを見ていればいい」
カイルム様は、私の涙を指先で優しく拭い、そのまま深い口づけを贈ってくれた。
実家という名の檻は、今、完全に崩れ去った。
私は、新しい名前と、新しい居場所、そして――一生消えることのない、熱い愛を手に入れたのだ。
「さようなら、お父様」
その一言に込められた、エルシア様の決意と成長。
皆様の胸にも、爽快な風が吹き抜けたでしょうか。
どんなに縋り付かれようと、もう遅い。
一度手放した「宝物」の重さを、泥の中で噛み締めるが良いのです。
そして、傷ついたエルシア様を包み込む、カイルム閣下の包容力……。
「クズが」と言い放つ閣下の冷徹さ、私、書いていて痺れてしまいましたわ。
さて、いよいよ王都の権威は完全に失墜し、
二人は「新しい国造り」へと歩みを進めます。
次のお話では、聖女として目覚めたエルシア様が、
北領に「奇跡の冬景色」を作り上げる、多幸感溢れるシーンをお届けします。
もし、今回の「決別」にスカッとしてくださったなら、
ぜひ【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価で、
エルシア様の新しい門出を祝ってあげてくださいな。
皆様の評価が、二人の行く末を照らす、
決して消えない「希望の灯火」になります。
次回、第13話「宝石の都と、氷の温室の約束」でお会いしましょう。




