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第13話「王の名を継ぐもの」〜言葉の迷宮と、五つの鍵〜

サンポールの裏通り──

石造りの壁と木の梁に守られた、静かなカフェ。

その奥で交わされるのは、懐かしい眼差しと、まだ見ぬ未来への対話。


父の手紙が示すのは、ただの暗号ではなく、

記憶と祈りが織り込まれた、ひとつの“地図”。

今夜、玲央はその地図の上で、

五つの鍵の光を、初めて見つけます。

中世から続く石造りの建物に、木の梁と、手作りのランプが静かに揺れていた──

サンポールの裏通りにひっそりと佇むそのカフェは、まるで時間の止まった空間だった。

重たい木製の扉を開けると、奥まった一角に、黒川先生が静かに座っていた。

傍らには、杏のチーズケーキと、湯気の立つカフェ・クレーム。


「やあ、レオくん。来てくれてありがとう」


そう言って顔を上げた黒川の眼差しは、どこかいつもより柔らかかった。

ふだんの研究室での鋭さではなく、懐かしさを帯びたまなざし。


「ずいぶんと渋い場所を選びましたね」


玲央がそう言うと、黒川はふっと笑った。


「私のパリの“避難所”みたいなものさ。脳を静かにしたいとき、ここがいちばん落ち着くんだよ。

ケーキも美味いしね」


「……あのね!しんちゃん!」


突然テーブルの上に姿を現したのは、白い折り紙の猫――式神のシューだった。


「ボク、メニュー見てたんですけど、この店、モンブランないんです!なんでですか!」


「シュー、静かに……!」


玲央がたしなめるように目配せすると、黒川は声を殺して笑った。


「変わらず元気そうだね、君も」


「うん。でもボク、暗号とかはちょっと苦手かも……。でも頑張る!」


そんなやりとりのあと、玲央はそっと、鞄から一通の封筒を取り出した。

──祖父から渡された、宛名のない、父の手紙。

封は開いている。けれど、玲央自身、その中身を読み解けたわけではなかった。

ただ、そこには──記号、図、スケッチ、ねじれた文字、知らない詩の断片。

それから、たったひとつ、あの言葉だけがはっきりと読めた。


「香りを辿れ」


玲央は、紙の束をそっと黒川に手渡した。

黒川は丁寧に手袋を外し、まるで古文書を扱うような手つきで紙をひろげる。

そして──すぐには何も言わなかった。

ただ黙って、一枚、また一枚と目を通していく。

眉間に刻まれた皺が、深くなったり、ふっと緩んだり。

やがて、ひとつ息を吐いて、椅子の背にもたれた。


「……これは、すごいね」


「読めますか?」


玲央が尋ねると、黒川は首を振った。


「“読める”というより、“感じる”に近い。これは単なる文章じゃない。……ひとつの、図像詩だよ。レミーさんは、文字と図形、象徴と感情をひとつに織り上げている。それは、感情の奥に沈んだ、静かな祈りの織物のようにも思える」


「祈り……」


シトロンがその言葉に反応して、ゆっくりと椅子にもたれながら、指を組んだ。


「確かに、これは“鍵”のようなものだ。……だが、ひとつじゃない。いくつもの扉を開けるための、手がかりだ」


「まるで、パズルのような……?」


「それも、“誰か特定の人間”にしか解けないようになってる」

そう言ったのは、黒川だった。そして、その視線は、玲央ではなく──自分自身の内側へ向けられているようだった。


「……私の知ってる、彼の“癖”が見える。レミーは、誰かに答えを直接渡すような人じゃなかった。だけど、同じ視点を持った誰かになら、必ず届くように……そうやって残している気がする」


「同じ視点?」


そして、手元のページをめくると、ひとつのスケッチが目に留まった。

──王冠を被せられる、ひとりの若い王。


「……これ、マルトラーナ教会のモザイク?」


「やっぱり気づいたね。そこが、この手紙の核だよ」


黒川は笑みを浮かべた。


「この王はロジェ二世。そして、これは“戴冠式”の瞬間。ここから始めよう。この中に、文化の鍵が埋め込まれているんだ」


そう言って、黒川はそのスケッチの周囲に描かれたギリシャ文字の羅列を指差す。


「ΡΟΓΕΡΙΟΣ ΡΗΞ──ロジェリオス・レクス。ロジェ王と呼ばれた男の名。ただの名前じゃない。文字は意味を超え、文化の統合を示す“暗号”になる」


「……これは?──この図形、ね。これはギリシャ文字の形をしてるけれど、配置が不自然だ。普通の文としては読めない。でも、五つの記号だけが微妙に浮いているように描かれている。これを拾ってみると……Ρ, Ο, Γ, Ε, Ι。ラテン文字に直すと、R, O, G, E, I」


「……順番が違うけど、ROGIE?」


玲央がぽつりと呟くと、黒川は嬉しそうに目を細めた。


「さすがだ。Rはケルト、Oはシチリア、Gはギリシャ、Eはアラブ、Iはユダヤ。これは……猫神の文化の融合を示しているのかもしれない」


「文字を拾い、重なる部分を除き、五つの“鍵”を得る。そしてその五つは、五つの猫神を象徴している」


「五つの猫神の名か……?」

シトロンが低く呟いた。その金の瞳に、微かに霧のような光が揺れる。


「融合……王の願いを叶える契約、か。……レミー、お前、どこまで知ってたんだ……」


小さく洩れたその声に、玲央は一瞬だけ、視線を向けた。

──それは、シトロンが“王”としての力と、猫神としての記憶を取り戻しつつある証。だが、まだ玲央には、それを言葉にする術はない。

玲央が顔を上げると、黒川は少し真面目な表情になって言った。


「ここに書かれているのは、君の血に眠る、“契約の記憶”だよ」


シトロンがそっと目を細めた。


「レオ。これは、旅の始まりだ」


「うん……」


玲央は、まるで父の声を背中で聴いているような気がした。

彼の遺した記憶。絵。詩。そしてこの手紙。

それは、“過去を知る”ための道ではなく、“未来を選ぶ”ための地図だった。


「この先は、もう少し“現場”を見ないと、読み解けないね」


黒川が穏やかに言った。


「現場……アトリエ?」


「おそらく、あの大作──《戴冠式の王》に、まだ手がかりが残されている。そこに行けば、きっと……」


玲央はそっと頷いた。


──父の記憶、母の想い、自分がまだ知らない願い。それが、重なり合う場所。

次に向かうべき場所は、ただひとつだった。


――À suivreつづく

静かなカフェで開かれたのは、ただの手紙ではありませんでした。

文字と図形、象徴と祈りが織り込まれた、父からの“地図”。


五つの鍵が示すのは、ひとつではない扉。

それは、過去の奥底に眠る記憶であり、未来を選ぶための道標でもあります。


次に向かうのは、アトリエの大作──《戴冠式の王》。

物語は、さらに深い扉の前へと進んでいきます。

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