22口に出せないから澱む
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今日も相変わらずだな。
空を見上げてそう思った。まあ、空なんかいつもこんな感じなんだけど。真っ青な空に、迷子になったかのような雲がぽつぽつと浮かんでいる。
吸っていた煙草を咥えたまま、なんとなく携帯を取り出して、カメラを起動させた。
もう、二度とこの空は手に入らないような気がして、天に向けて携帯をかざす。
カシャン、と音がして、携帯の画面には切り取られた青が浮かんでいた。
……一瞬を切り取れる写真、か。
そういや、一眼レフ、今家のどこにあるっけ? 久々になんか撮ってみたい気持ちだ。
そんなことを考えながら目を瞑った。
「またさぼってんの?」
「……珍しい。どうした優等生」
光が遮断されたのを感じてうっすらとまぶたを開くと、覗き込む様に現れたともろーの顔があった。
あまりにも珍しい人物に思わず皮肉が零れる。そんなオレの皮肉にも、ともろーは「優等生もさぼりたいときだってあるさ」と気にする素振りもなく笑った。
「まだ二限目だっていうのにこんなところで。煙草まで吸ってるし、いつか先生にみつかるよー?」
「見つかったらその時だ。停学くらいで済むなら気にしやしねえよ」
「余裕だなー羨ましい」
オレの言葉に呆れながら笑うともろーにオレも笑った。
別に内申なんか気にしてないし、どうでもいい。大学くらいなんとかなる。今はまだ決めているわけでもないから、決めるときにいける大学に行ければいい。最悪行けなくても困る事はない。専門学校に行くこともできるし、働く事だってできる。両親もその辺に口出しはしないでオレにまかせてくれるしな。
まあ、ともろーはそうじゃなさそうだけど。
詳しく聞いたことはないけど、真面目な性格からして、そういうものを気にしている様な気がする。じゃなきゃ勉強に必死にならないだろう。
一言一句逃さないようにノートをとっている姿に、いつもは誰よりものんきなともろーの面影はなかった。医者の家っていうのはみんなこんな感じで期待されるんだろーか。めんどくさそうだ。
でも、真面目なともろーと一緒にいると、先生たちにあからさまな文句を言われることが減る。ともろーがいるなら、仲がいいなら、と多少の事は目をつぶってもらえているのは明らかだ。なんて現金な奴らなんだろうかと思うけど、そうしてもらえるにこした事はない。
ただ、オレらにとってはいいけど、ともろーにとってはどうなんだろうな。
「で? どうした。ともろーがさぼりなんて珍しいじゃねえか。オレに用?」
何の理由もなく、授業中にともろーが来るはずがない。オレに用事か、相当のストレスで逃げてきたかのどっちかだろう。
けれど、逃げるなら頭のいいともろーのことだ。オレがいるかも知れないこんなところは選ばないはずだ。だとすれば、オレに何か言いたい事があるんだと思う。
「さすが、察しがいいなあ」
ふ、と笑ってともろーがオレの隣に腰を下ろした。
普段子供みたいなくせに、たまにふと大人びた表情になる。そんなともろーをみると、普段はワザと子供っぽく振る舞っているんじゃないかと思うときがある。
「単刀直入に言うけど、蓮、なんで小毬と付き合うことにしたの?」
言葉通り単刀直入。
予想以上の言葉に、身体が一瞬硬直した。
「小毬のこと、好きなわけじゃないだろ?」
オレの返事も待たずに淡々と話すともろーは、真剣な目でオレを見ていた。
きっと……オレの言葉なんか期待していないんだろう。むしろ聞く気もないのかもしれない。……オレがなんて答えるのか、それを分かっているんだろう。それがウソばかりだってことも、お見通しだ。
小さく舌打ちをしたオレに、ともろーはクスッと笑いを零した。
“好きだよ”
そう答えようと思っていたのに、そう言えただろうに、ともろーはきっとそれを認めない。どんな答えをしたところで、ともろーの中で明確な答えがあるんだろう。どんなに否定したって、ともろーには通用しない。
そして何よりも、それが、間違いではないから……オレは何も言えなかった。
「蓮が思ったよりも素直でよかったよ」
「うっせーよ」
ともろーの余裕な感じにむかつきながら、煙草をもみ消す。
「蓮、小毬と……別れないと……傷つくよ」
さっきまでいつも通りの飄々としたともろーだったのに、急に言葉を選ぶようにゆっくりと話す。
真面目な視線を、さっきと変わらずオレに向けながら。
「……わかってるよ」
分かっている。そんなこと。小毬を傷つけることくらい。いや、既にもう傷つけているのかも知れない。好きでもないのに、付き合ったと、キスをしたとそう小毬が知れば、きっと泣く。
そんなことどうでもいいと思っていた。今だって、小毬を傷つけることなんか、どうってことはない。傷付かない方がいいなと、そう思う気持ちももちろんあるけれど……、そんなこともどうだっていいんだ、本当は。
「小毬は、真っ直ぐだから……な。あんなにも蒼太が好きなくせに、オレに騙されて、それでもオレと向き合おうとするんだ。バカだ。出来もしないくせに」
「ちがう」
苦笑混じりにぼやくと、ともろーは強い口調で、言った。
「は?」
間髪入れずに否定を言葉にされて、首を傾げた。
意味が分からないんだけど……?
真面目な顔をして、少し怒り気味のともろーが、理解出来ない。
何がちがう? だってそうだろう。好きでもないのに付き合ったんだから、小毬が傷つくだろう。
あまりの真面目さに一瞬戸惑ったけれど、それでも意味が分からなさすぎて苦笑しながら、ポケットに手を突っ込んで再び煙草を取り出した。
「なに言ってんだお前」
「……確かに、小毬も、傷つくだろうと、思う。だけどそれ以上に、蒼太が、傷つく。小毬を傷つけるような蓮だったことに、傷つく。それはなによりも……蓮、自分を傷つける」
ともろーの言葉の途中で、咥えたはずの煙草が、ぽろりと、地面に落ちた。
何を……。何で……オレが。何でオレが傷つくと? それは……どういう意味で?
ゆっくりと、ライターを探してポケットに向けていた視線を、ともろーに戻す。瞬きする事すらも忘れて、目を見開いたまま。
さっきと何もかわらないともろーの視線が、オレのどこかに突き刺さったような痛みが全身を駆け抜けて、小刻みに指先が震えた。
何で、そんな目でオレを見る? 何で……。そんな苦しそうな顔をお前がするんだよ。お前は……。もしかして……。
「蓮、蓮が好きなのは、蒼太だろ?」
雲が、流れるのをやめて、太陽を隠したまま頭上で止まる。それはまるで、時間が止まったかのように感じた。地面の影が、オレたちを包み込む。
「……なに、冗談……オレ男だぞ?」
オレは男で。蒼太も男だ。
そんなはずない。そうだろ? そんなのおかしいじゃないか。おかしいおかしいおかしい。変だ。
「蒼太を、傷つけちゃいけない。蓮の為に」
やめろ。気持ち悪い。
そう口にしたいのに口が動かない。冷静であろうとしているのに、目がいろんな所に動いてしまって、自分が今何を見ているのかも分からなくなってくる。
どうして。なんで……オレが一番認めたくない気持ちを。
心の奥底に沈めて見ないようにしてきた気持ちを、どうして。
ぎゅうっと拳を作った。
痛みも感覚もなかったけれど、そうしないとどうにかなってしまいそうだったから。
なのに……涙が、一滴、頬を伝った。
「やめて、くれよ。そんなの……」
慌てて涙を隠しながら、震える声でそう告げることしかできない。笑い飛ばすことなんて、出来るはずもない。
顔を隠しながらぐしゃりと自分の前髪を掴んだ。
精一杯の強がりだと、そんなこと自分でだって分かっている。
今更どんな言葉を紡いだところで、信憑性なんて全くない。だけど、オレはそれ以外の言葉を言うなんてできない。そんな言葉はオレの中に存在しないはずなんだから。
「蓮、ボクは蓮のことが、好きだよ。蒼太を大事にしていた、蓮が。だから……」
「だからなんだって言うんだよ!」
どうしろと!? なにをしろって? どうにかできたら自分で、とっくの昔にやっている!
ばっと顔を上げてともろーを睨み付けると、ともろーは一瞬驚いた顔をして、小さく「……ごめん」と呟いた。
八つ当たりだ。だけど土足で入ってきて、すべてを踏みにじられるような嫌悪感が広がる。
何も知らないくせに、分かったふうな態度で口にするな! オレが、口にしなかった思いを……そんな簡単に、言うなよ! そんなことをわざわざオレに言いにきたのかよ! オレだって分かってる! 分かっているから、小毬とだってもう終わろうと思っていたっていうのに。なのに……!
「……どっかいけ」
ひとりにしてくれ。頼むから。
ともろーには何もできない。自分でだって何も出来ない。オレに告げて何かができれば、回避できればとでも思ってきたんだろうけど。そんな簡単なはずないだろ。ふざけんな。
「……頼むから」
もう一度うずくまって小さな声で告げると、ともろーは何も言わずに足音を鳴らした。
バタン、と閉まる音が、何もない屋上に響き渡る。




