21覚悟はもう引き返せない
「お前……知ってたのか?」
……どういうことだ? なんで……そんなことをすんだよ……。
呆然としながら告げるオレの言葉に、蒼太は曖昧な笑顔を向ける。ただ、それだけ。
「なに、笑ってるんだよ」
こんな時に笑うなよ、お前。なんで……笑えるんだよ。
千晴を好きなら余計に、そんな顔してるんじゃねえよ。
怒ればいいのに、悔しがればいいのに、お前にプライドってものはないのかよ。たとえ好きじゃなくても、馬鹿にされている事には違いないのに。
なんであの女がお前と付き合ったのか、わかってるんだろ?
オレに、近づくためだ。
「最初からわかってたよ。あからさまに蓮の話多かったから。俺もそこまでバカじゃねえもん」
「……バカだろ。何で、知っててつきあうんだよ。お前やっぱり小毬が……」
「小毬はお前の彼女だろ? 何で自分の彼女、オレに勧めるわけ? お前が小毬を気に入ってることくらい俺だって知ってるし」
なにを、言ってるんだお前。
オレが小毬を気に入っているって……? 何を見て、オレの何でそう感じたんだよ。本当にお前は何もわかってない。バカ中のバカじゃねえか。
「ちょ、お前……」
「小毬を、傷つけるなよ。小毬にとっても、俺なんかといるよりも蓮といるほうがいいんだ。だから、傷つけるなよ」
「蒼太!」
何も言葉を吐き出す事ができなかったオレを置いて、ひとりで話を進めだす蒼太の話を遮った。
勝手に結論を出すなよ。オレの事を決めつけて、勝手に納得するなよ。オレが小毬を見ていたと? そんなわけないだろ! そう見えたのだとしたら……それは!
「俺はこれでいいんだ」
「ふざけんな! 笑ってんじゃねえ!」
ガン!とトイレのドアをけ飛ばして文句を告げようと思いつつ、言葉が出てこない。
どう言えばいいのか、わかんねえ。
なんでそこまでして、逃げるんだよ。笑っていられるんだよ。お前の事が、オレにはさっぱりわかんねえ。
キィキィと音を出してドアが揺れる。驚きの表情でオレを見つめる蒼太の視線から逃げるように、そのまま何も言わずに外に出て行った。
ふざけんな。ふざけんな。
なんで、ヘラヘラ笑ってるんだよあいつは! なにを考えているんだよ。なんでなにも言わないで、……オレの気持ちまで勝手に決めつけて。冗談じゃない!
だけど何より苛立つのは、口に出来ないもどかしさだ。
言ってしまえばいいのに、言いたくない。だから余計に苦しくなる。ひとりで抱え込んでも誰も分かってくれないのはわかっている。言ってしまったほうがきっと今の気持ちも伝わる。もしかしたら蒼太にとっても楽になるかかもしれない。小毬にも。
だけど、言えない。その狭間でただ右往左往するだけ。
「蓮?」
千晴と小毬がオレらを待っていたのか、出口に行くと、ふたりが柱で何かをしゃべっていた。怒りで前しか見てなかったからその姿に気づかずそのまま通り過ぎようとするオレを、小毬の声が引き留める。
「どうしたの? ご飯行くんでしょ?」
なにも知らないで、こんな女と愛想だといえ話をするなんてバカじゃねえの。お前はどう思ってこの女と話してんだよ。お前の好きな蒼太の彼女だぞ。
しかも、こいつは蒼太のことなんか好きじゃなくて、利用してるだけの、クソ女だ。
返事をすることなくそばによってきた小毬の手を掴んで歩きだした。
「ちょ、ちょっと……蓮!?」
「帰るぞ」
このままこいつらといたら気が狂いそうだ。
ひとりで帰ればいいのに、ここに、小毬が残ることも気に入らない。
後ろにいるだろう千晴にも目を向けず、ただどこかに向かって歩くしかなかった。
「蓮! ちょ、まって……! 蒼太は……」
「あいつのことなんかどうでもいいだろ!」
先を見つめたまま怒鳴ると、つながった手から小毬が一瞬びくっとふるえるのがわかった。
あ、と速度を落として後ろを見ると、少し息の切らせた小毬が驚きと恐怖を露わにした表情でオレを見つめている。その顔に、やっと少しだけ冷静になって、オレの体から力が抜けていく。
怒鳴るつもりじゃなかった。
なにも知らない小毬が悪いわけじゃない。
小毬に怒鳴って怒っても仕方がないことくらい分かっている。
だけど……どうしても抑えきれない。
止めどなく溢れる怒りと憎悪。
「……わるい……」
とりあえず、そう謝罪を口にすると、掴んでいた小毬の腕からも力が抜けたのがわかった。
「どうしたの……? 今日、変じゃない?」
「なんでも、ない」
「でも……今日ずっと、おかしいよ……?」
その言葉と同時に、小毬の手がオレから離れる。逃げるように。
ひとりきりになった自分の手を見下ろしながら、ああ、これがオレの宿命なんだ、と思った。誰もそばにいられない。誰がそばにいても、オレがそれを受け入れられない。この先もずっと、オレは求めているものを手に入れられない。
そんな気がして、絶望感に襲われる。
「お前は……これからどうするつもり?」
小毬を真っ正面から見つめた。
この台詞を、オレから言うのはたぶん、ずるいんだろう。自分から小毬をたぶらかせ、無理矢理こっちに引き寄せたようなものだったのに。
オレのことをどう思ってる?
……オレを利用しているだけだとしても、文句は言えないのだってわかっている。オレだって……利用しているんだから。
責めたいわけじゃない。
ただ、崩壊に近づいているようなこの曖昧な関係に、しっかりとした名前をつければ、もう少し踏ん張れるんじゃないかと、思った。
「……え?」
「小毬は、蒼太と千晴を別れさせて、自分とつきあってほしいわけ? それとも、ただ蒼太のそばにいれたらいいわけ? それともオレと……付き合っていくつもりなのか?」
なんと返事して欲しいのか、自分でもわからない。だけど、オレが小毬を無理矢理オレの方に引き寄せたのは自分のエゴだった。あのとき、あの瞬間、オレはオレの為に、小毬を巻き込んだ。
「……え、と……」
答えに詰まる小毬を見て、オレは何も言わずに背を向ける。
「れ、蓮……! 待って!」
ぐいっと腕を引かれ、足を止めると、後ろには泣きそうな顔をしている小毬がいた。
「ど、どこいくの?」
「帰る。オレあいつらといたくねえし。小毬は好きにしたら?」
「……一緒に、行く。私、蓮と、付き合うって……決めたから」
小毬の必死な顔に、思わず「ぶはっ」と吹き出した。
付き合ったことのないだろう小毬の『付き合う』ね。
……どういう決心で口にしているんだろうな。蒼太のそばにいるために、オレと付き合うことを選んだくせに。
狡い小毬。だけど、この行動の先にも、気持ちの先にも、自分が蒼太とどうにかなろうとか、そういうことを考えてない。
なんて、真っ白で、なんて思いだ。それだけ蒼太が好きってこと。
——オレと大違いだな。羨ましいよ、お前が。
このまま小毬のそばにいたら、オレはもっと欲望を抱えきれなくなって堕ちていきそうだ。
自分の不純な気持ちが、小毬と一緒にいる事でよりいっそう際立って感じる。いつか、今よりも、もっと、深みに入って、抜け出せなくなりそうだ。
いつから……? どこから……? オレは暗闇に足を踏み入れたんだろう。
「小毬、付き合うって何か知ってる? お手て繋いでデートするっていうだけじゃねえよ?」
「……そんなこと、わかってるよ……」
笑ったオレに気を悪くしたのか、膨れていた顔がまっ赤になって、ほんの少しだけ俯いた。
「じゃあ、ここで小毬から、キスしてみせてよ」
「……え!? え? ここで!?」
こくりと頷くと、あからさまに挙動不審になって、辺りを見回してから「ここじゃ、ちょっと……」とぼそぼそと発する。
本当に、できない理由がここでするのが恥ずかしいっていうだけならいいけど。ただ、確かに人通りの多い道だしそういうのなら、と思って小毬の手を掴んで脇の道に入った。
誰も、こないだろう細い脇道。
足を止めて振り返ると、小毬の緊張した瞳がオレを捉える。
「……ここならできる?」
「え、と……あ、うん……」
できないくせに。
多分、小毬は自分からキスなんてしたことないだろう。
ここでできるなんて思ってない。小毬が場所を理由にしたのはただ、逃げるだけだったんだろうってことはわかっているし、できれば……しないでほしいと思っている自分もいる。
しなければ、この関係を終わらせることが出来るから。
自分から手招きして、自分から手放すオレのことを、小毬はどう思うだろう。きっと傷ついて、だまされたと思って泣くだろう。そしたら蒼太は……どうするだろう。
目の前の小毬は、まわりをきょろきょろと見渡しながら、何度も俯いては顔を上げて、そしてオレを見てはまた俯く。
その様子を観察するようにじいっと小毬を見続けた。目を反らさずに、真っ直ぐに。一挙一動を確かめるように。
オレの視線を感じたのか、小毬が上目遣いでオレを見つめ返す。
多分、小毬の考えていることは、オレが諦めて小毬からキスするという話をなしにしてくれないかな、ってところだろう。
「……まだ?」
「っ……こ、心の準備、が」
「どんなけかかるんだよ」
心の準備とか、いらねえから。さっさと諦めて無理だと、自分の口から言えばいい。オレからは言わないから、自分で。
今まで受身過ぎたんだ、お前は。
ここではっきり口にすれば、もうちょっとマシになるんじゃねぇか?
お前自身も、蒼太との関係も。
正直ただの嫌がらせ、ていう理由もあるけど。このくらいは許されるだろ。
「やめる?」
「……ま、って」
「じゃあ早くしろよ」
無理矢理急かすと、小毬は今にも泣き出しそうな顔になった。
このまま、動かないかと思っていた。小毬は今まで蒼太に守られてきて、蒼太が全てだったから。オレにはそう見えていたから。
なのに何で。どうして。
小毬はゆっくりとオレに近づいてきて、オレの腕にそっと手をあてた。背伸びするから、バランスを保つためだろうけれど、その手からオレの身体に電気が走り抜ける。
——小毬とキスしたら、オレはどうなる?
ゆっくりと、目を閉じた小毬の顔が近づいてくる。長い睫が目の下に微かに影をつくっていた。初めて見る小毬のそんな表情に、胸が大きく伸縮し始めて、胸が痛みだす。
いいのか?
何が? 誰が? 誰に?
「っこ」
「……っ」
小毬、そう呼びかけようと思った時、オレの声が聞こえたのか、小毬はばっとオレから顔を離した。
オレを見て、目を丸くして、そして瞳に……じわじわと涙を溜めてゆく。
「……無理、すんな」
「ちが……ちがっ」
オレの言葉をきっかけに、小毬の大きな瞳から、涙がぽろぽろと零れ始める。
オレを、誰だと思い込もうとしていたんだよ。そう口にしたかったけれど、さすがにいじめ過ぎかと口を閉じた。
目を瞑って、オレじゃない誰か。蒼太以外にいるはずもないけど。そいつを思い出して、キスしようとしていたんだろ? オレの声に、反応して、違うことを再確認してしまったから……だからキスなんて出来なかったんだろ?
いいんだよ、それで。
小毬はそのままでいたらいい。オレの為にも。ただ、それは言葉にはしてやらない。
キスできない小毬であることにほっとしたことも、言ってやらない。
「じゃあな、小毬」
ぽんっと小毬の頭に手を置いて、まだ泣いているのを気にすることなく背を向けて歩いた。
オレが慰めない方がいい。小毬はあのまま、一途に蒼太を好きでいればいい。それが憎くもあるけれど……このままオレのそばに居ると、オレはきっと小毬を傷つける。
だから。
「悪かったな」
誰にも聞こえない声で呟いた。




