20小さな亀裂の深い穴
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「あーおもしろかったぁ」
隣の小毬も背伸びをしながら立ち上がって、その姿にハッとして顔を上げた。いつのまにがスクリーンには何も映し出されていなかった。
「ね」
オレに同意を求める笑みを小毬に向けられて、曖昧な笑顔を返すしかない。
……内容なんか全く思い出せない。観たかった映画だったっていうのに、ちっとも集中できないまま終わった。二時間なにをしていたんだか。
「蒼太泣いたんじゃないの?」
「泣いてねえよ!」
小毬の隣に座っていた蒼太も席を立って、四人で出口に向かっていく。
「目赤いじゃない」
「うっせーよ」
なにがそんなに楽しいんだ。
目の前のふたりに、心の中で、ち、と舌打ちをしながらポケットに手を突っ込んで歩く。後ろからふたりを眺めていると、自分がなんでここにいるのかすらも意味がわからなくなってくる……。
オレは何をしに今日来たんだっけ。こいつらふたりで見に来たらよかったんじゃねえの?
「あのふたり……仲いいんだね」
オレの背後から千晴の声が聞こえて、軽く視線を送ると、千晴はオレを見て微笑んだ。
映画を見始めるまでは気まずそうにしていたのに、二時間でそんな記憶はキレイさっぱり消え去ったかのようだ。なんて便利な脳みそをしてるんだろうな。羨ましいよ。
「なに? 嫉妬? おまえの友達が小毬に忠告するくらいだもんな。ふたりが仲がいいのはさぞかし落ち着かないんだろうな。そんな顔はしてないけど」
苛立ちをぶつけるようにそう返すと、千晴は一気に顔を赤くさせた。
恥ずかしいのか、怒っているのか。
どっちにしてもおまえにそんなことする権利はないけどな。
とはいえ小毬も小毬だ。
泣いていたくせに。そんなこともう忘れたかのように蒼太と並んで歩くんだから、あいつもいい加減だ。
彼女がそばにいることをわかってんのかよ。小毬も、蒼太も。
……この女に気を使う必要はないけど、それでもムカつく。
離れたくないだとか、それでも付き合うわけにはいかないだとか、そんなの口先だけじゃねえかよ。今までと何ら変わりない。蒼太に彼女がいてもいつも一緒にいたあの頃と同じだ。割り切っていた分あの頃の方がマシとすら思う。
「わたし……」
千晴の声が聞こえたけれどそのまま無視をして歩く。
「別に、嫉妬なんて……」
それでも気にしないで、すねたような声で反論する声に、ぴたり、と足を止めて再び千晴に視線を向けた。
どういう意味でその言葉をオレに口にするのか。別に嫉妬してようがしてなかろうがどうでもいいのに。むしろ、彼女という立場ではするほうが普通。
「してないって? そりゃそうだろうな」
少しおびえながらオレを見る千晴に、ゆっくりとのぞき込むように顔を近づけた。
「おまえは蒼太のこと、好きじゃないからな」
にやり、と口角を上げて笑ってみせた。たぶん、目は、笑ってなかっただろう。
オレの言葉に、千晴は、目を見開き“なんで”と言いたげに唇だけをかすかに動かす。
こんなに分かりやすいのに、ばれてないとでも思ったのか。
お前はちっとも蒼太の事を気にしていない。小毬と蒼太が一緒にいることにも全く気に留めない。
蒼太のいうイメージと違いすぎる。それに加えて今のオレへの態度。
当の蒼太が気づいてないからそう思っても仕方ないか。何で気づかないのかオレにはわからないけど。
今までの様子で気づかなかったとしても、今日のこいつを見ていたら気づいてもよさそうなのに。
バカじゃねえの。
結局、蒼太でさえもこの女を気にしてないってことだ。どっちもどっち。そのふたりの茶番に付き合わされたことも胸くそ悪い。オレも小毬も、こいつらに利用されたんだ。
固まったままの千晴を見て、鼻で笑って背を向けた。
前を見れば、なにも知らずに小毬と笑う蒼太。蒼太と一緒にいるのが相当うれしいんだろう、笑顔の小毬。
「……ほんと、ばかじゃねえの」
呟いた声はとてもか細くて、誰にも聞こえなかっただろう。
あいつらが一番たちが悪い。お前らが……そんなんだから。
ちっ、と小さく舌打ちして、二人の間に割り込もうと、歩く速度を速めた時。くん、と後ろに引かれて足が止まった。
「……わたし……ずっと、前から」
「聞きたくねぇ。本当に、最低だなお前。蒼太を利用するな」
背後からの声に、振り向きもせずに告げると言葉に詰まるような声にならない声が耳に届く。
オレの服つかむ後ろからの千晴の手を、ばっと乱暴に振り払う。
いい加減にしてくれよ。頼むから。
「蓮くんだって……小毬さんのことが好きじゃないくせに」
小さな声が聞こえて、オレの思考が真っ白になる。
「は……?」
ゆっくりと振り向けば、涙目の千晴がオレを睨んでいた。
何でオレがお前に睨まれなきゃいけねえんだ。なんでお前に……そんなことを言われなきゃいけねぇんだ。
「好きじゃないでしょ? 先輩のことだって……誰のことも好きじゃないから、誰とでもつき合えるんでしょ? ……だったらわたしとだって……」
「黙れよ」
通り過ぎていく人たちが、オレらにちらちらと視線を送る。カップルが喧嘩をしているとでも思っているんだろう。
この女マジでクソだな。なにも知らないくせに。なにもわかってないくせに。好き勝手言いやがって。
「そうだとしても、お前みたいな女とは死んでもつきあわねえよ」
その言葉を吐き出して、オレは背を向けて出口に向かった。小毬と蒼太の姿は、もう、見えなかった。
「くそっ」
イライラする。……こんなことなら……小毬となんか……。
千晴に言われた言葉が、頭の中をぐるぐる回る。
「おー蓮! お腹すかねえ? 今から何か食べにいこーぜ」
映画館の外で、小毬と蒼太がオレを見つけるなり手を挙げて呼びかける。
腹は減っているけど、正直、そんな気分じゃない。さっさとこの場から、このメンツから離れたい。
はぁ、とため息をこぼしてふたりのほうに近づいて行く。
「やだよ。お前らいつまでオレらの邪魔すんだよ」
「え……で、でも」
あからさまにいやそうな顔をするなよ。
小毬の戸惑いを含めた表情に、思わずつっこみそうになる。
それは、蒼太と一緒にいたいからなのか。それとも、オレとふたりきりがいやだからなのか。
こいつ本当に、なにを考えているんだ。
いや、でも、わかってる。それでいいんじゃないかと提案をしたのはオレだ。
蒼太のことが好きなら、オレと付き合うことで蒼太のそばにこれからもいることができると、そう持ちかけたのはオレだ。
「いいよ、わかった」
「あの、……蓮」
諦めたように返事をすると、小毬が何かを感じたのか、あわてた様子でオレに話しかける。その視線から逃げるように「トイレ」と言って背を向けた。
小毬に今、何を言われてもオレは冷たい言葉しか吐き出せない。
「千晴ちゃんもいいよね? 俺らとご飯行こう」
「え、あ……うん……」
ちょうど、振り返ったとき、背後にいた千晴が蒼太の呼びかけに返事をした。オレに気を使うように、ほんの少し視線を向けて。
「あ、の……いい、かな?」
「何でオレに聞くんだよ、好きにすれば?」
小声で話しかけられて、目も合わさずに隣をさっと通り過ぎてそのままトイレに足を向ける。
マジで、帰りたい。
何でこんなことになっているんだよ。そもそも蒼太が……あんな女とつきあうから……。いや、それも、オレが出会いの場を作らなければよかったのかもしれない。
それにしても、だ。……それでも。
「蓮ー!」
パタパタと後ろからオレに近づいてくる足音とともに、蒼太の声が聞こえて、トイレの入り口で足を止めた。
「なに?」
「お前なにイライラしてんの? 小毬が何か怒らせたかなとか心配してたぞー」
「別に」
何か怒らせたか、じゃねえよ。ちょっとは自分の行動思い返せよ。
ち、と舌打ちをしたい気持ちをぐっとこらえてトイレの中に入った。
そもそも何でそれを蒼太がオレに言うんだよ。お前はいったい……小毬をどう思っているんだよ。何でお前はそんなに中途半端なんだよ。
何でなにも、オレに言わないんだ。
「千晴ちゃんにもちょっと冷たいしよー。どーした? かわいい女の子には優しいはずだろ?」
「……っなんっで……あんな女に優しくしねぇといけねぇんだ!」
千晴の名前に。蒼太の口からでたあいつの名前に、思わず振り返って大声で叫んだ。
「……どーした? 急に……」
きょとんとした顔を向ける蒼太。
「どーしたの、じゃねぇよ。あの女……」
改めて言葉にしようと思うと余計に腹が立ってきた。何のために蒼太に近づいたのか。それだけのために蒼太を傷つけるのか。あんな女が、オレらの関係を壊すのか。
でもそれを、蒼太に伝えてもいいのか。
「千晴ちゃん? 千晴ちゃんがどうかしたのか?」
「……お前、あの女のこと、本当に好きなのかよ」
いろんな事を吐き出しそうな気持ちをこらえるように、強く唇を噛んで言葉を飲み込んでから、小さな声で呟く。
だって……お前が好きなのは千晴じゃないだろ? 今日一日の行動で再確認した。お前は絶対あんな女を好きじゃない。
じゃあなんで付き合ってるんだ。何でみんな……好きな奴と付き合わないんだよ。お前らは、それができるだろ? そういう奴を好きなのに、何でそれをしないんだよ!
「は? なんだよ急に……。そりゃ……好きだよ」
「んなわけねえだろ!」
違うだろ!? 何で素直にオレに言わないんだよ!
オレに……なにも希望がないならそれでもいいのに。それでもいい。ただ、オレにはすべてを言ってくれればいいのに。
お前の考えがあるなら、オレは……まるごと支えてやろうって思えるのに。
「少なくとも……あの女は、お前のことなんか好きじゃねえよ!」
言わないなら、傷つけ。オレのせいでもなんでもいい。
ドン!と大きな音を出して、蒼太が壁に背をつける。そうさせたのはオレだ。蒼太の両肩をつかんで、壁に押し付ける。
手が、小刻みに震えだす。
必死で叫んだオレを見て、蒼太は何を考えているのかわからない顔をしてオレを見つめた。
……なんなんだよ、お前。
「いい加減、小毬の気持ちを……認めろよ……せめてオレには、ちゃんと言えよ」
「蓮……?」
俯いて、懇願するような声で訴えた。
こんな場所で、オレはなにをしているんだろう。バカだな、本当に。
「蓮、俺は、千晴ちゃんが好きだ」
「……なんでだよ……! あんな女……! あいつ本当は……」
「いいんだ」
オレの手をつかんで、蒼太が笑う。オレの力がするっと抜けたのか、蒼太の力が強かったのか。オレの手が蒼太の体から離された。
「……いいんだよ、別に」
再度繰り返す蒼太の言葉に、めまいがする。くらくらと視界が揺れた。
蒼太は、気づいていたんだ。わかっていて、付き合っていた。