第1話 処分前の証言
明日の朝、白翼獅子のアルクは殺される。
担当飼育官だった私は、昨夜の暴走事故の全責任を問われ、即日解雇を言い渡された。
鉄格子の向こうで、アルクが右の翼を動かした。鎖が鳴り、折れた羽根が一本、石床に落ちた。
「リーゼ・フェルン。私物はまとめてある。最終聴取への立ち会いが済み次第、退去するように」
背後の役人には答えず、私は膝をついた。
アルクの鼻先がこちらへ伸びる。いつもなら私の餌袋を探る鼻が、今日は途中で止まった。胸の傷をかばい、息を浅く吐いている。
私は空の掌を見せた。何も持っていなくても、ここにいることだけは伝えたかった。
「手順を守っていたなら、こんな事故は起きなかった」
役人の声に、奥歯を噛んだ。
違う。餌も運動も、決められた通りだった。そう何度も説明したが、事故報告書にはもう、私の飼育ミスが原因だと書かれていた。
どうせ聞いてもらえない。
口を閉じかけて、アルクの鎖を見た。私が諦めれば、この子まで黙らされる。
その時、地下牢の扉が開いた。
飼育長のマルタが、黒い外套の男を案内してくる。男は役人への挨拶を短く済ませると、真っ先にアルクの胸元を見た。
「呼吸は、いつからこの速さですか」
「鎮圧の後からです。傷の痛みがあると思います」
答えた私に、男は小さく頷いた。
「セドリック・ヴァール。幻獣語の翻訳官です。処分前の最終聴取に来ました」
その名は知っていた。七種もの幻獣語を訳す、宮廷の翻訳官。
けれど今、私が見ていたのは彼の記録板だった。そこには空欄がある。まだ誰の責任とも決められていない、白い紙が。
「形式だけの聴取です、ヴァール殿。速やかに署名を」
「まず聞きます。話せる状態かどうかも含めて」
セドリックは檻の前で腰を落とした。アルクの顔に近づきすぎない距離で、低く、短い音を連ねる。
返ってきたのは、喉を震わせるかすかな声だった。
私には意味が分からない。だが彼のペンは動き、アルクが息を継ぐたびに止まった。
「『いつもの飼育官は悪くない。あの晩、私に何もしていない』」
私は顔を上げた。
アルクが私を見ている。傷ついた翼を床に引きずりながら、少しでも近くへ来ようとしていた。
「……私のこと、ですか」
「彼が見ている相手は君です。訳文には、君を指したことを注記します」
「獣の言葉で職員の責任が消えるわけではない!」
役人が口を挟んだ。
「その通りです」
セドリックは顔を上げなかった。
「彼がこう言ったことと、実際に何があったかは別です。だから、続きを聞く」
私を庇うために来た人ではない。
それでも、アルクが言ったことを、なかったことにはしない人だった。
セドリックの問いに、アルクは鼻を鳴らした。黄金色の目が一度、階段の方へ動く。
「『甘い煙の匂いをつけた人間が、入口へ来た』」
甘い煙。
思わず、上層の舎房を見上げた。事故前の夜、アルクの寝床には、いつもの干し草とは違う甘い匂いが残っていた。
「その人間が、煙を焚いたのか。そう聞きます」
セドリックが再び声をかける。
アルクは前肢を揃え、喉の奥で短く鳴いた。
「『煙を焚いた人間は知らない。見ていない』」
ペン先が、その一文を書き留めた。
私はアルクの右の翼を見た。付け根の羽根がわずかに立っている。目はセドリックから逸れ、左下へ落ちていた。
その仕草には見覚えがあった。
餌袋を破いた幼獣を腹の下に隠し、何もない顔をしていた時。テオが落とした刷毛を前肢で押さえ、叱られる彼を見ないようにしていた時。
けれど、今は傷の痛みもある。恐怖だけで羽根が立つこともある。
これだけで決めつけてはいけない。
「ヴァール様。今の質問をする前、あの羽根は寝ていましたか」
セドリックは記録板から顔を上げた。
「見ていなかった。言葉に集中していた」
「私は見ていました。煙を焚いた人を尋ねた時だけ、立ったんです」
役人が苛立ったように息を吐いた。
「傷ついた獣が羽根を動かした。それがどうした」
「それだけなら、何も分かりません」
私は鉄格子に向き直った。
いつもの手入れの合図で、掌を二度、軽く叩く。アルクが私を見た。前肢の力が抜け、右の翼が少しだけ下がる。
「煙を焚いた人のことを、もう一度、聞いていただけますか。私の推測は伝えずに」
セドリックは頷いた。
同じ問い。同じ短い返事。
そして、同じように左下へ逃げる目。
「返答は変わらない。知らない、と言っている」
私はゆっくり息を吸った。
アルクの言葉を疑わなければ、少なくとも私を庇ってくれた一言には縋っていられる。けれど、それでは煙を置いた人間には届かない。
この子が守ろうとしているものも、分からないままだ。
「私には幻獣語は分かりません。あなたの翻訳を否定するつもりもありません」
「では、何を疑う?」
セドリックのペンが止まった。
私は、アルクから目を逸らさずに答えた。
「この子は一つ、嘘をついています」




