夢
なぜ、なぜ、こんなことに…!!
リーシャは声を出せない。魔法で封じられていて、言葉にすることができない。
わたしの肩を抱きよせている、王太子が手を挙げた。どんなにもがいでも、その腕から抜け出せない。
処刑人が、剣を構え、そして──。
「いやぁぁぁぁぁーーーーお姉さまーー!!!!!!」
誰よりも好きで、尊敬していて、憧れだった、姉の首が、落とされた瞬間。
魔法が解けたリーシャは、絶叫した。
「……っ!!」
あまりの衝撃で、飛び起きた。
心臓がうるさく騒いでいる。呼吸も、全力疾走したように乱れている。寝衣が汗ではりついて気持ち悪い。
はーーっと深い息をつく。
見慣れた寝台、室内は薄暗い。まだ、夜明け前。また、この時間。
そして。
「また…この夢…」
リーシャが5歳から見ている夢。もう、7年になる。
毎夜ではないが、忘れるなと言わんばかりに、必ず見ている夢。
初めて見たとき、当時の姿と違うのに、処刑されたのがなぜか姉のエリシアだという確信があって。
あまりに現実的だったので、飛び起きた足で、泣きながら姉の部屋まで走って行ったのだ。ただの夢だと、姉が首を落とされることなどあるわけがないと。
勢いよく開けた扉の向こう、寝台では何事もないかのように、姉はすやすやと寝息をたてていて。
よかったとわんわん泣くリーシャの声で、姉を起こしてしまったが、エリシアはただ頭を撫でて慰めてくれた。
その騒ぎで、父母も駆けつけてきたが、そのときにはリーシャは泣きつかれて眠ってしまっていたそうだ。
夢の内容は、あまりに恐ろしくて誰にも話していない。
口に出せば、実現してしまいそうで、怖くて、言えなかった。心配した父母や姉が聞いても、答えられなかった。
そもそも、なぜエリシアが処刑されるのだ?
夢の中で、リーシャはたぶん17歳、貴族が義務とされる学園を卒業する年だ。
それまでの経緯は不透明なのに、そういうある意味どうでもいいことはなぜか分かるのだ。
成長した姿を見たことがなくても、エリシアが姉だと確信できたように。
それに、わたしに馴れ馴れしく触れていたのが王太子だということも。
わたしは、姉が好きだ。
優しくて、何でも知っていて、努力していて、貴族として学ぶ姿勢を崩さず、凛とした姿のエリシアを、家族としてひとりの女性として、憧れている。
それだけでなく、王国屈指の魔力量で、魔法も着々と上達していると聞く。
尊敬する姉なのだ。
そんな姉の恥にならないよう、リーシャも必死に学んでいる。
父母はわたしに甘いが、姉のような完璧な淑女を目指しているので、むしろ厳しく指導してもらいたいと思っている。
唯一の不満と言えばそのくらいだ。
リーシャ現在12歳。
スウィントン侯爵家次女。この夢がただの悪夢でなく、予知夢なのではと思い至るのに時間はかからなかった。
それは、1つ年上の姉のエリシアが、立太子した第一王子と婚約が決まったと父から知らされたからだ。
今日は、エリシアが王太子殿下と初顔合わせということで、父と一緒に登城したのだが、ずっと胸騒ぎのようなものが収まらず落ち着かなかった。
授業にも身が入らず、教師に指摘されたほど。
姉たちの帰宅の報を受け、いの一番に迎えに行き、どうだったか尋ねてみるが、問題なかったとの返答に胸を撫で下ろした。
もしあの夢が予知夢であったなら、もしかしたら、王太子と姉の間に何かあったのではないかと思っていたので、何事もなかったのならと思ったのも束の間。
「王太子殿下。こちらが、妹のリーシャです」
何故、姉とのお茶会、婚約者とのお茶会に、わたしは呼ばれているのだろう。
純粋に、リーシャは不思議に思う。
王太子殿下が我が家に挨拶に来られるということで、粗相のないようにと全体に周知されたのが朝食の席。
家族で出迎えた後に、エリシアと連れ立って四阿へ向かったのを見送ったのに。
「私は、デニス・ハンフリーズという。話に聞いていた通りの子だね」
「…王太子殿下にご挨拶いたします」
「ははっ。それほど緊張せずともいい。私は、君の未来の義兄なのだから」
朗らかに笑っているようなのに、何故だか、リーシャはその笑みがとても気持ちが悪かった。
王太子の、リーシャを見る目が、妙に熱を孕んでいるようで。
気のせいだと思いたいが、隣の姉ではなく、わたしばかりを見ているようであるのも。
…何なのこの人、気持ち悪い。
口に出していたら、間違いなく不敬罪に問われることをリーシャは思う。
「…それでは、わたしはこれで失礼させていただきたく」
「はっ?!」
挨拶は済んだのだし、リーシャがこの場にいる必要はない。席を立とうとすると王太子が驚きの声を上げる。
「今来たばかりだろう? ゆっくりしていけばいいじゃないか」
困惑を滲ませたような王太子に、首を傾げる。心底意味が分からない。
婚約者の家に来て、婚約者との交流の場に、何故、妹のわたしがいなければならないのだ?
「大変申し訳ないのですが…婚約者同士の交流で、妹のわたしがいるのはおかしいのではないかと…」
わたしの主張は至って真っ当なはずなのに、王太子は絶句した。
そして、小さく呟く。
「…!」
エリシアには、おそらく聞こえなかっただろう。
しかし、態勢を整えた王太子は笑顔で言う。
「未来の家族と親睦を深めることは、何らおかしなことではないはずだ。ねえ、エリシア?」
そう言われて否定できるものは少ないだろう、姉も頷いて肯定した。
加えて、王太子の圧が離席することを許さず、しぶしぶリーシャは席に着く。
それから、お茶会の中心であるべき2人が主に会話するのではなく、王太子はしきりとリーシャに話しかけた。
好きな食べ物は? 色は? どんなドレスが好みかな? 紅茶の銘柄は? アクセサリーは?
無視するわけにもいかず、戸惑いを隠せないまま答えるリーシャにひどく甘い笑みを浮かべる王太子。
本当に何なのか。一体、何があって、エリシアよりもリーシャを優先するような態度をとっているのか。
今日は、顔合わせして初めてのお茶会のはずだ。これまで、エリシアとろくに会話をする時間はなかったはずで、姉のことも何も知らないはずだ。
リーシャに会う機会は侯爵家に来る他ないわけであるが、未来の義妹など、口実にしか聞こえない。
それこそ、未来の伴侶である姉を差し置いて、その妹に、姉以上の交流を望む理由は何だ?
──…やっぱりこの人、気持ち悪い。
先ほどの不気味さを感じさせる呟きも。
リーシャの耳にははっきり聞き取れた。
”…おかしいな”と。
お茶会が終わり、王太子が上機嫌で帰城するが、リーシャは疲労感でいっぱいだった。
エリシアを放置し、しきりと話しかけてくる王太子の意図は分からないまま、早く時間が過ぎることだけを願っていた。
後にエリシアにも聞いてみるが、姉はリーシャほどの違和感は感じていないようだった。
それからも、リーシャに気があるような素振りを見せるが、特に姉を邪険にするわけではなく、むしろ友好的だという。
王太子妃教育で、エリシアが登城するようになってからも同様。
しかし姉が留守のときにも訪ねてきては居座る王太子に、ますます警戒を強くしていく。
エリシアが帰宅するまで相手をと言われれば、リーシャに拒否権などあるわけがない。
王太子の本心も意図も分からないまま、不気味さだけが募っていった。
表面上にこやかに、距離を詰めてくる王太子を拒絶することもできず、また父母もそれを許容しているのがリーシャには不可解で、苦痛だった。
何の感情も、いやむしろ嫌悪感すらある王太子の行為を拒めないことが、大好きな姉を裏切っているようで。
救いだったのは、エリシアも政略と割り切っているところだろうか。
もしあの王太子を慕っているというのなら、優しい姉を無駄に傷つけ、悩ませることになっただろう。だからといって、現状のまま放置していいということにはならないけれど。
焦燥感を抱きながら時は経ち、エリシアが学園に入学した。
王太子も同年なので侯爵家に来る時間が取れなくなったのか、ぱったりと姿を見せなくなり、リーシャは心底安堵していた。
その安心も、次年度にリーシャが入学するまでであったが。
事あるごとに、リーシャのクラスにやってくる王太子のせいで、他の生徒たちから遠巻きにされ、友人すらできない。
何か不便なことがあれば遠慮なく言ってくれという王太子に、では来ないでくださいと、何度言いかけたことか。
学園に入ったら、姉のように友人を作り、学べるだけ学び、楽しく過ごそうというリーシャは初手から躓いている。他ならぬ、王太子のせいで。
沈んだ気分のまま浮かない顔をしていたのだろう、リーシャを見つけた王太子の、次の言葉でもう駄目だった。
『どうしてそんな暗い顔をしているんだい? やはり、エリシアに虐められているのか?』と。
もう限界だと思った。もう耐えられない。
リーシャは確信した。
エリシアに友好的に接しているのは、警戒させないためだと。
そして、姉に冤罪をきせ、処刑するつもりだと。
幼い頃から見ている、あの夢のように。
「お姉さま、今夜、お時間をいただけませんか?」
自分では分からなかったが、リーシャは思いつめた顔をしていたのだと思う。王太子妃教育もあって、夜にしか自由時間がないのにも関わらず、エリシアは快諾してくれたから。
夕食を終え寝台に入った後、侍女がいなくなってからそっと自室を抜け出したリーシャはエリシアの部屋まで忍んでいく。
リーシャは強く思う。
あの夢の通りにさせてたまるか。
姉をむざむざ処刑台に送るような真似、絶対にしてたまるか。
王太子の思惑など、知ったことではない。
「いらっしゃい、リーシャ」
寝台の上で、エリシアは本を読んでいた。
おそらく教育に関連するものだろう。
リーシャが静かに入室すると、エリシアは本を閉じサイドテーブルに置いてくれた。
手で招かれ、姉に近づく。
「………」
躊躇いがないわけではない。
誰が、自分の死ぬ話など聞きたいものか。それも、無残な死にざまを。
姉にそんな話を本当はしたくなかった。
「……わたしが幼い頃、夜中にお姉様を起こしてしまったことがありました。覚えていらっしゃいますか?」
けれど、このままだとおそらく、悪夢は実現してしまう。
そんな危機感だけが増している。
「ええ、もちろんよ。何かあったのか、泣き止んでくれなくて。ふふ、あの頃のあなたも可愛かったわね」
懐かしそうに目を細める美しい姉に、リーシャは泣きそうになる。
どうして、これほど美しいひとに、あんな仕打ちができるのだ。
まだ起こっていない出来事ではある。
だが、起きるかもしれない出来事だ。
「話を、聞いていただけますか…?」
嫌だ。絶対に。
あんな王太子のために、大好きな姉を、リーシャの大事なひとを、亡くしたくない。
「……泣かないで、リーシャ」
いつの間にか落ちていた涙を、寝台から下りたエリシアが拭ってくれる。
抱き締めて、頭を撫でてくれる。
いつだって、わたしに優しかった姉。今でも。
何もかも綺麗な、自慢の姉。
「おねえさま…」
このひとを、喪いたくない。
だから、今までずっと見ていた夢を、話した。




