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ブルー・ワシントンの夜の弾き語り  作者: はまゆう


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第六話 弾丸と三十年ーーメドガー・エヴァース

(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置き、いつものように低いブルースを奏でようとするが、その指が止まる。何かを探している。何か、この夜にふさわしい音を。そして、ゆっくりと語り始める。)


こんばんは、みんな。俺だ。


今夜は、土の話をしよう。


(彼は自分の手のひらを見つめる。そこには、何十年もの音楽が刻まれている。)


光でもない。炎でもない。拳でもない。膝でもない。開かれた棺でもない。


土だ。誰も気づかない。誰も感謝しない。でも、その上にすべてが立っている。


(彼は顔を上げる。その目は、誰かの名前を呼ぶ準備をしている。)


メドガー・エヴァース。


(ピアノ。1963年の夏を思い出させる、低くうねるコード。)


俺が初めて彼の名前を聞いたのは、1963年6月のことだった。


シカゴの小さなバー。俺はまだ駆け出しのピアニストだった。クラブでの演奏を終え、汗を拭いながらバーボンを舐めていると、バーの片隅のテレビから緊急ニュースが流れた。


(彼はそのニュースを再現するように。アナウンサーの無機質な声で。)


「ミシシッピ州ジャクソンにて、NAACPのフィールド・セクレタリー、メドガー・エヴァースが何者かに銃撃され、死亡しました」


(彼の通常の声に戻る。その衝撃を、今も覚えているように。)


バーの中の空気が、一瞬で凍った。誰かがグラスを落とした。誰かが「またか」と呟いた。誰かが泣き出した。俺はテレビの画面を見つめたまま、動けなかった。そこには、血に染まった駐車場と、白いシーツを被せられた担架が映っていた。


(長い沈黙。彼はその光景を、もう一度見ている。)


その夜、俺はピアノを弾けなかった。


鍵盤の前に座っても、指が動かなかった。いや、動かそうとしなかった。何の音も、浮かばなかった。ただ、彼の名前だけが、頭の中で繰り返された。


(彼はその名前を、音楽のように刻む。)


メドガー・エヴァース。メドガー・エヴァース。


誰だ? この男は?


(彼は客席を見渡す。その問いが、今も多くの人に当てはまることを知っている。)


俺は彼のことを、ほとんど知らなかった。キング牧師の名前は、もう誰もが知っていた。マルコムXの名前も、ハーレムの外で語られるようになっていた。でも、メドガー・エヴァース——その名前は、まだ多くの人の耳に届いていなかった。


それが、彼の闘い方だった。


(ピアノ。ミシシッピの田舎道を走る車のリズム。コツコツと、しかし確かに。)


彼の生まれは、ミシシッピ州ディケーター。1925年7月2日。


父は鍛冶屋、母は主婦。彼は幼い頃から、この国の現実を目の当たりにした。白人はいつも上にいる。黒人はいつも下にいる。それが「当たり前」だった。


(彼の声に、少しの怒りが混ざる。)


でも、彼はそれを「当たり前」と思わなかった。


高校を卒業後、彼は陸軍に入隊し、ヨーロッパで戦った。第二次世界大戦。彼は「普通のアメリカ人」として戦った。でも、帰国したとき、彼は「普通のアメリカ人」として扱われなかった。バスの後ろに座れ。白人の前では道を譲れ。「黒んぼ」と呼ばれろ。


(彼はその矛盾を、拳を握りしめて語る。)


彼は、その矛盾に怒った。


「俺は、この国のために戦った。なのに、この国は、俺のために何もしてくれない」


(ピアノ。その怒りを音にするように、一つの鋭いコード。)


その怒りが、彼を公民権運動へと駆り立てた。


(ピアノのリズムが変わる。NAACPの事務所の、タイプライターの音のようなコツコツとした刻み。)


彼がNAACPのフィールド・セクレタリーになったのは、1954年。二十九歳のときだった。


彼の仕事は、過酷だった。南部の田舎町を回り、黒人たちに「投票に行こう」と説いて回る。それは、命がけの仕事だった。白人の過激派が、彼を狙っていた。彼の自宅には、何度も火炎瓶が投げ込まれた。彼の車には、銃弾が撃ち込まれた。


(彼はその過酷さを、自分の言葉で伝える。)


彼は、常に武装していた。ピストルを持ち、車の後部座席にはショットガンを置いていた。彼は、キング牧師のような非暴力主義者ではなかった。彼は言った。「私は、自分を守る。殺されるために、ここにいるわけじゃない」


(彼は少し間を置く。その言葉の意味を噛みしめるように。)


でも、彼は同時にこうも言った。


「暴力で、暴力を止めることはできない。しかし、無防備でいることも、許されない」


(ピアノ。そのバランスの上に立つコード。緊張と、諦めのない決意。)


そのバランスの上に、彼は立っていた。


(彼の声が、その場面の緊張を帯びる。)


1963年6月11日。彼の人生で最も長い日。


その日、彼はジャクソンの自宅から、NAACPの事務所に向かおうとしていた。車に乗り込もうとした瞬間、銃声が響いた。彼の背中に、弾丸が突き刺さった。彼は倒れた。妻のマーナは、彼の血を止めようと、必死にタオルを押し当てた。


(彼はそこで止まる。緊張を保ったまま。)


彼は、生きていた。


弾丸は、彼の背中を貫通し、右腕を砕いていた。でも、致命傷ではなかった。病院に運ばれ、数時間の手術の後、彼は意識を取り戻した。


(彼の声が、その時の彼の言葉を再現する。力強く、しかし無理をしていない。)


彼の第一声は、こうだった。


「誰が撃ったか、わかるか?」


妻が言った。「まだ、わからない」


(彼の声がさらに強くなる。)


彼はうなずいた。


「俺は、戻る。仕事に戻る。誰も、俺を止められない」


(長い沈黙。その決意の重みが、空気を満たす。)


彼は、二週間後に退院した。右腕はギプスで固定されていたが、彼はそのまま、ミシシッピ州の田舎町へ向かった。有権者登録のキャンペーンを続けるために。


誰かが言った。「休め」と。


(彼はその答えを、ゆっくりと。)


彼は答えた。「死んだら休む」


(ピアノ。その言葉が、予言であったことを知っているかのように、低い不協和音。)


その言葉は、予言になった。


(ピアノ。ケネディの声を思わせる、力強くもどこか脆い響き。)


その同じ年の、同じ月。6月12日。


ケネディ大統領が、公民権法の成立に向けた演説をテレビで行った。全米の黒人が、その言葉に耳を傾けていた。キング牧師も、マルコムXも。そして、メドガー・エヴァースも。


(彼はその演説の一部を、記憶から引き出すように。)


演説は、力強かった。ケネディは言った。「この国は、人種差別を終わらせなければならない。それは、道徳的な問題であり、法的な問題であり、アメリカの約束の問題である」


(彼の声が、その後の出来事を語る前に、沈む。)


その夜、メドガー・エヴァースは、ジャクソンの自宅に戻った。車を駐車場に停め、トランクからNAACPの書類を取り出そうとした。


その時——


(ピアノ。一つの音。銃声のように鋭く。低く。)


銃声が響いた。


今度は、彼は倒れた。弾丸は、彼の心臓を貫いていた。


(長い沈黙。)


彼は、その場で息を引き取った。


三十七歳。妻と、幼い娘を残して。


(ピアノ。シカゴの葬儀場の、静かな賛美歌。)


彼の葬儀は、シカゴで行われた。


五千人以上の人が集まった。キング牧師も参列した。彼は、涙を拭いながら、こう語った。


(彼の声が、キング牧師の言葉を伝える。敬意を込めて。)


「メドガー・エヴァースは、私たちの最も勇敢な戦士の一人だった。彼は、銃弾を知りながら、決して退かなかった」


その言葉の後、キング牧師は、静かに語り続けた。


「彼は殺された。しかし、彼の仕事は、終わっていない。私たちが、それを続ける」


(彼の声が、自分のものに戻る。当時の自分を思い出しながら。)


俺はその葬儀の映像を、スタジオの小さなテレビで見ていた。キング牧師の顔には、深い疲れがあった。彼は、すでに自分が次の標的であることを知っていた。でも、彼はその言葉を止めなかった。


(彼の声が優しくなる。自分のことを語るように。)


メドガー・エヴァースのために。

そして、これから同じように倒れるであろう、すべての者のために。


その夜、俺はピアノの前に座った。鍵盤に指を置いた。


でも、動けなかった。何の音も、浮かばなかった。


ただ、彼の言葉だけが、頭の中で繰り返された。


(彼は呟くように、もう一度。)


「死んだら休む」


(長い沈黙。彼は自分の指を見つめる。その言葉の重さに、今も押しつぶされそうになりながら。)


彼は、それを本当に実行した。生きている間は、休まなかった。そして、死んで、ようやく休んだ。


(ピアノ。時間の経過。三十年という重みを、低い低い音で。)


彼の殺人犯は、長い間、見つからなかった。


証拠はあった。弾丸の種類。犯行現場の指紋。何人もの目撃者。でも、ミシシッピ州の司法は、動かなかった。陪審員は、全員白人男性。誰も、白人の男を黒人殺しの罪で有罪にしたくなかった。


(彼の声に、諦めにも似た諦観が混ざる。)


それは、エメット・ティルの時と同じだった。


違うのは、メドガー・エヴァースは、戦士だったということだ。彼は、殺される可能性を知りながら、戦い続けた。彼の死は、誰も驚かなかった。悲しみはした。でも、驚きはしなかった。


(彼は客席を見る。この国に生きる者として。)


それが、この国の現実だった。


黒人が、正しいことをすればするほど、殺される確率が高まる。


それが、この国のルールだった。


(ピアノ。時間が飛ぶ。三十年という歳月を、一瞬で越える不協和音。)


三十年。


三十年間、彼の殺人犯は、自由だった。


(彼はその名前を、吐き出すように。)


名前は、バイロン・デ・ラ・ベックウィズ。白人の至上主義者。公民権運動に反対するグループのメンバー。彼は、メドガー・エヴァースを殺した後、別の州に移り、普通に暮らした。結婚し、子供をもうけ、仕事をした。


誰も、彼を捕まえようとしなかった。


(彼の声が、苦くなる。)


1994年、ようやく事件が再審された。新しい証人が現れた。新しい証拠が見つかった。そして、陪審員には、何人かの黒人が含まれていた。


ベックウィズは、有罪になった。


(長い沈黙。その遅すぎた正義の空虚さ。)


三十年越しの、遅すぎた正義。


法廷で、彼は無表情だった。罪を認めなかった。反省もしなかった。ただ、淡々と、判決を聞いていた。


彼は、終身刑を言い渡された。


(ピアノ。ニュース速報のテーマのような、短いフレーズ。そして止む。)


「あなたは、そのニュースをどう受け止めましたか?」


(彼はその質問に、今の自分で答える。)


俺は、その日もスタジオにいた。テレビをつけていたら、速報が流れた。


「メドガー・エヴァース殺害事件、三十年越しの有罪判決」


(彼はそこで止まる。その瞬間の感情を、探すように。)


その瞬間、俺は何も感じなかった。


喜びも、怒りも、悲しみも、安堵も、何も。


ただ、虚無だけがあった。


(彼の声が、遠くを見るように。)


三十年。


彼の妻は、三十年待った。彼の娘は、父親なしで育った。彼の仕事は、三十年の間に、誰かが引き継いだ。


三十年。


その間、どれだけの黒人が殺されただろう。どれだけの家族が壊れただろう。どれだけの正義が、遅れただろう。


(彼の声に、諦めではなく、確かな怒りが込められる。)


「正義は、遅れても来る」と誰かが言った。でも、遅れた正義は、正義じゃない。それは、ただの慰めだ。


(ピアノ。一番低い鍵盤。ド。彼はそれを押す。長く、深く。)


俺は、ピアノの前に座った。


鍵盤に指を置く。


そして、一番低い音を押した。


(その音が響く。三十年の重さが、その一音に凝縮されている。)


それは、三十年の重さだった。


(彼はその音が消えるのを待つ。そして、次の言葉を。)


キング牧師の光が三十年待ったのか? マルコムXの炎が三十年待ったのか? アリの拳が三十年待ったのか? キャパニックの膝が三十年待ったのか?


(彼は首を振る。その答えは、誰にでもわかる。)


答えは、ノーだ。


彼らは待たなかった。待つことは、死ぬことと同じだと知っていたから。


(彼の声が強くなる。メドガー・エヴァースのように。)


メドガー・エヴァースも、待たなかった。彼は、死ぬその日まで、戦い続けた。


三十年の遅れは、彼には関係なかった。彼は、もういなかったから。


(彼は客席を見渡す。今、ここにいるすべての人に。)


でも、俺たちはいる。まだ、ここにいる。


だから、俺たちは続ける。彼の代わりに。彼の娘の代わりに。彼の妻の代わりに。


(彼の声が、約束のように。)


死んだら休む。それまでは——


(ピアノ。彼の人生を称える、シンプルなブルース。賛美ではなく、理解の音楽。)


「あなたにとって、メドガー・エヴァースとは何ですか?」


(彼はその質問に答える。準備はできている。)


彼は、英雄じゃない。聖人でもない。完璧な人間でもない。


彼は、ただの男だった。妻を愛し、娘を愛し、自分の仕事を愛した。そして、その仕事が、彼を殺した。


(彼の声に、敬意が込められる。)


彼は、キング牧師のように語らなかった。マルコムXのように燃えなかった。アリのように舞わなかった。キャパニックのように膝をつかなかった。


彼は、ただ、コツコツと、毎日、戦い続けた。


誰も見ていないところで。誰も拍手しないところで。誰も名前を覚えていないところで。


(彼は間を置く。その地味さの、とてつもない偉大さを伝えるために。)


それが、彼の闘いだった。


そして、その闘いが、この国を変えた。


(彼の声が、未来を見るように。)


彼が登録した有権者の一人が、役所に座った。その役所で、新しい法律が生まれた。その法律で、誰かの人生が変わった。


それを、彼は見ていない。でも、それは、彼の仕事の続きだった。


彼は言った。「死んだら休む」と。


ならば、今、彼は休んでいる。


(彼の声が、強く、優しく。)


俺たちは、まだ休めない。


(彼はスタジオに戻った自分を思い出すように、遠くを見る。)


俺はスタジオに戻り、ピアノの前に座った。


譜面台には、彼の新聞の切り抜き。NAACPのフィールド・セクレタリーとして、南部の田舎町で黒人たちに語りかける彼の写真。その目は、優しく、しかし強い。


(彼は鍵盤に指を置く。その音楽の前に。)


キング牧師の声は光だった。

マルコムXの声は炎だった。

アリの声は拳だった。

キャパニックの声は膝だった。

エメット・ティルの声は開かれた棺だった。


そして——メドガー・エヴァースの声は、土だった。


(彼の声が、その比喩の意味を解き明かすように。)


光は照らす。炎は燃やす。拳は打つ。膝は祈る。開かれた棺は見せる。


でも、それらを支えるのは、土だ。


(彼は自分の手のひらを見る。そこに土の感触を感じているかのように。)


彼は、その土だった。誰も気づかない。誰も感謝しない。でも、その上にすべてが立っている。


(彼は顔を上げる。)


彼は戦った。目立たずに。黙々と。コツコツと。


その戦いがなければ、光は届かなかった。炎は燃えなかった。拳は振るえなかった。膝はつけなかった。棺は開かれなかった。


(彼の声が、結論のように。)


彼は、その土だった。


(ピアノ。最後のコード。しかし、それは終わりではなく、始まりの音。)


彼は戦った。ただ、それだけだった。

誰にも、止められなかった。

死んだら休む。それまでは——


(彼は鍵盤に指を置く。その約束を、音にするために。)


俺はピアノの蓋を閉める。でも、音楽は閉めない。


(彼の声が、夜空を見上げるように。)


夜明け前の街は、まだ誰のものでもない。


でも、メドガー・エヴァースの仕事は、誰かのものだ。私たちのものだ。この国の、すべての人のものだ。


(彼は客席を見渡す。一人ひとりに、語りかけるように。)


彼は、私たちに遺した。コツコツと、毎日、戦い続けることの大切さを。目立たなくても、構わないということを。死んだら休む。それまでは、立ち続けるということを。


(ピアノ。最後のコード。低く、深く、力強く。それは土の音。そして、その音は、長く、長く伸びる。静かに消える。でも、消えきらない。どこかで、まだ響いている。)


メドガー・ワイリー・エヴァースのために。

1925年7月2日 - 1963年6月12日。

彼は戦った。ただ、それだけだった。

誰にも、止められなかった。

死んだら休む。それまでは——


(拍手。深い沈黙の後。その拍手は、ただの拍手ではない。土を踏みしめる足音のような、確かな拍手。彼は軽く会釈する。その目は、コツコツと戦い続けたあの男の姿を見ている。しばらくの間——長い間、彼は何も言わなかった。ピアノの前に座ったまま、その約束を自分の指に刻んでいる。そして、ゆっくりと次の曲へと指を動かす。今度は——その歩みを続けるために。立ち続けるために。死んだら休む。それまでは——)

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