第8話 色なき介入
本日の更新分ラストです
「……演習は、ここまでとします」
セレナ先生の声は、いつもの凛とした響きを失い、どこか上擦っていた。
崩れ去った石像の砂が、風に吹かれて演習場の石畳を白く汚していく。
クラスメイトたちの視線が、針のように私の肌を刺した。そこにあるのは称賛ではない。自分たちの理解を越えた「不気味な何か」に対する、本能的な拒絶と恐怖だ。
カトレアの圧倒的な『真紅』の後、すぐさま指名された私が行った『霧散』。
その後に続いた生徒たちも、動揺を隠せないまま次々と魔法を披露した。けれど、一人として最初のギルバート――没落しかけているとはいえ、執念で練り上げられたあの『黄土色』の衝撃――を超える者すら現れなかった。
それほどまでに、このAクラスの中でも実力差は激しい。
そして、その基準すらも、魔法の理すらも、私は砂のように解いてしまったのだ。
私は逃げるように視線を落とし、列の最後尾へと戻った。
リリィが何か言いたげに口を開き、けれど、かけるべき言葉が見つからないのか、困惑したように視線を泳がせていた。その戸惑いすらも、今の私には耐え難い「色彩」のノイズとなって脳を焼く。
(……やりすぎた。あんな風に、根底から『解いて』しまうなんて)
脳の奥で、砂嵐が激しく吹き荒れている。前世の知識――物質の結合という概念を無理やり魔法に転用した代償だ。
ふらつく足取りで教室に戻る間も、私は無意識に『灰』の膜を限界まで濃くしていた。
周囲の色を遮断し、音を遠ざけ、誰とも視線を合わせない。そうして自分の世界に閉じこもっていなければ、この剥き出しの現実を維持するリソースが足りなかった。
だから、私は気づかなかったのだ。
この輝かしいAクラスの片隅に、私と同じように息を潜め、肩を窄めている存在がいることに。
「――待ちなさい」
放課後。人気のない廊下を歩いていた私の背中に、鋭い声が投げかけられた。
振り返らなくてもわかる。燃えるような、圧倒的な「真紅」の魔力。
カトレア・フォン・ローゼンタール。
彼女は優雅な所作で私の前に立ちふさがった。その瞳は、昼間の演習の時よりもさらに激しく、挑戦的な光を宿している。
「レイナ・アッシュベルク。あなたの魔法……あれは、属性を打ち消したのではないわね」
「……何のことかしら」
「誤魔化さないで。私は、この世界のあらゆる色が、より高い純度の色によって塗り替えられる様を見てきた。けれど、あなたは違う。あなたは『色』そのものを、世界から消し去った」
カトレアが一歩、詰め寄る。彼女の体温以上に熱い魔力が、私の『灰』の領域を強引に押し広げてくる。
「あれは破壊ではない。……完全な、概念の否定。あなたの存在そのものが、私たちの積み上げてきた色彩階級への侮辱だと言っているのよ。……いいわ、精々その色なき殻に閉じこもっていなさい。私は私の『極色』で、あなたの虚無すらも焼き尽くしてみせるから」
背を向けて去っていく彼女の背中は、どこまでも誇り高く、眩しかった。
彼女の放つ「真紅」は、孤独ですらも一つの色として成立させている。それに引き換え、私の「灰」は、ただ削れていくだけの不毛な境界線だ。
独りになった廊下に、夕闇が忍び寄る。
自分の指先を見る。感覚が少しずつ希薄になり、自分という存在の境界線が曖昧になっていく。
(ああ、また少し……おばあちゃんの笑顔が、思い出せなくなった……)
「……あの、えっと。アッシュベルクさん」
不意に、影の中から小さな声がした。
ビクリとして振り返ると、そこには見覚えのある少年が立っていた。
試験の前に正門前でギルバートに虐められ、私が助けた平民の少年だ。
私は目を見開いた。彼が着ているのは、まぎれもなくAクラスの制服だったからだ。
今まで一度も、彼が教室にいることに気づかなかった。いや、私が「見ないように」していたのだ。周囲の色を拒絶するあまり、同じ空間にいるはずのクラスメイトの顔すら、認識の外へと追い出していた。
「……あなた、同じクラスだったのね」
「う、うん。……僕、カイルっていうんだ。属性が『水』で、入学試験の時に『輝色』に近い判定が出たから……平民だけど、特例でギリギリこのクラスに滑り込めたんだよ」
カイルは自嘲気味に笑った。
「でも、やっぱりここは僕みたいなのがいる場所じゃなくて。毎日、誰の目にも止まらないように、石ころみたいにじっとしてるだけで精一杯で……」
彼は震える手で、大切そうに一つの瓶を握りしめていた。あの日、砕け散ったはずの瓶。私が渡した結晶の欠片で、彼は自分の場所を繋ぎ止めたのだろうか。
「でも、さっきの演習……見てた。凄かった。みんなは不気味だって言ってたけど……僕は、綺麗だと思ったんだ」
「……綺麗?」
思わず、声が漏れた。
「うん。砂になって消える時、なんだか……世界が、少しだけ静かになった気がして。……それだけ、言いたくて。じゃあ、また明日、教室で!」
カイルはそれだけ捲し立てると、恥ずかしそうに走り去っていった。
廊下には、再び静寂が訪れる。
けれど。
私の胸の奥に、ほんの少しだけ、砂嵐ではない「温かなノイズ」が残った。
それは何の色にも染まらない、けれど確かにそこに在る、小さな肯定。
私は胸元の色のないペンダントに手を当てた。
冷たかったはずの石が、今は私の体温を吸って、微かに温かい。
「……明日、か」
私は小さく呟き、自分を囲う『灰』の膜を、ほんの少しだけ緩めた。
窓の外には、紫色の夜が降りてきている。
これまで認識の外に追い出していた「教室」という場所が、ほんの少しだけ、昨日までとは違う景色に見えた。
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