第25話 王都の洗礼
石造りの巨大な城門をくぐった瞬間、空気の密度が変わった。
プリズミア王国が誇る、虹の名を冠した王都、スペクトラム・イリス。何十万人もの人間が放つ魔力と熱気が、目に見えない奔流となって押し寄せてくる。
レイナは馬車の窓から、見上げるほど高い時計塔や、ひしめき合う豪華な石造りの建物を眺めていた。
「……きれい」
記憶にある限り、初めて訪れる王都の景色。整然と並ぶ白亜の壁、色とりどりの屋根、そして街路を彩る魔導具の灯り。それは村の素朴な色合いとは正反対の、眩いほどの彩やかさに満ちていた。
けれど、見つめていられたのは数秒だった。レイナはすぐに視線を落とし、こめかみを押さえる。
「……でも、色が多くて、少し疲れる……」
道行く人々から漏れ出す魔力の残滓。それは焦燥、野心、虚栄といった感情が混ざり合い、どろりとした濁りを帯びている。美しい街並みの裏で蠢く、数多の人間たちの不純な「色」の奔流。その暴力的なまでの情報量に、レイナはたまらず左手の銀の腕輪を強く握りしめた。
***
しばらくして辿り着いたのは王都の中心部に鎮座する、王国屈指の研究機関である国立魔法院の鑑定室。
仰々しい装飾が施された鑑定水晶の前に、レイナは立っていた。周囲には数人の鑑定官と、数名の貴族子女たちが物珍しそうに彼女を取り囲んでいる。
今回のユニーク魔法保持者としての公的な国家登録には、この魔法院での正式な鑑定が義務付けられていた。
「――鑑定結果。
属性:不明
現象:魔力の分解・還元、気配の希薄化
暫定呼称:灰魔法」
鑑定官の事務的な声が響いた瞬間、室内には失望と、僅かな嘲笑が混じった囁きが広がった。
「灰魔法? 聞いたこともないな」
「伝説の風使い、エルマ・アッシュベルクの孫というから期待したが……属性さえ持たない、ただの分解魔法か」
「実戦では使い物にならん、掃除屋の魔法だ」
レイナは俯いたまま、鑑定結果が刻まれた石板を受け取った。
隣で静かに見守っていたシグルドだけが、鑑定水晶の内部で一瞬だけ弾けた定義不能の亀裂を見逃さなかった。
鑑定後、シグルドは「王宮へ鑑定終了の報告書を直接届けてくる」と言い、レイナを伴って王宮へと向かった。本来ならレイナが立ち入る必要はない場所だが、シグルドは「王都の空気、そしてこの国の中心を知るのも勉強だ」と彼女を連れ出したのだ。
シグルドが執務エリアの奥へと入っていく間、レイナは許可された待機用の回廊で待つことになった。だが、一人になったその隙を、不運な偶然は見逃さなかった。
回廊の向こうから、金糸の刺繍が施された贅沢な法衣を纏った少年が歩いてくる。王宮高官である父の公務に同行し、暇を持て余して王宮内をうろついていた新興貴族の令息だ。彼は鑑定室で見かけた「エルマの孫」が一人でいるのを見つけると、勝ち誇ったような笑みを浮かべて近づいてきた。
「やあ、君が例の灰色の少女かい? 期待外れにも程があるよ」
彼はレイナの顔を覗き込み、品定めするように口角を上げた。
「だが、その顔立ちは悪くない。家柄もエルマの直系だ。どうだい、私の婚約者の座を空けておいてやってもいい。その無能な灰を、我が家の名声で塗り替えてやろうじゃないか」
レイナの視界で、彼の魔力が波打った。
それは執着と傲慢が溶け合った、腐った沼のような濁茶色。反射的に胃の底がせり上がり、レイナは一歩後退りする。
「……結構、です」
「なんだと? 落ちこぼれの分際で――」
少年が声を荒らげ、レイナの肩に手を伸ばそうとした。その指先が触れる直前。
「おやおや。未来ある若者が、初対面の淑女に対して随分と熱心な求愛ですな」
用件を終え、戻ってきたシグルドが、少年の手首をそっと、しかし岩のように動かぬ力で受け止めていた。
「シ、シグルド学園長……っ!?」
シグルドの瞳に、ほんの一瞬だけ冷徹な光が宿る。魔力さえ感じさせないその静かな威圧に、少年は顔を青白くさせ、ガタガタと膝を震わせた。
「ひ、ひっ……失礼、しました……っ!」
少年は手首を振り払うなり、背を見せて脱兎のごとく逃げ出した。その背中を見送りながら、シグルドは深く溜息をつき、肩をすくめる。
「……やれやれ。あんな勢いで凄んでおきながら、名乗りもせずに去っていくとは。淑女に対して失礼なのはもちろん、自らの名に誇りも持てぬとは。近頃の貴族は礼儀も勇気も随分と安っぽくなったものだ。残念ですね、レイナ君」
シグルドの皮肉を込めた言葉に、レイナは小さく頷くことしかできなかった。
***
その夜、王宮の最上階にある隠し部屋。
そこには王冠を外した現国王と、シグルドがサシで向かい合っていた。テーブルの上には、エルマが好きだった古い銘酒のボトルが置かれている。
「……そうか。エルマは願いを、その子へと託したか」
シグルドから語られた「彩魔法」の真実。それを聞き終えた国王は、盃を持ったまま、呆然と宙を仰いだ。
「陛下。……まさか、陛下ほどのお方でも、気づいてはおられなかったのですか」
「ああ、知らなかったとも。……王家に伝わる古い伝承に、万象の色を束ねた『彩魔法』の記録はあった。だが、まさかあのエルマがそうであったとは。かつての一戦で見せたあの神彩の輝きさえ、私は至高の風を極めた結果だとばかり思っていたよ」
国王は自嘲気味に笑い、一気に酒を煽った。
「あいつ、死ぬまで私をも担ぎきったのか。……最高の戦友だと思っていたが、最期の最期まで、私はあいつの本当の背中を見ていなかったということだな」
「ええ。魔法は万能ではない、私たちはそう思っていましたが、彼女が到達した彩は、もはや世界の理を書き換える奇跡に近い。それこそ、誰にも悟られぬよう歴史の裏に隠し通すことも含めて」
シグルドは静かにグラスを傾けた。
「陛下。レイナ君の魔法は、まだ灰です。ですが、それは欠陥ではなく、世界そのものを拒絶している結果。彼女が自分の意志で色を望んだとき、この国は、いや世界は、かつてない彩りに包まれるでしょう」
「……あいつが守りたかったのは、国ではなく、その可能性だったのかもしれんな」
国王は夜空を見上げ、独り言のように呟いた。
「シグルド、頼むぞ。あの子を、エルマのような孤独な最強にはさせるな。学園長としてお前が預かっている間は、その灰を汚させるなよ」
「心得ております。学園は私の庭、あの子が再び色を望むその日まで、何人たりとも邪魔はさせません」
王都スペクトラム・イリスの夜景が、窓の外で煌々と輝いている。
明朝には、再び馬車で学園都市への帰路に就く。
眩しすぎる光と、濁った欲の色。その両方を知ったレイナが、揺れる馬車の中で何を思い、これからどのような「自分の色」を見つけていくのか。シグルドは静かに、自らに課した誓いを噛み締めていた。




